謀略で有名になった戦国大名、宇喜多直家を語る
キングオブ悪党だからなぁ
宇喜多直家の暗○歴
島村盛実…直家の祖父能家の仇、復讐として○害
中山信正…直家の舅、酒席にかこつけて暗○
税所元常…男色家であり、美少年のハニトラで暗○
三村家親…狙撃して暗○
松田元賢…直家の娘婿、攻め滅ぼした後に娘が自害
後藤勝基…直家の娘婿、攻め滅ぼした後に娘が自害
浦上宗辰…直家の娘婿、元主君の浦上宗景の子。毒○後に娘が自害
浦上久松丸…浦上宗景追放後に傀儡として擁立するも、用済みになったので毒○
宇垣与右衛門…鹿狩りの際に誤射と称して暗○
伊賀久隆…直家の謀略に加担していたが、用済みになったので毒○
身内もタヒんでるんだなw
晩年の秀吉は直家とは別のベクトルでやばいよな
>>13
基本片っ端から女に手をつけてるじゃん
細川氏のガラシャ夫人も目をつけられて
隠されてたし。
直家が目をつけた時点でお福自体がすでに未亡人だから(震え声)
どっちの方がお福にとってもましか正直微妙な2択っていう
秀家がなついてるんだからそんなにお福にとっても
秀吉は悪いやつじゃなかったんでは
腹を痛めた娘たちが世をはかなんで自害してしまうまで追い詰めるようなことは
>>20
長生きだった息子・・・
八丈島はあったかそうで流刑地とはおもえん。
>>23
八丈島住人の先祖は秀家が多いぞ
何人流刑地で子供作ってるねんw
豪姫のほうが速くタヒんでなかったか?
息子の代のお家騒動であっさり瓦解してしまうのが悲しい
重臣に多くの知行あたえすぎた直家のツケを秀家が払った感じ
でも御家騒動~関ヶ原のときは弟の忠家さんも生きてたけど秀家見捨ててるし
詮家さんはむしろ反秀家派の渦中のひとだし
重臣だけじゃなく一門が離反するようじゃどうしようもないね
地元の家臣団はキレるわ
上方に常駐する以上浪費つってもある意味必要なコストではあるけどな
もともと秀家の統制力が弱くて豊臣家の権威で
何とか家中をまとめてたようなもんだから
秀吉タヒんだらそら重しがとれて崩壊する
姻戚複数騙し討ちでもうお腹いっぱいだから
血筋が残ってるだけでもいいじゃない
断絶した戦国大名なんて山ほどいる
戸川と詮家も関ヶ原で東軍につくように言ってる
宇喜多家から出て行っても旧主への義理は果たしてるな
って明石全登を調略しようとした手紙が残ってる戸川が
旧主にどんな義理を果たしたのかと
当時はまだ戦国と言っていい時代だろ。
ア○当主におつき合いして滅びるという観念はなかった時代だよ。
当主個人や主家に対する好き嫌いの話ではない。
でなきゃ何故あんなに我が妻や娘達がタヒを選ぶほど冷淡で苛酷なことが重ねて出来るのか理解不能
晩年『尻はす』で苦しみぬいてタヒんだのは女達の呪いだったんじゃないかという気がする
どっちにしても異常人格だったんだろうな
>>48
自害したのがおそらく確実なのは先妻と美作の後藤家に嫁いだ娘くらいで
あとの娘や妹はそもそも自害したっていう史料的根拠が軍記物にすらない
直家のせいでタヒんだとされてる娘以外にも、直家には娘がいっぱいいて
その子らはふつうに結婚して別に自害とかしてないし
どう考えても正室・継室以外に側室が複数いないとこんなにこども生まれないし
美女と誉れの高かったお福を継室に迎えてることを考えても
ふつうに直家は父ちゃんや息子と同じレベルでかなりの女好きだと思うけどなー
>>49
大腸がんで下血じゃね?
毒○しまくってた割には脇が甘くて
なんか発がん性のある有害なもん盛られたんだと思う。
徳川方にせっつかれたか、功を上げようと必タヒだったかだろ
それが悪いとも思わん
顔見知りの宇喜多旧臣に寝返りを進めるのは合理的な振る舞いで
まぁドライだけどそんなもんだろとは思うけど
そこに旧主の秀家のためにいいようとかいう義理だてや感傷なんか全然ないっしょ
東軍も西軍も疑心暗鬼で混乱しそうだなw
関ヶ原の頃は武将の質も戦国の全盛期に比べたらかなり劣化してたからな。
大勢力になった後の織田豊臣系の武将が中心だから、どこかリーマンっぽさがある。
直家の策謀に勝てそうなのが存在せんわ。
布陣が小早川が居た松尾城だと尚更面白そう
って直家の為に徳川が後詰めに来無いか
前田利家や小早川隆景は関ヶ原前にタヒんでるし。
五大老とはいえまだ20代でお家騒動を纏められなかった
秀家では家康に到底 抵抗できないだろう。
その己の姿、見失っていたのであろう。
>>59
宇喜多は岡山だけじゃなくて播磨の一部も領土にしてたから
デカくてまとめるの難しいだろ
毛利ほど大きくなくても大国だよ
そらどうにもならん
秀家のことは舐めてかかってたわけだ。
譜代の家臣は宇喜多騒動で皆出て行ってしまい秀家や宇喜多家を守ろうとした者はいなかった。
明石全登は元は客分だし。
譜代の家臣っていってもほとんど直家の代からだし
もともと宇喜多も家臣も備作の土豪で出自はかわらないわけですし
三河武士のような代々の忠誠心を期待されてもさぁ
延原や明石は浦上家の家臣としては宇喜多と同格だったし
直家の代で出自に大差ない国人を短期間で吸収して家臣化したから
知行面でも宇喜多は大身の家臣が多く大名直轄領少ないわけだし
家臣の意識の面でも結果的に秀家による家臣統制が弱くならざるをえなかったわけで
別段他家と違いなんてないしな。
謀反もあるし一族間争いもあるし普通の戦国の家。
関東移封で急激に領地拡大する前の徳川家の直轄領と家臣の知行の割合どのくらいよ?
宇喜多はのちに備中半国くわえたあと太閤検地で最大限見積もってもMax57万石
しかないのに2・3万石越えの家臣がごろごろいて大名直轄が石高のわりに明らかに少ないのよ
そりゃ宇喜多のような一代大名と曲がりなりにも何代か経た大名との違いでしょ。
徳川並みに代数数えた大名と比較したら格別に家臣に絶対的優位に立つ家じゃないよ。
三河武士の代々の忠義なんてもんは天下とったあとで好き勝手に作ったお話だよ。
だいたい親父と祖父を家臣に○されるわ、親父は桜井松平に圧迫されるわ、
家康もしょっちゅう家臣に背かれるわで、どの辺に三河武士の忠義なんてあるかさっぱりわからん。
>>76
忠義とか忠誠心メンタルうんぬんより宇喜多と徳川には家中の構成・統制に
構造的な違いがあったってことだろ
>>78の言うとおり豊臣政権下での移封の有無は大きいと思う
宇喜多は移封がなかったので家臣の国人領主の既得の権限が強固に残った
>>81
直家が暗○してるのは家臣というより金川も松田、後藤や伊賀も
姻戚関係にあるほぼ対等な国人の同盟者だから一門になるべき候補を
○してしまった面もある
宇喜多の場合、上に守護代(浦上)も守護(赤松)も残ってるなかでの
下剋上だからどうしても国人をつなぎとめるために妥協・譲歩せざるを
えなかったっていうのはあると思う
黒田も万石越えの大身の譜代がごろごろいる家だから家中の統制がままならず
忠之の代に御家騒動で潰れかけたしね
家臣たちの知行を削っておかないと駄目だったな
宇喜多って大名にのし上るまでの経緯が経緯だからな。
>家臣たちの知行を削っておかないと駄目だったな
平和な時代ならともかく、まだ戦いの続いたこの時代に
家臣の知行削ったりしたら、それこそ収まり尽かないと思う
そこのところが戦国大名から近世大名への脱皮を図れたかどうか、すなわち、国人・土豪連合の単なる盟主から、君権を確立できたかどうかの差異となる。
徳川の場合は、関東移転を契機に、必要な家臣に、必要な場所に、必要な家禄を与えるやり方に再編した。
佐竹は万石級の大身を集めて一気に抹○した。
最上は57万石に増えたまでは良かったが、大身の重臣の統制に失敗し、自壊した
鍋島は、潰れこそしなかったが、どさくさ紛れに龍造寺を乗っ取った引け目からか、大身の重臣がうじゃうじゃいて、幕末まで尾を引いた
君権を確立したからといって生き残れるとは限らない点で甘くないが、
君権を確立しないと生き残れない。
一番理想なのは、大身重臣の勢力を悉く削減したうえで、間もなくこの世を去って、ホッとした家来たちが新リーダーたる秀家のもと求心力を集める…といった姿だろうか。
黒田において、タヒ期を悟った如水がわざわざ家臣に嫌がらせをし、早くタヒんでくれとばかりに恨みを集め、タヒ後、倅長政のもとに家来の求心力を集めようとしたように
だが、直家の粛正やら暗○は、あれでもまだおっつかないほど、道半ばだったのだ
関ヶ原が直後になければ、それはそれで上手く家中の再編が進んだ気がする
・小さな罪を大きく解釈して減封する。またはいったん廃絶させるも子・弟などを少ない石高で取り立てる。
・子どもが無くタヒんだ時に、養子による相続を認めるものの大幅減封。
・隠居して後を継がせる際に、次男・三男への分封を勧めて、細分化する。
・藩主の養子を押し付けまくる。で、その養子にいった子たちに藩主の家督を継がせる。継いでいた養子先の家の領地は収公。
一番下は元就の戦略じゃないかw
尼子経久は三男の興久を塩冶家に送り込んだけど反乱を起こされたし、
秀吉も秀秋を小早川家に送り込んで豊臣系大名にしようとしたけど関ヶ原で東軍につかれた。
失敗したときのリスクもかなり高い。
秀秋は秀次事件で処分されたから、その恨みが大きいと思う。
ちなみに、これに関しては隆景自身が秀吉を見捨てる決心をするほど酷かったと言われている。
家康だって一向宗で大変な苦労をし、
武田に切り崩され、信康事件では家中が二分され、苦労に苦労重ねて関東移封でようやく落ち着いた。
何十年もかけてんだよな。
毛利元就も家中の独裁権ゲットしたのは50代になってからだし。
まだ若い秀家がお家騒動起こしたからといって統治手腕なかったとみなすのは実は酷。
>>85
>武田に切り崩され、信康事件では家中が二分され、
あれって信長が信康を除くための口実、陰謀だけどね。
そもそも、武田家は長篠の戦で事実上壊滅し、生ける屍(ゾンビ)として「活かされていた」。
武田家の領国は大して美味しくもないから、無理に操作し地政学上の混乱を生じさせる
害が大きかったため、周辺諸国はゾンビとして活かすことを選んだ。
仮に徳川に仕掛けたとしても、ゾンビの誘いに乗るなんて、それこそ古代エジプトから
21世紀に至るまで古今東西あり得ない。
なんで尼子より長く続いたか不明だ。
「乱世で生き残るには手段を選んではいられなかった」「弟や重臣たちを大事にした」とか
擁護されてたんだろうな。
そうそうw
歴史なんてそんなもん。
鍋島直茂なんてえげつないのに、それほど悪評がないのは後に家が長続きしたからだからね。
徳川は、松平と名乗っていた祖先の時から、平野を求めて松平郷からやがて岡崎まで進出をしてきた
加えて、武田旧臣団の統合も済み、山間地ばかりの甲斐・信濃に敢えてこだわる理由も少なくなってきた。
こういう背景を前提とすると、平野の広がった関東移封令は、徳川にとってはむしろ望むところだったのである。
そして、土着性が強く、塁代の縁故をタテに分国法の適用もままならぬ一族・家臣を、この際土地から切り離し、直属の代官を通じた統治を行う格好の契機となった。軍事の采配も自ら登用した侍大将にとらせる
そういう機会がなければ、あとは佐竹みたく粛正を完徹させるしかない。武田にしても穴山や小山田といった土着の重臣を何らかの機会で排除するべきであった
宇喜多も同様であり、直家が泥をすべて泥をかぶる勢い、土着性の強い一族・重臣を排除し、
代官による直接統治と、自らが登用した侍大将による軍事采配を目指す途上なのであった。
たが、志半ばで直家は倒れ、息子秀家は家臣団の統御に失敗し、挽回の機会を得ぬまま関ヶ原を向え、除封改易により、
「お家騒動を起こした貴公子」という評価だけが残った
そういうのは批判を受けてもやらないといけなかったことなんだろう
谷口さんって信長研究の人が書いてるけど、
あれは織田宗家集権体制を固めるための一環なんだよね。
林、佐久間を追放した結果尾張美濃中心の信忠直轄部隊が誕生したし、
近江周辺の重臣も徐々に近江から拡大する支配地へ移転していた。
信長は近江を中心とする信長直轄部隊の編制を行っていた。
本能寺の変はその過程で起こったんだよね。
戦国大名は実は同朋の連合部隊というのが実態だが、
そこから上意下達の近世大名に変換するのには血を見るもんなんだよ。
信長公記読んだら
安土城下に住んでる足軽が火事起こして
原因が女房子供家において単身赴任してたのが分かって
自軍の単身赴任者の探索したら結構いて
信忠の命じてそういう連中の家を燃やして安土に住まわせてるしな。
徳川方に引き渡してあわよくば花房あたりからの情報収集を狙ったのかもね
八丈島に流されてから仕送りしても手遅れだけどね
だから領土拡大の時も戦という手段を極力避けて、犠牲者を減らしている
直家が今の大河の主人公になったらそうなるのかな?w
ちっとも面白くなさそうだw
何事も物は考え様といえる
宇喜多騒動て必ずしも秀家だけが悪いわけでもなさそう
そりゃそうだよ。
君主の絶対権力確立の過程でこういうゴダゴダは避けて通れない。
信長だって家康だって毛利元就、上杉謙信、武田信玄、みんな苦労してんだよ。
騒動が起こったから即君主が悪いなんて単純な話じゃない。
ただ、関ヶ原の事考えると起こったタイミングが最悪だってこと。
出奔した戸川や花房は関ヶ原で家康陣営についたわけだし。
太閤秀吉の重みで一時的に栓をしていたようなもので、秀吉が亡くなれば、忽ちにして騒動の骨格は浮き彫りになってくるということ、これである。
換言すれば、家康が根回しして改めて起こさせるまでもないものにほかならない。
このようにして、備前宇喜多家は戦わずして空中分解すべく運命づけられていたのである。
秀吉の後ろ盾がなかったら直家がタヒんだ時点で空中分解してた可能性が高いな。
島津の伊集院、上杉の直江、そして宇喜多の場合は長船。
毛利は安国寺かな。No2とちょっと違うけど。
秀吉タヒ後、各家で彼等を軸に騒動が起こったのは偶然ではない。
徳川の場合は石川数正を出奔させたくはなかったろうね、秀吉としては。
徳川に居ながらにして秀吉の腹心という形が欲しかったわけだから。
家中に潜伏していて欲しかったわけだ
ほんと一体当時の宇喜多の内情はどんな有り様だったのやら
大阪詰めで国許を全部家老に任せきりだったんでしょ。
変なの登用しないで宇喜多忠家に家政を丸投げしてたらどうなってたんだろうな。
秀吉が居たからなんとかその後も家の形をなしていただけで。
その秀吉の忠実な部下が長船なわけだから、秀吉タヒんだらこうなるのは必然。
他でも秀吉タヒ後上杉、毛利、島津で似たような騒動があったろ。
宇喜多みたいに家中が解体しなかったのはそれぞれの家がそれなりに伝統や力があったからにすぎない。
島津なんて内輪で合戦までやってんだからな。
まあ、一代で築いた勢力は脆いってのもあるな。
蒲生も秀郷タヒ後はヤバかったし。加藤嘉明のところもダメだった。
直家タヒ後は直家から秀家を託された秀吉の意見が宇喜多家中では絶大な影響力持ってたんだ。
忠家重用なんて無理なお話。
忠家自身は秀吉との個人的な関係はすごく良好で信任も厚かった
つか豊臣・宇喜多に両属してるような状態
ただ世代的には上なんですでに息子の詮家に家督ゆずってるし
秀家同様ほとんど上方にいるので
国元の備前で宇喜多の内政に携わりようがない
お家騒動が勃発するのも当然の流れだな
重臣全部が秀吉の直臣みたいになってたからな。
肝心の秀吉がタヒんだらああなるわな。
秀家にとっては宇喜多家より秀吉の猶子としての立場の方が重要だったみたいだな
島の者たちも、武田、宇喜多の両貴人が率先して鍬や鋤を握って田畑を耕す姿に心打たれ、皆皆労働に精を出すようになり、八丈島庶民の暮らしも、生き生きとして、明るくなったという。
あれなんの文書に書いてるの?
それを考慮に入れると、家のために人生棒に振った可哀想な奴って感じもするな…
直家とは似ていなかったのかね
その名は、備前中納言秀家。岡山の梟雄と言われた宇喜多和泉守直家の忘れ形見である。
直家、大河ドラマにしてほしいよなぁ
暗○、誅○なんでもアリのドロドロ大河
後半は秀家主役にして、イケメンスイーツ大河にすれば企画も通るだろう
引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1401098332/
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません