三国志で最大の勢力を誇った魏の曹操だけど、もし産まれてなかったら中国はどうなってたんかな?
いろいろ波乱はあるかも知れないけど。
袁氏政権だったら、江南の孫氏も自然と服属するかな?
司馬氏が居なかったら・・・と考えると面白い。
政治はどうだかわからないが、文学面での発達に影響したかもしれない。
七言詩の登場が遅れたり、優れた文人を評価・保護する流れが生まれず文学そのものが軽んじられていたかも。
後々の異民族蜂起はあるにせよ五胡に鮮卑でなく烏丸が入るか
兄弟が分裂したした時点で袁氏が統一するのは無理だろう
有力なのは呉ではないか
曹操がいないと反董卓連盟も作られない
よって董卓、西域、袁兄弟の三大勢力のどれかが有力だと思う
あるいは呂布にもチャンスがあったかもしれない
曹操がいなければ孫堅は袁術の手下のまま
劉備は世渡り上手な面を発揮して、それなりに活躍したかもしれないが
もっとも、なぜか、劉備は無視されているところが相変わらずだが
>>16そりゃないだろ。最低でも公孫サンの一武将にはなっているだろ
その先は知らんが。曹操に次ぐと曹操に言わせた軍才は無名で終わるとは思えない。
袁紹が勢力伸ばせたのは、反董卓連合の盟主に担がれた実績があったから。
曹操がいなければ盟主に担いでくれる人間もなく、そもそも連合を組もうと言う人間もいない。
中央で権力を握り頭一つ抜けた董卓と、
それに迎合反発する周辺の中小勢力同士の小競り合いが続くんじゃないかな。
で三国志
曹操は夏侯嬰の子孫じゃなかった?
宦官の曹騰が養子にしたのが曹操の父親
夏侯氏と曹氏は親戚だったの?
曹参⇒…⇒曹騰→曹嵩⇒曹操
取り合えず曹嵩を消せばok
孫堅がいるのでやはり遷都は起こるだろう。
関中は董→呂→李郭と史実どおりの経過で、献帝も東に逃亡する。
袁氏兄弟は之を保護しないだろうから下手したら。
やはり本命袁紹は揺るがない。
ただ彼が中原の覇権の得た場合でも秦淮線以南を収めることが出来るか疑問。
対異民族政策も曹操とは違っただろうし、三国じゃなくて五代十国みたいになってたかもな。
>>27
どうかな?
曹操がいなければ袁術が寿春、さらに淮南方面へ追い込まれることもない。
また陶謙が攻め込まれることもなく、陶謙タヒ後の徐州を袁術が楽々手に入れられたかもしれない。
(陶謙が袁術派と言ってるわけではない)
豫州・徐州・揚州北部を袁術がしっかり押さえていれば北上して兗州も得ることは難しくなく、袁紹を公孫瓚と挟撃が可能。
そう簡単に袁紹が本命といえるかどうか?
ただ袁術は統治が基本的にダメだし、組織作りも盟主気分ができればそれで満足してしまう感じなので圧勝できるとも思えないけどw
それが歴史ってもんだろ?
その誰かはわからんが
とりあえず、文化面や制度面で中国の発展がかなり遅れることになったと思う
逆
曹操がいなかったら五胡十六国時代は無かった可能性さえある
元々の地盤強いから。
でも安定した長期政権は作れないかも。
春秋時代みたいになったら面白いかな。
劉備、途中で失脚して抹○されそうw
張角も精神的に多少は長生きしそうだし
いやいやいやww
曹操しか勝ってないわけないだろ。
あんま官軍を馬○にしない方がいいぞ
その時代までは曹操は小物だったから
あとは袁紹が曹操の代わりになって魏の代わりになって三国志になるんじゃね?
司馬氏が名族だから台頭してきて晋に代替わりして歴史は大差なく進む
ただ詩の世界は大きく変わっただろうな
曹操の功績は政治や戦争じゃなくて詩だと思ってる
いなかったら・・・・袁紹が統一していたかも
大穴で袁術とか。董卓討伐軍当時、袁術が一番位は上で、実質
名門袁家を背負って立つのは袁術だったし(でも、実際は
妾腹の兄袁紹の方が見栄えも人望も上だった)。
曹操の部下も元袁紹配下は多いし、曹操がいなければいついて
上手くいった可能性も。
・・・・あるかも。
袁紹の正確な生年すらわからないもんなー
まあそうなったら曹操が天下を…って言ってたんだけどな間違いなくw
文学、文化史上の功績は他の者には代え難い。
みんなが言うように、曹操がいなかったらというのは漢詩がなかったらという仮定に近いので
中国がどんな国になってるかちょっと想像も付かない。
曹操は「型通りの天才」って感じだな。
情感過多でそれが多方面の才能にも現れると同時に、
それを制御する理性も十分ある。
私生活は好き放題に泣いて笑って妾作って部下も好きにさせて、
締める要点をきっちり締める。
曹丕は曹操に比べて感情を制御するのが今ひとつ下手だった。
曹植、曹彰はそれぞれの分野で気ままな人間だったようだから、
そういう一族なんだろうな
曹操と孫堅の子供達はまさに似た者親子で面白い
袁紹と董卓の間で、官渡並みの決戦があって、
その勝者と孫氏との間で赤壁並みの決戦が起きそう。
劉章は結局蚊帳の外で終わりそうな予感。
李儒は郭嘉並みの、沮授は諸葛亮並みの評価を後にされたりしてw
河内経由で洛陽に侵攻してくる袁紹を迎え撃つは総大将牛輔。
二虎と称される李カク・郭シを左右の軍に配し、賈クと田豊の智謀戦。
後方から諸候に睨みを利かせ利を図る李儒と対抗する沮授。
いいねw
曹操がいなかったら今の日本は無かった
いや、マジで
日本酒の技術の始祖は遡れば曹操だからな
日本酒なしの日本なんて日本じゃないだろ?
居ても居なくても、そんなに変わらんだろ。
詩が日の目を見る機会が遅れる程度じゃないか?
曹魏の領土に馬騰、袁紹が構えて南は蜀漢と孫呉。
仏教、老荘よりも儒教のベクトルは依然高く
異民族が北より南下してくるまで、その関係も崩れることもない。
匈奴が北方を制圧した時に晋という求心力があったからなんとか東晋が維持できた。
曹操の不在が強固な統一王朝の成立にプラスになるかマイナスになるか
判断するのは不可能だが、最悪北は異民族に支配され南は漢民族が相争うという
事態がありえた以上、漢魏晋宋斉という流れの主流にいる曹操は無視できない。
特に文化風俗の面でね。
曹操いなくても、劉備と孫権はいるんだろ?
そうかな。
結局は北中国が異民族に支配されてたら
自然と漢民族は漢民族同士で寄り添うんじゃないか。
曹操でなくとも、土地柄から言っても孫呉や蜀漢を頼れば
南で漢民族が生き残れたと思うぞ。
それに後の文化発展は北から攻め寄せてきた異民族により
それまでの儒教一尊の絶対主義が崩壊し、老荘思想や老荘思想を元に解釈した
格義仏教による仏教文化の発展によるものでしょ。
この時代は老荘、仏教の黄金期とも言われてたから
相当な発展を見せたんだろう。
老荘、仏教の推進者でもなかった曹操が特に必要な人材とは思えないなあ。
違う違うw
位置の問題だよ。
東晋は南にあったでしょ。
だから単に残ってるだけの話。
北方異民族と一番近い北中国は
南宋の頃も占領されてたしね。
紛らわしい言い方になったのはスマヌw
竹林七賢のような文化人が居れば
別にどんな国が残っていても文化は活きるからね。
そもそも三国は、各者の勢力伸張速度の微妙な均衡によって生まれたものだ。
そして曹操もまた、比較的後発組だということが問題になる。
単純な仮定を立てると、曹操が居らず、仮に袁紹がスムーズに中原を制した場合、
江南でそれに対するのが孫権では、史実のような抵抗は出来ない。年齢的に。
すると袁氏の統一王朝がかなり早くできる可能性がある。
それが長命を保つ場合、史実に比べて70年は国力回復の余力が出来る。
瓦解する場合、当然独立するだろう江南に、史実の孫呉ほど
安定した政権が生まれるかは当然不透明。
歴史なんてちょっとした偶然で変わるものだから、
北の漢民族の政治思想風土と江南の風俗・基盤が江南で結合する南北朝時代が
史実のように展開する可能性は割と小さいと思うよ。
孫策が存命なら鼎立・梯立の可能性はあるけれど。
曹操の不在が強固な統一王朝の成立にプラスになるかマイナスになるか
判断するのは不可能だが、漢魏晋宋斉という流れの主流にいる曹操は無視できない。
でしょ?
>>81
つまり曹操が居なくてもそんなに変わらんってことだろ。
それにしても三国ヲタは見事なまでに儒や老荘の話はスルーだなw
六朝時代は儒、仏、道が始めて並び立った時代でもあるんだぞ。
一介の王如きが歴史に与えられる影響なんてたかが知れてる。
野心があるから領地を増やしてんじゃないの?
漢王朝に忠誠心高いなら玉璽返したんじゃないの?
でも孫策の妻から袁術が奪い取ったって話もあるんだよね。こっちが演義の元になった。
まあともかく。
三公名族の名誉より皇帝の名誉が遥かに勝る。
可能な限りは、一家の繁栄栄達を願うのがこの時代の自然な価値観だから。
ちゃんと順序だてさえすれば(完璧にそうするのは不可能だが)当代と後代の批判は
ある程度避けられる。そうやって王朝交代してきたのが中国の歴史だからね。
別に曹操が特に野心家だったわけじゃない。
曹操ほどの大規模なことはしなくても、誰か誰かが中原に人集めただろうね
掌握してる人口の流出と生産力の低下、農地の荒廃は曹操と関係なく起こってるから
青州経由で徐州で独立は完全に自分の実力だからな。
そこで鎮東将軍なんて破格の官位を貰ったのは
おそらく天子奉戴したての曹操が大盤振る舞いしたせいだろうけど。
悪くして群雄の狭間にぽしゃっても、
独立の伝は無理でも史書に名が残るレベルは十分ありえる。
>>91
徐州での独立は曹操の影響無しにはありえない
つーか曹操いないと袁術の伸張が止まらず袁紹あぼーん間違い無し
2大勢力化はあってもあぼーん間違いなしはどうかな
袁紹が北部の公孫瓚に兵力を集中できたのは曹操が南面して袁術の北上を防いでるから
それなりに強大な兵力を維持し続ける程の袁術と公孫瓚に挟まれたら袁紹単独じゃもたんだろ
事実曹操も自軍が占領する地域の土豪が袁術と誼を結んで裏切られる羽目に陥ってるのだから
袁紹も兗州は袁術に切り取られる事はないまでも使える状態にもっていないわけだ
(そもそも曹操いなければエン州が最初に親袁紹側に付く可能性さえ低いのだ)
まあ、それならば袁紹は誰か有力者を兗州に派遣するなりするだろうけどね。
これが問題になる時期って、李傕らが陳留にまで進出し、
朱儁が陶謙らの支援の下でひいひい言いながら交戦してる時代なんだよね。
朱儁が兵站を得るために兗州に陣取ったりしたら面白いことになりそうだ。
曹操が兗州を上手く取り込めたのは張邈とのコネクションのお陰だろ
だから逆言うと張邈と仲の悪かった袁紹では兗州を取り込めないという事になる
それはそれで、公孫・袁術派として中原を切り取りに掛かっていた劉備は
功臣として名を連ねるか独立して群雄になるかのどっちかだね。
曹操無しでは袁術が止まらないなら(どっかで躓きそうだが…)、
劉備はその有力な先鋒の一人だから。
西側の秦でも北側の匈奴でもない南側王朝が成立し、千年後には東側の倭が
荊州、益州は劉備が取る。
残りの揚州と広州は孫策と周瑜が実質支配。
孫権の代くらいでじわじわ荊州を分取って袁紹と挟み撃ち→劉禅の代で自滅。
あとは呉と袁家の一気打ちだな。
曹操いなくても、袁紹がタヒんだら勝手に分裂するよ、あの兄弟は
荊州の劉備の方がチャンスあるでしょ、運が良ければ帝を奉戴して劉性の威光で中央を納めて、呉は滅ぼさずに漢の名の下に呉を臣属させる。
とりあえず、好きな勢力を持ち上げるには
この時点で曹操がいなければ……って妄想すれば良いことだけは分かった
「劉姓だったら無条件に崇められたりする」ようなことは無かったと言ってよい
しかし、全く無意味だったとも言えない
劉虞や後の劉備のように、実力を備えた劉姓は「こいつを皇帝に据えたほうがいいんじゃないか?」と周りに思われるようになる
中央押さえた劉姓ってだけで袁紹の残した河北勢力や孫権みたいな軍隊持ってるやつらが臣属するかよ
>>112
袁家分裂するってのは至極当然でいて妥当。
劉備でも漁夫の利で滅ぼせるだろ?
そうなれば劉備が最大勢力
曹操のときと同じように呉を臣下に置くという事だろ?
袁紹がタヒぬまで待ってたら中原まで進出してくるだろうからまた状況が変わってくる
そもそも曹操だって分裂してる兄弟相手にタヒ力を尽くしてるくらいだし
中原も吸収するってことになると攻略すんのはかなり難しいと言っていい
袁紹の能力もあるんだろうけどそれ以上に河北が強くて迂闊に攻め込めなかったってのが大きいと思うよ
曹操いても居なくてもどっかで頭角を現しそうな感じはするけどね
それだけは無いと断言したっていい
董卓の手勢はそんなに数が多いわけじゃなくて
兵権持った連中とかと取り纏めて自分の勢力を保ってるから
遅かれ早かれ空中分解する
本人も結構高齢だからあと何年生きられたか怪しいもんだ
勢力の末路は袁紹と一緒、ってか史実でも董卓陣営の末路は空中分解か
結局、漢王朝崩壊~晋王朝に統一されれば次代への引継ぎはそれでよし。
歴史上でも、道教も老荘も独自に発展してるので曹操の影響はほぼ皆無。
あんまり歴史的影響力を持ってないよな、曹操も。
いや、曹操がやった異民族の内地への強制移住が五胡の乱の重要な契機になっている
烏丸と友好的だった袁氏の天下だったらどうなっていたか興味があるな
内地への異民族移住は後漢王朝が代々やってきたことで、曹操一代のものでもないし、
五胡の重要な契機にもなっていない。
曹操個人だけでみると、大して歴史の流れに寄与してないように錯覚するかも
だけど、曹操がそのときいたからこその流れというものがたしかにある。
それは魏晋南北朝を貫いた貴族制度そのものといってもいい。
むろん、そのときそのとき制度に携わったものたちがいてこその結果だが。
九品官人法のことならあれ孝廉制のマイナーチェンジなんで陳氏がいなくてもなったと思う。
それ以前から左雄らがチェック法の改正に着手していたからね。
民屯と兵戸制のことならこれも基本は公田と公奴婢の扱いのマイナーチェンジなんでこれもそう目新しいことではない。
後漢明帝の頃には公田を耕す公奴婢の奴婢階級脱出法として兵役が提示されているから、むしろ遅かったくらい。
流民を公田に植民するのは少なくとも前漢代から頻繁に行われていることだし。
物事の始祖であれば、居なければ激的な変化とも言えたと思うけど。
曹操にはそこまでのものはなかったでしょ。
それならそれで、別な流れができるだけで、一緒ではないでしょ。
そういうことを言いたいのさ。
曹操と同じことは曹操でないとできないという個性の話。
曹操の詩がなくなるとか。
そりゃあ重要だw
醸造法を開発したのは別の奴なので全然関係ない
寧ろ、余計なフィルターが入らない分だけに孫子はより味わい深いディープな一品となってたかもしれない。
曹操いなかったら国語の授業で漢詩やらないんじゃないか?
曹操を筆頭に曹植や曹丕らの活躍で漢詩は芸術の域に高めた。
五言律詩を考えたのは曹操だしな。
杜甫がでるまで曹植が「詩聖」だったし。
曹操配下の文武官達は曹操いなかったらマイナーな人達になっただろうな。
荀彧なんて嫁さんが宦官の娘って理由で嫌われてたらしいし。
郭嘉も袁紹には仕えなかったみたいだし。
袁紹が統一はないな。
だって袁紹はすぐ病タヒするんだから。
やっぱ劉備が勢力広げてたんちゃうの?
献帝とか流れ流れて劉備の所に来てそう。
敗戦からストレスで胃潰瘍になってるっぽい
だから敗戦しなければもう少しは長生きできると思うよ
でも、官渡敗戦直後にタヒんでいるならともかく
冀州の各地での反乱を平定してるんだよね。
敗戦~平定~病タヒまでの期間がほぼ1年だから
袁術が曹操、劉備にフルボッコにされて完全に地に堕ちた時期からタヒ亡までとそんな変わらん時間なのよね
青州兵の受け手が居なくなるので暴徒のまま
孔融よろしく官軍を滅ぼし、戦に負けても離散してはまた各地で決起し、イナゴのように延々と略奪と戦闘を繰り返す
中原地獄絵図
ああいうのは別に虫でもなんでもないので、
大概途中で食糧などに窮して止まるきっかけを探す状況に陥るから、
曹操いなくとも袁紹が来る頃にはすぐ降ると思われ。
袁紹は史実でも見限られてるわけで、そう考えると袁紹はないな
荀彧には政治戦略的な能力はあっても軍兵の運用能力は無い。
だから二人は相補的関係。
仮に荀彧が袁紹に英雄の器を見込んだとしても、
袁紹の方は荀彧に「王佐」の役を見出さない(その役は逢紀あたり)ので、
荀彧の歴史的役割は格段に低下する。
袁紹だったらジュンイク○しているだろ、田豊をそうしたように。
晋ができてないかも
現在のヨーロッパのように、大小の国が乱立しているようになっていたかもな
中華思想という物が有る限り、ヨーロッパみたいになる事は考えにくいよ。
異民族に乗っ取られても、結局一つに戻っちゃうんだから。
孫子とか曹操より400年も前から
ほとんど同一のが流通してるやん
どんだけ
操がいなければ本初とかが天下を?
後漢はタヒに体ながら長続きして、司馬師のときに禅譲し、晋ができる。
>>210
孫堅は薫卓軍を破って長安に逃亡させるなどたしかに優れた人物だが
劉表攻めたときに一人でいたところを○されている。
運のよさと言うかやばい空気を嗅ぎ分ける勘のよさと言うかその辺と逃げ足は常人のそれじゃないように見えるし
ほんとにそうだよなw呂布どころか実はこいつが裏切った回数のほうが多いようなw
ただ仲違いしそうなのがw
袁術が筆頭で、袁紹はヘタすると公孫?にボコボコにされて終わる可能性もあるからどうだろうかね
で、袁紹が意外といい政治して、孫一族と劉備一族を懐柔。そして、袁紹が中華を統一する!
あ、でも袁紹じゃ呂布倒せないか。
どんぐりの背くらべな群雄乱立で、一、二代続いたあと有力配下に乗っ取られるってのがオチじゃね?
そんで、そのうち八王の乱みたいに北方遊牧民を引き入れる奴が出てきて、華北は遊牧民に席巻されると。
毛沢東が孔子の子孫○した曹操持ち上げたから
アンチ儒教者の人間として塗り替えられた
そういった作品の一つが蒼天航路
引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1172850269/
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コメント一覧
曹操がいない場合おそらく禅譲による王朝交代システムは採用されない
最有力の袁紹は漢皇帝を保護してないから禅譲してもらいようがないし袁術は玉璽を持っていて勝手に皇帝になれてしまう
袁紹なんかけっこう過激だから新しい尊号を考えて皇帝を廃止するかもしれん
袁紹なら史実から考えて死後○王の乱が発生して乱世に逆戻りする可能性が高い
たたその乱で異民族が活躍するかはわからんし史実よりかは文明崩壊の度合いか低いかもしれん
袁術が統一した場合代替わりで何が起こるかはわからんけど禅譲を採用してない以上は曹魏のように有力な家臣に天命が降るという理屈はやりにくいしもちろん司馬一族に権力が渡る可能性もさほど高くはないだろう