5000年前の巨大建造物がウクライナで発掘される
HISTORY_ARCHEOLOGY2019/09/26
https://nazology.net/archives/45604
Credit: c Robert Hofmann, et al/CC by 4.0
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Point
■ウクライナの遺跡で、石器時代当時としては巨大な建造物が発見された
■巨大建造物はいくつか発見されており、その配置から計画的に建設されたことが考えられる
■比較的小さな建造物はしだいに使用されなくなっており、これが当時の中央集権化を示すヒントとなっている
ウクライナの小さな町の地下から、巨大な建造物が掘り起こされました。
この発見によって、5000年以上前にその場所でなぜ文化が栄え、そして衰退していったのかについてのヒントが得られるかもしれません。
キール大学の考古学者らによっておこなわれたこの研究は、9月25日付けで「PLOS ONE」に掲載されています。
Governing Tripolye: Integrative architecture in Tripolye settlements
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0222243
●謎に包まれたトリポリエ文化
建造物はマイダネツィケと呼ばれる場所で見つかり、大きさはおよそ190㎡。現代のものと比較すると特別に大きいというほどではありませんが、新石器時代当時の建造物に比べるとかなりの大きさです。
5000年以上前に、食事の準備や保存、そして実際の食事などの日常生活のために利用されていたと考えられています。
ではこの建造物を作ったのは、一体どのような人々なのでしょうか。
研究チームは、当時東ヨーロッパに分布していた農耕文化の一つである「トリポリエ文化」の中で建設されたと推測しています。
トリポリエ文化の陶器 / Credit: 三? wikipedia
https://i1.wp.com/nazology.net/wp-content/uploads/5e54f553205f5fd3746b9bb364294745.jpeg
紀元前4100年~3600年頃、トリポリエの人々はメガサイトと呼ばれる大きなコミュニティを形成していました。
マイダネツィケには3000もの家々が見つかっていますが、それらが同じタイミングで存在していたかどうかまでは分かっていません。そのため当時の人口を予測するのは難しく、少なくて5000人程度、多くて15000人程度だと言われています。
また、彼らが年間を通してメガサイトで暮らしていたのか、あるいはシーズン単位で集まるようなスポットに過ぎなかったのかについても、考古学者の中で意見が分かれるところです。
トリポリエの家々は、基本的には同心円状に配置されており、今回発見された巨大建造物のような長方形の建物も時折確認することができます。
●当時の中央集権化を暗示
マイダネツィケで発見された巨大建造物は、屋根つきのセクションと、その場所よりも少し大きな、塀で囲まれた吹き抜けの中庭で構成されています。塀は木片を土で固めて作られており、塀で囲まれた場所には暖炉の形跡もありました。
また、建造物の中には壺や台所用品を含む陶器類が散らばっていました。暖炉の近くには骨が見つかっており、それらは建造物が廃墟と化す前の最後の食事であったことが考えられます。
巨大建造物の配置図 / Credit: Hofmann et al, 2019
https://i0.wp.com/nazology.net/wp-content/uploads/ZhBG7GnFueyLtzyMUczRRm-650-80.jpg
研究者たちは巨大建造物の位置をマッピングすることで、それらが計画的に配置されていることに気がつきました。およそ等間隔で比較的小さなものが並んでおり、中でも特に大きなものが集落の中心に位置していたのです。
こうすることで、彼らは社会階層の違いによって集まる場所を分けて使用していたのかもしれません。
しかし、時が経つにつれて比較的小さなものは使われなくなり、最も大きなものだけが利用されるようになりました。この変化が、当時の中央集権化についてのヒントを与えてくれると考えられます。
低い階層の人々が集会をしなくなったということは、そうした人々がコミュニティの統治に関与することがなくなっていったことを意味します。そして、これが究極的にトリポリエ文化の衰退につながっていった可能性があるのです。
現在研究者たちは、こうした巨大建造物が、地域によってそれぞれ具体的に日常の中でどのような使われ方をしてきたのか、その違いについての調査を進めています。
一つの文明の繁栄と衰退が、現代文明の未来を示唆していることも多くあります。今後研究が進むことで、現代にもより多くのヒントが得られることが期待できます。
日本にも出雲に巨大神殿あったやん
巨大を名乗るならピラミッドぐらいの大きさがないとつまらないよね
>あんな寒い地域に
その頃は、今より3度は温かった。
山川出版社の出番だな
忠海歴史教科書じゃなくて大人の知的好奇心を刺激する読み物が欲しいな
ここが参考になるかも
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E3%BB%E8%BB%8A%E8%BC%AA%E3%BB%E8%A8%E8%AA%9E
ありがとう
「まいだねつぃけ」と書いて発音すると
津軽弁ぽくなる。
もう一本発掘紹介動画
https://youtu.be/wEr2LappavE
どっちも2016年だな。
ウクライナトリポリエ文化の動画
https://youtu.be/825440bFxw0?t=3m16s
土器で作ったおもちゃ?奈良公園で売ってる車輪つきの鹿のおもちゃみたいなものが映ってるけど、この時代は車輪がありました?
どんな言葉を話していたのだろうね
>どんな言葉を話していたのだろうね
印欧祖語の第二ステージらしい。ほぼ確実で反論はほとんど無くなった。
地中海を制覇した古代ギリシャ人もウクライナ地方から南下してきた説があるんだろ?
それとも征服者が埋めるのかな
引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1569672505/
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