それまでの日本文化を否定した明治維新とは結局何だったのか?
徳川幕府は不平等条約を改正できなかった
明治政府は不平等条約を改正できた
ア○
そもそもハリスと締結した日米通商条約は関税は世界水準と同等の20パーセント
イギリスはじめ他国もそれに倣って条約を締結、不平等ではなかった
長州と薩摩が攘夷を唱えて、欧米船を砲撃したり、イギリス人を斬り○したりしたから、イギリスに関税税率再交渉の口実を与えたため、どうにもならず関税率を下げざるを得なくなった
不平等条約の原因となったのは後に明治政府を形成する薩長のテロリストどもだ
徳川武士道はブラック社畜道として立派に現代に受け継がれてるが?
日露戦争なんてそのものだし。
イギリスの当時のやり方なんてみんなこれよ自分の手を汚さず他の駒を当ててグレートゲームは進行はしていく
弾除けにされる前に先にロシアに踏み潰されるわ
武士の家系が行う日本の運営を
続けられなくなったから起こったもの
昭和20年に起こった昭和維新みたいなものは
日本の領土拡大運動を続けられなくなったから起こったもの
令和に維新が起きるとすれば
どこかに置きっぱなしにしているモノを
取り除いて良くなった時かも
政治、社会システムの改造だろな。
現象面でみれば幕府が(老中)が政策を決定してそれがそのまま国策になってたのに、
対米交渉を前にして何故か全国の諸大名に意見を募集して最後は天皇の勅許でもって条約を結ぼうとした
ことが原因で江戸に政治的な意見を表明したり具申してもいいんだという風潮が作らて、
しかも政治の最高権威は天皇にあるんだと流れに。
でもって、天皇という神輿の担ぎ手になった者が政権が獲得できることになって有力諸藩の
政局。
難しく言ってるけどそれってつまるとこ幕府としても徳川としても自らで判断して責任をおい問題を解決することができないくらい弱体化した(気づいたらしてた)ということよね
江戸初期には世界に対してできていた武装中立がまったく保てないほど落ちぶれてしまったことですべてはできた歪み
いろいろな方面にお伺いたてて責任を分散させ肩代わりさせて保身をはかった結果うまれた日本言論史の出発点といえる
明治維新の後の彼らの政策によって単なる田舎へと衰退していった
イギリスやフランス、ロシアは中央集権制と言う点では明治日本と国情は似ているかも知れないが、廃藩置県のような事をしなかったビスマルクのドイツは全く違う
ドイツが地方領主を廃絶したのは第一次大戦後のドイツ革命の後で、日本のような廃藩置県のような事はビスマルクのドイツではやってない
ドイツが日本のような中央集権国家になったのはヒトラー政権成立後だろう
明治維新以後の雄藩と言われた地域をもう少し何とか出来なかったのか残念ではある
「戊辰戦争」と「明治維新」について
なぜ、「戊辰戦争」が起こったのか
それは「各藩」の「地理」の「位置」に「原因」がある
「会津藩」
(外国から一番遠い場所=内陸)(外国の情報が、一番少ない)
(外国に対する危機意識が、一番希薄)
(なぜ幕府を倒さなければならないか、一番の無理解)
(幕府への一番の忠誠=譜代大名)
「薩摩藩」
(イギリスとアメリカの航路に、一番近い)
(イギリスとアメリカの情報を、一番持っている)
(イギリスとアメリカに、一番の危機意識を持っている)
(幕府を倒さなければ日本が危ないことを、一番理解している)
(幕府への忠誠心は希薄=外様大名)
「長州藩」
(清「中国」とロシアの航路に、一番近い)
(清「中国」とロシアの情報を、一番持っている)
(清「中国」とロシアに、一番の危機意識を持っている)
(幕府を倒さなければ日本が危ないことを、薩摩藩の次に理解している)
(幕府への忠誠心は希薄=外様大名)
「会津藩」は、「薩摩藩」と「長州藩」の「クーデター・テロ」から
「日本」を「守ろう」とした
「薩摩藩」と「長州藩」は、「外国の侵略」から
「日本」を「守ろう」とした
つまり
「会津藩」も「薩摩藩」も「長州藩」も「全て」が「正義」である
「会津藩」の「悲劇」は「日本」における「地理」の「位置」にあった
それが
「戊辰戦争」と「明治維新」の「真実」である
7割くらいはあってるけど間違いも多いな
若人の旅の始まり。
東北の藩はロシアの脅威や襲撃にさらされてた。
むしろ国内の事情に疎かったんだろう。京都が舞台だったからな。
薩摩と長州が倒幕の主勢力になったのは、関が原の恨み、日本史の常識でしょ。
彼らは関が原で負けるとは全く予想してなかった。事実勢力的には断然西軍有利だった。
しかし、なぜか負けてしまった。
敗戦の結果、わりを食った彼らは、300年間ずっと関が原の戦いを研究しつづけてきたという。
その積年の恨みが一気に爆発したのが明治維新であり、戊辰戦争だよ。
必然の積み重ねなのじゃ。
池田屋事件。尊皇攘夷派の会合を新撰組が襲った。
尊皇攘夷派=天皇を尊び外国を追い払え、ですよね?
幕府はこの派をやっつけようとしたので、幕府は開国(やむなし)派?て事で合ってます?
会津の容保さんは、ゴリゴリの攘夷派である孝明天皇に忠誠を誓っていますから、攘夷派的な行動をしないと不忠だと思いますね
自らが矢面に立たず、下層の士にやらせて士同士の闘争にしたのがミソ
そして士を消滅させた
こんな革命は他にはない、芸術的ですらある
無能慶喜に振り回されて勝てる戦を負け戦にされて
小栗氏の下で近代化すべきだった
慶喜は近代日本を歪めた戦犯
大村益次郎が小栗の言うままに徳川が挟撃したら新政府軍は惨敗しただろうと認めているからね
ただ、慶喜は錦の御旗を出されただけで、大坂から江戸へ逃げ帰ったチキンだから無理
大将が駄目だと部下が優れていてもどうにもならないという典型
陰謀論ぽいと言われるかもしれんが、フルベッキという人物が
鍵だと確信している。
一体何が目的だったのか。
警察という人がいるが
右派民兵だろう
左派だけでなく一般市民まで暴力を振るった集団だから
京都市民に みぶろと蔑称された
会津藩に使い捨てのごろつき集団と思われていた
製紙シェア3割で全国一だった長州藩は明治維新の殖産興業政策で
北海道や静岡といった森林資源の盛んな地域が国の援助で近代化しパルプを用いた洋紙を製造するようになって
完全に淘汰され産業がボロボロになったし
綿花栽培は輸入綿花に淘汰され多くの農民が困窮しハワイ移民として旅立っていった
製塩は三八持替休浜法を伝播させて結成した十州休浜同盟(安芸、備後、伊予、周防、長門、播州、阿波、備前、讃岐)が生産と価格をコントロールしていたが
瀬戸内以外の地域でも製塩が行われるようになり、農商務省の制限中止の特逹で解散に至った
山口県民にとって明治維新はなんの見返りもないどころか恩を仇で返された
明治維新後、長州藩の下級武士たちの中にも勝ち組、 負け組の格差が出て、萩の乱が勃発した
英国紳士「京男は家畜」
イギリス軍「日本軍捕虜に支給している米は、当ビルマにおいて家畜飼料として使用し何ら害なきものである(キリッ」
イギリス軍『弱兵の京都安兵団には家畜飼料でも食わせておけ!』
九州菊兵団『大阪や京都の兵隊なんか会ったらその場でビンタですよ。こんバ○タレが!ちゅうて』
会田雄次(1916-1997、京都大学名誉教授)「イギリス人を全部この地上から消してしまったらどんなにすっきりするだろう」
サムライって感じでアメリカで歓迎されたのもうなずける
明治になると洋装したア○みたいな施設が欧米廻るけど恥かしい
渋沢栄一も和装のときのほうがかっこいい
明治維新は日本をかっこ悪い国に変えた
徳川がマジになればそら勝てたろうな
だが徳川の世が続けば幕藩体制は依然と続き、封建連邦国家体制まま
故に国軍を創設しても装備も訓練も運用も指揮命令系統もまちまちで統一できず
おまけに米本位制が続き、諸侯による地方分権制が残るので中央に税収が集まらなく
明治政府の税収と税の伸び率の比較にならん程の金で国家運営を強いられる
徳川政権でもそら近代化はやるし、進めただろうが、このよう状況から抜本的に構造を変えれた明治政府の倍以上の時がかかるのは必定
そんなチンタラしてたら日露戦争に間に合わんのだよ
明治政府ですらギリのタイミングだぞ
つかこんなんじゃ日清戦争にすら勝てないわ徳川では
日清戦争で勝利したことによりできた賠償金獲得で日露戦争を戦える土台をつくったのに
ソレすらない徳川政権下でなにができるんだよ
徳川幕府が続いたら明治年間に日本はロシアにのみ込まれて滅亡決定です
大政奉還した後の話だから、徳川幕藩体制が続くわけではない
根本の認識が誤っていて草
>>77
大政奉還は政権を返しただけで大名の既得権益を剥奪するものでない
依然と大名の既得権益が存在してて旧体制の徳川がまた盛り返して勝利したのに幕藩体制が続かないという根拠は?
まさか大政奉還と廃藩置県、版籍奉還が一緒だと思ってるゴミカス君じゃないよね?
ちなみに末期に提唱された列侯会議は老中の定員が増え、そこに諸大名が参画する徳川幕府封建体制、つまり幕藩体制そのものだということ根本的に理解できてない
大政奉還で、大名は天皇が封ずることになったわけで、それは徳川幕藩体制はその時点でストップ
薩長ではなく慶喜及び雄藩の代表者を中心に合議で藩のあり方も変えていくわけで、明治維新はその主体を長州薩摩のテロリストが奪い取っただけの話だ
そもそも、ロシアとの戦争など面倒くさい朝鮮へ進出したから生じただけの話
ただ明治維新やって150年後の日本は敗戦もして糞みたいな国家になったので明治維新は失敗と言える
>>80
>家茂がタヒなずに薩長を蹴散らして和宮との間にできた子が将軍を継いでいればこんな残念な日本にならなかったろうな
ならこんなこと言い出すこともまったくの無意味
明治維新がなきゃそもそもアメリカと総力戦などする前にロシアに敗戦して糞以下の国家でもない状態になったので成功と言わざるを得ないのが実情
ロシアとの戦争など朝鮮へ進出しなければ十数年は遅れている
そのうちに革命でロシアは対外侵略などできなくなる
奇しくも17世紀初頭にできたこの3つの政権は特に争うこともなく300年近く平和に接してきた
日本に明治政府っていう攻撃的で拡張主義的な政権ができたことで日清日露戦争は起きた
これが客観的に見た史実
>>87
>3つの政権は特に争うこともなく
ロマノフ朝ロシアと清は、初期においてアムール川周辺域
について紛争が繰り返され、ロシアが清に譲歩する形で講和が成立
している。やがて19世紀にいたり清が零落するとロシアは講和を
覆し軍事的威圧によりにより領有を認めさせている。
清は最盛期において対外戦争を繰り返している。乾隆帝が対外周辺
への武力拡張を「十全武功」と称し自ら誇っていたことは有名である。
ここにロシア、日本は含まれていないが単純に地理的に隔絶して
いたのと、容易に勝てる相手ではないので避けられたためだろう。
ロシアは19世紀アジア域への影響力が増大すると対清さらに対日
にも圧力を強めている。最大の事件が対馬占領で今では一行書きで
省みられることすくない事案だが、当時にあっては重大外交案件だった。
幕府はイギリスの支援を得てようやくロシアは撤退に応じた。
以上は、高校受験世界史レベルの知識のはずだが・・
今度はその米英にも反抗するわ江戸時代以来友好的に付き合ってきたオランダにも宣戦するわ
本当に狂犬みたいな国だったと言っていい
日本人は大日本帝国時代を誇るのは止めるべき
本当に狂った時代だったと言っていい
小栗、水野、岩瀬、堀、永井、大久保、榎本
官僚を使いこなせなかった徳川慶喜が無能
やはり水戸から将軍を出したことが大失敗
>やはり水戸から将軍を出したことが大失敗
本当にその通り。井伊大老はちゃんと見抜いていたんだよな
家茂の次に紀州藩主だった茂承が継いでいればと思う
なぜ水戸から将軍を出したのがダメなのか
水戸は代々儒教に凝り固まった藩だからである
儒教に凝り固まり2020年現在でもろくな民主主義を実現できていない中国や半島を見よ
アマゾンにあった原田伊織という人の本の
タイトルを見るに江戸幕府による工業化、近代化という可能性を主張する
人のよう。
未読でありさらに自分には、その論の是非を述べる学識もないけども
ここは素人でも放言することを許される場であろうし語らせてもらおうw
思うに徳川幕府には、欧米列強の干渉がある最中に国内の不満や反対を
排し全国的に工業化、近代化を実行できるほどの政権に「強度」は無かった
と考える。
近代国家確立のためには、相応する専門能力のある人材の配置を用意に
行えるよう重層的身分制度と資源の適切な投下が行えるよう領民に
寄生する身分(大名・武士)の解体は不可欠だったろう。
これらを幕府が行うにはあまりにも幕府は、脆弱だったのではないか?
ペリー来航において幕府は、諸大名や市井にすら意見を求めたり
(権威が低下し倒幕運動に発展する遠因の一つになった)さらに諸大名の
反感を恐れ参勤交代を緩和したのを見るとそう思う。
片や新政府の版籍奉還要求に対し各藩諸大名は、言われるがまま城を
明け渡し東京に参府した。
事実上の藩主として薩摩藩に君臨していた島津久光ですら毎夜花火を
打ち上げ抗議の意を表すしかなかった。
禁門の変を機に緩和した参勤交代を旧に復しようとした幕府に対し
各藩は従うことを拒否したのとは雲泥の差がある。
なぜこの違いが生じたか?
惰性に安住し、お人好しの幕閣で運営される幕府とちがって
ファナティックな情熱に突き動かされている”テロリスト”によって
構成されている明治新政府に緒大名?藩士は恐れを抱き抵抗する気も起らなかったのだろう。
この恐怖、蛮勇は幕府にはなかったものだ。
これが政権の「強度」といえるのではなかろうか?
あの時点で薩長奸賊を討つと宣言して全面戦争に入れば紀州も尾張も彦根も
薩長になびくことなはく戦いに勝てただろう
慶喜には大政奉還後の新体制プランもあったようだが、その実現に向けて
ちゃんと戦うべきだったわ
結局度胸がなかったんだろうなこいつは
こいつは中身なんもない口だけのやつだろ
維新後の手柄とかも全部の自分のおかげみたいに申告して
そうじゃないだろって指摘されるようなクズ中のクズ
慶喜と海舟というゴミ二匹が結託したことによって
江戸時代という日本人にとって最高の時代が終わってしまった
>>104
同意。おれはそれを「NHK史観」と呼んでいる。(世間的には司馬史観だな。)
アレだ、勝海舟と坂本龍馬が明治維新をやった、という歴史観。最近ではこれに慶喜や天璋院も入っている。 司馬遼太郎と大河ドラマは日本人に謝った歴史認識を与えた。
まあ、原田伊織などは今はやりの日本版Qアノンつーところかな。
この人は会津戦争でタヒぬべきだったわ
そうすれば義にタヒすとも不義に生きずを実践した人として歴史に残ったのに
無駄に明治を生きてしまったために評価下げたな
幕初は、政治責任を大名に追求するのが普通だったが幕末になると
大名間の婚姻関係やらからみあって敵の殿様は自分の殿様の親類なんて
状態になり処罰しがたい対象になっていく。
最たるものは、実母は皇族の徳川慶喜で薩長と言えどさすがに
詰め腹切らせる対象じゃなくなっている。
欧州で王族が特別な地位を形成していたのに似ている。
あと、長年の参勤交代の成果か殿様の権力の形骸化がすすんで
家老などが主導することが増えていたってのもあるな。
当初幕府が考えた中黒旗を新生日本の国旗にすべき
薩摩の意見を取り入れたところから日本の間違いは始まった
引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1556625807/
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