東晋の蘇峻ってホンマにエ○ゲの悪党みたいなことをしてたん?
ウィキペディア(Wikipedia)『蘇峻』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E5%B3%BB
>幼帝を擁して驃騎将軍を称した蘇峻は、配下の兵士たちに激しい掠奪を行わせたばかりか、
>朝廷の百官や、宮中に仕える宮女らの衣服を剥ぎ取って裸にし、
>官吏には苦役を強要し、王侯大臣であっても破れ筵や草で身を隠し、
>草もない者は地に座って土で身を覆い、裸を隠す有様だったとされる。
これ何てエ○ゲ?
18: 2007/04/08(日) 23:44:57 ID:hHA9crCA0
>>1
>これ何てエ○ゲ?
史実です。
“士女”というのは、百官と宮女という意味なのかな?
庾亮の妹だし、何らかの危害は加えられた可能性大だと思う。
晋書の后妃伝だと、
原文:「及蘇峻作逆、京都傾覆、后見逼辱、遂以憂崩、時年三十二」
超訳:蘇峻が叛逆して都を混乱に叩きこむと、皇太后は迫られて凌辱され、とうとう憂悶のあまりに崩御した。このとき三十二歳であった。
と書かれてるから、レ○プは確実。自○か他○かはわからないけど。
しかし蘇峻って、東晋軍相手だと無敗のまま戦タヒしたんだよねぇ。
酒に酔って落馬→そこを討ち取られるって間抜けすぎる…。
中国の女性に自害は無いの?
封神演義の黄彦虎将軍の奥方は厨王に陵辱される前に自害したけど
>>7
いや、普通にあるんじゃないの。
烈女伝なんか見たら、そんな話がずらっと。
特に宋代以降は、女性に貞節を要求する風潮が強くなったから、
自害も多くなったんじゃないかな。
この頃の建康ってどれぐらいの規模の町だったのかな?
東晋が建国されて、まだ間がない時期だよね。
三国時代の呉の首都だから相当に繁栄した都だろ。
元は建業だったけど西晋の皇帝の名を避けて改名されただけだし。
壁が生け垣か何かですぐ越えらえるものだったとか
中公新書の『中国の城郭都市-殷周から明清まで-』が面白いのだが、
絶版なので図書館などで探してみるとよいかも
>中公新書の『中国の城郭都市-殷周から明清まで-』
ブックオフで100円でgetした俺は勝ち組。
六朝期の建康城のことはよく分からないことが多いみたいだけど、
南斉初めまで外城が竹垣みたいなもので、
攻める側はすぐに宮城まで行けたみたいだな。
さぞかし壮観だったろうなw
>>9-14
金陵の場合、長江に守られているとはいえ、
一度その長江を渡られてしまうと、後が弱いように思える。
中国史上でしょっちゅう敵軍に占領されている印象があるし。
陶侃は蘇峻の味方をしかねない、と考えられてたのがなんとも。
温嶠が建康に行こうとするのを庾亮が止めた理由が、
「陶侃は(蛮人だから)蘇峻に呼応する可能性がある。君が抑えてくれ」
というのがやりきれない。
庾亮は一体、どこまで猜疑心が強いのだろう?
しかし陶侃・温嶠を向こうに回して連戦連勝の蘇峻は凄いよ。
…つか、陶侃の戦績って良く見るとパッとしないような…。
勝ち負けの繰り返しが多くて、純粋に「名将」と言うよりは、
大きい勢力を持つ「軍閥の領袖」の方がふさわしくない?
そういう素質を持っていたんだろう。
いわゆる塢主って奴?
つか、史書の反逆者列伝は「悪い奴だからどう書いてもいいんだ!」的に
誇張・歪曲されてるから、蘇峻伝は斜め読み程度で見た方がいいんじゃね
庾亮の妹が凌辱されたのに王導何もしてないんだな
よく戦後庾亮が王導を成敗しなかったなと思う
蘇峻は東晋に居るよりも石虎の元に行った方が良かったのでは
ちなみに蘇峻の乱後に祖約を処刑した程遐の家族は
蘇峻の乱の前に石虎に妻子を凌辱されている
引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1173936959/
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