【歴史】奈良大学の小林教授が講演「邪馬台国の畿内説を前提に、女王卑弥呼の誕生地は唐古・鍵遺跡」と主張
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「第13回おもしろ歴史フェスティバル~歴史を愉しむ~」初日には、「唐古・鍵遺跡と邪馬台国・卑弥呼」をテーマに、奈良大学文学部文化財学科の小林青樹教授が講演した。
小林教授は資料を提示しながら、「邪馬台国の畿内説を前提に、女王卑弥呼の誕生地は唐古・鍵遺跡」と主張。同遺跡で数多く出土した土器の絵から「西日本一帯の神話祭祀(さいし)の中心地が唐古・鍵遺跡と読み解ける」とし、糸を作る紡錘車(ぼうすいしゃ)の出土件数が日本一であることにも注目した。
当時の中国は秦から漢の時代になり、中国と交易したい倭国(日本)は貨幣がなく、貨幣と同価値の布生産を発展させたと推測。弥生時代終わりの庄内期には紡錘車が出土しないことから、奈良時代ではなく弥生時代には「地方から大和に貢納する仕組みがあった可能性がある」と強調。「宗教と経済の中心地であった唐古・鍵遺跡は、卑弥呼の誕生地としてふさわしい」と締めくくった。(以下ソース)
2024.09.30
https://www.nara-np.co.jp/news/20240930210829.html
だから中国から海を渡ってくる連中が九州に上陸して歩いて近畿まで行く合理的理由を説明しろ!
大小のクニがあり敵対国もあったんだろ
そんな中を宝物を持って歩くなんて馬鹿げている
邪馬台国が近畿にあったら、誰が考えても九州には寄って、そのまま船で近畿地方まで行く
奈良大学ってなんだよ
卑弥呼と唐古・鍵遺跡は関係ないんじゃないか?
唐古・鍵遺跡のある田原本町の伝承ではこの地には元々赤い花を咲かす木が生えていたが、地面から黒い蛇が現れ木に絡みついたとある
唐古・鍵遺跡は弥生時代後期、くっ付くように清水風遺跡が作られている
十市御縣坐神社が大目の神社で唐古鍵にほど近い
日本書紀が史実をそのまま書いてるとは当然思えないけど、記載に注目すべき点があるのは確かだね
弥生時代の後期後半までは日本有数の骨占の中心地でもあったからね
呪術のカリスマの出身地として整合性がある
ただ肝心の卑弥呼の時代に骨占が衰退してるからその辺は辻褄が合わない
日本史板の邪馬台国畿内説スレでは滋賀県の伊勢遺跡を主張する人がいたが
自己レス
1をよく読めば、纏向の源流が唐古鍵にあったと言いたいのかな
10年か20年か前までは吉野ケ里に対抗して邪馬台国の有力候補だったので
この先生は唐古鍵を専門に研究していたんだろうね
あくまで
>女王卑弥呼の誕生地は唐古・鍵遺跡
のようだからね。唐古に祭祀遺跡があることから「鬼道」に
優れた卑弥呼の出生地と仮定して、その後卑弥呼は邪馬台国の
女王になった、という論旨なんだろう。
卑弥呼や邪馬台国が実在した可能性って
今現在の検証ではどれくらいなの?
85%くらい?
判断できないくらい史料が少ない。
結局、魏志倭人伝を信じるか信じないかの話だから
中国の物語か何かを真実だと思い込んでしまったとか
立花の菊永
定説とか通説とか関係なく
文献に書かれている事柄を極力解釈を交えずに
リストやグラフや図表として整理するような
それやっても何もわからないと思いますよ。
例えば魏志倭人伝から行程部分をリスト化したとして
◯又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國
を作ったとして、そもそもこの「一大國」が壱岐であることは
定説にすぎませんし、「千餘里」にしてもいろいろな解釈が
あるわけですしね。
文献を整理しても、正解にはたどり着かない
その文献が正しいかどうかは、整理してもわからない
例えば文献の文字文体が、上代語とあってるかなど
洪水で一度集落全体が水没した後も再建されてる
他の地域はそこで途絶してるのに珍しい
それだけ重要な集落だった事が分かるね
卑弥呼の出身地かどうかは分からないけど大和で選ぶなら最有力な場所だと言えるかも知れない
畿内だと丘陵や高台移転ってしたって感じの遺跡が多いが
もしかしたら戦に備えてというより災害対策で移転したって理由の方が大きいのかもな
河川の氾濫が多いからだよ
なんか詳しくは知らんが弥生時代後期の気象変動で大規模な水害が
発生したって説があるらしいな
不屬女王 自郡至女王國 萬二千餘里 「郡より女王国に至る一万二千余里」
郡とは現在の韓国ソウル付近
ソウルから約1万2000里のところにあったと記録
一里は4km 4800km
ソウルから約4800kmのところに邪馬台国はあったと記載
ソウルから南に4800kmの場所はパプアニューギニアです
日本ではありません
から大宰府を抜けて邪馬台国を目指しているが投馬国が途中にあったかどうかは倭人伝の
記述では不明、ひょっとしたら筑豊にあったかも知れん
そこが最大勢力だったかと言う話
記紀見ればこの辺で争ってるのも分かるが東征国譲りがあって出雲大和の勢力も大きそうだからな
連続性を考えると唐古鍵よりも備前の方が流れに沿う
ただ骨占だけが呪術じゃないからね
鳥の姿をしたシャーマンの姿の土器とか祭祀スタイルの方がメインかも知れない
纏向とはちょっと違うからその辺も卑弥呼と繋がりにくい
魏ってのは三国志のあの魏なんだよな
で呉ってのもあっただろ?
実はこの当時の呉は日本国に対して『朝貢外交』をしていた。
教科書のイメージでは古代や中世も日本が下で中国が上でずっと朝貢外交のイメージで教わってきただろ?
実は全く出鱈目でちげーんだ。要は捏造に日本史やね🤗
その点では魏なんかが適当に書いた魏志倭人伝なんかを錦の御旗みたいに完璧な史実として語られても困るわな。
いいですか?この認識からがスタートですよ?🤤
残念だが魏の曹氏は170-184年の時点で、
倭国大乱の情報を共有していた事が分かっている。
魏志倭人伝だからこそ、
確度の高い話が書いてあるんだよ。
あとは金印発掘を待つだけ
引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1728139529/
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