【考古学】長崎県平戸、三浦按針墓地から出土の人骨「三浦按針の可能性高い」ヨーロッパ人男性と断定
長崎県平戸市は1日、平戸市崎方公園内の「三浦按針(あんじん)墓地」で出土した人骨について、ヨーロッパ人男性と断定したことを明らかにした。平戸市は、徳川家康の外交顧問を務めた英国人ウイリアム・アダムス(日本名・三浦按針)の可能性が高いとみている。
平戸市は2017年に墓地の発掘調査を実施。頭蓋骨など複数の骨片が入ったつぼが見つかり、山口県のNPO法人「人類学研究機構」に骨の鑑定を依頼していた。
鑑定では、骨の残存状態が悪いため個人の特定に必要な核DNAの抽出を断念。母から子に受け継がれ祖先をたどることができるミトコンドリアDNAを分析した結果、日本人には見られず北・西ヨーロッパ人に多い「ハプロタイプH1」と呼ばれる塩基配列を確認した。
このほか骨に含まれるコラーゲンを抽出し、炭素成分を年代測定。1590年から1620年にタヒ亡した可能性が高いと分かった。按針は1620年にタヒ去している。
平戸市によると、1561年から1640年までに平戸でタヒ亡した外国人は計約70人。このうち1590年から1620年にタヒ亡したのは按針を含む英国人とオランダ人の計10人だった。
平戸市は今後、墓地を再調査し、西洋風の長方形をした墓の遺構が残っていないか確認する方針。按針の子孫も捜しているが有力な情報は得られておらず、「今後も多くの研究者らの協力を得ながら調査を進めたい」としている。
懐かしい
>>3
墓は供養塔って考え方もあるから
墓石どかしても骨が出てこないなんてケースはたくさんある
著名人ならなおさら
本人と完全に確定できてないって不安はあるな。
家族の遺骨が見つからないから、どこか別の場所に家族の墓地もあってそっちからも出土してきたとしたら再検証になる
遺族と言っても、母親の娘の娘の娘の、、、15代位も辿っていかないといけないから、いくら日本より古い資料が大量に残っている英国と言えども見つかる可能性は低い。
このうち1590年から1620年にタヒ亡したのは按針を含む英国人とオランダ人の計10人だった。
こんな細かいことまで残ってるのか、そっちのが驚き
戦中被害を受けずに教会とかにあった古い資料は無傷ですよ
日本は資料が多く残ってる国だからな
今は
当時の資料無視して
おそらく~だったはずだ
の勝手に解釈が主流だけど
>>6
>日本は資料が多く残ってる国だからな
墨と和紙のおかげでな
わざわざ掘り起こして調査なんだなんて、ただの墓荒らやん。
人骨の正体が分かってこれであんじん
いまは雑司が谷の墓地に安らかに眠っている
その子孫が幕末まで水戸藩に
記憶があると見たけど、これの
詳しい情報とかあるのかな
>>31
中世日本だと、遺体を土葬や風葬、遺棄葬なんかにした後に、別の場所に五輪塔、宝篋印塔、板碑なんていう
供養塔をつくって、タヒ者を供養するのは埋葬地じゃなくてこちらで行うことが多かった。
近世になって庶民の家の継承が安定してくると、埋葬地に墓石を立てて先祖代々の供養をするようになる。
欧州人の様にキリスト教徒だと、最後の審判におけるタヒ者の復活を意識するので、埋葬地をはっきりさせて
そこに墓石などのしるしを設ける習慣が根強い。
いくら人数が少ないとはいえ。
ウィリアム・アダムス(三浦按針) 外交顧問 横須賀に住む
ヤン・ヨーステン 貿易顧問 江戸城の内堀内の八重洲に住まわせる
最初はウィリアム・アダムスが大事だったが、スペインと国交断絶しイギリスは日本の
貿易から自主的に撤退するとオランダ貿易を仕切るヤン・ヨーステンのほうが大事になった
引用元: https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1554242424/
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