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三国志はじめ中国史のいたる所でよく見る字(あざな)の起源・習慣について

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1世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)00:23:47 ID: .net

三国志の人物には殆んど字(あざな)があるけど、字(あざな)をつける習慣っていつ頃始まったんだろう

 

2世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)00:26:09 ID: .net

便乗して書いてみようか
字(あざな)って何を基準に付けたんだろうか
今の日本の姓名判断的なものって当時はあったんかね

 

6世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)00:30:40 ID: .net

>>2
いろいろな基準があったようだぞ。
三国志だと…・名前と似た意味の文字を当てる場合

諸葛「瑾」:子「瑜」
ともに美しいという意味だ。
周瑜は丁度逆になっているな。

・兄弟の順番に則る場合

伯仲叔季、さらに生まれた場合には幼

など…

 

9世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)00:34:03 ID: .net

>>6
兄弟順で並べるのは、農民の息子とかに多いって聞いたな
劉邦も元の名は確か季って言ったはず
劉家の4男坊って程度の呼び名らしいのだが、そういう奴が国をぶっ立てると
名前を改める習慣があった、なんて話は聞いた事がある関羽も確か、関長生(だっけ?)とかいう名前だったって話しだし
そういうのも関係してるんじゃないのか?

 

10世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)00:37:19 ID: .net

ちなみに、呉の学者皇帝の孫休は

「古来、字は一字だったのに今は二字が主流になっている。
そもそも二字の字をつけられるほど人間は高等になったのか。」

のような事を言って、漢字を合体させて
二字の字を無理矢理一字にした事があったようだ。

>>9
劉邦の季は通称じゃなくて名前だったっけか?

 

82世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)11:43:26 ID: .net

魏「延」、文「長」
「延長」という熟語ができる張「遼」、文「遠」
「遼遠」という熟語ができる

カン「沢」、徳「潤」
「潤沢」という熟語ができる

周「瑜」、公「瑾」  諸葛「瑾」、子「瑜」   >>6でがいしゅつ
「瑾瑜」という熟語ができる

諸葛「亮」、孔「明」  徐「晃」、公「明」
「亮」「明」「晃」とも「あきらか」という意味がある

 

3世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)00:27:44 ID: .net

紀元前11世紀の人物、太公望(呂尚)にも子牙という字がある。

中国に古代からずっと浸透していた考え方だが、
人の諱を口にする事はその人の霊的人格に対する侵害と見なされた。

諱を避けるという概念が生まれたその時から、
別名である字のハシリは生まれていたのかもしれない。

 

4世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)00:29:24 ID: .net

字って古代中国人がつけた字のことですか?
姓名判断は斉の垣公の姉が生まれたときには既にあったと野末陳平は
著書に書いていました。本当かどうかわかりませんが。
中国人の字だと時代によって、色が違うかもしれません。

 

5世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)00:30:29 ID: .net

ん?
姜子牙ってあったよな
子牙ってそっち起源だろ?

 

7世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)00:32:14 ID: .net

>>5
太公望は姓が姜、氏が呂、諱が尚または望、字が子牙。中国における氏姓は日本のと違うから調べてみるといいと思うぞ。

 

230世界歴史ちゃんねる2010/01/15(金)08:50:38 ID: .net

>>3 >>5
すごく遅レスで悪いが呂尚の字が子牙って
史記本文じゃなく注釈の正義や新唐書でようやくでてくるんだから
果てしなく怪しい、というか少なくとも起源と呼べるようなものではないと思う

 

8世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)00:33:04 ID: .net

前漢から後漢初期にかけては、「君」「卿」が含まれてる字が多い

 

11世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)00:41:05 ID: .net

通称って言われてるが、当時の本名は不明だったはず
高島俊男なんかは劉季って呼ばれた名無しの4男坊が国を盗って
大袈裟な名前をつけたんだろうって言ってる
士大夫層に成り上がった奴ってのはそういう名前の付け方が多いよな字も諱をつける必要に迫られた時に、今までの名前を字にしたってケースがあったりしないのかね

 

13世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)00:44:11 ID: .net

>>11
それらしい例でパッと思いつくのは、時代がくだってしまうが陶淵明。姓が陶、諱が潜、字が淵明というのが一般的だが、
姓が陶、諱が淵明、字も淵明という説もある。
後者は明らかに不自然だから、もし後者が正しいとするならば、
必要に迫られて今までの名前を字にしたのかもしれない。

だが陶淵明は没落したとはいえ呉の名門の家柄だからな。
成り上がった士大夫ではない。

 

17世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)00:47:15 ID: .net

>>13
確かにな
ただよ、陶淵明のケースで名が2文字の淵明ってどうなんだ?
あまり二文字の諱って聞かない気がするんだが
北魏時代なんかは別としてさ

 

21世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)00:50:19 ID: .net

>>17
なぜ二字名があの時代に珍しかったかというと、
王莽が厳しく取り締まった名残なんだ。
古来の一字名の法則が乱れている、二字名は取り締まるべきだと。
それがちょうど崩れてきた時期なのかもしれないな。

 

24世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:00:48 ID: .net

>>23
とはいえ、一字名は以後の時代にも存続していたし、
今でも人の名は先祖の諱を犯さないように決めている。
同一人名が増えたことの対策は
まさにこのスレの趣旨だが字による区別だ。
ネタ切れよりは、やはり法則の崩れだと思うぞ。

 

27世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:06:55 ID: .net

>>25
俺が>>24で「対策」と言ったが、
それは明確な意図に基づく主目的としてではなく、
字で差異を出すことで副産物として
同一人物が増えても困りにくくなったということだ。
俺の言葉が悪かったかもしれないが、
潜在的な意識として実用的な意図も含まれたと思うぞ。単に諱を呼ばないために作るなら、
皆が皆兄弟の順番など簡単な記号にしてしまえばいいんだ。
日本の「太郎」「二郎」のような通称はまさにそれだ。

 

79世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)07:53:34 ID: .net

>>11
そういう与太話を真に受けないほうがいいよ
項伯を見れば、伯、季などの字は貴人にも使われているし、そもそも劉邦はそんな下層じゃない

 

12世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)00:43:00 ID: .net

項羽の羽が字だったのを

 

14世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)00:44:51 ID: .net

あれは籍が本名だっけか

 

16世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)00:47:00 ID: .net

>>14
その通りだ!
楚漢期はまだ一字の字が主流だった。

 

15世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)00:46:30 ID: .net

逆に字が使われなくなったのはいつごろなのかな
水滸伝あたりだと士大夫クラスでももう出てこないよね

 

19世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)00:48:23 ID: .net

>>15
字は廃れていったとはいえ、
毛沢東の字が潤之、蒋介石の字が中正というように
かなり最近まで残っていたぞ。ただ、最近ではもう字が無い人も多いらしい。

 

20世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)00:49:53 ID: .net

東晋後期以降は二文字の諱は多いよ。
あと字が使われなくなったのは文化大革命の頃だと聞いた。

 

22世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)00:50:39 ID: .net

唐以降二文字の名前が多いよね

 

23世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)00:56:47 ID: .net

>>21
崩れてるってか名前のネタが切れてきたんだろ
一文字の諱も限りがあるし、段々と同一人名が増えてきた結果だと思うが>>22
唐は異民族の移住の名残だろ
長孫無忌みたいな明らかな別の言語の音訳と思われる名前が多いから

 

25世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:02:38 ID: .net

そもそも、字にそんな実用的な意図があったんか?
文化的な背景として諱を呼ばないって決まりがあって
それに対応して字を作ったんじゃないの?

 

27世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:06:55 ID: .net

>>25
俺が>>24で「対策」と言ったが、
それは明確な意図に基づく主目的としてではなく、
字で差異を出すことで副産物として
同一人物が増えても困りにくくなったということだ。
俺の言葉が悪かったかもしれないが、
潜在的な意識として実用的な意図も含まれたと思うぞ。単に諱を呼ばないために作るなら、
皆が皆兄弟の順番など簡単な記号にしてしまえばいいんだ。
日本の「太郎」「二郎」のような通称はまさにそれだ。

 

26世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:03:50 ID: .net

二字名の (同じ字)+(同じ部首の漢字) という流れが確立するのはいつぐらいからなんだろう。

 

28世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:08:51 ID: .net

>>26
それってどういうこと?

 

32世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:17:33 ID: .net

>>28
清の順治帝の子は (玄)+(火偏)
康熙帝の子は (胤)+(示偏)
明の宣宗の子は (祁)+(金偏)宋は一字名で部首共通、なぜか金もこれに倣うパターン。

 

33世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:18:16 ID: .net

>>32
それ、うろ覚えで今資料がないんだが
東晋にもなんか例があったのを覚えてる。

 

37世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:23:43 ID: .net

>>33
東晋のは徳宗(安帝)と徳文(恭帝)くらいじゃないかな。
このころの諱は字の形が共通していても部首が全く違ってたりするんだこれが。たぶん南北朝〜隋唐で成立してる法則なんだろうけれど、唐代は改名が多くてわけわからん。

 

29世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:12:41 ID: .net

ん?

だってよ、当時の農民は諱なんて持ってないわけだろ?
ならば伯・仲・叔・季・・・ってので対応したんだよな
それで十分に実用に耐えうるんじゃないのかと

だとしたら、字と言う形で敢えて特殊な通称を付けるのは
実用的な意図とは違った意図があるからだと思うのだが

 

31世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:16:54 ID: .net

>>29
おいおい、当時の平民が持っていなかったのは諱ではなく姓だ。
姓は漢族形成以前の部族集団の呼称で、支配階級だけがそれを持っていた。
被支配階級はそれを持っていなかったが、
不便になったからある時期から勝手に名のるようになったわけだな。だから天下の人民の事を百姓(ひゃくせい)と言うようになったんだし、
そこから転じて日本で農民という意味で百姓(ひゃくしょう)が使われるようになったんだ。

 

234世界歴史ちゃんねる2010/01/31(日)17:45:09 ID: .net

亀レスすぎるが
>>35
>この当時の兵士は、言うまでもなく徴兵された農民だ。
崔エンなんかも徴兵されてるんだけどな。
司馬芝が王同という人間を兵に取り立てようとしたこともあるし
「当時の兵卒は農民であり、姓はもっていなかった(>>31)」というのには疑問。

 

236世界歴史ちゃんねる2010/01/31(日)23:15:39 ID: .net

>>234
ア○
氏姓を混同すんな

 

237世界歴史ちゃんねる2010/02/01(月)01:36:37 ID: .net

>>236
俺は混同していない。
お前が混乱してるだけ。
>>35らへんの議論を見ろ。
そこでは氏を姓として語っている。
それに乗っかってレスしただけ。
ア○はお前。

 

238世界歴史ちゃんねる2010/02/01(月)01:41:52 ID: .net

>>237
お前が混同してんだよ>>31は氏姓が区別されなくなり、混同された経緯は省いてるが言ってる事自体は間違ってない
昔「姓」は支配者層だけのものだったというのは事実
疑問を持つことは許されないよ

 

239世界歴史ちゃんねる2010/02/01(月)12:31:32 ID: .net

>>238
「姓」に脊髄反射して読解力の無さをさらしてるのはお前。
俺が言ってんのは兵卒になった層の話だから。・兵卒になるのは農民だ
・農民には諱がない
・いや姓がない

俺は一段落目を否定した。

 

240世界歴史ちゃんねる2010/02/01(月)13:26:39 ID: .net

>>239
じゃあ「姓は持ってなかった」というところは省けばいいだろ
混同してるからそうなるんだよ

 

242世界歴史ちゃんねる2010/02/01(月)13:45:00 ID: .net

>>240
俺は三国時代の兵卒の例を引いた。
当時に兵卒になった層に姓を持った連中がいないと言いたいなら
それを主張すべきだな。そもそも当初の議論は農民と奴婢の区別がついていない。
お前も同様。
だから「農民」「姓」とだけ見て発狂したわけだ。

 

238世界歴史ちゃんねる2010/02/01(月)01:41:52 ID: .net

>>237
お前が混同してんだよ>>31は氏姓が区別されなくなり、混同された経緯は省いてるが言ってる事自体は間違ってない
昔「姓」は支配者層だけのものだったというのは事実
疑問を持つことは許されないよ

 

34世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:19:14 ID: .net

ん?
じゃ諱ってみんな持ってるのかその割には被支配階級の諱って見た事ないな

 

35世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:22:44 ID: .net

>>34
諱は主君、あるいは父親にしか呼ばれない。
そのうえ被支配階級は歴史書に残りにくいから、それが原因だろう。
だが残っている例があるぞ。
黄祖を捕縛した兵卒は馮則という名前がしっかり残っている。
この当時の兵士は、言うまでもなく徴兵された農民だ。

 

36世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:23:16 ID: .net

黄祖かわいい

 

38世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:26:13 ID: .net

純粋な漢民族の習慣ではないことは確か

 

39世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:26:18 ID: .net

馮則は捕縛の功により何らかの褒賞を受けてるんじゃね?
その結果支配者階級としての待遇なりがあったと考えるのが自然馮則は例としては相応しくないと思うが

 

41世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:31:12 ID: .net

>>39
馮則が仮に支配者階級としての待遇を受けたのなら、
○○に出世しただのといった記述があるはずだ。
兵士としては例外的に名前まで残ってるんだからな。
他に兵士から支配者階級になった人物として
于禁などが挙げられる。
(思えば、この男も禁という諱を持っている。)だが、「黄祖を騎兵の馮則が捕らえた」というような記述があるだけで
馮則にはその他の記述がない。
少なくとも、支配者階級になったということはないだろう。

 

43世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:37:23 ID: .net

>>41
確かに支配者階級になったって記述はないがよ、
敵将捕縛って大功に対して何もないってのもどうなのかね
出世の糸口ぐらいは掴んだが、結局凡庸で埋もれてしまったんじゃないかと支配者階層と言い切れるぐらい大出世はしなかったにしても、
則という諱をもらえるぐらいの身分にはなったんじゃないの?

 

47世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:41:52 ID: .net

>>43
それなら、明確に支配者階級に移行出来た于禁を例に考えると
「禁という名を与えられ、司馬に昇進した」と書いていなければおかしい。
よほどひねくれた見方をしなければ、元から諱を持っていたと読み取った方が自然だ。馮則の例や、やはり元平民の人物(腐るほどいるな)の例と併せてみても
諱は功績によって与えられるものではないと思うぞ。

 

49世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:44:14 ID: .net

>>47
ふむ、それは一理ある説明だなならよ、劉邦のケースはどうなるんだ?
単純に史書が彼の諱をフォローできなかったって事になんのかね

 

52世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:49:01 ID: .net

>>49
劉邦の場合、父の名も長兄の名も伝わっていないんだが、
次兄の諱が喜で、異母弟の諱が交だという事は史記に書いてあるんだ。
もしこれらの名前が後付なら、父の名も長兄の名も後付するはずだ。
劉伯(長兄)という記号と、喜・交という諱が同じ史書に混在している理由は
やはり単純にフォローできなかったからだと思う。

 

55世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:50:38 ID: .net

>>52
それにしても妙な話だよな
肝心な皇帝の諱が伝わってないってのも
わざと抹消したとか、編纂の段階で削除したとかなのかもな

 

57世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:53:20 ID: .net

>>55
だが、劉邦の諱はおおかた「邦」で合っていると思う。
なぜなら、宰相の名称がすぐに相邦から相国に改められているし、
人名でも邦はずっと忌避されていたからな。

 

59世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:55:26 ID: .net

>>57
そういうもんかねぇ
これ以上探りようがないから何とも言えないけど

 

40世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:28:51 ID: .net

とてもさわやかな北斉略系図

(高氏)
神武帝歓┬文襄帝澄
├文宣帝洋
├孝昭帝演
└武成帝湛

 

42世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:35:59 ID: .net

そういえば、三国志でも字が不詳の人物が多くみられる。
生まれが悪い人物でも字が残っている奴もいれば、
生まれが良くても残っていない人物(馬岱とか)もいる。
歴史書に字が残るかどうかの基準は何なんだろうな。

 

44世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:37:35 ID: .net

厳白虎は?

 

51世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:48:11 ID: .net

>>44はスルーか糞コテども

 

56世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:51:47 ID: .net

>>51
怒るな。見落としていただけだ。
「白虎」は、その出自的に当時賊が多用していた通称じゃないか。
黒山賊などは顕著だ。
張牛角、張白騎とか。調べてみてほしい。

 

60世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:56:14 ID: .net

>>56のことだが、当時は自分で字をつけてしまう例もあったらしい。
そう考えれば、賊が名のった仰々しい通称も
一種の字なのかもしれない。

 

45世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:39:00 ID: .net

馬岱の字って三戦か中英で結論でてたような。

 

46世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:40:33 ID: .net

>>45
興味があるな
何だったの?

 

48世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:44:07 ID: .net

>>46
伯瞻だったか伯山だったか伯苗だったような。
忘れたけど過去ログ漁ってみたら出てくると思うよ。わりと最近だったし。

 

50世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:44:52 ID: .net

そういえば、当時にも戸籍を管理する役職があったはずだ。
諱がなくては戸籍の制度は役に立たないと思う。
みな兄弟の順番で並べたりするのは無理があるぞ。

 

54世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:49:05 ID: .net

>>50
そういや戸籍があったって記述は結構見るな
俺の勘違いだったかもしれん

 

58世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:53:44 ID: .net

母が違っても弟がいるのに「季」というのは、当時の楚の文化圏の沛では奇妙だな。
幼だの稚だのが出てくるのは後漢くらいからだと思ってた。

 

61世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:56:42 ID: .net

甘寧興覇?

 

62世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:58:36 ID: .net

>>61
甘寧は諱が分かってるから例に入れてなかった。
上に挙げた2人しか思い出せなかったし今資料がないんだが、
黒山賊の人物で姓+明らかな通称で史書に残ってる奴が多いんだ。

 

63世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)01:59:34 ID: .net

張燕は?

 

65世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)02:03:12 ID: .net

>>63
張燕は元の名はチョ燕(チョは許チョのチョと同じ)で、
張牛角を継いで黒山賊の首領になった時に張姓に改めたと史書に書いてある。
多分「燕」は諱だと思う。姓を改めた例は三国志では珍しいかな。
他には張遼(聶→張)とか?

 

64世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)02:02:02 ID: .net

そういえば張遼文遠も奇妙な人になるな。

 

66世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)02:07:10 ID: .net

馬忠とか。

 

67世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)02:10:40 ID: .net

>>66
そういえば、馬忠の旧名と字は対応しているな。
狐「篤」:「徳」信
やはり似たような意味だ。

 

68世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)02:32:13 ID: .net

廖化(字合ってる?)も姓を改めたんじゃなかったっけ

 

69世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)02:39:19 ID: .net

廖化は諱を改めてる。(淳→化)
ただし、廖化については2人の人物が混同されたとか
そういった説もあるから、その説を採るなら改めているわけじゃなくなる…

 

70世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)02:47:46 ID: .net

さすがに黄巾の乱から蜀滅亡まで現役ってのはなぁ…

 

71世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)02:52:36 ID: .net

いったい奴は何歳ぐらいだったと考えるのが妥当なんだ?

 

72世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)03:12:16 ID: .net

黄巾の乱が184年で、蜀滅亡が263年
この間実に79年、仮に乱時に10代前半の少年兵だったとしても90歳は確実に超えている
これは一人の人間と見るには少々厳しいものがあるなただ、物語の語り部的な存在としては使いやすい人物ではある

 

73世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)03:16:33 ID: .net

あの時代に90超えているだけでも凄いと思うが、
あの時代のその年で、現役とか絶対無理だよなぁ

 

74世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)03:24:06 ID: .net

現代人の感覚ではすでに関羽とかの段階で現役をやるには無理に思えるもんなあ

 

75世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)06:17:26 ID: .net

趙子龍

 

81世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)11:41:25 ID: .net

孫「策」、伯「符」
「策」「符」とも竹のふだ孫「権」、仲「謀」
「権謀」という熟語ができる

孫「翊」、叔「弼」
「翊」「弼」とも「たすける」という意味がある

孫「匡」、季「佐」
「翊」「弼」とも「たすける」という意味がある

 

83世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)11:44:15 ID: .net

>>81
しむら〜最後、最後

 

88世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)14:48:22 ID: .net

>>81ですが最後まちがえてました
正しくは孫「匡」、季「佐」
「匡」「佐」とも「たすける」という意味がある

 

85世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)12:34:48 ID: .net

廖化は普通に70代でタヒんでるし、100歳近くまで生きながら忘れられやすい
呂岱や来敏が不憫です

 

86世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)13:17:42 ID: .net

三国志には「子」が付く字が多い気がするんだが、なんか意味あんの?
それとも単なる流行?
先生って意味があるとは聞くけど、この場合もそれでいいんだろうか

 

89世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)16:53:02 ID: .net

>>86
「子」には沢山の意味がある。
三国志に限らず、子は字に好んで使われる文字だぞ。三国志の人物で法則性を見出せるのは例えば…

・太史「慈」:「子」義
慈と子はともに慈しむという意味

 

87世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)14:15:36 ID: .net

兄弟が字をそろえたいときに使う

 

91世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)18:02:19 ID: .net

元々、字も一文字だった時代があって
名なのか字なのか分からないので
「○さん」みたいな意味で敬意を表す「子」を添えるようになった
あと、「張ん所の次男坊」を「張二」とか呼ぶお国柄なんで
子に代わって伯仲叔季を添えて兄弟順を表したりもする

 

92世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)18:50:53 ID: .net

関係ないけど孔子とか孫子って女なのかと思ってた

 

95世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)20:55:52 ID: .net

孔子の弟子達は、字に「子」がつくやつが多いよね

 

98世界歴史ちゃんねる2008/07/30(水)22:50:31 ID: .net

孔子といえばうんぴは論語止めたのか?

 

102世界歴史ちゃんねる2008/07/31(木)23:29:15 ID: .net

お前らも自分の名前に合わせて字を付けてコテにしてみたらどうだね。

 

103世界歴史ちゃんねる2008/07/31(木)23:33:34 ID: .net

>>102
例えばドージエなら「姓は李。名はふるーちぇ。字はハウス」とかでしょうか?
字がハウスなのは、フルーチェがハウスの商品だから勝手に考えただけです。

 

104世界歴史ちゃんねる2008/07/31(木)23:40:49 ID: .net

>>103
漢字に置き換えて「果物」→「季彩」とか。

 

105世界歴史ちゃんねる2008/08/01(金)00:02:03 ID: .net

>>104
具体例ありがとうございます。
伯仲叔方式で一字だけ決めるなら、楽かもしれません。宜しければ、奇矯屋onぷらっとさんも字を名乗ってお手本をいただければ
と思います。

 

106世界歴史ちゃんねる2008/08/01(金)00:07:28 ID: .net

>>105
一族きっての長子なのに妾腹。
本名を解読すると導かれる一文字が「績」「勲」「誉」こんな感じで。

 

107世界歴史ちゃんねる2008/08/01(金)22:56:24 ID: .net

>>106
ありがとうございます。
一日考えてみたのですが、どうも三国時代風の字は思い浮かばず……。
字や名前って時代によって流行というか傾向があると思います。
中国史の人名辞典のようなものを見ていると感じます。そういえば、初めて三国志を読んだ小学生のとき
「字=元服した際に持つこもう一つの名前」という認識でした。

 

108世界歴史ちゃんねる2008/08/01(金)22:59:49 ID: .net

蒋介石の「中正」ってのは甘寧と同じノリを感じる。

 

109世界歴史ちゃんねる2008/08/01(金)23:12:24 ID: .net

関羽以外に字を変えた人っている?

 

140世界歴史ちゃんねる2008/08/03(日)20:14:14 ID: .net

>>109
顧雍は?

 

110世界歴史ちゃんねる2008/08/01(金)23:16:41 ID: .net

張飛もそうじゃないか?

 

112世界歴史ちゃんねる2008/08/02(土)00:04:02 ID: .net

演義と正史で字が違うだけだったわ
誤解を招く発言して申し訳ない

 

113世界歴史ちゃんねる2008/08/02(土)00:18:12 ID: .net

あ、いえ、こちえこそご丁寧にどうも

諸葛喬は養子に入る際に字を変えたけど
当時は養子に入ったら字を変えることが一般的だったのかな?

 

124世界歴史ちゃんねる2008/08/02(土)09:16:23 ID: .net

>>113
それどころか完全に別名になることもある

 

114世界歴史ちゃんねる2008/08/02(土)00:28:05 ID: .net

例えば三男で「叔●」だった人が、他家に養子に入って
長男になったら「長男なのに何故伯●ではなく、叔●?」という
問題になるのも関係あるのかもしれません。

 

117世界歴史ちゃんねる2008/08/02(土)00:37:33 ID: .net

関羽の本当の字は長生なんだよと言ってみんなにボロクソに言われた小学生時代
あの頃は横山光輝三国志が聖典だったからな…w

 

118世界歴史ちゃんねる2008/08/02(土)07:41:12 ID: .net

官吏に追われて幽州に逃げ、おそらく姓名を変えて関羽と名乗った。

 

119世界歴史ちゃんねる2008/08/02(土)07:46:18 ID: .net

毛本では寿長

 

126世界歴史ちゃんねる2008/08/02(土)14:19:41 ID: .net

>>119
更に姓名も馮賢だったという説も

 

120世界歴史ちゃんねる2008/08/02(土)07:54:49 ID: .net

関羽はもとの姓を常といい、名を生といって、

 

121世界歴史ちゃんねる2008/08/02(土)08:59:28 ID: .net

関羽の羽は字という説

 

123世界歴史ちゃんねる2008/08/02(土)09:13:14 ID: .net

 真っ赤な顔になった常生は大慶関まで落ち延びると、関所が行く手を阻んでいた。
常生はそこで守衛の取調べを受けた。「お前の姓名は?」

常生は関門に掲げてある「大慶関」の看板を見ると、とっさに
「姓は関だ」と答え空を見上げる。
すると青空に細長い雲が漂っていた。
ちょうどそこに雁が飛来し、羽を一枚落としていった。
常生はそれを見て、さらにこう答えた。

「姓は関、名は羽、字は雲長」

こうして関羽という名前ができたというのだ。
このあと、黄巾の乱で乱れた都へ出て行き、劉備、張飛と出会い桃園の義を結ぶことになる。
http://blog.goo.ne.jp/chuka-champ/e/0ca13f2450f0be65a95114020e8c972d

 

133世界歴史ちゃんねる2008/08/02(土)23:40:37 ID: .net

鼻ティッシュの関羽は見たくないな

 

141世界歴史ちゃんねる2008/08/04(月)01:26:59 ID: .net

東晋では、諱と字が同一というのが流行っていたのかな。
先に言った陶淵明の他にも、簡文帝の末子司馬道子や
安帝司馬徳宗、恭帝司馬徳文がいる。
彼らはみな諱と字が同じ。

 

145世界歴史ちゃんねる2008/08/04(月)11:12:51 ID: .net

>>141
確かに東晋独特の文化?なのかね
他の時代では見ない

 

142世界歴史ちゃんねる2008/08/04(月)01:28:46 ID: .net

諱が分からんのでは?

 

143世界歴史ちゃんねる2008/08/04(月)01:37:31 ID: .net

いや、確かに同一

 

146世界歴史ちゃんねる2008/08/04(月)21:36:15 ID: .net

南北朝以降、字が一文字の者もまれに居る

 

147世界歴史ちゃんねる2008/08/04(月)21:43:02 ID: .net

諱と字が同一だったら役割を果たしてないよなあ。

 

149世界歴史ちゃんねる2008/09/23(火)21:04:47 ID: .net

伯仲叔季の後は何と続くの?

 

154世界歴史ちゃんねる2008/10/30(木)21:20:13 ID: .net

>>149
それ以後も法則はあるのかな?

 

150世界歴史ちゃんねる2008/09/23(火)22:25:59 ID: .net

時代によって違うね。

 

155世界歴史ちゃんねる2008/11/02(日)12:55:03 ID: .net

女性の字にも何か法則や慣習があるんだろうか。
まあ、女性の場合は姓名すら不明の場合が多いから、考察しにくいのかも知れんが。

 

156世界歴史ちゃんねる2008/11/02(日)15:17:09 ID: .net

馬氏五常は幼
夏侯七権は幼稚義
司馬八達は顕恵雅幼共通した法則はないけれど、「幼」が「季」の下に位置するのは確定。

 

158世界歴史ちゃんねる2008/11/02(日)19:15:54 ID: .net

幼は文字通り幼いという意味で普通は末っ子に付ける
字は成人後に付けるので、何人兄弟かは当然分かっていて普通は綺麗に伯仲叔季幼と揃うが
家族計画に失敗するとそこからダラダラと語呂の良い字を当てていく夏侯七権の場合「稚(幼と同じ意味)」で誤魔化そうとしたが七人目まで生まれてしまった
司馬八達は完全に計画出産

 

160世界歴史ちゃんねる2008/11/02(日)22:54:05 ID: .net

>>158
字を生まれたと同時に付けたと思ってるのか

 

162世界歴史ちゃんねる2008/11/03(月)10:54:52 ID: .net

一番下が物凄く離れて生まれてきたとか?

 

165世界歴史ちゃんねる2008/11/09(日)22:15:07 ID: .net

燃料になるかどうか知らんけど一応。

周の武王の輩行は次男だから「仲」なんだそうだ。
塩漬け兄ちゃんが「伯」邑考。
同母弟三男の管叔鮮・四男周公旦から九男の康叔封まではみんな「叔」。
末っ子十男の[耳冉]季載が「季」。

つまり文王の子の輩行は「伯仲叔叔叔叔叔叔叔季」

 

288世界歴史ちゃんねる2012/03/20(火)16:32:23.09 ID: .net

>>165
季は「4男」のほかにも「末っ子」って意味がある劉邦の「邦」は品のない言い回しでの「兄貴」
劉邦、字は季
というのは、
劉さんとこの末っ子(チンピラ的意味合いの兄貴)
という意味。

 

166世界歴史ちゃんねる2008/11/10(月)08:52:55 ID: .net

キン肉星王位争奪編みたいなノリだったんだろ

 

170世界歴史ちゃんねる2008/12/02(火)10:26:53 ID: .net

子産のまわりにたくさん子のつくのがいるな

 

175世界歴史ちゃんねる2009/01/08(木)23:32:22 ID: .net

字は堯や舜にもあった?

 

176世界歴史ちゃんねる2009/01/08(木)23:44:33 ID: .net

有○氏の○にあたる部分が字の原型みたいなものかもね。

 

178世界歴史ちゃんねる2009/02/22(日)00:58:37 ID: .net

日本人は字がないな。
外国人はミドルネームがあったりする。

 

179世界歴史ちゃんねる2009/02/22(日)01:16:07 ID: .net

>>178
あるぞ
字って言い方ではないが

 

180世界歴史ちゃんねる2009/02/22(日)09:13:40 ID: .net

ソウソウは言わなくても分かるが、鋭い徳の持ち主 だから孟徳 リュウビはその逆で玄徳 ソンケンはその両者にうまい事駆け引きをし、仲たがいさせ、謀を巡らし、上手く切り抜けたから仲謀だ 意味は何となく分かるよな

 

183世界歴史ちゃんねる2009/02/22(日)14:46:18 ID: .net

>>180
孟に猛の意味はないぞ
長男って意味だからな
玄徳ってのは別に鋭い徳って意味じゃなくて「最高の徳」という意味だし
孫権の場合仲←次男の意味、謀は名前の権と対応して権謀だろ
これは曹操も一緒で名前と字で徳操という熟語になっとる

 

182世界歴史ちゃんねる2009/02/22(日)09:26:21 ID: .net

仲は兄弟の順位だろばか

 

184世界歴史ちゃんねる2009/02/24(火)01:59:21 ID: .net

>仲たがいさせ、謀を巡らし

新しいな

 

185世界歴史ちゃんねる2009/02/27(金)22:23:09 ID: .net

しかし孫堅も凄い名前の付け方したもんだな

 

186世界歴史ちゃんねる2009/03/03(火)01:51:54 ID: .net

孫権は孫堅がタヒんだ時、まだ字はなかった?

 

190世界歴史ちゃんねる2009/03/14(土)01:50:52 ID: .net

孫翊(叔弼)と孫匡(季佐)の「初めからおめーら傍流なんだよ」感は異常。

 

191世界歴史ちゃんねる2009/03/22(日)09:09:15 ID: .net

傍流てか、完全に周公旦的な役割を求められてるな
もしかしたら孫権(仲謀)もそうだったかも知れんが

 

192世界歴史ちゃんねる2009/03/22(日)10:57:26 ID: .net

一番上が策符から始まってるからそれはないな

 

195世界歴史ちゃんねる2009/03/22(日)11:33:30 ID: .net

犬神家の通字が「佐」なんだが、これはどこぞの家臣だったのだろうか?

 

196世界歴史ちゃんねる2009/03/22(日)11:50:44 ID: .net

それは督・正(かみ)佐(すけ)尉(じょう)志(さかん)みたいな官位から来てるんじゃないかな

 

199世界歴史ちゃんねる2009/05/24(日)10:35:31 ID: .net

字が無ければ董卓が次男なんて分からんかった。

 

200世界歴史ちゃんねる2009/05/25(月)00:41:27 ID: .net

>>199
英雄記あるから次男かどうかはともかく兄がいる事はわかっただろう

 

203世界歴史ちゃんねる2009/08/13(木)06:14:34 ID: .net

季か孟が長男、仲が次男は分かったが、様々だな

 

204世界歴史ちゃんねる2009/08/13(木)09:10:56 ID: .net

>季か孟が長男

季は季っ子つまり末子じゃないのか?
長男は伯か孟だと思うのだが

 

206世界歴史ちゃんねる2009/08/14(金)00:51:31 ID: .net

基本的な定義が途中で変質しているので理解が難しいとでも言おうか、とフォロー。

 

207世界歴史ちゃんねる2009/10/07(水)03:57:02 ID: .net

近代のわれわれが知る主な中国人は
名前が2文字だけど、三国の頃は1文字が多いよね?
これってただの流行り廃りなの?
それとも普段目にしてる近現代の中国人の名前は
字に当たる部分を名乗ってるわけ?エ○い人おしえて!

 

208世界歴史ちゃんねる2009/10/07(水)06:02:08 ID: .net

>>207
流行

 

209世界歴史ちゃんねる2009/10/07(水)17:38:35 ID: .net

>>208
ありがとう、すっきりした!

 

211世界歴史ちゃんねる2009/11/14(土)22:38:35 ID: .net

明言されてないけど、孫権の息子の孫亮は諸葛亮に由来してるのだろうね
孫権は他国の家臣に対する人物評価を好んだし、それだけ高く評価してたって事か

 

212世界歴史ちゃんねる2009/11/15(日)04:41:02 ID: .net

司馬亮も諸葛亮に由来しているんだろうね
ユ亮も諸葛亮に由来しているんだろうね
崔亮も諸葛亮に由来しているんだろうね小説の読み過ぎだね、うんうん

 

213世界歴史ちゃんねる2009/11/15(日)09:43:10 ID: .net

小説?kwsk

 

214世界歴史ちゃんねる2009/11/21(土)12:39:57 ID: .net

小説っつうか私釈三国志だろ。
最近あれの受け売りっぽいレスが目につく。
あの人は膨大なテキストを詠み込んではいるが結局エ○ゲ屋だからな。

 

215世界歴史ちゃんねる2009/11/21(土)14:10:22 ID: .net

>私釈三国志
全く知らないけど孫亮と諸葛亮の件は光栄の三国志5(確か)辞典でも
見たし、発想としてもそう奇抜な論でもないような。

 

216世界歴史ちゃんねる2009/11/21(土)15:32:19 ID: .net

まぁ子明という微妙な字でもあるけどね。

諸葛亮がタヒんだ次の年に生まれた子(孫休)に亮と名付けるんなら
あやかれって意味かな、とも考えられるけど。
九年後に生まれてる子だしなぁ。

 

217世界歴史ちゃんねる2009/11/22(日)01:14:02 ID: .net

名と字は対応させるもんなんだから
亮っていう字を使ったら明って字が入るのは珍しいコトでもないかと思うがね

 

218世界歴史ちゃんねる2009/11/22(日)02:04:09 ID: .net

俺が言ってるのは「子明」の間に「し」を入れると「孔明」になる
という意味で微妙な名前だと言ってるんだよ。

 

219世界歴史ちゃんねる2009/11/22(日)02:09:06 ID: .net

孔にはそこまで拘る必要がないんじゃないの。

 

221世界歴史ちゃんねる2009/11/22(日)02:19:11 ID: .net

俺は別に諸葛亮の影響で命名してるとは思ってないけど
三国志本とかではネタにされるだろうな、程度の感覚ですよ。
諸葛亮のタヒ後九年して孫亮、曹休のタヒ後八年して孫休、
陳登がいつ亡くなったか分からんが孫登、という風に
孫権の子たちはネタにしやすい状況が整ってるんです。

 

222世界歴史ちゃんねる2009/11/22(日)02:26:53 ID: .net

ネタとしては面白いけど、諱は成人後に付けるものだからタヒ後1周(干支)してからというなら
その説に乗りやすいかも。

 

223世界歴史ちゃんねる2010/01/06(水)02:43:57 ID: .net

明ってのは「あきらか」って意味だし
亮ってのも「あきらか」という意味がある(他には「たすける」「まこと」等)
単純に名と同じ意味の字だわねそれから「孔明」だと「孔」には「はなはだ」という意味があるので
「ちょーかしこい」という意味になるね

「子明」だと「子」は男子の美称なので、「賢いイケメン」程度の意味だな
これ別に諸葛亮にあやからなくても普通に付けるレベルだよねぇ

 

224世界歴史ちゃんねる2010/01/06(水)18:46:11 ID: .net

久々に上がっているのであけましておめでとう。

「子」を字に使うのに、雅称にあたる師だのイケメンだのの意味を載せるだろうか。
一字で良かった字を二文字にするための南方解釈じゃないのかな。

 

225世界歴史ちゃんねる2010/01/06(水)19:07:50 ID: .net

>>224
南方に限らず子を字に使う人は多い
曹操の息子で字が判ってる連中はほぼ全員子○って字だったし
単純に当時の中国的流行で息子をイケメンにしたかったんだろ

 

226世界歴史ちゃんねる2010/01/06(水)19:15:26 ID: .net

>>225
曹家は陳の出身だから南方(楚)の文化圏なんだよ。

 

227世界歴史ちゃんねる2010/01/06(水)19:34:53 ID: .net

>>226
本貫はショウ、まあ中原だし南方文化、と言い切るのは無理じゃね?
徐州出身の諸葛瑾も子瑜と子が入ってる
豫州出身の魏諷、子京
幽州出身の張特、子産
并州出身の王允、子師
探せばまだまだいるし南方に限らないと思うよ

 

228世界歴史ちゃんねる2010/01/06(水)19:43:26 ID: .net

思い起こしてみたら、北方晋の狐偃が子犯だったな。
漢代には一回ガラガラポン食らってるから参考にならないかも知れないけれど、
こいつぁオレの誤認だったかな。

 

258世界歴史ちゃんねる2011/01/14(金)20:43:54 ID: .net

金環三結って元の名が金環で
三結の部分はあざなだったりするのだろうか

 

304世界歴史ちゃんねる2015/08/04(火)14:20:57.60 ID: .net

>>258
どっかで祝融の本名だと書いてあった

 

259世界歴史ちゃんねる2011/01/15(土)16:57:41 ID: .net

別に名前でもなんでもなくて、特徴を呼んだだけじゃね?
「金環を3つ付けた首長(蛮族)」って感じで。ゴツトツコツも。

 

274世界歴史ちゃんねる2011/01/29(土)23:53:22 ID: .net

>>272
仮に「環」が名前だったら、字に「結」があるだけで「連環」を連想できると思っただけ。

 

261世界歴史ちゃんねる2011/01/21(金)01:46:02 ID: .net

字としてあながちはずれていなくもないな>三結

 

262世界歴史ちゃんねる2011/01/21(金)14:30:25 ID: .net

あながちはずれていなくもないな キリッ

 

264世界歴史ちゃんねる2011/01/22(土)12:18:27 ID: .net

字説をとるなら、やっぱり金を姓、環を名とみなすのか?
それとも姓がシナ風である必要はないから金環が姓?

 

270世界歴史ちゃんねる2011/01/28(金)15:09:55 ID: .net

>>264
「姓名字」をつなげて表記するのはどの程度一般的なことだったのか?
演義でそのような表現を、しかも毎回されるだろうか?
「姓は金、名は環、字は三結」という人物なら、「金環は」とか「金三結は」
という表現も出てくるはず。

 

265世界歴史ちゃんねる2011/01/22(土)18:09:06 ID: .net

姓は金とか朝鮮人じゃないんだから

 

266世界歴史ちゃんねる2011/01/23(日)15:13:11 ID: .net

>>265
金旋「……」

 

267世界歴史ちゃんねる2011/01/24(月)13:12:13 ID: .net

おまえが朝鮮系の金さんだからって、朝鮮だけの姓と思うなよ

 

268世界歴史ちゃんねる2011/01/25(火)00:16:40 ID: .net

金旋って名族の人だっけ。

 

275世界歴史ちゃんねる2011/01/30(日)17:28:19 ID: .net

「社会的な名前」という意味では「金環三結」全部で字、本名不詳といったところか

 

276世界歴史ちゃんねる2012/02/12(日)09:31:14.93 ID: .net

「左髭丈八」みたいなものか

 

277世界歴史ちゃんねる2012/02/13(月)19:25:54.63 ID: .net

本当に左の髭が八丈もあったのだろうか

 

280世界歴史ちゃんねる2012/03/05(月)01:07:57.26 ID: .net

演義序盤のボスが程遠志ってのは完全にギャグ
「志から程遠い」てw
三国志というタイトルであるからには、「志」の字自体の意味も重いし

 

281世界歴史ちゃんねる2012/03/12(月)22:15:01.40 ID: .net

締め切りに終われた作家のヤッツケ仕事みたいなネーミング理由だなあ
典型的な咬ませ犬の役だから別にかまわんけどw

 

282世界歴史ちゃんねる2012/03/12(月)22:44:34.90 ID: .net

遠志が字だとすれば、諸葛瞻のパロディなのかも知れない。

 

284世界歴史ちゃんねる2012/03/13(火)02:23:32.95 ID: .net

程遠志の名前をそう解釈するのはあまりにも日本語的だ
遠志は「気宇が大きい」みたいな意味だろう

 

286世界歴史ちゃんねる2012/03/20(火)16:25:45.49 ID: .net

李白の字と孟浩然の字で、唐代と三国志の時代とは使い方が異なることがわかる

 

292世界歴史ちゃんねる2012/05/14(月)19:59:50.08 ID: .net

>>286
孟浩然w

 

290世界歴史ちゃんねる2012/03/25(日)11:11:49.55 ID: .net

さあ。劉邦末っ子じゃないしな。

 

299世界歴史ちゃんねる2014/11/02(日)12:20:20.55 ID: .net

>>290
劉邦て弟いたっけ?
兄二人はいたけど。

 

293世界歴史ちゃんねる2012/09/21(金)19:49:18.01 ID: .net

吾輩は猫である。あざなはまだない

 

294世界歴史ちゃんねる2013/07/20(土)NY:AN:NY.AN ID: .net

K道栄の道栄はあざななのかしら

 

297世界歴史ちゃんねる2014/09/15(月)09:51:54.88 ID: .net

管夷吾 字は仲

普通逆だろw

 

298世界歴史ちゃんねる2014/10/18(土)13:34:05.74 ID: .net

兀突骨はあざななのかあだななのか

 

302世界歴史ちゃんねる2015/06/26(金)10:18:59.23 ID: .net

郭皇后の字とかどんだけ高貴な身分が保障されてるんだw

 

引用元:字(あざな)の起源

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