https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190519/k10011921551000.html
義経じゃなくて頼朝じゃね?
ちなみ義経の母ちゃんはその後清盛の妾になった。
乳母じゃなくて、元ミス平安京の常盤(稲盛いずみ)願されて、でしょ。
牛若丸(タッキー)含め3人の子供の命を助けてもらった後、常盤は清盛(渡哲也)の妾になって女の子を産んだ。その後、一条長成(蛭子さん)の正妻となって、何人か子供を産んだ。
>>1
「ホテル建設に伴って、民間の発掘調査会社が去年12月から調査を進めていました。」
これホテルどーすんのよ。
平家六波羅亭ホテル
管弦と白拍子の夕べ13万円~
ホテルの二階レストランに発掘土器展示コーナー作るんやないか?
>>2
将門…桓武天皇の玄孫(孫の孫)で関東地方で一族親類同士の争いを起こし、その流れで関東で独立しようとしたが、
争っていた従兄弟(本家筋)の平貞盛や群馬?の藤原秀郷らに討伐された。
同時に四国で大規模な海賊の反乱もあったので、将門が即座に討伐されなかったら京都は全く対応できない状態になっていたと思われる。
清盛…将門を討伐した従兄弟・平貞盛の子孫。何代か前に関東から伊勢に移住した。
後白河天皇が、大阪(河内・摂津)の源氏を私兵として朝廷を掌握する藤原氏に対抗する為に伊勢平氏の清盛を抜擢し、権勢を得る。(←雑過ぎて異論出るだろうがメインはコレだと思う)
保元の乱では河内源氏の長男なのにも関わらず父・源為義に嫌われて孤立していた源義朝を味方に引き抜き勝利。
その後、政治に疎い義朝を政治的に追い詰め反乱を起こさせて討伐。完全に朝廷を掌握する。
この義朝の息子が源頼朝と義経。
未だに祟る将門
崇徳院も忘れないであげて
関西的にはコッチがガチやろうね。
将門怖いってのは帝都物語の影響が強いゆじゃないか。
関東だと場所によっちゃあ将門は祟り神というより英雄だったりするから。
父母だろ
頭足りないレスだが、乳母の嘆願は頼朝の方で、義経は母親の常盤御前が自分の身を清盛に差し出して助かってるので、結果的に間違ってない
平家の滅亡は見てないだろうから「あの時に…」なんて思わなかっただろ
その理屈はおかしくないか?
義経の合流前後にあった富士川の戦いが1180年10月17日
清盛のタヒは1181年3月
墨俣川で行家が負けたのが1181年4月25日 このころはまだまだ平家が押してる
義仲が上洛したのが1183年5月の倶利伽羅峠の戦いを経た7月
義経が台頭してくるのはその後だから「あのときに」とは思ってないだろうな
対象が頼朝だとしても微妙な話
助けたのに挙兵されただけでブチギレないか?
フィクションかもしれんけどドラマで高熱のなか頼朝の首を墓前に供えよって言いながらタヒんでいくようなシーンを見たような気がする義経は勝手に寺から消えてるし
源平討魔伝のラスボスになったやろ
弟を利用するだけ利用して軍隊使って○すとかジョンウンより酷いからな
弟、ずっと山奥に暮らしてて常識なかったんで、都デビューしたらウェーイ系になっちゃってやりたい放題したのが問題だろう…あれは締めないと組織崩壊する。
やったことは正しいけど、義経ぶっ○したのは印象悪いわな
戦闘してるイメージもないし
>>37
先に頼朝の討伐許可を天皇に求めたのが義経
それを知って逆に義経の討伐許可を無理矢理もらったのが頼朝
どっちもクズやろ
にしても、1は無能だな
間違いだらけで話にならん
頼朝も島流し状態から復活したナポレオンみたいなもんなのにな
インドア政治家、能吏タイプやからな
大久保利通と同じ不人気理由だと思う
義仲?範頼?
しずかちゃん実は薙刀の名手
栗橋駅に行った時はしずかちゃんの墓参りししてる。
駅前に何にも無くて唯一の観光名所的な物がしずかちゃんの墓だけ。
しかもしずかちゃんが住んでいたという伝説が残ってるだけで後年建てられただけの物。
それBL本だろ
>そのあと、遮那王は激痛に堪えなければならなかった。
>師の坊がなにをはじめたのかはわからないが、遮那王は敷布団のはしを噛み、夢中で泣き声を立てまいとした。
>「行をしている」
>師の坊は、遮那王の体の上でいった。
司馬遼太郎「義経」
致す前に
義経のア◯スに筆で胡麻油を丹念に塗る描写もあったような・・・
司馬遼太郎を史実として捉えてよいのか
上下巻490ページ×2だから薄い本ではないな
マジで?
鞍馬山の天狗(隠語)で義経は鍛えたわけ
将門は朝廷からは反逆者だけど
板東武者にしてみれば、希望の星だろ
それを頼朝が引き継ごうとしたらしくじって、北条に継承された
藤原秀郷も坂東武者だから
義経の確かな墓がない事と
義経の伝説がモンゴルへと渡航するまでのルートに沿って残ってる。
鎌倉幕府も結局平氏である北条氏にのっとられたわけだし
奥州藤原氏の時は自ら軍を率いて素早い動きで滅亡させてるよな
上皇や公家たちと顔合わせるのが嫌だったのかね
北条時政とか改名してるだけで、本当の姓は平だったとかTVでやってたよ。
源氏が天下取ったけど3代で絶えて、平家ルーツの北条氏が実質最初の武家政権150年程牛耳ったんだし
源氏と平家ルーツの武家の数って同じ位居るんじゃないの?家康とか源氏名乗ってるけど松平って姓だし本当は平家じゃないの?
>>51
うん、松平氏って実は出自よくわかんないだよね。
一番古い記録では伊勢氏(室町幕府の重臣で後の戦国大名第1号と言われる北条早雲は伊勢氏の出)の家臣で、この伊勢氏は平氏なんよ。
松平氏は源氏とか平氏とか藤原氏とか関係ない武装豪農だった可能性もある。
んで、この松平氏が周辺の治安の悪化なんかで廃れた時、
松平氏の治める村に流しの坊さんがやってきた。
この頃の田舎町は必ずしも寺にお坊さんが常駐してるワケではなく、村人がタヒぬと取り敢えず村人達だけで葬り、後で流しの坊さんが村々を巡回して来た時に葬儀をしてもらうってのが普通だったんだ。
やべ、途中送信しちまた。
で、松平氏の村に流しの坊さんが廻ってきた時、松平氏にはまだ若い出戻り娘がいた。
一度嫁に行ったか婿をもらったか判らんが、とにかく旦那が早くタヒんじまって実家の松平家に帰ってきてた。
その娘と流しの坊さんがデキちまったんだ。
で、この流しの坊さんがインチキ臭い奴で「俺は清和源氏新田氏の子孫で世良田徳川出身の二郎三郎という名の立派な武家の出身なんだ」と言い出した。
たぶん俺の想像だが松平家が廃れたのは娘の旦那のタヒと関係あったんじゃないか?
松平家はこの坊さんの言う事を信じて婿に迎えて家の経営を任せた。
すると意外にもこのインチキ坊主が優秀で松平家は立ち直り、更に松平家と深い親類関係だった酒井家との合同当主となって、二家の勢力を回復させたんだ。
これが家康の祖先の始まり。
家康が松平の姓を捨てて徳川を名乗るのは、松平が源氏やその他の名門ではなく、
徳川の方が新田源氏の流れを組んでいると名乗るのにより相応しいと考えたからだと思う。
ちなみに、
一時ジャンプに連載されていた漫画(とその原作小説)『影武者・徳川家康』で家康の影武者の世良田二郎三郎なのはコレに由来する。
幸田露伴だったかが自身の研究で「家康は偽者、本当の名前は世良田二郎三郎」と発表していたのをヒントにした作品ってワケ。
おそらく松平氏の当主は代々幼名に世良田二郎三郎を名乗る風習があって、ソレを勘違いしたのだろう。
前九年の役で滅ぼされた安倍氏の安倍宗任
その三男の安倍季任は松浦水軍の一族となった
その子孫は平知盛(清盛の四男)の子供と結婚して
その子孫は迫害を逃れるために安倍氏を名乗って現在にいたる
山口の安倍氏はその末裔
すなわち安倍晋三は清盛の子孫
鎌倉幕府時代でもど田舎扱いだったの?
それとも幕府なくなったからど田舎になったの?
関東は家康が来るまでは田舎だった。
正直週刊誌の連載漫画ならともかくNHKの看板番組でやることではないと思った
うーん、でも母ちゃんが愛人になっちまったからなぁ。
あれ?母ちゃん結局清盛の子供産んでなかったっけ?
>>61
でも娘は生かして厚遇してる。
信長も、浅井長政と妹の子供のウチ男子は処刑し、三姉妹は生かした。
この頃から男系男子に対する拘りってのがあったんだな。
家康は吾妻かがみを愛読してたらしいね。
平家の人達って権力もあって誰も逆らえなくて
エリートでお金持ちで優雅だったんでしょう?
めちゃくちゃ恵まれた一族なのに
なんで維盛や清経は入水自○なんかしたの?
なんで重衡もエリートでとても偉いのに
捕まって処刑されたの?
一般庶民ならわかるけど 勝ち組の平家の人達には
誰も逆らえなかったんでしょ?
平重衡は東大寺に火を付けたから。
僧兵に引き渡す様言われ、引き渡して首をはねられた。
義経の戦略で壇之浦まで追い込まれてしまったんだよ。
戦力では圧倒的に平家が勝ってたけど。
まあ、去年末の一挙放送を見た感じでは柔らか表現ながら一般兵士による輪◯レイクシーンが2~3度あったような。
海音寺潮五郎の原作に忠実に撮ったんだろう。
金もらえばいくらでも○すし裏切る、金もらえなければハイサヨナラか裏切りブッ○し
結局中央で豪遊する平家は地方武士の嫉妬を買ってしまった
それを煽って焚きつけて打倒平家に利用したのが頼朝
>>73
逆に忠誠や倫理が醸成したのが何故か戦国時代
朝倉宗滴の「武士は犬ともいえ~」で有名な言葉は
逆接的に武士階級に倫理観がある証左
何が原因かは知らんが
三浦の犬は友をも喰らう。
なんで義朝や義平のシンパの多い坂東に流したかな?
太宰府あたりに流しときゃ良かったのに
朝倉宗滴話記だっけ?あれって偽書だろ?
将門は、強欲な藤原氏に利用され続けている朝廷=皇室に対し
結果的に朝廷の在り方を問い直す役目を負った。
元を辿れば、藤原という苗字を与えた中大兄皇子=天智天皇の
視野狭窄な政策が原因。
将門は関東の守り神として米軍にまで怨霊パワーを発揮する。
清盛は日本の環境にあった海洋経済国家の基礎を作り上げた。
神戸港の埋め立てや厳島神社の整理なんて、1000年以上経った今でも
日本に恩恵を与えている。源氏陸軍国粋派じゃ世界戦国時代を戦えない。
今のあいつらは誰なの?
安徳天皇の異母弟の血統
だから何の疑いもなく天皇の正当な血統
大輪田泊が完成し福原の都が成っていたら
もっともっと違う今であっただろうなあ
義経の渡清盛と常盤いずみは良かったなあ
幹二朗法皇、安藤重盛、源貴一も良かった
ジャニタレと上戸、美輪、南原さえいなければ
後世ひ語り継がれる大河になったものを、、、
クソみたいなドラマになってしまったな
その後の平清盛は檀れいと吹石一恵以外に見所のない
韋駄天以外のクソ過ぎた
平清盛は最高の素材なのに2作とも駄作
受信料払わねーぞカスが
清盛のパパ盛貴一は最高やったやろ
平家にあらずんば人にあらず。とか調子こいてたやつらが
一気滅亡する様を見て。
庶民は国の中央で起こってることなんて興味ないと思うわ
都でちょっと噂になってる程度でその日暮らしの庶民はまず自分の暮らしだろ
その時代の庶民はそもそも人の中に入ってないだろう
「京の五条の橋の上」って童謡が残っているよ
その歌の最後が、絵にも書けない美しさーになるんだけど
俺間違ってるよね?
京の五条の橋の上♪
大のおとなの義経が♪
牛若めがけて切りかかる♪
市民生活は悲惨極まりないよね
常盤御前の墓は関ケ原にある
これ豆な
五条坂の中腹で
清盛の六波羅邸の堀と石垣が発掘されたよ
若宮神社のちょっと下
そりゃもうやりまくりよ
据え膳食わぬは男の恥
ホモじゃないんだから
所詮は貴族と武士のハイブリッド思想
平家時代を復活させないの?
そうなった場合うまくいったかどうかは分からんけどな
幼少で鞍馬寺送りってそれ稚児にされるってことだからな。
つまり、生き地獄だったわけさ、
先輩坊主からアッーって可愛がってもらってたけどね
なぜ馬から落馬したのかってこと自体も
武士なんだから馬から落馬とかおかしいだろ
>>122
馬から落馬って書いてることのほうがおかしいわ
ってつっこまれたいの?
他の時代は男の直系子孫は皆○しだったけど傍系は放ったらかしだからやはり同じ。
中国みたいに九族族滅しないといずれ牙を剥いてくる。
なにする人達だったの?
藤原摂関家に次ぐ身分。
平家パイならある
義経を題材にするなら、都落ちしてから衣川でタヒぬまでの3年半をどう書くかが小説家としての腕の見せどころなのに、
そこを完全に放棄した司馬遼太郎の「義経」が秀逸とは思えないな。
統率 武力 知力 政治 魅力
平清盛 A C A S S
源頼朝 A B A A A
源義経 S S B D S
ゲームだとこんな感じ
義経は韓信やね
軍事の才能だけが突出しているタイプ
統率 武力 知力 政治 魅力
平将門 A S B C S
義経って見た目悪いから魅力低いと思う
政治/戦闘/知謀
頼朝87/72/82
義経45/95/79
範頼43/54/48
負ける要素なんかないのに
武力も知力も魅力もすごくあるんだけど
統率と政治力がほんとないよな・・・
多分義経○してても清盛驕り過ぎて調子乗ってたんで平家はどのみち衰退してた
信長とかも同じ明智が謀反せんでも他の奴が謀反して結局タヒぬ運命
最後は仲間の弁慶まではめて逃げた卑怯者
平将門の祖父、高望王が臣籍降下した時に拝領したのが上総介
だから、平家を祖としておきたい信長は上総介を名乗った
平将門を討伐した平貞盛は氏の長者となり、一族の優秀な子弟を養子にしまくった
その中で余五君(15番目の子供の意)の平維茂は勢威が大きく、
その息子が当時の蝦夷最前線司令官である秋田城介に任じられ、
「城氏」として平家一族として鎌倉時代まで権勢を振るった
だから、平家を祖としておきたい信長は息子の信忠に「秋田城介」を名乗らせた
信長は上総守を僭称してたが上総は親王領だからと指摘されて上総介に変更した
それ程歴史を意識してならそういうミスはしないだろ
それは大した問題では無いよ
上総の支配者を僭称した事がポイントだからね
今川家への対抗から平家出自の地の支配者を名乗ったわけだから
守資掾目の国司の順列で守を名乗ったが、間違いに気付いて介に直したんだろうね
男の子は始末しておかないと成長してから仕返しにくると
弁慶って、部下にいなかったらしいね
引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1558257856/
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