ソクラテスやプラトンなど西洋哲学の思想全般を語ろう
ギリシャ哲学、共産主義、実存主義、ドイツ観念論、ポストモダンなど
あれば哲学の問題ではなく別の分野の問題。
成り立つことは成り立つが、教義内容が非常に乏しくなるのは避けられない
余裕
西欧にアリストテレスが再導入されたのは12世紀
それまでは教父たちを通して間接的にか、せいぜいボエティウスのいくつかの翻訳があった程度
それまでにはキリスト教教理はほぼ完成している
そもそもアリストテレスはプラトンよりもマイナー哲学者と見なされてたので仮にアリストテレスがそれ以前に伝わっていても影響は少なかったであろう
アリストテレスが俄然重視されるようになるのはイスラーム圏においてから
中世ヨーロッパの人がキリスト教以前の人物としては例外的に認めていたキケロが「わけわからん対話編」とこきろおしていたティマイオスだけ残ってたの?
古代ギリシャの哲学者には、「地球は球体である」という事実がすでに知られていた
なぜか、中世ヨーロッパではこれが退行する
でもそのアリスタルコスのその地動説について触れた著書は燃やされずに残っていた不思議
>>26
その頃の日本人や中国人が、地球球体説を知っていたとは考えにくい。
織田信長や豊臣秀吉は、南蛮から渡来した地球儀を所有しており、世界情勢をよく認識していた。
江戸時代に入り、コチコチな儒者の林羅山が地球方形説を主張したおかげで、地球球体説は再び衰退した。
専門分野が数学・物理学のプラトンとは異なり、アリストテレスの本業は生物学。
アリストテレスの最大の功績は、「生物の分類」を始めたこと。
これが科学の基礎になった。
アリストテレスの『動物誌』では動物分類は次のようになる
1、有血動物
胎生 人類 胎生四足類 鯨類
卵胎生 軟骨魚類
卵生 鳥類 卵生四足類 無足類
不完全卵生 魚類
2、無血動物
不完全卵生 軟体類 軟殻類
蛆生あるいは自然発生 有節類
無性生殖または自然発生 殻は類 その他
アリストテレスの権威が絶対とされた中世は、この動物分類が支配的であった
中世イスラムでは、知識人といえば医者だった
医者は生物学に興味があるので、アリストテレスが好まれた
物理学をやってる人には、宇宙の神秘に魅せられ、神秘主義者になる人が多い
その点、生物学者は現実主義のカタマリだ
「生命の神秘が・・・」というような人もたまにはいるが、たいていの場合、そうはならない
プラトンとアリストテレスの個性の違いは、ここに由来する
プラトンの「イデア」で、典型的な例は三角形
現実の三角形は、オニギリにしろ、山にしろ、人間が描いたものにしろ、必ずドコかが歪んでいる。
完全な三角形は、イデア界にある。
つまるところ、イデアとは、人間の意識の中にある「観念」。
このため、デカルト以降は(というより、中世の後期あたりからは)、イデアといえば「観念」を意味するようになった。
現実主義者のアリストテレスは、どこかにある「イデア界」の存在など信じられなかった。
アリストテレスは、代わりに「形相(エイドス)」を唱えた。
犬には犬の形相、猫には猫の形相がある。形相はどこか他の世界にあるのではなく、犬や猫といった個別存在と不可分に存在しているという。
つまるところ、これは人間が分類して付けた「名前」。
このため、中世以降は、アリストテレスは「唯名論の祖」とされるようになる。
ソクラテスとプラトンのおかげで、ギリシャ哲学といえばアテナイのイメージが強いわけだが、
初期のタレスたちはイオニアの人。
イオニアというのは、今でいうトルコの地中海沿岸だ。
ここは、古代にはギリシャ人の植民地だった。
第一次世界大戦の直後に、ギリシャは「ここは、元はといえば俺たちの国土なのだ」と主張して
トルコと戦争し、ムスタファ・ケマル・パシャ率いるトルコ軍に敗北した。
イオニア(古代ギリシア語:Ιωνία)とは、エーゲ海に面した、アナトリア半島(現・トルコ)南西部に古代に存在した地方のことである。近くにスミルナ(現・イズミル)があった。
アナトリア半島にはイオニア人(古代ギリシア人を構成する1集団)が植民(でなければ、少なくとも支配)した様々な都市国家があり、それらで構成されたイオニア同盟の、北の地域を指す。
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/B/BungeiBaicai/20150930/20150930175741.jpg
>古代ギリシャで最初の哲学者は誰か。
タレス「だれっす?」
プラトンもその思想に影響を受けてたらしいが、後に霊的二元論はヘレニズムの一神教の文化あい混ざってグノーシスに進化してったとのこと
ディオゲネス・ラエルティオスはギリシア哲学の起源を、アナクシマンドロスから始まるイオニア学派(厳密にはミレトス学派)と、ピタゴラスから始まるイタリア学派(ピタゴラス教団のこと)に大別し、
ソクラテス(ソクラテス学派)やプラトン(古アカデメイア学派)は前者の系譜で、パルメニデス、ゼノン(ともにエレア派)、エピクロス(エピクロス学派)らは後者の系譜であると主張している。
世間の一般人は通常、「古代ギリシャ哲学」というと、現代のギリシャ共和国を思い浮かべ、「なんで、あんなところで哲学が流行ったのだろう?」と不思議がるのだが、実際にはそうではない。
ヘラクレイトスは今でいうトルコ西部、パルメニデスは今でいうイタリア南部の人だ。
前者をイオニア学派、後者をイタリア学派と呼び、ギリシャ本土より、むしろこの2つが主流なのである。
ギリシャ哲学と聞いて多くの人が思い浮かべる、「万物の根源は水である」、「いや、火である」、「空気である」・・・といった自然哲学は、イオニア学派だ。
それこそがイオニア学派の最大の特徴であり、代表的な哲学者には、タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネス、ヘラクレイトス、アナクサゴラス、アポロニアのディオゲネス、アルケラオス、ヒッポンなどがいる。
一方、イタリア学派といえば、代表格はピタゴラス。
というより、イタリア学派というのは、ピタゴラス教団のことだと言ってもよい。
この系統に属するのは、パルメニデス、エンペドクレス、ゼノンがいる。
ミレトスは、エーゲ海をはさんだギリシア本土の対岸、
トルコのアナトリア半島西海岸にあったギリシア人の植民市である。
青銅器時代から人が住んでいた。
タレスなどミレトス学派をうんだことで有名である。
現代では海に接していないが、これはメンデレス川の堆積によって湾が埋まってしまったためであり、古代においては港町だった。
ソクラテス・プラトン・アリストテレスの時代にはアテナイが哲学の中心地となったが、かつてはミレトスだった
タレス(Thales、ミレトスのタレス、前624年頃〜前546年頃)が
哲学の創始者、最初の哲学者とされるのは、
ひとまずは、アリストテレスの以下の記述によります。
最初に哲学に携わった人びとのうち、
大部分の者は、
質料(素材)としての原理だけを、
万物の始原と考えた。…
哲学(philosophia、知の愛求)の始祖であるタレスは、
水がそれであると言っている。
(アリストテレス『形而上学』第一巻、第三章)
0043 考える名無しさん 2017/11/26 19:15:12
哲学の創始者であるタレスは、「水だ」と言った。
・・・この、200年後の人物・アリストテレスの断片的な言葉によって、タレスは「史上最初の哲学者」となった。
本人の断片ならともかく、アリストテレスの言葉のおかげ。
実存主義の時代だったからな。
神もいなければ、タヒ後の世界もない。
「人は、タヒねば無になる。だから、生きてる間は精一杯に生きよう」という人生観。
今でも、こんな風に考える人は少なくないはずだが、新鮮味はなくなった。
当時の人には「精一杯に生きよう」ですら目新しい発想だったのかな??
>>67
精一杯生きる、ことが手段でなく目的になってしまったのは目新しかったし
個人の信条だけでなく、当時は社会的に共有できる価値観が混乱していたんだろうと想像する。
神や来世、絶対的真理の存在は20世紀初頭までは西欧社会での現世での道徳感に大きな影響が
あったんのだろうが、それがなくなり人々は正しく迷える子羊になったのではないだろうか?
ごちゃごちゃ言っているのは、「精一杯生きる」が単なる信条でなく社会的に他者を説得する意見だったから。
現在はみんな虚無慣れしたというか、神に代わるアイドルなど必要とはされていないのだろう。
>>67
精一杯生きる、ことが手段でなく目的になってしまったのは目新しかったし
個人の信条だけでなく、当時は社会的に共有できる価値観が混乱していたんだろうと想像する。
神や来世、絶対的真理の存在は20世紀初頭までは西欧社会での現世での道徳感に大きな影響が
あったんのだろうが、それがなくなり人々は正しく迷える子羊になったのではないだろうか?
ごちゃごちゃ言っているのは、「精一杯生きる」が単なる信条でなく社会的に他者を説得する意見だったから。
現在はみんな虚無慣れしたというか、神に代わるアイドルなど必要とはされていないのだろう。
その後エジプトを支配した古代ローマやイスラム世界の考え方に一部取り入れられたとか、●●の哲学は古代エジプトから影響を受けている、なんてことはないのかな。
>>126
よく言われるのは、「タヒ者の魂がタヒ後に審判を受け、地下の冥界を通って楽園で復活する」という古代エジプト特有のタヒ生観が、キリスト教やイスラム教に大きな影響を及ぼしたということ。
上に「旧約聖書にはタヒ後の世界のことが書かれていない」というのが出ているが、じゃあ、どこにタヒ後の世界のことが書かれているのかというと、「エジプトタヒ者の書」というのが答え。
現代に至るまで、「タヒ後の世界」の話は大なり小なり、これに深い影響を受けている。
「輪廻転生」の元ネタがインド思想なのと同じで、もはや人類が共有する基盤といっていい。
近代は、イギリスを初めとする欧州列強がインドに進出し、インド哲学と出会った
最も強い影響を受けたのは、ショーペンハウアー。
「意志と表象の世界」の第一部は、「この世は幻影(マーヤー)である」という、体裁はドイツ哲学だけど、中身はインドそのものな内容。
ショーペンハウアーは、幻影からの解脱を説いた。
ニーチェもウィトゲンシュタインも、この本を最も愛読していた。
ニーチェは、原始仏典のスッタニパータを切り抜いて目の前に貼っていた。
話をスレの本題に戻すと西洋思想とは何かと言われたら
ギリシャ哲学、キリスト教、スコラ哲学、神学、ユダヤ教?イスラム教?辺りをまとめて西洋思想かな
東洋思想ならインド哲学、ヒンドゥー教、ジャイナ教、仏教 、シーク教、儒教 、道教 、朱子学、神道あたりをまとめて東洋思想かな
人生とはとか結婚とはとかってどうでもいいことをああだこうだと言い合ってたのが始まりみたいだし
インド哲学の場合はインドでは昼寝の習慣があるからそこで発展したのかもしれない
哲学と聞くと高尚なものを思い浮かべるが単なる暇つぶしだから
ソクラテス、プラトン、アリストテレスは、ギリシャ本土のアテナイで活躍した。
なので、世間の一般人には、ギリシャ哲学といえば、今のギリシャ共和国の地で行われていたと思っている人が多い。
でも、そうではない。ソクラテス以前で最大の哲学者の1人とされるヘラクレイトスは、今でいうトルコ西部の人。
もう1人の巨頭、パルメニデスは今でいうイタリア南部の人だ。
「最初の哲学者」タレス以来、哲学はイオニア地方、つまり、トルコ西岸で続いてきた。ここが、哲学発祥の地。
ピタゴラスが南イタリアに移住してから、この地で哲学が始まる。
南イタリア人が哲学をやり始めたというより、ピタゴラスが哲学を持って南イタリアに移住したのだ。
後に、アナクサゴラスがアテナイに移住してから、やっとギリシャ本土の哲学史が始まる。
アテナイ人が哲学をやり始めたというより、アナクサゴラスが哲学を持ってアテナイに移住したのだ。
逐一翻訳してたら訳が分からなかったのではないかな。
今なら図表やグラフにすればよかったものを、
無理に文字だけで説明しているような分かりにくさがある。
十代にして当時のあらゆる学問を習得したイブン・シーナーでさえ、アリストテレスの形而上学には苦戦したという。以下コピペ
・・・しかし、イブン・スィーナーにとってもアリストテレスの思想は難解なものであり、『形而上学』を40回読んでもなお理解には至らなかったと述べている。
ある日、ブハラのバザールを歩き回っていたイブン・スィーナーは店員に本を勧められ、一度はいらないと断ったものの、強く勧められて本を購入した。
彼が購入した本はファーラービーが記した『形而上学』の注釈書であり、ファーラービーの注釈に触れたことがきっかけとなってはじめてアリストテレス哲学を修得することができた。
なんでもカテゴライズしてしまう
それはその通りなんだけど、その体系化を始めた最初の人がアリストテレス
引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1564027228/
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