【三国志】劉備と孫権がもっと力を合わせたら曹操を滅ぼせた方法を考えてみよう
赤壁の戦いの後、荊州の領有権を巡って争うこともなく、劉備と孫権が手を組んだとして、
曹操を倒すことは可能だったか?
仮に可能ならば、どのような戦略が必要だったのか?
274: 2009/01/20(火) 17:48:36 ID:PK18F1RO0
呉が関羽を攻めずに、揚州・徐州を攻めて魏軍を牽制してれば
関羽は襄陽は取れただろうし、220年に曹操がタヒんでるから
呉と蜀が連携すれば、東晋が洛陽・長安を落としたように
呉蜀同盟が洛陽・長安を落としていただろう。
>>1
>赤壁の戦いの後、荊州の領有権を巡って争うこともなく、劉備と孫権が手を組んだとして、
>曹操を倒すことは可能だったか?
> 仮に可能ならば、どのような戦略が必要だったのか?
不可能。
呉・蜀が手を結んで魏にあたったとしても、先に曹操の寿命が尽きる。
曹操の寿命が尽きる以前(220)に決着をつけ為には、
1.劉備が劉表を頼ってすぐごろに荊州を乗っ取って、孫呉と同盟を結ぶ
2.劉璋から蜀を奪い、漢中の民(五斗米道の信者)がいるうちに漢中を支配する
3.馬超が乱を起こす前に協力体制を引き、長安を取る
くらいしないと間に合わん。
まぁようは、反三国志を全速力の駆け足で実施するっきゃないってとこだなw
劉備が蜀を攻め取り、孫権が南方を安定させている間に、曹操も北方を平定して、
強固な地盤を築き上げる。
無理な遠征はせずに、守りを固めておけば揺るぎもしないんじゃないか。
周瑜がいないなら無理
劉備はめでたく蜀を攻め取り、荊州は劉備と孫権で仲良く半分け、
孫権は江東方面から北上するとして、
劉備は荊州を北上するべきか、
それとも漢中を経て関中に進出するべきか。
>>8
荊州陥落と夷陵での消耗が無くても両面から攻めると思うよ。
国力兵力十分で漢中方面のみから攻めて奇跡的に長安奪おうが、
荊州方面から攻めて襄陽を順調に落とし許に迫ろうが同じことで、
中央に近づけばどっちみち負ける。
蜀漢が天下取るには漢中・荊州さらに江東から呉の快進撃が有り、
魏の主軍が江東討伐を優先すると言う奇跡(地理、歴史面両方見ても奇跡が無きゃ無理)
その間に力の差を埋めるなんらかの策や、魏内部に味方を作る等してようやく戦える程度
北伐で長安を狙うってのは魏打倒の初歩中の初歩で、本当に大変なのはその先
抵抗も激しそう。
蜀に、夷陵での戦いでの損失がなく、関羽もいて、そのまま北伐できる状態と考えればいい。
そういや劉備タヒ後も、関羽が残っていたら、諸葛亮との関係はどうなるんだろう。
仮に劉備と孫権が手を組んだとしても、最終目標が違うわけで、
順調に進んで、曹操が亡びる段になったら、決裂してしまうだろう。
劉備と孫権、どちらが皇帝になるかという問題が浮上するし。
たしか呉と蜀で中国のどの州をどちが領有するか条約があったはず。
どちらも最終的には守る気ないとおもうけど
大変だな。
戦力差が開いた状況ではすぐに鎮圧されてしまう。
ある程度奇跡に期待しないと無理か。
曹操タヒ後の魏でお家騒動でも起こってくれたらいいんだけど。
一番惜しかったのは諸葛恪の新城攻めか
いっそ劉備が魏陣営にとどまってたほうが打倒曹家の成功率が高k(略
仮に、赤壁の戦い前後の時期に、曹操が疫病か何かで急タヒしていたら、
その後の曹操勢力はどうなったか興味深いね。
曹丕がどうなるか。
劉備と周喩の組み合わせはキン肉マンとキン肉マングレート
要するに周喩とのコンビは素晴らしいけどベストじゃない
当然ながら、漢臣と曹操軍閥の壮絶な主導権争いが始まる
赤壁前後で曹操がタヒんだら、若すぎる曹丕が平穏に後を継げるとは思えない
>>25の言うようにまず許の漢帝や大臣が権力奪取に動くだろうし、曹氏がそれに勝ったら今度は曹氏内でも後継者争いが起きるだろう
(董卓タヒ後のように)
勿論関中は背き、青州黄巾も離れる
一気に中原は大混乱に陥るだろうな
呉なんて本気で魏倒すつもりあったのかなぁ
少ない機会は孫権のミスで大抵つぶれてるし
蜀に北方からの圧力を引き受けさせるのが理想だったかもね。
できることなら漁夫の利を狙いたかっただろうね。
ただ、蜀だけじゃとても魏に対抗できないわけで。
蜀の目標は、魏を倒して漢を復興することであり、天下狙い。
呉の目標は、江南に割拠して独立、機会さえあれば天下狙い。
上手くいかんだろ。
つまり、赤壁で曹操を落とし切れなかったのがなんとも痛恨事、と。
徐晃が逃げ上手なのか、関羽が義理堅すぎるのか、周瑜がツメがあまかったのかは知らんガナー。
いや、そもそも赤壁大戦がなかった、といわれりゃそれまでなんだが;
曹操が袁紹を滅ぼした時点でもう手遅れ
な気がしないでもない
関中に馬超の勢力が健在かつ、北方の公孫氏とも手を組んで、
四方から包囲しないと。
その二人が如何に優れてようと国力差が圧倒的すぎて無理だな。
どう策を練ろうが蜀のみで魏を倒そうとすれば、
結局単独進軍すればはるかに大軍である魏の主軍に叩き潰されておしまい。
龐統・法正がタヒなないことに加えて、
もしも益州方面からの長安奪取が成功し、
関羽が呉の攻撃を受けず、且つ襄陽を奪えたとしたって難しい。
魏の中央を奪ったわけでもなければ国力差が逆転するわけでもないんだから。
実際問題を考えると「天下を狙う野心家君主が2人」「君主に天下取らそうと狙う家臣達」が勢ぞろいしてるから、
そりゃ利害対立も必然的に起こってくるわけで。
最初からありえない仮定として「私心なく曹魏打倒を誓う連合体」というイフなら普通に勝つよ。以下シミュレート。
孫権・劉備「やった!赤壁で勝ったぞ!!」
周瑜「じゃ江陵もついでに取って来ますんで殿は援軍よろしく。劉備殿は南を頼みます」
孫権・劉備「了解!」
孫権・劉備「やった!荊州制圧だ!!」
周瑜「この勢いで早速蜀制圧と行きましょう。殿は防備の備えを、劉備殿には援護を…ウボアー」
孫権・劉備「!」
周瑜「これはもう駄目かもわからんね。俺の部下に龐統っての居るから、蜀制圧はこいつに聞いてね。」
孫権・劉備「シュ、シューユゥゥウウウウ!!!」
孫権・劉備「くっそー、早速共同で蜀を攻めるぞ!!」
龐統「共同で強引に攻めるより、同族の劉備殿が先に行って騙まし討ち、孫権殿が後詰の方がよろしいかと」
劉備「分かった。行ってきまーす」
孫権「気をつけてね!」
劉備「こんばんわ~^^」
劉璋「おいすー^^」
劉備「甘いな、タヒね!」
劉璋「ちょwww」
劉備「てめーが無駄に抵抗するから龐統タヒんじゃったじゃねーか!どうしてくれんだ!!さっさと降伏しないと酷いよマジで」
孫権『劉備殿お元気ですか?益州に詳しい甘寧たちを送っておきました。張飛君たちも行くそうです。馬超君にも連絡取っておきました』
劉璋「俺ハイスラで降伏するわ。。。」
長亀レスだけど、なんかほのぼのして面白かった
周瑜呂蒙は史実通りにタヒぬのねw
孫権・劉備「ねんがんの 益州をてにいれたぞ!」
劉備「じゃあ早速荊州返すね」
孫権「まだイイって。しばらく関羽君に預けるよ」
関羽「有り難いんすけど、皆益州行っちゃって人材の層がかなり薄くて…南方にも手が回らないし…なんとかならないっすかね?」
孫権「じゃあ歩隲・呂岱ら南方の専門家と、陸遜・朱然・潘璋ら若くて活きのいい若い奴送っとくから」
関羽「ウホ、良い人材!!」
劉備「言ってる間に漢中取ったどー!!」
劉備「劉封を送って上庸も取ったし、俺TUEEEEEEEEEEEEE!!!!!」
法正「殿落ち着いて。そろそろ攻勢も限界だから一旦休ませないと」
孫権「こっちも合肥攻めてみたけど堅いねアレ。ちょっと手詰まり気味」
関羽「こんな時こそ俺の出番か?朱然!潘璋!!行くぞーー!!!」
関羽「なんか運よく大雨降って大洪水だし、呉の水軍UMEEEEEEEEEEEEEEEEE!!!!これ落ちるんじゃない?」
孫権「よっしゃ、じゃ張遼とかが援軍来れないようにもう一回呂蒙に合肥包囲させるぞ…ってそっち徐晃が来てる!」
関羽「やっべ徐晃強ぇえわ。誰かボスケテ!」
陸遜「そう思って援軍に来ました。あと南方も含めた州を上げての支援体制も整えておきました」
関羽「君天才じゃね?戦とか普通に上手いし敵じゃなくて良かったわ…つーわけで徐晃撃破と」
劉備「こっちも一段落着いたので荊州出身の黄忠・魏延あたりを上庸ルートで援軍に送っておきます」
関羽「曹仁の奴相当粘りやがったけど、ようやく落ちたか。曹操も遷都したしこれは大チャンス?」
陸遜「流石に一旦休息が必要かと」
関羽「そうね、とりあえず全国の反乱分子に檄文と印綬送っといたし。ただ朱然君たちは合肥っておくよ」
呂蒙「襄陽陥落の動揺は大きいね、これそろそろ落ちるよ」
呂蒙「ふう、任務完了。もう、休んでも、いいかな…」
孫権・劉備・関羽「りょ、呂蒙ーーー!!」
孫権「しかし、これで曹操勢力は瓦解寸前!一気に徐・豫の二州制圧し中原制覇に乗り出すぞ!!」
劉備「こっちも全軍を挙げて涼州を掃討、長安落として都を狙うぞ!狙う高祖の再現だ!」
関羽「正直余力こそ少ないがここからが最も近道!陸遜君荊州は任せた!」
~五年後~
孫権「あれから勝ったり負けたり紆余曲折があったが、これで奴らも翼・幽の二州を残すのみ。曹操も病タヒで天下は目前だな!!」
劉備「うーん、そうなんだけど…なんか僕ももう眠くなってきたよ的盧…」
関張「俺も俺も」
孫権「劉備関羽張飛ーーーーーーーー!!!ここまできてそんなーーーー!!!」
諸葛亮「孫権殿、悲しみは乗り越えなければなりません。劉禅殿を守り立てて天下統一事業を共に完遂させましょう」
孫権「…あれ?もしかして孔明君?久しぶりに見たと思ったら…え?なにいきなり君が劉勢力代表みたいな?」
その後曹家は滅び、献帝の後を劉禅が受け継ぎ漢室二度目の再興を果たし、
孫家は長江流域以南を全て含めた呉王に封ぜられ、劉禅の名の下「劉氏の天下の内は永久にこれを保障する」とされ
「北?なんか寒いし南の生活の方が幸せじゃね?」と思った孫権は温暖で豊かな南方の発展に大いに寄与した。
劉皇室と孫王家は婚姻関係を深め、後に北方が異民族に占領されるたびに孫家が復興させるのが恒例となったとさ。チャンチャン。
でも反三国志より面白そう。
>>47
まあ呉蜀がココまで仲良いなら曹操は馬超無視して意地でも入蜀を邪魔しただろうけどねw
実際はほっときゃ必ず喧嘩すると読んでたハズ。
「反三国志の蜀軍はつよすぐる」と専らの評判。
>>44-46
IFモノとして一つの作品にするのなら、呉蜀連合も1度くらい大敗を喫したり
そのせいで裏切り者が出たり、裏切りのせいで誰かがピンチになったりタヒんでしまったり
そのせいで同盟が解消されそうになったり、それを乗り越えて更に固い絆で結ばれたり
そんな紆余曲折が欲しい所だね。
反三国志は、蜀を持ち上げると同時に他国を貶めてるからイクナイ。
敵には強大なままでいてもらわんと。
関羽の攻勢と同時に合肥を突けばかなり危うかったはず。
曹操の本軍は長安にいるしな。
ヒント:呂蒙伝 夏侯惇伝
そういう夢を込めて書いたのが>>44-46じゃないかw
あんな一体感を持った二つの勢力なんか殆ど有り得ない、有り得ないけど、ロマンはある。
荊州も、関羽は徐晃に負けて後詰に来た曹操に麦城を囲まれて
南郡は于禁の反乱で落ちて魏が統一でおしまいだろ。
上二行はともかく最後の行はないでしょwなんで呉を動かす前より魏が楽になっちゃってるのよww
魏軍が近づけば戦わずに落ちるよ。
ちなみに関羽は大軍のため一気に南郡には帰れず麦城でタヒぬだろうし。
呉を動かしたのは、もし南郡を攻めても横槍を入れられ漁夫の利を取られるから
なら呉蜀を争わせる一石二鳥の策を取っただけ。
申耽、申儀の例って…そいつらは降伏してから将軍に取り立てられて守備負かされてるやんけ。
ただの捕虜に同じことできるとは思えんぞ。
そして国力以上に都督クラスの人材の豊富さで魏が圧倒している。
たまに同じ意見を聞くんだが、どの辺が出展なの?
正史三国志と太平御覧辺りかな
特に後者には蒲元という凄い刀鍛治のエピソードが採録されてて、蜀の武装の凄さを垣間見せる
あとは槍の発案者が諸葛亮だとか三国時代に発明された多くの武器や防具の発明者が蜀関係者だとする伝説がある
>>96
どうも蒲元は刀に焼きいれて水で冷やしてたらしい
そうすると技法としては鋳造じゃなくて鍛造だろうさ
鍛造は一般的に物凄い火力を必要とするのであるが
四川の盆地には大量の森林があり、それが燃料となって鍛造武器を成立させてたんだろう
中原辺りでは前漢代に広まった冶金技術のせいですっかり禿山ばかりになってたので
土壌の保水力が弱まり土は流れ出して透明だった河が黄河になってしまったそうな
三国時代ともなればもう燃料不足で中原ではロクに冶金が出来ない
晋代に入って冀州で盗賊が富豪の葬式を襲って奪った物が棺桶の鉄釘だなんて話しもあるくらいに金属が精製できない
堅くて切れる鍛造武器対質の悪い武器では前者の兵士が強いのも当然の話だな
魏を5としたら
蜀2(うち荊州が1)呉1~1、5位じゃないか
他に涼州が1、キョウドなどの北方民族が0、5位だと思う
一気に同じ進攻すれば勝てない戦争じゃない。
某所によれば人口は
魏 443万人
呉 230万人
蜀 94万人
だったらしいから、>>65の通りで行けば国力差はだいたい
魏:呉:蜀=22:6:1になる
蜀よええwww
…って、>>66の計算間違ってね?
たしかこの数字は
蜀が益州のみ統治、荊州を失ってからのものだったような気がする。
袁家を滅ぼした曹操しかり、寡兵で快進撃を起こした孫策しかり。
呉蜀が盤石で、曹操タヒ後に魏の反乱分子や異民族が一斉蜂起するすればあるいは……。
国力差は他の条件が同じときにだけ大きな意味があるのは当然。
だが国力の比較がまるで無意味なわけでもない。
しかも現実には最大勢力の魏の国内がいちばんまとまってたわけでw
この数値には青州兵とかはたぶん入ってないし。
戸数調査も、魏が押さえている中原の方がずっと進んでいただろうからね。
呉や蜀には、もっと潜在的な国力があったはず。
それでも魏が国力で、他の二国を圧倒していたことに変わりはない。
当時の地図で国土だけ見れば涼州も荊・益州に匹敵する大きさなんだよな
寒いし異民族だらけだし、ずっとなんらかの形で戦争してるから荊・益にくらべりゃ期待できないが、
諸葛亮北伐時に馬超が生きてれば涼州連合敗北後に異民族一斉蜂起させて大反乱した時みたいに、
一発やらかして一気に涼州の大部分呼応させて戦力増強してくれそう。
まぁ荊州失陥で失った戦略拠点や夷陵の敗戦で失った人材の補充にはならないし、
確かまだ馬超の邪魔をした涼州豪族が残ってたからそれだけで平定とまではいかないだろうが、
長安を狙う面でそれなりに大きなものになりそうだけどなぁ。
蜀が長安を取れればヘタレの呉も少しは勝つ可能性もあるってもんだ。
韓遂なら上手くやれるかもしれないが
馬超なんかじゃまとめられずあっさり潰される
>>85
馬超を陰謀で破った楊阜は反馬超親曹操の先鋒にも関わらず、
降伏の際馬超に生かされた男。
対して韓遂は潼関の戦いの後夏侯淵にズタボロに負けて、
最後は自分の部下に○されたって史実知らないわけでもあるまいに、
何の根拠で韓遂なら馬超より上手くやれると言ってるのだろうか・・・。
馬超が異民族を率いて乱を起こさなければとっくに長安以西は平定されてるし、
韓遂は西平まで逃げてる。
馬超が楊阜に敗れた後、張魯に兵を借りてキ山の包囲してなければ、
韓遂はもっと速く夏侯淵の進撃で敗北してる。
軍才に関しては韓遂は馬超に遠く及ばない。
馬超に欠けていたのは大局を見る戦略眼と時勢を見通せなかったこと。
呉しか組むとこがない時点で劉備は終わってたとしか言いようがない
やっぱ劉表のとこが最大の転機だったんだよ・・・
曹操は官渡大戦という転機を乗り切ったからこそ大陸を制覇するチャンスに辿り着いたんだしさ
劉備陣営としては、魯粛のタヒが痛いよね。
魯粛があと10~20年生きててくれてたら、もっとマシな展開を期待出来たかも。
魯粛は孫劉同盟の立役者だし、劉備にとって恩人であり、理解者でもあったから、魯粛-孔明のパイプが維持出来ていれば武力衝突は回避出来たかも。
でも魯粛を含め呉は荊州を併呑しなけれは収まらない
魯粛がいたら双方の被害を最小限にしたかもしれないが軍事衝突自体は避けられそうにない
衝突を避けるには蜀の荊州人に故郷を捨てろと言うしかないからな
まず連絡取り合うのが難しいしね。時間かかるし。
やっぱ最初の頃曹操捕まったじゃん?んで陳○が曹操のこと逃がさないで、
そのまま処刑されてればよかったんだよなw
二袁と呂布が中原で覇を競い、孫策が江南を支配し劉備は徐州から天下をうかがう状況かな。
袁紹が頭一つ飛び出る可能性は高いが、袁紹を見限って曹操に付いた連中がそのまま袁紹に仕えたかが微妙だね。
劉表よりはマシと思って袁紹に仕えたかもしれんけど、いまいち曹操配下から軍閥に成りそうな野心と能力のある奴が思い浮かばんのよ。
曹操に仕えなかったら一旗揚げて、軍閥に成りそうな奴っているかな?
袁紹から独立しそうな奴でもいいけど。
ケイ州平定直後くらいなら、なんとかなったかもよ。
馬超に見限られ曹操の大軍が漢中に入ったとき張魯はもう勝機は無いと考えていたからね。
涼州史に馬超がいなければ曹操にあっさり漢中も涼州も平定されてたと思うよ。
の一体のミイラと共に発見された20点の装身具の中に透かし細工の飾りをあしらった凝った
造りの金属製帯留めがあった。
調べてみると、その帯留めはアルミニウム製であった。
一般的にアルミニウムの精錬技術が確立したのは19世紀になってからのことである。
劉備が呉に、孫権が蜀に拠ってみたらどうなるだろう?
それぞれの地元の人材も入れ替えで。
蒲元の話はどこまでほんとか微妙な感じ。どこの川の水か%まで
瞬時に見抜いたりw 木牛も発明とか書いてた気がするが。
たぶん蜀の武装というスケールでパワーアップは蜀軍はしてない
だろ~w
劉備はそもそも人間的に誰かと対等に協力しようというタイプじゃない。
自分が糞のように詰んでる場合以外。
巴蜀四川は、毎日曇りみたいだし孫権なんか江南に育った人間がず~と
いると鬱病になるぞ。空みてても曇ってるし絶望的な山に囲まれてるし
天下統一する気力も失せそう・・・
土地の出身者は外に出たがらないし外から来た連中は早くこんな土地
抜けたいとがんばるがお互い利権の思惑がずれてるのもあり上手くいかない。
江東政権だけで魏を倒す方法を考えたほうがいいかも。
だったら南方の開発を徹底的に進めて、呉が国力を高めないとな。
そのために必要なのは時間。
すなわちどれだけ時間稼ぎできるか。
>>105
鍛冶屋の達人は水を肌で感じるそうだよ
蒲元の話って水が重要な鍛造ならよく聞くエピソード
なのだがこの時代の武器って鋳造なんだよなぁ
もしかして一人別次元の天才鍛冶で鍛造でもしてたんかな
劉備と孫権が手を組んだとして、
まず荊州を孫権に明け渡す
その後、劉備は蜀を乗っ取り孫権に明け渡す
蜀の北を攻めて孫権に明け渡す
西へ向かって攻めて孫権に明け渡す
南へ向かって孫権に明け渡す
グルグル回ってるうちに統一
国力で勝ってるなら話は別だが国力は魏の方が圧倒的だし曹操のときは小さな反乱はあったけど政権が大混乱してたわけでもないしね
後に丞相まで連座して罷免するような反乱があっても政権が大混乱でないと申すか
>>117
曹操の力は安定してたからね
後々の司馬氏のクーデターくらいの混乱じゃないとチャンスはないよ
曹操が自分の手元に兵力とか権限の全てを集めちゃってるから
反乱が起こりまくって不安定だったんだろ
曹操だけ安定してても意味ねーよ
それほど不安定だったなら曹ヒに継ぐ過程で互解してただろう
国力や地理的な不利を跳ね返して劉備や孫権に逆転の目がでるほどの混乱じゃない。曹操生きてる間はムリ
>>120
瓦解寸前だったじゃないか
曹丕が有能だったから事無きを得ただけで、状況は絶望的だった
>>121
それだけじゃないぞ
同時期有象無象の反乱が続発しまくってたじゃないか
第一魏諷の乱には大勢の有力家臣が関わってた一大事だぞ
ほんらい魏と呉の南北戦争だっただけの所を、孔明が三国鼎立という魔法で、蜀の存在を可能にした
この三すくみが崩れたら、最弱の蜀が真っ先に潰れる
だいたい蜀なんて日本でいえば当時の蝦夷か樺太みたいなもんで、中国と呼んでいいかも怪しい場所
実体は僻地に逃げ込んだ地方軍閥に過ぎず、魏の二大敵国は呉と凶奴だろ
蜀という地方のこと知らないにもほどがある
>>134
いや、おれは結構的を得てると思うぞ
今はともかく当時はろくに開発されてないうえに異民族の影響もある。劉エンが蜀とった時もこいつ等との争いにタヒ力尽くしてたし。
成都以外は山ばっかだしそもそも移動が難儀で大軍で外に出る事すら一苦労。桟道行き来してたんだからしょうがないけどほとんど陸の孤島状態
>>135
当時の水準ならほとんど開発され尽くしてた土地じゃね?
製鉄所やら治水施設やらもあったし
むしろ揚州の方が未開発地域だろ
まぁ僻地の最弱国ってのは事実なんだけども
大河や山はさんで抵抗することはできても自分から中原まで出てってどうこうっていうのはムリなんじゃないか?
襄陽は一時的には支配下に入ったぞ
襄陽とっても「話にならん」が「もしかしたらいけんじゃねえか?」になる位のレベルだと思うけどな。
やっぱ兵力差はいかんともしがたい。他にも生産力でも差あるし侵攻戦だから土壌とかでも不利だし
劉備は成都に帰ってるんだが…
反乱は治まってるしそんな特筆できるリーチ目じゃなくない?
益州獲って馬超と結ぶってのはだめなの?
劉備の扱いにこまるけど
>>162
周瑜がそれを考えた時点でならそれなりに実現性もあったと思うよ
赤壁後の曹操が兵力の面でも気力という点でも弱体化していたのは明らかで、孫権にとっても対外進出の最大のチャンス
これも「実際には劉備が素直に協力してくれない。というか劉備が邪魔をする」という点が問題になってくるけれど
劉備には魯粛みたいな親派がいるし確かにジャマくさそうだよね
落したあとだっけ?呉がこの時点でどれくらい余裕があるかによるよね
>>165
シュウユの陣頭指揮あっての話しでしょ?
戦力的に余力があったとしてもシュウユが陣中で没したともあれば壊滅状態に陥る可能性もある訳で…
生きてる間で最低でも中原にはでなマズイ
呉の国そのものがそもそも天下統一の意志ないからね。日和見主義の孫権がその気になるくらい懐に入ってないと
ていうか、
深手を負った事を敵方に漏らさぬ様に、隠して戦っていたわけで
指揮官が負傷している事が敵に知れようものなら戦況も変わるだろう。
双方の末端の兵の士気にも、大きく影響を与えるだろうし。付き従っている豪族の動きも怪しくなる。
勢いにのる呉軍が曹仁相手に一年近くを要したのは曹仁の活躍も有るだろうが、周喩が指揮を徹底して執れなかったという事を考察出来る。
追撃戦に及ばなかったのも、周喩の容態があっての事ではないだろうか?
周喩の負傷がなかったor軽傷だったということなら、その後の展開を考えられなくもないが
だって孫権にしてみたら縁組は断られるわ食料盗られるわ荊州返してくれないわ
その上で曹操と戦う劉備を援護しろって?ふざけんじゃねーよ
って孫権だって思うはずだよ
もし万が一勝っちまったりしたら孫権は劉備の下につくしかなくなるしね。
あの仲違いは起きるべくして起きたもんだよ。協力してくれるわけがないもの
劉備が漢中王名乗った時点で、名目上孫権は魏に屈するか蜀に屈するかしかなくて、もはや力を合わせる関係ではなくなってるわな
曹操がいなきゃ劉備だって目の上のタンコブなんだから孫権から見れば
(ま、劉備も益州~については国を分捕って酷い話しだと思うが)
兵糧云々も荊州で一悶着あった後なわけで…
関羽も呉に対して備えは、しっかりしていたのを考えると
人選さえ間違わなければ、
呉も手が出せなくて曹繰に向かうしかなかったんじゃない?
人的要因が大きいんじゃね?
それを考えるとホウトウがタヒんでなければ…と思ったり
孔明かホウトウが荊州にいたと考えると結構良い線いくかも。
まだ足りないとしたら
徐庶もオマケで
どっちにしろ、タラレバだから
確かに関羽一人を孤立させすぎた感はあるね
>>188
孫権、劉備にしたら二十六軍が野放しになってるのは危険すぎるしね
関羽→糜芳他
ぐらいの位置にはいると思うが
曹操陣営にしても周喩よりも、遥かに関羽の方が脅威だったのでは?
戦術面で言えば荊州での曹操陣営との戦い振りを考えると遥かに
関羽>>周喩
だと思うが?
赤壁直後にも関わらず曹仁を攻めあぐねていた訳だし。
ビホウの人物評の出どころは検討がつかないのだけども…
曹操陣営では関羽以外、人物なしとも言ってるよね。
君がいうには呉にしてみれば大成功の戦果だったわけでしょ?
その後の展開は?
関羽が潘濬、糜芳を使いこなせていれば呂蒙、陸遜に対抗しえたというのもかなり強引な話しでしょ?
誰なら使いこなせた?
何度も聞くけど、単独で魏と戦うため荊州を取ったんだというなら、その後どう展開すれば呉の望む形になったわけ?
南郡は固いから徹底抗戦の意志さえあれば守れた可能性はあるでしょ。
魏だって簡単に南郡が落ちるとは思ってなかったからね。
関羽じゃなければ麋芳・士仁も徹底抗戦したかもしれない。
まあ関羽以外を都督にできる状況じゃないからしようがないけど…
潘濬は実際優秀なんだが当時は治中従事じゃなかったっけ?
軍権が無くてはどうしようもないから関羽じゃなくても同じでしょ。
単独で魏と戦う為というよりは防衛できる為といったほうが近いと思う。
荊南が無ければ孫権が皇帝になれたかも疑問。
一応構想としては蜀を攻めるつもりだったようだけど難しいだろうね。
呂蒙がタヒんで詳細は分からないけど…
だから兵隊がいないのにどうやって、徹底抗戦するんだ?
降伏した于禁軍にでも協力してもらうのかw
治中従事は政治よりの官だが当時の士大夫、豪族は文武両道が当然で
私兵を持っているのに軍権がまったくないというのは無理がある。
だいたい、孫権がいきなり将軍職を与えたり、軍事に意見を求められたのは
記録はされていないが蜀でも将軍位を貰っていたんだろう。
>>204
譜代の家臣を差し置いて、降伏してきたものを丞相に据えたりするとは思えんが?
劉備の様な勢力とは訳が違うんだから
>文武両道が当然とはかなりの憶測で呂蒙、陸遜に匹敵するなら、軍事面でも大活躍だったのでは?丞相に任命されるくらいに信頼されているわけだし
> 私兵で徹底抗戦してほしかったものだ。
将軍位を貰っていたなら私兵の数も文官の比ではないし、
文武に明るいなら関羽云々でなくて漢中辺りで、大活躍だったと思うよ。
出世も望むがままだっただろうし
あと質問の意味がよくわからないだか。
もともとが荊州に人材がいないから関羽は負けたんだって話なのに
なんで呉に潘濬や麋芳が加わったらって話になるんだ?
せめて、呉が荊州を得てどうやって魏を打倒するんだって事だろ。
張飛伝に書いてあるだろ。
「驕於士大夫」って陳寿にも敗北の要因に挙げられているし。
呉の戦略事態は正史に載っているんだから議論する必要がないが
関羽の北伐で呉が揚州を攻めればと同じぐらい馬○な話なら
劉備が夷陵の戦いなんぞしないで北上すれば、曹丕が継いだばかりで
不安定な魏に襄陽を得た呉が許都や洛陽を攻められた可能性があるな。
>>214
それは陳寿の考えたストーリーだから
単純に蜀は攻勢限界を超えて攻め込んで、呉はそれを見抜いてたってだけ
3万の捕虜に最低限度の飯を食わして管理してる状況で新たに数万の敵に攻められたらまともな防衛戦なんて出来ない
それは関羽の性格的な問題を言ってるんで
潘濬を使いこなせないで負けた云々の話ではないでしょうが
逆に蜀呉が魏を打倒できない理由を挙げてみては?
いや常識的に考えればわかるだろうけど二人とも話の趣旨に齟齬がでてるみたいだから念のため
呉蜀合わせても国力が上の魏が、呉を滅ぼすのに晋の時代まで
待たなければいけなかったのと同じ理由。
魏にとって、名目上、臣下の礼をとってる呉をわざわざ滅ぼす必要なかったからじゃないの?
孫権の劣化が極まって放置しておいても衰退していく始末
最後は誰もがご存知の通り、勢いついでに滅ぼされたわけだけど
紛失しただとかいうなら分かるが…理由がアレだぜ。
潘濬伝だっけ?
捏造本だとか言われてもしょうがないだろ。
孫家は長生きしたらろくでもない奴ばっかりだったのかもな?
半世紀も国を治めた手腕は見事だがやっぱ人間だし70にもなったら当然若い頃と同じってワケにはいかないじゃん?
まぁぶっちゃけどこも大臣や将軍なんて不正や汚職の温床だったから、腹のうち探られるのがやだったんだね
で、そういう憎まれ役だった呂壱とかはそりゃあただでさえ悪く言われるし、導入した皇帝を頼るしかないから皇帝を頼れば「皇帝陛下の威光を笠に着る佞臣」とか言われちゃうわけだ
劉備→徳川家康
孫権→織田信長
に交代。
蜀が漢中制圧後として、長安・樊城・合肥への同時進行作戦はどうか。
とりあえず、最初に動くのは樊城攻撃だろうな。
関羽が戦局を釘付けにして、その間に長安・合肥への侵攻を開始。
実際の樊城攻めは蜀側の軍事行動と呼応していないが、連携出来れば一気に
中原侵攻も出来ると思う。
孫権に合肥落とせないだろ。
呉全軍で特攻すれば何とかなるだろ。
そんな大所帯で行軍したらあんな支流の多い所じゃ身動き取れないだろ
まあそもそも
食糧強奪するよ、領土は割譲しないよ、でも軍事支援はしてね、援軍もちょうだい、二十六軍にもプレッシャーかけてね
こんな条件で力合わせるとか言うのがそもそも無理だっつうね
劉家の子供だけど、劉備が先にタヒぬ以上、明らかに後見人は孫権になるだろうし
なんか妥協できそうな気がするんだけど、無理か?
とりあえず、劉備は皇帝に祭り上げられるとして、孫権も丞相くらいの
地位にはなるはずだし。
その場合
劉協⇒曹ヒ
劉備⇒劉禅⇒孫権
で南北朝なりそうだな
魏は、幽、冀(き)、青、徐、豫(よ)州など9州を
呉は、揚、荊、交州を
蜀は、益州のみをそれぞれ(ほぼ)領有してました。
それらから、計算される国力は魏:呉:蜀=79:15:6程度(概算です)だったのです。
北海道から九州までが魏
四国が呉
沖縄が蜀
こんな感じ?
ツッコミを入れるとだ、沖縄の人には申し訳ないが、沖縄に6も国力はないだろ。
日本全体を100とすると、都道府県の国力の平均をとれば当然2とちょいだから、
沖縄は都道府県の中でもかなりの国力を持っていることになってしまう。
というか6なんて、県単独なら愛知とか、しくじったら大阪クラスだろう。
大宰府もあるけど未開の地も含む感じ
西晋は戸籍人口が1600万。魏、呉、蜀がそれぞれ400万チョイ、230万
100万弱だから倍増していることになる。
これは屯田民などの私民が公民になったりしたから、と言うのが多いでしょう
か。屯田民などは魏傘下が圧倒的に多いでしょうから、そう言う意味では魏が
抱えていた潜在人口はかなり多かった、と言うことでしょうか。
増加分800万の内8割ぐらいを魏、残り2を呉蜀で分けたとすると比率では
魏:呉:蜀=10:3:1ぐらいか。300さんの言う国力比ともおよそあってる
でしょうか。
どっちにしても魏の攻撃を防ぐことはできたとしても魏を攻め滅ぼすと言うの
は至難の技ですね。
屯田は魏だけがやってたわけじゃないし、そんなに関係ないんじゃないかなぁ
呉蜀は未開の部分が多いから、戸籍に入ってない人々が多かったんだろう。呉だと山越とかね
伸び率は魏より呉蜀のほうが断然高かったと思う
特に、ほぼ未開の地から六朝時代を築くに至った呉の開発は急速だったはず
あそこしかないってタイミングできめてるもんな
自国のピンチによく頭がまわるわ
だが、それだけで雌雄が決するだろうか。
軍事的観点も含めて見れば、呉蜀同盟が魏に勝つ戦略もあるはず。
事実、関羽の北進だけで魏は大きく揺れた訳だし。
蜀陣営が力を蓄える時間があったかもしれん
馬超と孫権が曹操相手してる間に劉備が勢力拡大した訳だからこのどちらかでも弱体化するIFは劉備が勢力拡大出来ないか滅亡END
奇襲を成功させる事。
作戦前、作戦中は諜略戦により魏内部に裏切りと混乱を誘う事。
西と東から同時に攻める事。
緒戦に局所的大勝を収め魏軍決戦兵力を損耗せしむ事。
→関羽か張飛か趙雲が曹操と他の重臣をぶった切る
→劉備がケイ州の大半を手に入れる、孫権が合肥で勝利
→涼州の馬超が赤壁の敗戦の直後、長安を奪取、
→曹操のタヒにより国中大混乱、曹ヒが後継ぐ、多分
→孫権が寿春、汝南、下ヒに侵攻、劉備は北ケイ州に侵攻、
→馬超が洛陽、弘農、孟津に侵攻
後は曹ヒフルボッコ、とりあえず曹操ぶった切って、孫権がケイ州捨てれば
勝てそうです。
赤壁の戦いで曹操と他の参謀がかなりやられるんで、
曹ヒがどこまで頑張れるか、魏の兵の大半は赤壁でやられて戦力は低下
河北は仕方なく曹操の部下になってたものが多いので士気はほぼゼロ
曹操の精鋭は焼けたし、
結論:曹操を切って孫権が魏を攻めて、馬超が長安を奪取、劉備が曹操残党を狩る
演技か正史か知らんがこんな感じや
そもそも赤壁で曹操斬れてれば曹操政権は自壊したんじゃないかね。
それが難しい訳ではあるが。
魏諷の乱や吉本の乱を乗りきれたのはやはり曹操という建国者のカリスマあってこそだと思う。
乱を潰しきる前に継承があると、曹丕の器量や才能の有無そのものとは無関係に空気が変わってしまいそう。
劉備一派が荊州に地歩を築くことはできないんじゃあるまいか。
普通に呉軍がどんどん進撃して各地を占領し、直接統治できるはず。
孫権にとって劉備を対曹操用の盾として使う必要性がないので
劉備一派を太らせることもなく、呉の客分となるか、危険視されて○されるかも。
マンパワー不足で無理
>>326
とはいえ,当時の劉備側と孫権側だけ見れば,明らかに孫権側優位なわけで。
その段階で曹操が戦タヒし,北方の脅威が除かれたとしたら,
孫権側が劉備側に配慮する必要は全くないのでは。
それに,本当に曹操政権が自壊してしまえば,
孫権側が徐州、豫州、荊州北部を抑えてしまうのでは。
北方は既に南征可能なとこまで作られてるから
曹操タヒんだら呉が優勢というわけではないだろ
ものすごい国力差というのは個人の生きタヒにとはそこまで関係がない
同様の歴史IFでは「魏延の長安奇襲実行してたら」があるが
その後数多くの難しい戦いを勝ち抜かないといかんという点で
共通の無理がある
>>328
魏延の主張通り長安急襲して関内の敵対勢力完全に駆逐して支配出来て
函谷関や潼関の要害抑えるところまで行けば可能性はあるな
確かに厳しいけれど
演義の影響でイメージ違うけど実際の馬超韓遂は長安陥としていないから最終的に負けた
同じく例えば実際の関羽は襄陽陥としていないから最終的に負けた
拠点抑えるのとそうでないのとでは状況に圧倒的に差が出る
赤壁時点で曹操が戦タヒしたら曹氏はまず終わりだな。
曹操の持ってる「国力」ってのは、魏公国でさえなく、まだ漢王朝のものだ。
丞相は普通世襲できない。
当時の曹丕には魏王国嗣子のような巨大なバックアップがないから
丞相位を強引に要求する力が無い。
非曹操派が一斉に行動を開始するし、曹操派も分裂する。
誰が次に漢帝を推戴するかの内紛が続くし、まだ若い曹丕がこの競争に勝ち残るのは平坦な道じゃない。
劉備と孫権は、まず曹操戦タヒの混乱に乗じて(曹仁クラスが兵力率いて荊州に長居することなんて無理だから)
淮水・漢水の南岸くらいまでは軽く前線を押し上げるだろうし、
その後も華南を固めるかなり長い時間を稼げる。
北方の後継者が誰に決まっても、曹操並の戦争能力はもはや回復できない。
曹丕が奇蹟的な踏ん張りでもしない限りは。
南方の孫権・劉備に中原を統一できるようなチャンスのある段階ではまだないよ
だが最有力候補の二雄になるね。
そして、他に二雄の華北進出を阻めそうな軍閥が無い。五胡も含めて。
八王の乱とのもう一つの違いは、朝廷に権力は無くとも権威はまだ生きていること。
統一のチャンスは十分以上にある。
不安要素は勿論、二雄の衝突。
それから特に劉備に統一から安定の時間があるか。
逆にそこまで乱れるからこそ、他勢力に統一の眼が出るわけだが
曹操の存在が一定の秩序をもたらしていた事は間違いない
だったら非力な曹操が大人しく袁紹に献帝を差し出して置けよとなる。
そうすれば南進が5年は早まり劉備は味方で孫権は抵抗できなかった。
袁紹はともかく、無茶な事やってた霊帝の治世下や董卓の支配に関してはその理屈は当てはまらんと思うが
曹操の配下には猛者がたくさんいるからな
個人戦になれば難しいんじゃないかな?
おとなしく孫権に全領土譲渡して置けばよかったのに。
華南で引きこもってただけの奴に一気にそんな領土拡張して、いきなり支配力発揮するのは無理
も一回分裂するだけ
同様の意味で曹操は袁紹に降伏すればよかったのにってのもお門違い。曹操軍は離散するだろうけど、中原は無法地帯に戻るだけだ
まだ赤壁で孫権が曹操に降伏してればよかったのに、っていう話の方が理屈が通るよ。その考え方なら
あと30年粘れれば
北からの圧力で逆転可能だったかもしれないけどね
北目指すのか難しくなる
引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1169188235/
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