【江戸時代】江戸幕府って本気で鎖国続けてけると思ってたの?????
おっと菅原道真の悪口はそこまでだ
なんで道真が出てくるん?
道真こそ、記録に残っている範囲では
最初の鎖国主義的政策をとった人だから
幕府が開国しようとしたら攘夷派の既知どもが騒ぎ出したんだろうが
そもそも家光の頃は鎖国をしたという意識はなかったのでないの?
貿易と出入国の制限をしたと言う感覚だったのでないの?
貿易額はその前の戦国の頃よりも鎖国後と言われた時代のほうが
多かったみたいだしな。
>そもそも家光の頃は鎖国をしたという意識はなかったのでないの?
>貿易と出入国の制限をしたと言う感覚だったのでないの?
欧米ではそれを鎖国と言うんじゃね。
>>295
>>299
吉宗が緩和するまでは洋書の輸入も原則禁止だった
だから国を閉ざしたという意識はあったと当時でもあったと思われる
何せ戦国時代には東南アジアに日本人町ができるぐらい国が開かれていたのに、
日本人町との交流もできなくなったので、なおさら国を閉ざしたという意識はあったろう
それは後の時代の話じゃん?
もっと前の頃は本気でそう思ってたのかなーって
世界でも有数の軍事大国だった日本が気にする問題じゃないよ。
それに鎖国ってのは別に一切断交してたわけじゃないし。
貿易を基本的に幕府の一元管理にするってだけ。
上手に相場操縦すれば巨万の富が幕府の手に入るし。
まぁ「鎖国」と言っても江戸幕府は「全面鎖国」では無く「限定鎖国」だった。
1番のポイントとしては東洋以外でオランダとは貿易していたって事だろう。
これにより、完全な「浦島太郎」化を防げた。
蘭学や蘭方医も広まり、海外情報も入りやすかった。
はたまた、今現在に至るまで日本文明が世界に広まる土台を築いてくれた。
「サムライ」「ニンジャ」など今や欧米はおろか、アフリカや南米アンデスの民までが知っている。
朝鮮の衣装や文化が全く知られていないのと比較すると、日蘭貿易の影響は計り知れない
今も、工業製品の輸出で生活し、エネルギー、食料、安全保障と国家の基盤を他国に依存しながら、
「新自由主義ハンターイ!」と叫び、悔しげに「鎖国したい」と漏らしてる日本人がいるので
この時代なら当然。
うざかったのだろうなww
貿易量はむしろ戦国時代と比べて増えていたくらいだからな
民間人同士交流させるとトラブルが多発することを恐れたのだろうなww
むしろ、京都の朝廷が開国に反対してた
中国に役人を送らなかっただけで、民間の往来は禁止していない。
江戸幕府の鎖国は国策。
平安時代は朝廷が独占貿易したことはないでしょ。
人の行き来が極端に絞られているんだから、貿易統制という枠では収まらないよ。
近年では鎖国って言葉はあまり使われなくなったね。
基本的に対馬、長崎、琉球、松前の四つの口で、自主的な貿易統制と渡航禁止の海禁政策。
東アジアじゃ別に珍しいことじゃないしね。
欧州が年がら年中ドンパチやってたお陰で、手に負えないくらい大砲の性能が著しく向上してしまってたのが誤算かな。
出島のオランダ商館長(カピタン)が江戸まで行って、幕府に世界情勢を報告してた
それって危なくね?
オランダの胸三寸でどうとでも捏造できそう
実際そうだよ
ベニョフスキー事件なんかその典型
フランス革命でオランダが無くなった事は幕府も知らなかった。
ちなみに安政に開国するまで打ち払われた(砲撃された)のは天保年間のモリソン号だけだったりするけどな。
黒船だって戦争になったら勝てないってことを理解してたし。
ロシアの南下政策が北海道に及ぶことに危機感持ってたし。
その辺は大清帝国皇帝や軍機大臣あたりとは違う。
ロシアの南下政策こそオランダのでっちあげなんだが。
大黒屋を送り届けたあたりはロシアに悪意はない。
あとで紛争になったのはレザノフを邪険にしたから。
高田屋事件のあともロシアはおとなしかった。
鎖国末期に日本の教育水準は飛躍的に上昇してるから
それを待って開国した、ある意味理想のタイミングかもしれん。
開国が早すぎても西洋化についていけなくて植民地にされてたかも。
>>61
数学は欧米よりかなり進んでたと聞いたな
今は欧米に合わせてレベル下がったらしいけど
開国しちゃった方がいいんじゃね?
という機運は何度もあったのに
そのたびに反対派の抵抗で潰されちゃったからなあ。
島津重豪が元気なうちに開国が実現していたら面白かったかも、とは思う。
本丸幕府は分かんないが
長崎の役人連中は知っていて
知らんふりしていたらしい。
現状維持が最優先だったから、
アメリカ船をオランダ船ということにして貿易実績を取り繕っていた。
薩長がそれをつぶしただけ
技術の進歩なんて発想が無かったんだろうなあ
ヨーロッパの方でもまだ発展してないからな
造船技術においては差が出ていたが、地理的要因によるところも大きいので幕府の責任とは言い切れない。
渡航の禁止、交易は欧州はオランダに限る。
貿易港は長崎のみとする。
キリスト教を禁止する。
これに文政令(無二念打払令)で対応してた19世紀前半の20年くらいじゃなかろうか
だから鎖国という政策そのものが存在してない
当時開国してても、近代化できなかった国は、西洋を含めてほとんど。
ロシアやエジプトなどは先進国に、日本より早く留学生を送っているが現状は遅れている。
海外展開による、対外戦争は、莫大な国家負担になり、スペインなどは何度も破産。
西洋のプロテスタント国家の一部が、内部革新を果たして近代化を成功させるが、それは鎖国後のずっと後の話し。
初期のカトリックの遮断と管理貿易という選択肢はそれなりに正しかったが、その後の近代化の動きを察知して対応するのが遅かった。
ちなみに家康は、鎖国してないな。
寧ろ貿易奨励派。
家光の代から、島原の乱の影響を受けて、カトリックの感染を防ぐ為に
人の移動を大きく制限しなければならなかった。
でまあ、カトリック国は、旧来のヴァチカンのべったりな国々は
古い教義や組織体制に縛られて、近代化が遅れて負け組国家になる。
大航海時代に、世界規模で展開しているカトリック宣教師から国民を遮断するってのも
やはり必要な面があった。
リスクと貿易の管理という面では、
長期政権を目指すなら、徳川でなくとも
やはり何らかの管理貿易や対外戦争の回避を選ぶだろう。
そもそも海禁政策自体が、アジア一般の貿易体制だった。
キリスト教布教や、香辛料ルート開発みたいな、リスクを負ってまで海外展開する
西洋のような強い動機や理由がない。
コロンブスもアメリゴ・ベスプッチも貴族でも騎士でも商人でもない庶民の出身なんだけど
西欧では船を建造して水夫を雇う金さえ調達できれば誰でも自由に海外に航海できたが、陰湿な日本は鎖国を行って日本人が海外に出ることを禁止した
コロンブスやベスプッチが「庶民」かどうかは措いといて、
彼らがスペインやポルトガル王家と契約したり後援されて航海に出てたのはまるっと無視?
>>103
つまり、スペインやポルトガルは一般人が冒険目的(商業目的ではない)で海外渡航することを積極的に支援してたってことじゃん
陰湿な鎖国を行ったどこぞの島国とは大違いだな
鎖国をしてなければ、すぐに戦乱の世に戻っていたことだろう。
大航海時代の欧州諸国がむやみに戦争をしていたように。
下手をすれば、明と清の争いに巻き込まれていたかもしれん。
>>106
>鎖国をしてなければ、すぐに戦乱の世に戻っていたことだろう。
>大航海時代の欧州諸国がむやみに戦争をしていたように。
つまり、家康という陰湿な老人がいなければ日本がヨーロッパのように発展してた可能性も十分あったということか
やっぱ家康はクズだな
>>107
統一政権がなければ、下手すりゃ植民地だよ。
>>108
倭寇の時代から大陸に行く技術があったんじゃね。
遣唐使は適当に進路を決めてたらしいが。
>>109
宗教的権威の元に緩やかな一体感は持ちながらも国内の軍事的分裂が固定化して各々の勢力が海外に盛んに進出
家康という日本の島国根性を凝縮した陰湿老人がいなかったら、日本はまさしく西欧そのものになってたはずじゃん
日本の発展の可能性を詰んだ家康は国賊そのもの
西洋勢力を排除しようとし始めたのは秀吉からだよ。
その流れを受け継いだだけのタヌキをいくら叩いても意味がない。
あと、鎖国はタヌキの代でやったわけじゃないしね。
日本の政策がどうだろうが侵略する気のある国は勝手に攻めてくるし、開国してようが侵略を打ち払う実力があれば打ち払えるんだから、関係ないだろ。
>>112
西洋の侵略のやり方は、君の発想みたいな蛮族的な力押しじゃない。
キリスト教を浸透させて精神をコントロールし、硝石その他の物資を売りつけて
相手の首根っこをつかんで、じわじわと浸透するように支配していくわけだ。
それを防ぐには、鎖国が一番だったわけだな。交易相手にポルトガルが弾かれて
オランダが残った理由くらいは知ってないと恥ずかしいよ。
その後手のひら返して「江戸幕府は『鎖国』してた」と勝手に造語作って反論して海外進出してあげくの果て太平洋戦争起こした明治政府は糞
明治維新は関ヶ原の戦いの復讐
太平洋戦争の遠因は関ヶ原ってことになりますね
歴史はホント繋がってるんだね
さらなる極論をいってみたいのだが、
関ヶ原の遠因はなんだろうか?
後醍醐の野心かな
元寇
李氏朝鮮はジェネラル・シャーマン号を奇襲して見事に焼き討ちし、その後のアメリカの攻撃も退けてみせたのにな
同時代の日本よりずっと遅れてたチョンですら出来たのに、怯えて開国した井伊直弼は腰抜けにも程がある
チョンより臆病なくせに何が武士(笑)だよ笑わせるわ
いや井伊直弼は違勅問題を気にしてなかなか開国に踏み切れなかったのに、
幕府の外国方で秀才だった岩瀬忠震が強く言上して開国に踏み切ったのわけだが…
そして岩瀬の判断の背景にはインド大反乱の終結と、何よりアロー戦争がこの年の春には一時終結の情勢を見せていて、
イギリス側が大艦隊を投入しやすくなる危険が意識されてたわけで、
実際この翌年にオールコック公使が赴任したら対日姿勢はとたんに厳しくなってる
そう。だから幕府は開国派。鎖国攘夷を主張してたのは薩長。
それは要する様々なコストとかリスクに見合うものなの?
>>167
圧倒的な軍事技術の差で軍事行動を起こし、日本人の心を折ってしまえば、
あとは経済的に支配するだけ。
工業製品を売りつける市場を確保して、対価として貴金属や生糸などをせしめる。
あるいは綿花などを栽培させる。
二次大戦で本気で○し合ったアメリカにさえ従順になる国民性だからな。
どう考えても無知のなせるわざ。
無知じゃないのにそれ主張してたら何か企んでるってこと
どっちにしろロクデナシだろう
日本は300年早く近代化していただけでなく
産業革命発祥国になっていたと唱える学者がいるそうだ
海外取材中心の番組だからフランス外務省提供の情報を中心に説明してて
幕府=開国派って世間の誤解をきれいに吹き飛ばしてた
諸外国は開国した後に不利な戦争や条約結ばされて植民地化されたんだからね
明治政府が開国を上手く成功させたというだけで
岩瀬井上は一橋派ダカラーと粛清の理由をごかせるけど忠固の場合は南紀派だからそれも無理
朝廷と攘夷派敵に回すのが怖くて、
開国した責任を全部、松平忠固と岩瀬忠震に押し付けて失脚させたら
攘夷派からの盾が無くなって、結局全責任を引き受ける事になったのが真相だからね
江戸幕府は「鎖国」をしてるつもりはなかったんだ
朱印状出してた国がカトリックで出禁食らったり、
その他の国が自主撤退したからたまたまオランダだけになった
17世紀後半になってイギリスが再び来たけど、カトリック国になってたからダメ
だけどそのあともフランスが通商を求めるという噂があってオランダが神経質になってる
ロシアが通商を求めた時も、松平定信は信牌を与えてるし検討対象にはなってる
「鎖国が祖法」観が広がったのはそのあとだろう
>>427
イングランドはカトリックじゃないよ。
UKになってから、カトリックが増えたんだよ。
フランスはカトリックのほうが多数のまま
ドイツもカトリックのほうが多いぐらいだな。
そうではない、1660年代の王政復古でチャールズ2世がポルトガルのジョアン4世娘と結婚した
幕府はこの情報を掴んだためイギリスとの交易再開に警戒を示した
要するにポルトガルの縁戚になったとみなした
当初はイギリスは信牌を持ってたため長崎奉行は交易が認められると踏んでたから、
江戸に使者を送る方針でいたが幕閣上層部の政治決定でひっくり返った
今の日本の教科書じゃ鎖国の用語は消されたり、鎖国してないみたいな理解らしいが、
限定的な貿易は行われていたが、それが鎖国していないという解釈は飛躍しすぎた理解ではないか?
海外在住の日本人の帰国を禁じたり、アンコールワットを訪れた森本右近太夫が秘密裏に
帰国して隠棲したやらはなんなんだと思うがなぁ。
世界の銀の半分を産する日本の銀貨が枯渇するほど貿易してたのにw
>>473
出入国を徹底的に規制していたのも事実。鎖国にせよ非鎖国にせよ、一面的理解は完全ではないにしても
日本の対外交流が鎖国前とは異なる状態にあったことは捉えるべきだ。
それを「鎖国はなかった」とは、ほとんど歴史修正主義だ。
どうも新奇な解釈を流布して功績としたいや明治維新を過小評価したいなどの研究者の動機が
あるのではないかと邪推してしまう。
江戸時代に「鎖国」はないよ
あったのは海禁つまり貿易および人の出入りの規制
江戸幕府は一貫して信牌を与えた国とは通信通商を認めている
だからイギリスも1660年代に通商を求めて再参入しようとしているし
オランダは18世紀初頭までフランスに信牌が与えられる可能性を警戒していた
現に新興国ロシアは18世紀末に新しい信牌授与国となった
>>472
鎖国というのは、江戸幕府が嘉永安政期の朝廷への上申の際に
「~という祖法があったというのは誤解である」と否定する文脈で生まれた言葉
現在の政策を肯定するために捏造した概念と言ってもいい
それが独り歩きして「過去には鎖国がなされていたがこれからは開国」みたいな形で
誤って対置されたというそれだけのこと
引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1395131896/
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