教科書読んでスレ立てしたんだが…
確かそれはアメリカがアメリカ独自のことをやりたい場合にイギリス通さなきゃいけなかったみたいなことが嫌で戦ったんだっけ
分からないけどアメリカ独立戦争って呼ばれてるよね?
だから、そんな感じなんじゃないの?
本土の戦争のツケを植民地が払わされそうになった
新政府軍は兵士も装備も佐賀が主力だった
佐賀は幕末から鉄や大砲などの自力生産に成功しており、
佐賀が新政府側についたことで明治維新の成功が決まったと言えるほど
NHKいわく、「薩摩人長州人は単なる声の大きいキ○ガイ。しかしそういうキ○ガイがいないと歴史は動かない」
いやマジでキ○ガイと言ってたW
>>8
お互い外様大名だからね…
戦国時代から価値観共有してたら声を大にするのも分かる気がするw
でも薩摩藩って面白いことに元は今の渋谷区港区~神奈川一帯を居城にしてた桓武天皇の末裔たちが、戦国時代に移り住んだことで発展してるのよね
だから薩摩藩士のその血はほとんどが元を辿ると東京一帯の武家の末裔なんだよね
全員武家出身なのに、士族の位をなくしたら当然士族が余ると思うけど、全員軍人にすれば良かったんじゃないの?
サムライでは近代の戦争の兵士は務まらないのよ
>>10
あ~
やっぱあんまけ銃火器にコテンパンにされても刀で戦いたかったのかな、訓練場作ってさ陸軍海軍でそれぞれ学校作っても良かったんじゃないの?
明治でしょ?、もう日清戦争日露戦争までまもなくじゃんね
廃刀令とか出したけど、あれが侍達にとって逆に煽りみたいになっちゃったのかな?
政府としては西洋列強に追いつくために物騒なモン持ち歩くの禁止したかっただけなんだと思うけど
その薩軍の中には長州藩や熊本藩で先に政府と喧嘩してた連中も加わったって話らしいよ
西南戦争は薩摩
萩の乱は長州
佐賀の乱は肥前
神風連の乱は肥後
福岡の変は福岡(筑前)
反乱士族は九州に多い
>>15
そうなのよ
それが不思議でならない
だってその前はさ、鳥羽伏見の戦いから始まる旧幕府軍vs新政府軍で奥羽列藩同盟で新撰組やら会津藩やら旧幕府方を散々ぶったおしてんのよね
まさに薩長の藩士達が
その後になんで次は薩長と新政府軍なのよ
意味が分からないw
>>18
薩長はとにかく「大声で喚いてるだけのキ○ガイ」だから
彼らの行動を見てても対局は理解できないよ
キーは佐賀藩の鍋島直正
鳥羽伏見以降は佐賀藩が新政府側についたので
以降明治維新が進んだ
それだけ
非常にシンプルや
貢献したにしては明治以降の佐賀の廃れっぷりはなんなん
政府に可愛がられた(新政府にヘコヘコした)藩はだいたい中規模都市以上になってる
なんかやらかしたのか佐賀はその後
>>25
とにかく薩長が大声でまくしたてるキ○ガイだからなw
逆に「なんで薩長土肥なの?何で佐賀が入ってるの?」と言われたら
それは佐賀が明治維新の実質的な立役者だったからや
あ~分かった
政府作り上げた側だったけど、薩摩や長州と一緒でその後に反乱を起こしてるから政府としては要注意地域として見なされて都市の建設はなされなかったのか
うーん維新の功はあるけど大久保利通たち主流派の構想から外れた連中ってところじゃね
岩倉使節団に随行した大久保利通も木戸孝允も伊藤博文もその後は政府側
逆に留守番だった西郷や江藤新平や前原一誠は参議という高い地位があったのに征韓論で揉めて反乱を起こしてる
この時点で派閥ができてたわけよね
早稲田大学を作った大隈重信はちょっと特殊
こいつは留守番だったのに征韓論に反対して政府要職に就いて大久保や伊藤にかわいがられて総理大臣になってる
世渡りがうまい
>>24
なるほど。
それで政府から抜け出した西郷が地元薩摩に帰って、教育の道に進むけどやることなくなった士族が集まったってことか
西郷自身は島流しの度にその土地の人間に教育してたり援助したりしてるから普通に子供とか若者が好きよね
でもその教育が新政府に対して反感を持たれてしまって、そのうち集まった士族の連中が政府軍の人間と揉め事を起こして
引くに引けなくなってしまったと。
藩ぐるみで新政府に加わったのは鳥羽伏見のあと
引用元: https://hebi.5ch.net/test/read.cgi/news4vip/1590899096/
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