【悲報】千利休さん、こじんまりした茶坊主かと思いきや、バカでかかった模様
伊集院光:朝の番組で、日本香堂さんが雑学を一つ、毎日一つ教えてくれるっていうコーナーがあって。そこで今日さ、千利休が身長ね、当時の日本人だから平均身長160とかそういう時代ですよ。
千利休が、身長180あったっていう雑学がきて(笑)なんだろうねぇ、「違くない?」っていうか(笑)
俺のイメージは、もっとしょぼくれた小さなジジイが、戦国武将みたいな人に知恵でアドバイスを授ける、みたいな。そういう人、戦国自体を力では絶対渡っていけないけれども、知恵とかその人の持ってるセンスとか人間性で、何とかする人のイメージだからさ。
「180…違くない?」っていう(笑)だってさ、みんな160の時に、あんなアイツのホームに閉じ込められて、お茶出されちゃったら、もう「美味い」って言うよね(笑)
180のジジイに、「どうぞ」って言われたら、「美味しいっすね」って言う他はない(笑)
日本人の平均身長が低くなったのは幕末
孔子のことを俺が調べたのは、自分がやろうとしている古典落語の中に、兄貴分が出てきて、「唐土の国に、孔子って偉い人がいるんだよ」って、伝聞として教えてくれる。
で、「唐土に孔子っていう凄い学者さんがいて、お弟子さんもいっぱいいるんだけど、この孔子っていう人は、弟子に凄い厳しい」と。「弟子にやたら厳しい」と。
その逆にっちゃなんだけど、愛馬、馬をめちゃくちゃ可愛がってて。中でも一番大事にしている白馬がいて、これに関してはもういつもこの馬が大事、大事、大事って弟子にめちゃめちゃ言ってます、と。
で、ある時に仕事で、孔子が遠方に出かけてるすきに、ぼや騒ぎでお屋敷が家事になっちゃって。で、その白馬が焼けタヒんじゃったよって。
で、孔子帰ってきた時に、もう弟子からしてみたら、「やっべぇ、ぶち○されるかも」って思うわけじゃん。白馬タヒなせちゃってるしっていう。で、帰ってくるなり、孔子が「私の留守に、火事があったそうだな」っつって。
「大丈夫だった?」っていう話をしたら、もうヤバイと思って、「すみません、実は大事にしている白馬をタヒなせちゃいました」って言うわけ、決タヒの覚悟で。
「あ、そう。お前らは大丈夫なの?」って言ったら、「弟子に怪我人はいません」って言うわけ。「じゃあ、よかったじゃん」って言ったとさっていう。
だから、日頃は弟子に凄い厳しい人だけど、そういう時に本当に心配しているのは、弟子のことで、白馬は可哀想なことをしたけれども、買うこともできるしっていう感じで許してくれたよっていう感じで許してくれたよっていう話をするんだけど。
その時に孔子のことを調べたら、孔子の身長、2m16cmあんのね(笑)話、変わってきちゃううじゃん(笑)今のパターンで、弟子に厳しいっていう、おじいちゃんでヨボヨボなんだけど、弟子に厳しい人のイメージじゃん。「コラ!」ってイメージじゃん。
じゃないんだって。2m16cmで弟子に厳しい人で(笑)あと、白馬大事にしてる感じも、ちょっとラオウっぽくなっちゃうじゃん(笑)
確かに
デブタレでも、背が高くてデブいやつと、背が低くてデブいやつがいるからな
なんでこんなの文字起こししてんの
この後に、孔子216センチの話になり
それじゃ配役はNBAしかないなと言うことになり
どんな世界なんだろう、となった
信長のシェフでもデカかったな
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1591785474/1
1 名前: 【中国電 – %】 ◆fveg1grntk [] 投稿日:2020/06/10(水) 19:37:54.35 0
明石志賀之助
出身 下野国宇都宮(現:栃木県宇都宮市
身長 約251.5cm
体重 185kg
https://livedoor.blogimg.jp/hawksmatome/imgs/6/1/619a05c4.jpg
手形
https://livedoor.blogimg.jp/hawksmatome/imgs/5/3/5357878b.jpg
現存している利休の甲冑(不審菴蔵「伝千利休所用 紺糸威縫延二枚胴具足」)から推定
→持ってたと伝わるというレベルがソース
利休没後100年頃に成立したと推定される『南方録』滅後にも利休が大男であったという記述がある
→100年後に書かれた偽書とされているものがソース
身長6尺5寸(約197cm)
体重43貫(約161kg)の巨漢だった
あとやたら長寿だったり
パチ○コの影響大きすぎる
後ジャンプの漫画の影響が大きいと思う
へうげものとセンゴクだったけどこれで両方終了になったまあ
米軍でもそんなもんか
ベーブルースは異常にデカかったんだな
勝手なイメージで小さいやつが多いって思いすぎなんだよ
平均身長が小さいんだから小さいやつが多くて当たり前だと思うが
カン高い声だったからあまり威厳が無かったらしい
岡田斗司夫が言ってたけどちゃんと文献で残ってるそうな
だから口数が少なかったって司馬遼太郎が言ってた
信長は立ち話が好きで廊下で家臣を引き留めて激論を交わしていたとか
威厳がなかったみたいな話はなかったと思う
その証拠に信長の一挙手一投足におののく家臣達が頻繁に記述されてる
全盛期のプーチンぐらいには恐れられてたはず
秀頼は進撃の巨人だった
高い声の方が有利だと思うけど
パチ○コだとサラブレッドだけど
戦国時代の軍馬はメインが大陸由来だから基本的にはモンゴルのそれと同じで戦場で切り回すには最適のサイズ
中世まではヨーロッパの馬も160㎝ないぐらいでそれでも大きすぎてアジアの馬に翻弄されっぱなしだった
引用元: ・【悲報】千利休さん、ばかでかかった…
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稲生の戦いでは信長の大音声で敵がビビッて逃げたっていうから
甲高くとも威厳がないということもなさそう。