ヨーロッパやイスラムのように石造建築が主流にならなかったのはどうしてなのだろう?
けっこう巨大地震は頻発してるよ
建築が木造なのは南方だけやん
長江以北は石造やで
石造に適した石は比較的柔らかいのだとどこかで読んだ
地中海沿岸は火山地帯だから柔らかい石が多く、森林も少ない
わずかに森林地帯だったレバノンは古代において既に森林が枯渇してしまった
というような事情と比べると、中国は火山帯ではないから石も硬いということなのでは?
実際華北で森林が枯渇した後、石造に向かわず、レンガ作りになってしまった
その煉瓦を焼くにも薪(木材)が必要
実際に中国の都市や農村を見た後も石造りが主流に思っていた
北京の四合院も両壁だけレンガであとは木造
>>7
木造の四合院は、ふつうこういうのをいう
http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/35/70/97/src_35709712.jpg
瓦以外全部木造。だいたい明代くらいまでこんな感じ
レンガの四合院は確かに天井の梁は木造だが、それを木造と定義した場合、
古代ギリシアやローマの住居も木造になってしまう。古代ギリシアやローマで
屋根の無い遺跡が多いが、あれの殆どは屋根が木の梁と瓦でできていて、焼け落ちたパターン
四合院は木造でバシリカとか古代ギリシャやローマは建築は木を使った部分があっても建築学上では石造だが
というか木造石造の定義わかってないでしょ?
>>13
構造を支える材料が木材なら木造、その材料がレンガならレンガ作り、石なら石造
専門用語だと、木造は架構式構造 レンガや石造は組積式構造
このような四合院の場合、構造を支えているのはレンガだからレンガ作り
https://i2.kknews.cc/SIG=1ucrir/ctp-vzntr/s7p720431sp54srq8noor71694452r7r.jpg
何故かはわからんが
東アジアでは柱や梁など骨格が基本
壁は骨格の間を埋めてるだけで
骨格は露出するのが一般的
西アジアでは壁が基本
なんでだろ~?
俗に「墙倒屋不塌」(壁は倒れても屋根は倒れず)と言って中国の伝統建築では例外なく柱が屋根を支える構造をしていて組積造は通常使われない
「中国歴史建築案内」楼慶西
木構造形式 古代のエジプト、ギリシャ、ローマでよく知られているピラミッド、闘獣場、神殿、教会などはいづれも石造である。
これに対して、中国の古代建築の最も大きな特色は木造である。中国の古代においては、一般の住居から壮大な宮殿、寺院まで木構造形式を採用している。
その構法は、柱上に梁(はり)、桁(けた)をおき、その上に屋根を造る構架式を基本としている。壁体には(れんが)、土などの材料が使われ、
こうした壁は屋根の重量を支える役割をしていないので、中国の家屋は「壁が崩れても家は倒れない」というという特徴をもっている。
「中国における日本租界」 孫安石
第三に、市内の建築材料は木造建築を主とし、レンガ石で補うという古い方式で、類型的には古臭く貧弱である。中国の前近代の職人は、耐圧性に優れた石材の特性を利用する
ことを知らず、堅固で粘着性に富んだ漆喰(しっくい) (石材を積み重ねる時の粘着塗料)を採用しなかった。
「現代文明ふたつの源流」 中尾佐助
華北の文化はこのように煉瓦の文化であり、その煉瓦は世界で一番すばらしいものもあるというわけであるが、宮殿、寺廟となると、ヨーロッパのような煉瓦建ての大建築は発達していない。
中国では、橋や城門を除いては、アーチの利用が建築に利用されず、木の柱と桁を使って宮殿、寺廟の大建築物を建ててきた。
硬葉樹林地帯でもその北方のヨーロッパでも、また西アジアやインドでもアーチは大建築物にどんどん使われたのに対し、世界一すばらしい煉瓦を持っていた
中国はそれで大建築物を建てようとしなかったのである。
>>15
>中国の伝統建築では例外なく柱が屋根を支える
明代までは確かにその通りなので異論はない。しかし清代では、急激な人口増加により、
木材不足により、住宅建築の木架構造は簡略化が進んで磚石化が進んだ、と、
『中国古代建筑史(第5卷):清代建筑』にある。
https://www.amazon.cn/dp/B004GT9P02
清代に総ての建築がレンガになった、といっているわけではないし、木材と磚石の比率は
各種割合があったのだろう。確かに紫禁城などの大建築は、木造主体だったといえるが、
地方の役所などではレンガ作りのものもある。清代は建築手法の多様化が進んでいるのであって、
「例外なく」というのは言いすぎではないだろうか。
積むどころか、砂岩や泥岩の崖を掘った横穴に住んでたり。
その点が中国人には欠けていたのかもしれんな
中国の丸い戸口、ラウンドアーチ
https://jp.123rf.com/photo_26838959_%E5%8C%E5%B1%B1%E3%AE%E4%B8%E3%81%E6%9D%AD%E5%B7%9E%E3%81%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%AE%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E7%9A%E3%AA%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%B8%B8%E3%84%E6%B8%E5%8F%A3.html
屋根も一体化して湾曲
https://jp.depositphotos.com/43591683/stock-photo-chinese-round-archway.html
円のデザインが好きなのか?
後からくり抜いたんだろ。
福建省閩東地区の海岸沿いはこんな感じの石造りがメイン
同じ閩東でも福州市内に入るとまた違う
https://i.imgur.com/2V2Rmy3.jpg
https://i.imgur.com/ZjEpHMy.jpg
https://i.imgur.com/66eyNJz.jpg
広東には客家の囲龍屋というのもあるね
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kamata0328/20131013/20131013172600.jpg
そうなの?
20年くらい前の北京映像で、改革開放で人口急増で、高層建築建てるため古い町並み壊してる場面の映像とか、石だか煉瓦だかの家を叩き潰してだけど
紫禁城や王家大院にしてもそうだけど壁だけはレンガで柱や梁とかは木なんだよ
ここで中国建築は木造じゃないと言っている人は多分石造と木造の定義が理解できてない
>>37–>>38
「中国建築は木造じゃない」などとは自分は書いてない。
書いたのは、「明代までは木造」、「清代以降は人口増で煉瓦造が増えた」
「清代以降は木造だけとか煉瓦だけと決め付けるのは間違い」
「木材不足により、住宅建築の木架構造は簡略化が進んで磚石化が進んだ」
ということ。
例えば、この囲龍屋のように、一部の建築構造が見えていて、木の柱を使っていないものもあるし、
このように石組みの集落もある
http://hn.chinaso.com/xqy//dzhnxqx/detail/20181227/1000200033135221545882567305754629_1.html
しかしこれも内部で実は木の柱が使われているのかも知れないが・・・
他に自分が見たものでは、民家では木造と煉瓦造が併用されていて、木造部分が意匠と化しているもの
(柱が細く、とても構造を支えているとは思えない。しかしこれも壁の中まで見たわけでないが・・・)や、
木と煉瓦の柱が両方使われているもの(家屋内に梁を支える柱があるが、
四方の壁で柱が使われているのは戸口のところと軒を支える支柱だけとか)
南方の少数民族だけではなかったのか
清代の現存レンガ建築は 清代民居 砖石建筑 で検索すると写真がたくさん出てくる
清代建築概要は、
https://baike.baidu.com/item/%E6%B8%E4%BB%A3%E5%BB%BA%E7%AD%91
に
「这一时期,建筑技艺仍有所创新,主要表现在玻璃的引进使用
及砖石建筑的进步等方面。这一时期,中国的民居建筑丰富多彩,
灵活多样的自由式建筑较多」
とあり、木造建築だけではなく、レンガ建築が進歩し、多様な建築が顕れた、とある
木造だけとか レンガだけ と決め付けるのは間違い
上から灰を混ぜた漆喰を塗る、で壁作って、屋根材の梁だけ柳楊の木材、拭くのはスレート様の石材、だよなあ。
石造やレンガ造りの街並みはあったにしてもごく少数
https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_pict/19/65/38/650x_19653899.jpg?updated_at=1281578589
>>30
清代の商店街の例として参考写真出すならこっちだろう
平遥古城の商店街
http://japanese.china.org.cn/life/2018-07/23/content_57814399_3.htm
ヨーロッパのような都市を形成するまでには至ってない
むしろ木造より粗末なものが多かった
ははあ・・・やたらと煉瓦建築を否定したがる人、なんでかなーと思っていたら、
ヨーロッパの近代都市みたいなのを想定してたのか・・・・・
それこそまったくのエアプだな >>31 を見る限り
>>32
石造りの街的なのは華北にもあるね。王家大院とか大商人の大邸宅が割りと残ってるね
えー、支那圏の煉瓦造り石造りは稚拙なヤツが多いじゃないか。
そういや、万里長城の積石は盗まれまくり
石造りの街のイメージがあるな 客家の街とか
ここに四合院住宅の解体や改修工事の画像が見れるけど
基本的に日本建築と同じで木の柱や梁が屋根を支える架構式構造である
https://blog.goo.ne.jp/koh_nakakita/e/8d7d3faed449e1234007ce896b83343b
壁がレンガなんだからレンガ造だとしてしまうと日本建築もほとんど土造で木造ではないということになってしまう
量的データを出さずに言われても説得力がないのでデータを出して欲しいところだが・・・
自分も人口爆発後の清代について煉瓦建築が大半とかまでは思ってないけどね
(「中国の建物の大部分」という書き方は、こちらが歴代中国全部をそのように思っている
かのような印象を与えるのでやめて欲しいのだが・・・)
『清代社会生活史』には、(リンクが長すぎてエラーとなったので省略。清代社会生活史 砖石建筑で検索すると出てくる)
「从建筑結構来説、有土木建筑、木結構建筑、
磚石建築、以及竹構建筑等多種材料結構方式」
と書かれている。『中国古代建筑史(第5卷):清代建筑』にもほぼ同じことが書いてあり、加えて、
木結構建筑が簡略化し、磚石建筑化が進んだ、とある。
この説明は、自分が見たものに近いので、自分はこれで納得している
あと、煉瓦建築だからといって、近代ヨーロッパのように立派だということは意味していないし、
自分もそのようには思っていない。寧ろ木材を使っているのは金持ち邸宅という印象がある
中国建築
中国の建築は宮殿,陵墓,壇廟,仏教・道教・儒教建築,住宅など多方面にわたるが,
どの時代でも天子の住う宮殿建築を中心命題として,その技術を発達させてきた。
その様式は南北に中心軸を設定し,主要な建物を中心軸上に南面して建て,付属する建物は中庭を介して東西に対称に向き合うように配し,
歩廊で相互を連絡する。このために独立した一戸の建物と考えるより,建物群として意識されていた。
間取りは長方形がほとんどで,柱筋をもとにして仕切られ,日本建築のように複雑な間取りとはならない。
使用される材料は木材が中心で,石,塼 (せん) ,鉄,銅などの材料を使用しても外観は木造建築の手法を模している。
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%BB%BA%E7%AF%89-97183
>>44
中国建築全般の説明はいいので、清代建築の「木結構建筑、磚石建築」の部分の解説をして欲しい
日本人の中国建築研究者というと田中淡が有名だと思うが、彼の大著『中国建築史の研究』は隋唐までしか書いてない。
明清時代はどうにも手薄という感じで自分が見た清代民宅が出てこない。
日本ででている明清の建築解説書は富裕層の四合院と庭園ばかりで、一般邸宅が出てこない。
自分はより新しい中国研究書の方に自分がみたものが該当する記載を見つけたので、
寧ろ日本語文献の方が時代遅れになってきているのではないかとの印象さえある
概観が木造建築で中身が純粋な磚式工法の建築様式なら無梁殿というのがある
ただし一般的ではないはず
世界ウルルン滞在記で成宮寛貴が甘粛省にホームステイする回があったが
ステイ先の家は壁レンガ床は土間の木造の家だったな
高野志穂が太極拳発祥の地の陳家溝を訪れる回もあったがそこの家々も似たような作りだった
皇帝や大金持ちだけ木造の家に住んでいて庶民は石造で暮らしていたという話は信じがたいな
ここまで被害が拡大したのは、被災地が黄河中流域の黄土高原だったからだ。
現地では土を掘った穴倉のような家に住んでいる。
それが一瞬で埋まってしまったからだ。
ヨーロッパでも石造文明の発祥地であるギリシャやローマは地震多発地帯
近代ではリスボンが巨大地震によって壊滅している
ギリシャ、トルコは1階石造、上階木造
それをいったら、古代ローマのインスラも上階は木造よ
普通にレンガ造りだよ
例えばアラコエリ教会の地下には当時のインスラがほぼそのままの形で残っているが木造だったらとっくに腐ってる
これに限らず中東のテルとか古代から続くヨーロッパの街の地下に古代の街並みがそのまま保存されている例があるので
復元も容易だが東洋の建物何て木造で何も残らないから平面規模以外はほぼ推定
数千年間にわたり似たような概観をもった保守的な建築であったのに
耐久性があり数百年どころか千年以上も形を維持しつづけている石造の西洋は、
ピラミッド、古代ローマ、中世大聖堂、近代都市と時代とともに造形が革新してきた不思議
奈良なんて盆地で田んぼだらけでクソ蒸し暑いよ。
日本の木造建築は、木材が入れ替わってるでしょ
化粧材や外壁パネルは入れ替わっているだろう
建築は、建物の美しさの点でも、強度の点でも、わたしたちのものよりも劣る。
建築に関しては、チーナ人と比べてわたしたちの国の人びとに批判すべきところがあるとは思えない。
彼らの建物は、彼らが生きているごく短い年月しか持ちこたえられず、わたしたちの建物のように一〇〇〇年にも及ぶ耐久性は無い。 (p. 22)
万里の長城や関所に石を使いすぎた
つまり「蛮夷が中華に攻め入ってくるので、その対策に強固な石造りの城壁や長城を作っていた
自分たちが住む住居にはどれだけ大きくても石を回す発想がなかったのである」
要約すると 住居エリアを石で囲うが内側は仲間同士なので石造りにする必要はなかった 石造り=敵対策 という発想だった
日本も同じかそれに近い発想であろう
北方では住居も石または煉瓦やで
北京に行って見てきたらええやん
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