スペイン帝国の『テルシオ(スペイン方陣)』 vs. 戦国時代の武士の軍隊、はたして勝てるか?
千葉県御宿沖に沈むサン・フランシスコ号沈没の謎https://www.nhk.or.jp/shizuoka/lreport/article/002/89/
テルシオ
https://i.imgur.com/7mMlxoj.jpeg
https://i.imgur.com/PNn6dvc.jpeg
テルシオ編成のgif動画
https://i.imgur.com/Mz1wGGq.gif
https://i.imgur.com/9APeOO7.gif
映画『アラトリステ』よりテルシオの戦闘シーン
https://www.youtube.com/watch?v=4y6agtVxWi8
〇スペインのテルシオ
一五三四年、スペイン軍はテルシオを導入し、歩兵軍の大がかりな再編成をおこなった。テルシオは大規模な編成で、理論上、兵力は三〇〇〇名近くにのぼり、
おそらくは三つのコルネラの合同によって組織されていた。<中略>
テルシオは通常、パイク兵十〇個中隊、火縄銃兵二個中隊の計十二個中隊で構成されていた。パイク兵の一個中隊は二一九名、火縄銃兵の一個中隊は二二四名で、
さらに火縄銃兵の中隊には十五名、パイク兵中隊には二〇名のマスケット銃兵が配属されていた。
「戦闘技術の歴史3 近世編 クリステル・ヨルゲンセン (著), マイケル・F・パヴコヴィック (著), & 6 その他」
鉄砲の一斉射撃でスペイン壊滅
決定的な役割に、移行していくのが見られる。ここに、火縄銃(アークエバス)はもはや槍(パイク)方陣の小さな付属物ではなく、
逆に銃手を守ることが槍(パイク)方陣の主な機能となった。スペイン軍が一五三四年に歩兵をそれぞれ三千名から成る部隊(テルシオ)に改編したとき
彼らはこのことを認識していた。イタリアの戦争では従来そうだったように六人の槍(パイク)手に一人のマスケット銃手をもつのに対して、
彼らはそれぞれ同数とした。また、マスケット銃手は特別の俸給を得た。最終的には槍(パイク)は、歩兵のマスケット銃の先端に銃剣として
かろうじて残ることになるが、その過程が始まりつつあった。
「ヨーロッパ史における戦争 (中公文庫) マイケル ハワード (著), Michael Howard (原著), 奥村 房夫 (翻訳)」
一五二一年に導入されたマスケット銃は、より質量のある小火器で、発射される弾丸も火縄銃から発射される弾丸の二倍(火縄銃の弾丸が約二〇発で一ポンド
相当であるのに対して、マスケット銃は一〇発で一ポンド)の重量があった。このためマスケット銃の貫通力は大きかったが、銃自体もほぼ九キログラムと非常に重く、
発砲の際には二叉銃架で支えなければならなかった。マスケット銃を導入したテルシオ編成兵士の内訳によれば、テルシオの兵士比は、小火器武装の兵士一名に
対してパイク兵三・二五名である。ところが兵員名簿によると、テルシオの兵力は通常一五〇〇名程度、小火器兵一名に対するパイク兵の比率は二・二五名となり、
編成表や組織、装備などの資料が示す数字よりもっと規模が小さく、火器への依存度も高い集団であったことがうかがえる。
「戦闘技術の歴史3 近世編 クリステル・ヨルゲンセン (著), マイケル・F・パヴコヴィック (著), & 6 その他」
イスパニア軍なんざ全員射○だよ
それはスイス風密集方陣を数倍、分厚いものにしたもので、火縄銃兵と槍兵からなる一中隊二百五十、十二中隊計三千からなる部隊である。
要するに横に百列、縦に十五列程度の槍兵がびっしりと並び、その四方を火縄銃兵が囲んで、さらに四隅に火縄銃兵密集部隊を配置するという、
敵の度肝を抜く、見るからに壮観なまさに「動く要塞」であった。槍兵は前方に槍を構えるだけっでよかった。とはすなわち防御は鉄壁であった
ということである。しかそれは逆に攻撃の機動性に欠けるという致命的欠陥を持っていたことになる。例えば、部隊の方向転換は至難の業であった。
そしてテルシオ後列の兵はどうしても遊兵となりがちであった。つまりこの「動く要塞」は見た目にはいかにも難航不落であったが、
実際には所々に弛緩がみえたのである。
「傭兵の二千年史 (講談社現代新書) 菊池良生 (著)」
我らの全部の鉄砲集めたのより多い鉄砲で
コイツら方々で撃ち合ってます!
30年戦争の時代は日本も他のアジア諸国も鉄砲とそれに大砲も保有してるだろ
この数の比率なら竹束で銃怖くなさそう
槍が何m使ってるかの戦いになりそうなんだが
忍者で撹乱すりゃ一発よ
追撃されてる~、ものどもにげろー」
釣野伏クル~
戦国時代の侍軍団に勝てる訳ないやろ
テルシオは鈍いんだよね
騎兵を待ち構えるための壁を槍でやるための受け身の陣形だからそれでもよかったで、17世紀に騎兵や砲兵と連動した歩兵の運動戦が発達すると不利になっていく
そもそも陣形なんて現実にば横陣縦陣と密集ぐらいしか行えないな
お互い火縄銃を撃ち合う戦いになっていたというね行軍とか見ても秀吉公も家康公も見事なもんだしな
明軍にも快勝しているので国際試合の実力も十分だ
日本の浮き世だけ江戸も京都も雪景色の国だからな。
庶民が暖房を色々考慮してるの読み取れるし。
スレタイの結論も見え透いてるな。
スペイン植民地軍とか瞬○だろ
初手太平洋は流石に無いだろw
現実的にはルソンかマカオかな
そっからマラッカゴアソファラと行ければ良いんだけど海軍力が足りなさすぎるね
現実的には朝鮮の釜山、つまり100kmくらいが当時の日本の軍隊の安全航行距離だろうね
マカオや台湾は現実的には無理だろうな。船も航海技術もないから
商船がルソンまで行ってますが
「軍隊」の航行ね
陸路でも釜山から100km離れると兵站を維持できなくなる
慶長の役の釜山周辺の倭城が日本が可能な恒久的な戦線維持ラインだろうな。
一時的に平壌まで突破できても、それを領土にして維持し続けるのは不可能
島津は600㌔離れた琉球を征服してるよ陸路は海路よりはるかに輸送コストが高いんだよ
加えて十分な海上優勢が確保出来ず安定した輸送が確保出来なかった
だから海岸に近い倭城だけが維持できた
海運は輸送力高いけど
当時の日本の航海技術だと拓かれた沿岸海路でないと無理
渡洋だと少し荒れたら詰む
スペイン、フランス、イギリスが
領土にしたり放棄したりの繰り返しだから
紛争に発展するのもやむ無し。西サハラ問題やパレスチナ問題は
大義名分を作文したりマスコミの印象操作で誤魔化したりで
フォークランド紛争に比べると悪質。
んで更に悪質なのが、国民にホラ吹いてるのに
敵対側に銃突き付けて口塞ぎ、自分たちの領土と陰でコソコソ主張するやり方な
こいつらそっちこっちで大量絶滅起こさせやがって
単純な戦闘だけなら日の本軍の圧勝になるよ
伝染病
最前列は100%タヒぬ陣形だからw
https://i.imgur.com/dnW6GMp.jpg
戦列歩兵の先頭は嫌だなぁ
>>43
ググったら怖かったw
50mってすげー近いよな。
↓
1.兵士達は号令に従ってマスケット銃に装填する
2.陣形を維持したまま行進して敵陣へ接近する
3.敵陣との距離が100mほどになった時点で、行進の速度を緩める
4.敵陣から50mほどになった地点で停止する
5.号令に従ってマスケット銃を敵陣に向ける
6.列ごとに敵陣に向けて一斉射撃、再装填、再び一斉射撃 (繰り返し)
7.敵陣が充分に混乱して陣形が乱れ始めたら、号令に従って銃剣を装着する
8.号令に従って敵陣に突撃する
9.敵兵に接触したら首尾よく突き○す
当時のマスケット銃は射程が短いし装填に時間がかかるし、兵隊は徴集兵で練度も士気も低いからこんな戦法しかなかったんだよな
そんでも大軍は無理だろな。維持できない
各地の日本村を活用しつつじわじわやってくしかないか
まあスペインもそこまで大軍遠征できないからなんとかなるかな?
海戦したら負けるから倭寇でゲリラ襲撃か
西洋と海戦になったら勝てるわけがないわな
必要になれば技師を招いて洋船を造るだけの話だろう
当時の貿易取引書からの推計で戦国時代末期には日本は50万丁以上を所持していたともいわれ、当時世界最大の銃保有国となっていた。
なお、当時の日本の武士人口は200万人であるのに対して、イギリスの騎士人口は3万人であった。
>当時の貿易取引書からの推計で戦国時代末期には日本は50万丁以上を所持していたともいわれ、当時世界最大の銃保有国となっていた。
これは有名なデマでそんな貿易取引書なんて存在しないし
日本が世界最大の銃保有国というデマがまずあり、それに箔をつけるために架空の貿易取引書などとデマを付け足した日本の動員兵力が世界有数の一つだったのは事実
ただ技術も兵站も未発達のためにそれを海外に動員するのは不可能
兵站は駄目だろうな日本の宿痾だし
電撃戦で連勝した日清戦争
もし北京放棄して消耗戦仕掛けられたら
負けの公算が高かったみたいだしまあその反省を徹底的に追求して
日露の勝利に繋がるんだけど
そして第二次世界大戦で見事に忘れた
牟田口は公開処刑ものだと思う
いかに戦力を集中させ効率化できるかはその時の運もあるやろ
引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1704173810/
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません