徳川宗春が将軍で田沼意次が老中なら産業革命あった可能性が高かった?
鎖国をやめるのと産業革命の関連性を詳しく
産業革命をしたイギリスとかは鎖国してない、はい論破
いやマジで言って>>19、
「鎖国をやめることになる」かどうかも怪しいけど、・・・
「鎖国やめる」→「産業革命できそう」
って論理はありえないだろ。
そんなこと言ったら世界の大抵の国で産業革命が起こったはず。
無理。
当時は中国の文献にある文物ですら、何が本物か明確ではなく、平賀源内が初めて江戸に文物を集めて
どれがどのモノに該当するか照らし合わせ始めた状況。
そんなんで、色々な材料を集めて組み合わせて何やら役立つモノを延々捜していた西洋の学問に適うわけもない。
硬い金属を削るダイアモンドもないし、各種の金属加工技術も稚拙。
ねじ構造に関する技術がポルトガル人に教えられた鉄砲にしかないから、精密加工技術もない。
産業革命はどう考えてもない。
そんなのわからんだろ!もしかしたらポーンとおもいつくかもしらんだろ!
資本主義と産業革命と近代科学は密接に結びついて
いるからな
富と技術を移植したら、近代化できると言うのは幻想だよ。
現実に中東やアフリカはいまだに低迷しているし
南米やロシアや中国やインドだってかなりの試行錯誤をしている。
ただいま
>>6
田沼家は紀州の足軽の家だからなあ、宗春と政策では一致しても気持ちの面でいけないのかな
>>7
そう!それですよそれ
同時期に小国プロイセンを近代化させ大国にしたフリードリヒ大王の内政政策がこちら
義務教育、拷問の廃止、貧民への種籾貸与、宗教寛容令、オペラ劇場の建設、検閲の廃止、新聞が発刊、アカデミー復興
イギリスのように自然な発生ではなく上からの近代化と言うことなのだろうけど成功例は少ないしこれぐらいはやらないといけないと思う
田沼や宗春ですら反発が大きくあのありさまだからなぁ
「大御所様がお決めになられたこと」で変えられるような気がしない
やっぱ天皇をトップに政権変わらないと難しいでしょう
惜しかったんだな、宗春公がやってきたことは、つくづく惜しい
開国が早まるって妄想はしたことがあるなあ。
まあその結果、植民地化されるか、史実よりマシな発展するか、
そこまでは妄想する力量無いけど。
産業革命前夜だったじゃん。
>>39
>すでに江戸後期には手工業マニュファクチュアリングで、
>産業革命前夜だったじゃん。
一部の地方の話だろそれ。人口の多い江戸では
マニュファクチュアリングは幕府が規制してたため起きなかった
ただ田沼意次の重商路線を後の幕閣が引き継いでいたら
もっと早く近代化を成し遂げて欧米諸国とも対等な条約を結べたかも
>>49
意次というより吉宗から始まった幕府機構の財政、人的立て直し政策は
農村への増徴、専売政策の推進など西日本で特に進んでいた商品経済を
全国的に統制しようとするもので資本主義の進展を妨害するものでしかないよ。
日本の資本主義の進展は徳川を頂点とする武士階級を困窮させ、幕末の内戦で戦ったのが
武士でなく富裕な農民であるのが良い証拠だよ。
田沼以降は松平定信をはじめ幕閣は時計の針を
元に戻そうとする政策ばっかりだったからな
そんなことをやってる間に近代化を成し遂げた薩長に
討幕されてしまったし
関東の農村を荒廃させた田沼の放任政治が続いたら地方民の流入で江戸は末期共和制ローマの
ように政変続きだろうな。
都市への人口流入は近代化には付き物だよ。
生産性の低い農業から商工業への労働人口の移動自体は
何処の国でも同じことだし
なぜか清になってから衰退する羽目になっちゃったけど
政変なんて起きるわけがないw
吉宗時代でも打ち壊しが発生し、定信時代の鬼平のように都市政策を徳川
は軽視していないよ。
田沼時代にせっかく平賀源内みたいに
電気工学に通じる識者も現れたっていうのに・・・
西欧の知識や技術を否定したせいでたいして技術力も上がらず
不平等条約なんてものまでむすばされてしまった
源内はただのコピーライターだよ。エレキテルも買ったもので壊れたら修復もできないのだから。
造船技術がいいように定信に限らず知識・技術に対する制約は徳川時代全体に共通するものだよ。
資本とか社会制度とかの話ばかりに持っていく人が多いが…
そもそも、当時の日本の技術レベル、知識レベルでは産業革命は完全に無理。
知識吸収する力はあるとは思うケドね。
何をもって産業革命とするかは難しいところだけど。
産業革命なんて起こらないでしょ。
江戸後期から幕末にかけては絹が重要な輸出品だったんだが・・・
織物は産業革命に密接に関連してる。
日本の近代化にとって製紙工場は欠かせない存在
産業革命を起こすには、日本にも「プリンキピア」をかけるぐらいの学者が現れてないと不可能だよ。
確かに日本は和算が発達したが、ニュートン・ライプニッツに先駆けて微積分発見したなんて過大評価もいいところ。
部分部分の成果は別視して、日本の当時の科学・数学を欧州と比較してみると、大きな制約があったのはあきらか。
産業革命を舐めたらいけない。
重商主義を継続していたら可能性はあったかも
重農主義制度の下では無理でしょ
自らの封建的支配体制を終わらせることになるからな
辞めてからもしつこく粘着してた新井白石が一番の癌
荻原の失脚は当然だよ。将軍無視して貨幣発行して金銀相場混乱させる
経済無知の事務官僚の末路なんてこんなものだよ。
https://www.akkeshi-town.jp/syoukai/rekishi_bunka/history/rekishi/
> 18世紀に入って千島列島に沿って南下し始めた。
> ロシア人が千島のアイヌに課した毛皮税は過酷で、同地のアイヌは南に逃れ始め、
> ロシア人もそれを追って南下した。
”ナポレオン戦争によってロシアの注意が極東から離れ”たことで蝦夷地は助かったよ
>>64
ロシア人の南下を警戒し、田沼意次が北方に調査隊を派遣
http://www.kigyoujitsumu.jp/business/topics/8287/
> 千島列島や樺太の領有権争いが日露の間で始まるのは、江戸時代も後期。
> ロシア人が毛皮を求めてカムチャツカ半島から千島列島を南下してからである。
> 1761(宝暦3)年、ロシアのチョヌルイは、アイヌ人が捕獲したラッコなどの毛皮を武力で奪い、
> 得撫島の女性たちを掠奪してハレムまで作った。
> 毛皮を求めてロシア人が進出したカムチャツカ周辺では、19 世紀の間に
> 原住民が 2 万人から 1,500 人に激減したというから、その激減ぶりは想像を絶する。
> こうしたロシア人の千島列島南下を深刻に受け止めたのは老中・田沼意次である。
> 1784(天明5)年、初の調査隊を北方に送り込んだ。
> 賄賂の問屋などといわれ評判の悪い田沼だが、外交問題には先見の明のある
> 有能な政治家だった。
ロシアによる千島侵攻の様子など
樺太の歴史1590~1791
http://www.k3.dion.ne.jp/~karafuto/karafutosi1.html
日露300年戦争(5)『露寇(ろこう)事件とは何か』
★『第2次訪日使節・レザノフは「日本は武力をもっての開国する以外に手段はない」と皇帝に上奏、部下に攻撃を命じた』
http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/27511.html
田沼意次によって北方の危機>>74を自覚することになった幕府
富める者に富を集中していって、国全体の数字としては上げさせていくって路線だ。
まぁそんで豊かになったようには見えるだろうが、政情不安が常態化して早めに維新が起こっただろうね。
引用元: http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1394027043/
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