【満州事変】石原莞爾が唱えた世界最終戦論
石原 莞爾(いしわら かんじ[1]、明治22年(1889年)1月18日 (戸籍の上では17日)- 昭和24年(1949年)8月15日)は、
昭和の陸軍軍人、最終階級は陸軍中将。
「世界最終戦論」など軍事思想家としても知られる。
勲一等・功三級。
「帝国陸軍の異端児」の渾名が付くほど組織内では変わり者だった。
関東軍作戦参謀として、板垣征四郎らとともに柳条湖事件を起し満州事変を成功させた首謀者であるが、
のちに東條英機との対立から予備役に追いやられ、病気のため戦犯指定を免れた。
Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E8%8E%9E%E7%BE
2: 2011/06/21(火) 23:54:19.51 ID:XGsnZ2og
『世界最終戦論』(1940年(昭和15年))
本書の構成は以下のようになっている。
第一章 戦争史の大観
欧米戦史の変遷と戦争の性質(持久戦争、決戦戦争)について書かれている。
第二章 最終戦争
最終戦争での戦闘の様子について書かれている。
第三章 世界の統一
最終戦争に臨む可能性の高い勢力4つと、その後どこが残るかについて書かれている。
第四章 昭和維新
最終戦争で東亜が勝つための条件が書かれている。
第五章 仏教の予言
最終戦争が起こるという理屈が日蓮の予言を下に書かれている。
石原莞爾って爆笑問題のラジオで太田が言ってたのを聞いて知った
良く調べていくと原爆の可能性も予言してたんだね
石原のいうとおりアメリカと開戦せず40年間武力を強化して国力を上げることに邁進していたら
40年後にアメリカと戦争したらどうなっていただろうね
1982年かぁ冷戦だなぁ日本は核兵器もってただろうか。
むしろ道を誤らなければペリー以降のずっと友好国で行けたろう。妙な陰謀論に乗っかったから、、、
満州に夢と希望を持って渡った日本人は政府による棄民されたのだ
広く捨てられた日本国民はソ連の侵略により悲惨な目にあった
新京からの列車は満鉄職員や高級軍人の家族だけ乗せていち早く朝鮮へ逃げ出した
欺瞞の理想国家満州国を信じた人々こそ哀れなり。
国民を守ることこそ政府や軍の仕事だ!
酒田出張法廷での大言壮語で「堂々と米軍に反抗した英雄」とか思われてるけど
あれ、身の安全が確保された後でのただの
自分を大物に見せるためのはったりだから。
公開された米軍尋問調書ではしっかり自分の謀略関与を否定してる。
責任感のある人間なら、あれだけの災厄を招いた責任とって自決するか
ぜんぶを白状して国民に謝罪しているよ。
ましてや戦後即刻「完全非武装主義」に転向なんかしないから。
このスレまたは、それらに詳しい方にお聞きしますが。
石原莞爾が支那事変の時に、武藤章に言われて反論できなかった言葉とは、正確にはどういう時やどう言われたのですか?
詳しい方がいましたら、教えてもらえますでしょうか。宜しくお願い致します。
満州事変をやったあなたはおれたちを止められるのか? おれたちはあんたがやったことと同じことをやろうとしてるんだよ
詳しい言葉はわからないですが、こんなこと武藤は言ったらしいですよ。
当時 石原は作戦部長です。日中戦争をなんとか非拡大で奔走してたのですが、あなたのおっしゃるとおりこの事で、辞職してしまいます。
武藤は ゾルゲ一派(尾崎など)と交流があったと聞いてます。
日中戦争の拡大はコミンテルンの謀略の匂いがしますね
オレだからできたんだ、お前なんかにはできねーよ、くらい言えなかったのかね?
当意即妙のあの石原がさ。
今村といい石原といい、中央の「役所」に入ると、途端に無能の人になっちゃうんだよな。
げに恐ろしきヤクニンの世界。
まあ 官僚そのものかもなあ
石原以外に反対してた人はいるのかな?
ほとんどが戦線拡大に回ってたと思うのだけど
あの石原莞爾を言い負かした?んだから。
でも後に武藤が軍務局長になった時、あれは
石原さんが正しかったと認めている。
>>31
今まで、地方の参謀しかやったことなかった人が、組織の管理職についてみて、わかっていなかった部分がわかったから、言えなくなったのではないですかね。
(自由気ままなバイト経験が長い人が、管理職についたら、急に組織のルールを順守するじゃないが)
>>45
武藤はいったい、日中戦争が起きてから、泥沼化したと気がついたのですか?(永田が存命の時に、対中政策で色々と調査していけると踏んだようだが)
日中戦争は日本陸軍の和平工作でドイツを仲介して
中国が降伏を受諾し勝っていたが近衛内閣が中国の敗戦を認めないで戦争を継続してグダグダになった
だから戦線拡大は問題では無くて中国が降伏を受諾し陸軍がそれを認めたのに近衛内閣と海軍省が反対し日中戦争を継続したのが敗因
あとドイツ人だよ 国境がわかんねぇーのが
チョン使うなよ ドイツ人は むなくそわりーなー
皮肉屋で粗野に見えて神経細やかだし、頭は良いし、まわりにけっこう気を使うし。
仙台陸幼・陸士・会津若松連隊・陸大・ドイツ駐在武官・関東軍参謀
仙台連隊長・参謀本部・舞鶴要塞司令官・京都師団長・立命館大学講師
仙台陸幼・陸士・会津若松連隊(少尉)(中尉)・陸大(大尉)
ドイツ駐在武官(少佐)関東軍参謀(中佐) 仙台連隊長(大佐)
参謀本部・舞鶴要塞司令官(少将)・京都師団長(中将)
予備役
立命館大学講師
司令官・大将 副官・大佐
総参謀長・中将 総参謀副長・少将
第一課長(総務、作戦)中佐 第二課長(情報)中佐
第三課長(後方)中佐 第四課長(政策)中佐
報道部長・少将 経理部長・少将 軍医部長・少将 法務部長・少将
関東憲兵司令官・少将
満州国内に保護しユダヤ人による自治区をつくろうとした
これがフグ計画という極秘計画
ところが陸軍部内のドイツ一辺倒の幹部連からの反対から頓挫した
日本の運命決めたよなぁ
南雲は虎の子の空母4隻を!
石原は独断で戦線拡大→後輩が日中戦争でも同じ手法を多用。悪しき前例の見本
南雲は米沢 石原莞爾は鶴岡で全然違う。鶴岡は海軍の名参謀 佐藤鉄太郎と陸軍の天才石原莞爾 庄内藩で見れば 維新を始めた清河八郎 戊辰戦争で全勝のまま降伏した名将酒井玄蕃 酒田の思想家大川周明が居る。
東条英機とその派閥の人達は全員ソ連に内通している共産主義者やった。
彼らがなぜ不必要に戦線を拡大したかというと満州等に固めてあった精鋭部隊や日本の武器や
兵力をあっちこっちに分散化させて、北からソ連が攻め込んで来やすくするため。
昭和天皇は命懸けでアメリカや蒋介石と戦争するのに反対やったみたいや。
つまり東条英機らと中国共産党やソ連は裏でつながってたんや。
まーナチスも他の共産国と一緒でろくでもないがな。
石原莞爾自体は統制経済は問題があるとして、ナチスにもソ連にも批判的やったみたい。
資本主義と社会主義の中間ぐらいが理想みたいやったみたい。
これも今の市場経済重視の考えからすれば時代遅れかもしれんが
少なくとも満州の国力が充実するまで不拡大方針だった石原莞爾のほうがソ連に内通していて共産主義者やった東条英機よりはまとも
石原莞爾を次の5千札の肖像画にしよう。
1万円札は、豊臣秀吉
1千円札は、東条英機
2千円札は、北条時宗
強い紙幣で強い日本国を。
真剣な話し、東条英機はソ連に内通してた共産主義やから駄目
って、言ってるけど日本から内戦がなくなったのは外に敵が出来たからだろ
世界から戦争をなくすには宇宙から宇宙人が黒船に乗ってやってでも来ない限り無理なんじゃないのかw
石油が欲しいからといって
戦争する馬○があるか
この言葉好き (≧∇≦)
https://youtu.be/Hx-WvcaAMw0
普通に満州事変当時の若槻内閣の国際協調派路線の方がはるかに現実的で、所詮妄想癖のある過激派の佐官といった感じの石原莞爾がここまで持ち上げられているのが理解できない。
戦前の過剰評価が今に至るまで続いている人という気がする。
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