もし司馬遼太郎が三国志書いてたらさ…
曹操はチビで宦官の息子という劣等感の塊、向上心が物凄い
劉備は司馬劉邦より器が小さい感じの自尊心が高いチンピラ
孫堅は金持ちで都や帝に憧れる田舎右翼
こんな設定じゃね
4: 2006/11/08(水) 03:22:12 ID:Sh3X/Ci00
劉備が何故か若い頃は薬売りと言う設定になり、暇な時は楊枝を削ったり
餅を焼いたりしている
三国誌とは言っても蜀は漢時代の1州程度、呉は2州程度だったとかさ
ワクワクするストーリーを描くよりも、時代背景や思想や宗教を説明したり、人物考察が好きな人だからね。
それはそれで面白いかも知れないけど。
ワクワクするストーリーとかは、吉川英治が担当してくれているので、
それでいい。
晩年だったら、ほとんど『街道をゆく蜀・雲南のみち』とかわらなくなるんじゃないか?
法正のほうが評価高そう
実際、軍事に関して法正のほうが上じゃないか?
>>19
指揮は劉備、法正は作戦立案、修正。
諸葛亮は兵站、徴兵、後方支援。
曹操は作戦立案が法正だと聞いて、劉備にはできない作戦だがやはり他人の策か、といったらしい。
いずれにせよ、漢中争奪戦は役割分担が完璧に行われた蜀最盛期を物語る軍事行動だった。
その直後に関羽もろとも長江流域の領土を失ってジリ貧になっていくんだが。
石橋を叩いて渡るタイプとして書かれそうだよな
諸葛亮て本当は戦争苦手だったんだろうな
>>24
苦手というか正攻法で勝負するタイプだね。
ただ、負けても潰走せず、補給に苦しみながらも大軍の統率をきちんとこなしているので指揮官としては優秀。
布陣なども理に適っていたらしいし軍律もきちんと守られていた。
残念ながら奇策を出して局面を展開するような戦術家ではない。
漢中から長安を攻めるというのがかなり無謀(逆を行った国力に勝る魏も失敗してる)なのと相手が悪かった。
>>25
諸葛亮の統治術は他人が容易に真似できるようなものではなかったらしいので、
軽い刑罰などまで自分で見て判例を作り上げるしかなかったのだろうと推測してる。
ぶっちゃけ蜀漢の人材不足。
そういえば吉川英治も余話で一途な平凡人だと評してたのを思い出した。
吉川三国志は本編よりもあの余話で諸葛亮を語ってたのが一番説得力があって感動した覚えがある。
理論家なので、現場が旨く機能しなかったと思う。
人材不足も否定は出来ないけどね。
外交、統治、行政、軍政に関しては一流の実務者だよ。
つか、民衆に愛されてタヒ後祀られる法家なんて諸葛亮くらいのものだ。
呉とか興味ねとかいってあんま出てきなさそう
>>37
城塞の小幡勘兵衛みたいな語り部役として、活動期間、活動場所がいい感じの荀攸とか。
三国志のキーポイント官渡、赤壁ともに良い見せ場を作れそうだし、文若叔父さんを通して戦略も語れそう。
もしくは脂ぎったやり手親父の賈ク。
長生きなので漢朝の滅亡まで描けて、常に重要な場所に顔を覗かせてるので良さげだ。
何より魅力的に描いてくれそう。
信長みたいに周りを描いて本人はあんまり書かずって感じかもしれない。
司馬遼太郎は三国志はあまりやる気がおきなかったのかもね
司馬さんが三国志書くときは曹操主役にするねと約束していたらしいと
何かで読んだよ
で、書こうとした矢先に亡くなったもんだから、
司馬氏の代わりに陳氏が「曹操」を書いたんだっけ?
俺もこの話を何で読んだか忘れてしまった。
荀彧 荀攸 程昱 陳羣 司馬懿 賈詡 郭嘉 賈逵 劉曄
うわーこいつらどう描くのか読みたかった
この中で司馬遼好みっぽいのは郭嘉かねえ。
遊び人っぽい雰囲気あるし。
賈詡なんかも得意そうだ
>>57
初読の時はあっけない終わり方だと思ったけど、
読み返してみたら、項羽タヒ後の事は作中に散りばめていたから
書く必要はなかったんだなと分かった。
司馬は作中の余談で武将のその後をよく書くから、
三國志を書いたら曹操のタヒで作品を終えそう。
蜀呉滅亡までは絶対書かないと思う。
司馬遼太郎がかく英雄は変なやつだからすきなんだ。
かっこいいんじゃなくて一般人からはずれてるやつ。
第二部司馬懿編
>>72
じゃ、
『青龍刀』という武器をご存知だろうか、、。
この、日本でいう刀の印象からかけ離れた鉄塊、こそが関羽、字は雲長、という中国史上かつて無いほどの民衆の尊敬を集めた人物の武器であった。
と、言いたいところだが実はこの時代にまだ『青龍刀』は中国には無かった。
だから関羽がどんな武器をふるって戦っていたのか、この小説で述べることは不可能、と言ってよい。
こういう感じではじまるはず。
陳舜臣先生が「司馬君の三国志が読みたかった」と残念がっていた
ああ、上のほうに似たようなレスがあった
あと、司馬・陳対談で秘本三国志の話になって
「孫堅は巫女使って軍勢指揮してたんか、面白いなあ」
「いや風姫は僕の創作やから」
「架空の人物か、ひどいなあ(笑)」
みたいなやり取りがあって笑った
亡くなられたの悔やまれる
>>94
「司馬遼太郎」てペンネームはずばりそういう趣旨で付けたらしいね。
(自分は司馬遷にははるかに及ばないが、その真似事をしてみよう)て事らしい。
たしかに司馬氏はあくまで大衆小説家だったけど、だからこそ三国志の執筆には執着
があったと思うな。親友の陳氏の影響もあってシナ人には親近感を持ってたみたいだし。
ただ文革後の中共を司馬氏がどう見てたかは知らないけど。
新中国はあんまり好きじゃなかったっぽい
>>96
確かに、中華思想により蛮族扱いされ、自ら史書を残すことなく消えていった塞外民族達にシンパシーを感じていたからね。
モンゴルに対しては、若い頃日本語のルーツと思ってたみたい(後に違うと気付くが)で、モンゴル語科に入学してるしね。
インド好きの陳舜臣は『諸葛孔明』でも仏教徒に触れてるから(私本三国志は未読)、司馬だったら曹操と匈奴や烏丸との関わりに紙数をさくかもね。
「・・・狡兎タヒシテ走狗烹ラル。」
馬岱によって縛を受けた魏延は、范蠡の警句をふと漏らして嘲笑った。
魏はなお強大であり、おれは走狗ほどの務めも果たしていないではないか。
余談ではあるが、右の警句は漢初の韓信もこれを引用したことがあり、
魏延はみずから韓信の再来をもって任じていた形跡がある。
ついでながら、筆者はかつて韓信という人間のおもしろさについて稿を連ねたことがあった。
(以下略)
あと、むかし文学板にカフカの『変身』をいろんな作家の文体で書き直すスレがあったが
司馬遼太郎ふうの改変で笑わせてもらった
私本じゃなくて、秘本三国志だったですね。
未読とはいえ、タイトルの間違いは恥ずかしかです。
読んどかないかんですなぁ。
陳さんが(多分)はじめて司馬三国志の構想があったことを明かした上で
「この本は司馬くんに捧げたい」と言われてたことからすれば、
『魏の曹一族』に構想が受け継がれてるかも知れない
も重要だと思う・・・
個人的には「夏草の賦」を書いてた頃の、戦国物をやりだした初期の司馬氏にぜひ御願いしたかった。
「夏草の賦」には諸葛孔明への言及もあったっけ。
司馬遼太郎は最後ノモンハン書こうとしてたらしいが
司馬さんて人物としては、「人付き合いが不器用な実務家」が好きだよな
私見だと気性の荒い法正とか好きそう
逆に「社交的な精神論者」が嫌いだから劉備とかは結構酷く書かれそう
あと楚人と騎馬民族の強さをかなり強調しそうな感じ
項梁、范増、章邯、韓信などが好きそうな感じがした
才能はあるが欲がないタイプ
陳舜臣が秘本三国志をかいたあと司馬と対談しているが、司馬が
述べた感想を読むと三国志についてはあまり詳しく無いような感じ
だった。
やっぱ、司馬くらいの世代だと史記とかの方が、三国志より身近
だったのかな。
日本で三国志がここまでメジャーになったのって、ぶっちゃけ吉川三国志以降だからねぇ。
吉川三国志がブレイクするまでは、娯楽としては水滸伝が、教養としては史記や十八史略が、
中国史物ではそれぞれ主流だったし。日本史物の太平記すら三国志に人気を奪われる始末で。
それをバ○が史実だと思う。
小説本編ではなく
「余談だが」から始まる本筋から脱線した文に虚構を書く
司馬に関してはその言い訳は通用しない
引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1162891231/
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