【箱根駅伝】大東文化大、新興校から「山の大東」へ…歴史は瀕死の選手バス衝突事故から始まった
■徹夜で看病した青葉監督、選手の心つかみV4度へ道…1975、76、90、91年
青葉さんが監督に就任して間もない68年6月、遠征先の神奈川県小田原市で、選手たちが乗っていたマイクロバスが、丁字路で横から来た車に衝突された。選手1人が大けがを負い、生タヒの境をさまよった。「こいつがタヒんだら、俺は責任を取って、やめなきゃいけない」。そう覚悟して、青葉さんは手術に立ち会い、徹夜で看病した。幸いにも選手は一命を取り留めた。
この事故を境に、選手たちの新監督を見る目が変わったという。当時の青葉さんは現役を退いたばかりで、指導経験がない25歳の青年監督。「最初は『本当にやる気があるのか。冷やかしか』と思っていた学生たちも、感じるものがあったと思う」と振り返る。年齢が近い学生たちと真剣に向き合って強化し、初めて挑んだ69年の箱根駅伝は7位で初のシード権獲得。「初優勝の時よりも、その時の方がうれしかった」と語る。
■スカウト競争では不利、「山」のスペシャリストを独自発掘 新興校のため有力な高校生の勧誘には苦労した。そこで実績はなくても、自分の目で見て光るものがある高校生に声をかけた。「勝つためには何か特徴がないといけない。それが『山の大東』だった」。特に5、6区で活躍できそうな選手を発掘した。選手層が徐々に厚くなっていったのは、青葉さんの眼力によるところが大きかった。
73年から2年連続2位となり、迎えた75年は絶対的な自信があった。5区に山登りの名人と呼ばれた大久保初男を擁し、平地の区間でも力のある選手が並んだ。4、5、6、7、10区で区間賞を獲得。主将でアンカーだった竹内譲二さん(72)は「メンバーがそろっていた。練習では、どこにも負けないくらい走っていた」と懐かしむ。
■名人・大久保初男、奈良修…復活へ系譜は受け継がれるか
76年も連覇。さらに90、91年にも2連覇を達成した。その後は優勝から遠ざかっており、2022年に就任した真名子 圭きよし 監督(44)が復活を目指している。青葉さんは教え子に「他のチームと同じことをやっていては太刀打ちできないよ。真名子のチームを作らなければ」と助言する。青葉さんが築いた伝統は、再び輝きを放つか。(田上幸広)
読売新聞2023/04/28 16:33
https://www.yomiuri.co.jp/hakone-ekiden/news/20230419-OYT1T50249/
BIGはビックではない。ビッグだ
さいたまなのに東京? オーケーン
河川敷にあの民が住み着いてヤクザの事務所もアル
下水処理の屋上に陸上競技場が有って高校運動会でゲロ吐く奴続出
だってウ○コの匂いの走らされるンだよ
チコちゃんでやってくれないか。

引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1682673354/
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません