オススメ記事(外部)

日本の武士団のボスって強いだけじゃダメだよね?求められる人格的条件はどんなの?

おすすめサイト

スポンサーリンク

1: 2020/05/30(土) 08:42:42.37

源満仲から西郷隆盛まで

武士団のボスに求められる資質は
時代によって変遷するとは思うが
ここではざっくばらんに語っていこうよ

3: 2020/05/30(土) 16:08:32.35

君子
8: 2020/06/02(火) 15:57:57.54

さすが実戦経験者の元将校・新野先生!

・防人
防人を廃止しようという問題が起こった時に、大宰府の方では、防人が廃止されちゃうと守備力が
弱まるということを非常に強くいっておりますから、簡単にいえば非常に坂東武者が強かったという
ことしかその文章表記の上からはとれないですね。
・蝦夷
エミシの問題といえば、坂東武者はいわゆるエゾ征伐という言葉でいつも動員されているわけです。
ですから日本中でこれだけ熟練された戦闘人はこの段階では現実の問題としていなかったのです。
西日本の方では外国との戦争でもあったら別ですけど、そうでなかったら畿内やその辺では
戦争などないのですから、実戦の形態などもわからなかった。
しかし坂東の住民はしょっちゅう鎮兵として動員されまして、東北の山野を駆け巡って戦闘していた。
ですからそういう経験というものがやっぱり防人を徴集する場合に相当評価されたんじゃないか。
大体鎮兵として動員されるのは東北の人間じゃないんですね。
東北地方にだけ鎮兵という鎮守府将軍の掌握する独立兵団があります。
その鎮兵には誰をするかというと、中部地方まで行く場合もありますけれども、坂東から徴集された
兵隊なんですね。ですから平安時代の中頃になって元慶の乱という反乱が起こりますけれども、
その時でも、東北の兵隊は陸奥からも動員しますが一夜で逃げ帰っちゃいます。
どうにもならなくなって、やはり特別に動員されたのは関東、中部地方の精兵です。
(新野直吉、秋田大学名誉教授、日本古代史、東北地方史)

9: 2020/06/02(火) 15:59:40.74
九州出身の防人たちはどうも役に立たなかったらしく、早くも七五九年に大宰府の官僚が
「東国の防人を罷めしより、辺戍日に荒散せり」と、防備体制がなっていないことを政府に訴えている。
七年後の七六六年にも大宰府は「筑前等六国」で徴兵された防人たちの不適さを指摘し
「人勇健に非ずは、防守済まし難し」という理由で、「東国の防人旧に依りて戍に配せむ」ことを願っている。
このとき朝廷は妥協策を講じ、任期を終えた防人にはそのまま筑紫に残っている人が多いはずなので、
かれらを使って地元の防人の補強となすことを大宰府に命じている(『続日本紀』)。
(ブルースバートン『国境の誕生』大宰府から見た日本の原型、NHKブックス)
10: 2020/06/02(火) 17:06:42.58
コロナだよ全員集合
17: 2020/06/13(土) 12:34:19.63
平貞盛が中風(脳卒中)になった際、胎児を食うと良いと聞き、息子の嫁が妊娠中だったので、息子に食わせろと言ったってどっかで読んだ
21: 2020/07/21(火) 20:27:25.89
新皇を名乗る

引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1590795762/

この記事に興味ある方はコチラもおすすめ

管理人おすすめサイト

スポンサードリンク

注目サイト

スポンサードリンク