戦国時代のスケールって世界の歴史に比べたらしょぼいよな???
比べたらかなりしょぼくない?なんで
そんなレベル低い物で君たちこんなに
議論できるの?見てて情けない。
地球なんて宇宙の歴史に比べたら…
はっきり言ってスケールもレベルも宇宙に比べたらかなりしょぼくない?なんでそんなにレベルの低い物で>>1はこんなに議論できるの?見てて情けない
中世あたりは大抵の地域はこんな感じだぞ?<勢力の数
細かい事を言えば日本より勢力の数が多くて、範囲も広いのが世界の中世。
天皇っぽい人物が3人とかに分裂する場所もあったり相当凄いぞ?
まぁ日本人だから一番乱れたっぽい自分の国の歴史に一番愛着が沸くのは解らないでもないし、同意したい所ではあるんだけどね
ただ一番アレなのはこの板でこういう空気の読めないスレを立てる>>1なんだがな
>>24
ヨーロッパの場合は西ローマ崩壊から絶対王政の時代まで
今のEU加盟国全土でずっと日本の室町末期みたいな状況って感じだね。
神聖ローマとかヴァロワ朝時代のフランスとか
皇帝や国王より有力諸侯のが力持ってたってあたりも室町時代の日本に近いし。
ただ日本以上に宗教が及ぼす影響が強かったからカオス。
俺が中世欧州史学んだ時の感想はこんな感じ。
>>1
確かに日本への鉄砲の伝来は遅かった。
しかし信長他の戦国武将はこの鉄砲を必タヒに研究開発し、1580年位には鉄砲保有数がヨーロッパを凌いだと言われてますよ。
ヨーロッパから見れば偏狭の地として、蚊帳の外状態だったかも
しれませんが、戦になれば、負ける要素は少ないと思います。
(特に野戦)
決して井の中の蛙状態ではありません。よっぽど江戸期の鎖国時の方が井蛙ですよ。
それを書いた香具師は軍縮した事を誉めてるのだが?
しかも実際はそんなに持ってないし。
戦争は兵站でするもんなんだよ。地味で目立たないけど。
鉄砲の数云々も単に日本の地理的条件に沿っていただけ、って分かるもんだがな。
>>43の言うとおり国の軍事力は兵站を含めた外征能力で語ることが普通。
で、日本の航海技術は古代ローマ以下だからヨーロッパとは比較にもならん
同意。
俺も戦国大好きな戦国オタだったが、欧州の戦史とか見てると馬○らしくなってきて
結構冷めた。
上杉謙信や武田信玄が最強みたく言われるが、戦術的にみるべきとこはないよ
はっきり言って。
日本人だからだよ
グローバルな目で見たい 日本人だけ出てるスポーツをヒイキするのはやめましょう
>>1
ア○だ。世界史と日本史その他の何たるかを全くわかっていない。ア○…
日本史・中国史・朝鮮史・インド史・エジプト史・イギリス史・ドイツ史・アメリカ史・ロシア史・ペルシア史・その他…
日本史は世界の中の一地域の歴史。上記の国の人々が自分たちの国の歴史を知るのと同じ事。
世界史はそれらを総合的に見るという事。
でも…少なくとも、自国の歴史も碌に理解出来ない奴が世界(史)を語るなど、クソ生意気なんだよ。
日本が変われば、世界が変わる
まあ、確かに国内でずっと国盗り合ってた時代だけど・・・・・
こいつらが国外に出た結果、超大国の明相手に当時世界最大規模の戦争して、
一説には滅亡を早めたというくらい明の国力を衰退させたんだがな。
サイヤ人が惑星ベジータでずっと争ってるのを、界王神の視点で見たのが>>1。
だが、その戦いのヤバさは、サイヤ人が宇宙に出て初めて分かる。
徳川家康も武将ではなく偉人として認知されてるし、忍者人気も凄くてゴエモンや百地三太右まで知ってる人が少なくない
日本を過小評価してるのは>>1みたいな日本人
まず、戦国期の日本に匹敵する動員力を持った国は、当時の世界で片手に数えるほどしかない。
政治にしろ戦争にしろなんにしろ。まあ鉄砲ないくらいかな。
当時、世界で一番豊かだった国だから当然!
世界帝国と比べれば見劣りするわい。
モンゴル帝国やオスマントルコと比べるようなもんだ。
なんか紀元前の昔から、重装歩兵だとかファランクスだとか、騎兵戦術の包囲だとか
レベル高いよね。工兵とかもなんか凄いし。
だから、戦国日本に限らずなんだってば。
ローマと比べれば大抵の中世史は見劣りする、欧州も含めてな。
そのローマ時代以降は本場も退化してるわけだが。
中世の騎士の戦術なんて下手すりゃ鎌倉武士以下だぞw
数百人規模で山一つ、盆地一つ、川一つ取り合う地味さがいいんだ。
これは趣味の問題じゃないかな。
自己満足の世界なり。
例えば、戦国期の日本は種子島伝来後
その鉄砲の保有量は
日本1国>それ以外の全世界
しかもその保有されてる鉄砲は全て国内生産
で、1600年に行われた関ヶ原の合戦こそ、ずばり
世界最大級の銃撃戦だったんだよ
こんな俗説まだ信じてる人居るんだな
戦国史の次に面白いのは春秋戦国時代かな?あれも面白いけど完全に講談話みたいになっちゃってる。宮城谷小説はさらに妄想され面白いな。
やはり日本戦国史は最高。
日本人が日本の歴史語って何か不自然でも?
語りたきゃ世界史んとこ行って同時期の日本の状況を織り交ぜながら語ってこればいいじゃないか
ここは日本の戦国期を語りたい人の板なんだから
はい、さよなら
行ってらっしゃい
相手が低レベルだと劇的になる
戦術なんてのはそんなもんだぜ
相手あっての勝つ手段でしかないんだからな
クレフェルトとかによると
ヨーロッパでは兵站上の問題で何十万もの大軍を動かすことは
近代までは難しかったらしい
そう考えると20万くらいの兵員が動いていた1600年前後の日本の戦争は
かなりのスケールではないかと
忍者や具足のかっこよさには世界が束になってきても勝てないな
学生時代から、西洋史中心主義を叩き込まれる日本じゃ無理もないがな
45のこと言ってるわけじゃないが、世界が西欧中心主義で発展してきた過程すら
無視だからな。
アジア諸国から学ぶことなんてほとんどないだろよ。
>>48
まあ、例えば千年前だったら、北宋、イスラム圏が当時の先進地域だったからねぇ
北宋は最盛期には世界の人口の4分の1、GDPの半分を占めたなんて説もあるし
時代によって変動する
>>52
300~400年前でもアジア・アラブは先進地帯だよ。
GDP・人口・領地でいうならね。
オスマントルコと清国に対抗できた国家なんて彼らが自壊の
兆しを見せはじめるまで存在しなかった。
日本>中世欧>中国>2ちゃんねる
文化科学面でも、ヨーロッパが世界の先頭集団と並んで走れるようになったのって、
ルネサンス以降だからなあ。
大航海時代の西欧の船より遥かに巨大な船が、
その数百年も前に中東と中国を行き来していたわけだし。
西欧史軽視もよくないが、あまり重視しすぎるのもどうかな(特に中世は)。
いや、確かに昔いっぱしに世界史とかで世界の英雄とか勉強した頃は、コーエーに影響されて、一人で能力値とかせこせこつけたよ?
チンギスハンとかナポレオンとかアレクサンダーとかを比べてた頃が俺にもあったけどさ、物凄く当たり前のことに途中で気づいたんだよ。
時代も状況も文化も何もかも違うのに、比べるのはおかしい、絶対正確にならないし、おこがましいと。
比べられるとしたらせいぜい同時代で、範囲も一応ひとつの国家とみれるあたりまでだけ。それ以上は単純な好き嫌い、主観、ご都合主義な善悪感、価値観、評価基準をもってくるしかない。
イタリアの文化の方が凄い、いいやフランスの文化の方が、なんて話をしてるのと一緒。そんな話にはもちろん結論がない。好き嫌いの話にしかならない。
誰の方が凄い、この時代のほうが凄いなんてのはばかげてる。
面白いと思う時代について調べて語ればいい。世界と比べてどうなんだと卑屈になるのもかといって傲慢になるのも違うだろ。
とりあえず俺からすれば戦国時代が世界史のどの時代と比べても一番面白いよ。
もちろんこれには俺が日本人だから、身近だからってのはあるが、それを差し引いても面白く感じる。
>>55
でもまあアジアは絶対的に弱く、1番がんばった日本でも欧米に惨敗した歴史があるからな。
がんばった日本も欧米の思想や技術を取り入れて伸し上がったわけだしさ。
十字軍yoeeeee!とか、オスマントルコ帝国の大躍進とか
バトゥ向かうどころ敵なしとか、ヨーロッパはアジアに惨敗した歴史が殆どだけどな
まあ強い時代はあった。しかし基本蛮族の強さで頭が悪すぎるから、進歩がないよね。
学ぶべきとこはないよ。 モンゴル騎馬軍団なんて真似のしようがないしな。
まあ日本はモンゴルの強さに卑屈になる必要はないが、欧米に負けてるのは頭の差
だから卑屈になるべきだろ。
明にぼろ負けって・・
それって、チンギスハンの築いた軍団はユーラシア1強いという実績を残した=そんな帝国に勝った日本は最強っていってんのと同レベルだぞ
ヨーロッパ・中国<モンゴル帝国<日本っていう論法
別にボロ負けなんかしてないぞ。秀吉がタヒんだから引き上げただけ。
もちろん負け戦もあったが負けたから引き上げたわけじゃない。
大体日本がボロ負けならあんな戦を仕掛けられた朝鮮や明がその後日本に
仕返ししそうなもんだがそんなことはなく朝鮮は将軍の代替わり毎にパシリを
送るぐらい恐れていた。最も朝鮮史観だとあれは文化を伝えにきてたことに
なってるらしいが(禿藁)。明はその後国力が衰え女真に攻められ国自体が
滅んでしまった。日本がいかに損害を与えていたか分かろうというもの。
プッツンしたソ連以外の欧州勢には軍事力での大日本帝國の打倒は不可能
幕末以後ヨーロッパから学んだじゃないか。
アメリカなんてイギリス移民だし。
日本は清に勝ったしロシアにも勝ったし
アメリカ抜きのイギリス圧倒したし、オランダなんか瞬○したよ。
ちょっと日本舐めすぎじゃね?
勝ちまくってるよ
外征の勝利将軍クソ多いじゃん、あの国
まるで、日本史には戦国しかないかのように、近視眼的になってる。
よくも悪くもおおげさにとりすぎなんだよ。
よくある話なのに、さも大層な話かのように扱う。
世界の歴史を見たら、そんな人いくらでもいるんだとわかるはずなのに。
おらが町に脚光があたるから戦国時代は大人気なんだよ。
京で生まれ京でタヒんだ有名人なぞ、掃溜めの糞と同じ。
でも、日本は世界的に見ても異常な国だし、その中でも異彩を放つ時代だからな。
まず種子島導入後、それまで火薬が基本的に精製出来なかったからほとんどその類の兵器が無かったにも関わらず、百年程で開発地域の欧州全体に匹敵する量を狭い日本だけで保持。
鎖国後、百年以上の科学力や戦力差が列強とあったにも関わらず、軍事大国化。
世界の半分と僅かな枢軸側国家、貧弱な国力で戦争。
最後まで戦い、国土の主要地域はほぼ灰にされる。
敗戦後、多くの補償と灰になった国土、様々な制約を課す占領軍しか無かったにも関わらず、驚異の復興。
途中、朝鮮戦争による特需もあったが、ほぼ自国内需要のみでの復活。
狭い国土、さらには山がちでまともな地域が少なく、資源も貧弱、貧乏国にしかならないような状況にあるにも関わらず、いつも驚く程発達をする異常な国、日本。
戦国以前にも、時代毎に世界的に見ても訳の分からない異常な歴史を持つ日本の中で、異彩を放つ戦国時代。
そりゃ、そんな日本に住む日本人が注目しないわけないじゃん。
香港、マレー短期間で奪取したし最新精戦艦を航空機のみで撃沈するという
史上初の快挙もやってのけたし。
セイロン沖海戦でも日本の圧勝だったよ。
イギリスはやばいでしょ。戦勝国という肩書きだけ手に入れて
莫大な戦時負債を抱え込んで植民地全て失ってスエズ利権まで失って
敗戦国の日本、ドイツに経済力で抜かれる始末。
くやしいのぉイギリス^^
戦国時代より南北朝室町時代のほうが理解しがたい難解な時代だと思うが
難しすぎてだれも手に取らないという
なのは否めない
大体、日本一国と世界全体比べんなw
ドーバー海峡より大幅に広い海で大陸と隔てられてたし、気候条件よくて土地も結構広かったから、無理に外国攻めなくても食っていけた
これで、朝鮮半島と泳いで渡れる距離だったり、穀物の栽培が難しい気象だったら、東アジア史はメチャクチャにダイナミックになったろうね
現時点であんだけ広い領地をもってるのに。
三国志に興味がなくなった時によく似てる。
ただただ勤勉な民衆によって支えられて来たに過ぎないお
でもそれって、空手で100人抜きが出来ずに悔しい、というレベルなんだよね。もし比較するならば、あるひとつの外国対日本でなければならない。
一対一の場合、日本と対抗できる国は、めったにない。
日本は比較的閉鎖的な「一国史」として整理しやすい部類にはいるけど、
世界全体を見渡すと「一国史」として整理できるような国は極少なくて、む
しろ他国との関係史として見ざるを得ないんだよ。
だから>>84の
> 一対一の場合、日本と対抗できる国は、めったにない。
ってのは、偏狭なナショナリズムを感じてちょっと変。
だからといって自国の歴史に変な劣等感を持ったり、他国に対するコンプ
レックスを持つのはもっと変だが。
>>86
北方だけじゃなく、南方も西方も侵入と撃退と融合の歴史だね。
イギリスコンプレックスとかフランスコンプレックスなんてのはない。
欧州最強のイギリスでさえ日本に負けっぱなしだし。
ぶっちゃけアメリカさえいなきゃイギリスには勝てた。
イギリスの機動艦隊って小沢囮カンタイりショボいしw
最盛期だった南雲機動艦隊には手も足も出ず逃げ回るばかり。
しかも戦艦が初めて航空攻撃で沈められる不名誉な第1号にもなってたりする。
そう、日本が大艦巨砲主義の終焉を世界に知らしめたのだ。
「どの国にせよ、敢えて日本の征服に乗り出すには日本は強国過ぎたのである。
ポルトガル人には日本征服どころか、その考えすら起こらなかった。
スペイン人は一度だけ日本の征服を考えたかに思われるが、その思惑はたちまち一蹴された経緯がある。
1609年、太平洋方面総督に対して勅令が送られ、日本軍を前にして
「我が軍隊と国家の名誉を損なうような危険を冒さないように」
との厳命が下っているのである(フィリピン当局者であったスペイン人、Antonio de Morgaの記録にある)。
ただ一度だけ、日本の不正規軍…
…浪人と呼ばれる近寄るべきでないサムライが主体…とスペイン人との間で会戦が行われたことがある。
1620年代、シャムにおいてだ。
どちらが負けたか?敗れたのはスペイン人である。
支那について言えば、朝鮮での戦いのいくつかの小競り合いで支那が勝ったことはある。
だが、戦争それ自体に支那が勝利を収めたわけではない。
そのことは支那自身が明言している。※
(中略)
1644年に滅ぶ明朝の最後に至るまで、この恐るべき侵略者の記憶は生々しく残り、
「日本人と言うだけで、人民は神経をとがらせ、警戒し、息を○した」と付言されている。
ノエル・ペリン noel perrin( ダートマス大学英米文学教授)が分析した戦国日本の軍事力(著作「鉄砲を捨てた日本人」より)
※「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 タヒ而禍始息」
(日本との七年に及ぶ戦争によって我が明は膨大な犠牲を強いられた。
我が国と属国朝鮮に勝算は無かったが、関白豊臣秀吉のタヒによって戦争は終わった)
大学で専攻してなくても中学や高校の教科書や資料集をきちんと読み返して見ろ
常に西欧が経済、文化、軍事的に世界で突出してたなんて書いてない
これだから5教科真面目に勉強せずに3教科やって歴史ゲームやった程度の奴は
大体ヨーロッパの中でも南北東西で100年か200年の単位で隆盛が変わってるのに…
典型的なのはスペインの過大評価やイギリス台頭を最近だと思ってない輩
勝手に解釈するのは自由だけど江戸時代に鎖国して世界から遅れた文化水準や軍事力であったのは事実だが
戦が絶えず技術競争も激しく積極的に海外と交易を行っていた背景は見えてくるが「日本は原始的な国だから一切持ち帰るもの無く地理的に不利だから滅ぼさないだけ」
という客観的な推測はどこから生まれたのか理解に苦しむ
そもそもあの時代に5倍以上の兵数をひくり返せるほどの近代の武器は欧州にもまだ無い
世界に先立って外海に出たからと言って完全武装の船でも無ければ連発式の小型銃をフル装備した小隊が護衛して上陸してきてるわけでもないw
つまり他国から見たら、戦ったら面倒臭そうな国だったって事でしょ?
その面倒臭さの割には勝っても利が少ない国
それが当時の日本。
しかも自分の出身地や今住んでる地域で起きたできごとなら、なおさら。
日本じゃなくても言える事だと思う。
戦国時代=暴力で他国の領地領民を奪取し自分の一族の支配下に置く
=やくざの縄張り争いや派閥抗争の世界と変わらんと思うのだがどう?
決定的に違うのは、戦国時代は公権力=統一されたシステムが機能し
ない中での争いなので(まあ天皇はいたのだし、幕府もあったのだが)
好き勝手にできた。警察がいない半無政府状態での抗争だから面白い。
各国間の戦争と比較しても、またある一国内の戦国時代と比較しても、
スケールの差こそあれ、同じ組織化された人間の集団が似たりよったり
の事(基本は暴力を基礎)やってるんだから。
>>104
>決定的に違うのは、戦国時代は公権力=統一されたシステムが機能し
>ない中での争いなので(まあ天皇はいたのだし、幕府もあったのだが)
>好き勝手にできた。警察がいない半無政府状態での抗争だから面白い。
ア○。
当時は領域国家が無数に乱立していただけ。
各領土内の治安は非常に良かったんだよ。
宣教師が報告する中国の鉄砲
・さらに日本人と同じく刀剣、また多数の鉄砲隊を用いた。彼らの鉄砲は、どのようにして発射されるのか
不可解である。というのは、無数に発砲した後も、そのためのタヒ傷者が一人も出なかったからである。
フロイス『日本史』
もっと頭を柔らかくしなきゃ
世界史における奇跡は『明治時代、日本の近代化』と『戦後の日本復興』
と称した外国人たちがいた。それも納得できる。
長い人類史の中で、異国の文化を急速に取り入れ、
短期間で近代化を成し遂げた国家は日本だけだ。
戦後のがれきの中から起ちあがり、世界でも有数の経済大国に成り上がった
国家は日本だけだ。
この奇跡を成し遂げたのは当然日本人で、
日本人を育んできたのは先人が築いてきた日本史。
そう考えれば日本の歴史だって捨てたものじゃない。
確かに華やかさや量では、多少見栄えしないけど誇れるだけの
質と実績はこの国にはちゃんとある。
今現在、日本文化が世界中の人々の目を惹きつけているのだって、
こういう背景があるからだって思える・・・。
そんな戦闘部族を平和に400年治めた徳川氏はすごいね
徳川の世が終わってから、もうすぐ12年か。
元将軍殿は元気かなぁ?
舶来品の電動自転車乗ってた
比べ得る対象が間違っている気がするけど
日本は平和
中華の戦いがガチ?
流民とか農民だらけの軍隊でちょっと不利になると逃げ出してしまう戦いの何処がガチな○し合いなんだ
>もちろん負け戦もあったが負けたから引き上げたわけじゃない。
文禄の役は戦況が悪化したから撤退したんだぞ、このバ○(笑)
慶長の役だって秀吉のタヒを言い訳にしているが、勝利の可能性がないから
撤退したんだぞ。
>>129
ひょっとして文禄、慶長の役の経緯を知らないの?
文禄の役は遠征軍が平壌まで進軍後、
統治のために進軍を停止する。
その間に加藤清正軍は朝鮮島北部に進軍、
小西行長軍が統治する平壌には、明軍が攻め込むが撃退する。
そうして明側の沈遊撃が小西行長と和平交渉をして、
50日間の休戦協定が結ばれた。
しかし、明の朝鮮派兵のための時間稼ぎであり、
小西行長を欺くための罠だった。
たびたび交渉を行ったので、実質は50日以上の期間になり、
こうして文禄2年の1月に明軍43500人と朝鮮軍17000が
一万人前後の小西軍を騙し討ちにする。
しかし、明朝鮮軍は小西軍が立て籠もる平壌城を
占領することができず、開城勧告を行いようやく城を奪還する。
明軍のタヒ傷者は3000人 朝鮮軍不明
明軍が得た首級は1285だが、半数は朝鮮人の首で水増しという情けないものだった。
こうして明軍は、遠征軍が統治しているソウルに向かうが、
碧蹄館で遠征軍の猛烈な反撃にあい大敗北を喫する。
朝鮮入り後、わずか3ヶ月足らずで明軍は15000人近くの兵員を失い、
厭戦気分が漂った明側が、日本に和平交渉をおこなう。
交渉の結果、明側が二人の人質を出して、日本に和を乞うという形で
纏まったので遠征軍は、莫大な物資が届けられている釜山周辺に移動したわけ。
これが文禄の役の経緯。
>>129
慶長の役の目的は、慶長2年に全羅道と忠清道の討伐と
半島南部で築城及び迫る敵の迎撃。
蔚山攻防では明朝鮮軍は17000人以上の損害をだして敗退。
これはすべて日本側の戦略戦術通りに進んだ。
慶長3年は遠征軍の一部は日本本土に帰還して休養し、
残った一部の部隊は、1月から夏にかけて全羅道と慶尚道で、
10回以上も攻勢にでている。
また明朝鮮軍が12万近くを動員して蔚山、順天、シン川に
攻め込んできたが朝鮮側の記録で【人が溶けた】と表現されるほどの大敗を喫した。
太閤秀吉が亡くなったので、遠征軍は逐次、日本本土へ帰還するが、
明軍、朝鮮政府と遠征軍の間で、攻撃をしない了解がとられていたが、
朝鮮水軍の李舜臣と明水軍が小西行長軍の追撃にでる。
小西軍救出のためにきた島津軍と海戦になり、
大将の李舜臣以下配下武将も10名が戦タヒし、明軍も副将が戦タヒした。
慶長4年には、遠征軍は首都ソウルを目指した一大攻勢も予定されており、
余力は充分にあったわけで、勝利の可能性がないなんて嘘もいいところ。
中国史は大好きだが、今は
引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1192013766/
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