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諸葛亮孔明ってよく唯一無二の天才と描かれているけど実際の実績をみれば才は無いな

2023年10月28日

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1: 2008/07/20(日) 18:48:22 ID:t2QA5Avo0
軍事…弱い
政治…蜀は国力無いまま
32: 2008/07/27(日) 07:47:08 ID:kFI9eebb0
よって>>1は諸葛亮の才能が無いことを、まとめて書き出す責任がある。といえる。
2: 2008/07/20(日) 18:52:37 ID:2VDJmZvD0
低品すぎる
さっさと削除依頼だしてこい
3: 2008/07/20(日) 18:59:13 ID:t2QA5Avo0
そうやって言論弾圧するのか
6: 2008/07/20(日) 19:09:06 ID:t2QA5Avo0

軍事
魏に負け続けた。

政治
厳しい税をひいた。
軍役率も高かっただろう。

歴史上の功績
饅頭作ったくらい

9: 2008/07/20(日) 20:39:04 ID:7yRrsksd0
面白い。どこまでこきおろすことができる?
10: 2008/07/20(日) 23:48:34 ID:MgHpmlpX0
あんな山ばっかりの秘境で現代でも移動に事欠くようなド田舎で国力の弱さを諸葛亮に言及するのは酷だろう
11: 2008/07/20(日) 23:54:12 ID:t2QA5Avo0
漢代には人口が500万人いたんだが
12: 2008/07/21(月) 00:01:22 ID:yFqMiNPEO
あの領土の中
諸葛亮は充分過ぎるぐらい成果を残してる
25: 2008/07/23(水) 02:20:18 ID:Mr1WykU+0
饅頭作った功績だけで
孔明>>>>>>>>>>>>>>>>>その他だが
27: 2008/07/23(水) 21:26:19 ID:BPMggqd80
>>25
饅頭は殷の時代の遺跡からも見つかってるよ
215: 2017/02/18(土) 04:21:23.72 ID:VJcPb41J0
>>25
饅頭は餃子だろ
孔明は餃子作ったのか?
30: 2008/07/26(土) 23:10:19 ID:3xG1SUuJ0
諸葛亮の才能の有無にはあまり興味はないが、諸葛亮の官歴とか権力集中の過程、次世代への引継ぎ、息子など興味あることがとても多い未だに謎の多い人物だ
39: 2008/07/27(日) 22:35:03 ID:U17kIXVPO
あんな小国が外征繰り返して、ほとんど国主みたいな宰相自身が前線にいんのに、存命中は国を瓦解させなかったんだからたいしたもんじゃん。
40: 2008/07/27(日) 22:57:24 ID:p24AWSst0
弱小軍閥全部そうだろ。
偉大なる曹操はそれで、政治軍事で功績を残した。
42: 2008/07/27(日) 23:16:03 ID:Qb1zh237O
後世の作り話の功績ばかりで全然凄くないとこ
44: 2008/07/27(日) 23:22:57 ID:KJWcwWrT0

とりあえず、才能が無いわけがない。
正史・演義に限らず、諸葛亮が優れた人物であった事は明らか。
ただし、演義で描かれる人物像は度が過ぎているのも確か。
漠然と語るのもアレなので、彼の主だった功績と失敗を挙げてみる。

・天下三分の計、赤壁での劉孫同盟への尽力
・蜀科制定、蜀の統治
・劉備に天下を託される主従関係
・南蛮平定
・馬謖による街亭の陥落、北伐失敗

46: 2008/07/28(月) 03:12:16 ID:Yn1ByjV+O

たとえ小さな軍閥とはいえ、血縁以外でそのグループのトップ立つには、才能が必要である。

基本的にこのてのスレって、陳寿の人物評価は妥当か?が焦点になるんだよ。
で、陳寿の人物評価を査定するために、同時期のある人物と比較し、
ある人物の、とある部分に対して、陳寿(または違う評者)がこう評価してる
なのに、この評価はと不当、もしくは、だから妥当、いう比較は有りだと思う。
でも、実際には、比較対照者の客観的な評価や、
その比較をした人物自身の判断に対する評価が数スレ続くと、
必ず自治厨がしゃしゃり出て、〇〇厨ウゼェーって言い出し、流れがブチ切られる。

2chにおいて、このてのスレは有意義な話し合いはできない。
ドコにでも基地外はいるし、基地外は自身を客観視できない。

48: 2008/07/31(木) 10:42:39 ID:ftOgmrNN0

政治家として、孔明は偉大。
公私の区別なく法を遵守し、自身も質素倹約していた。
統治力や法令整備もそうだが、孔明の清廉潔白な人格が大きかったと思う。
李厳が孔明のタヒで嘆いたのも、孔明が能力ある者を公正に重用してくれると
信頼していたからだろう。
軍才は普通。

どう考えても才能はあったが、最終目標の天下統一は荷が重かったと思う。
政治に専念しておけば、蜀も三代以上は続いたかも知れない。
孔明に代わって、軍事を担える人材が少なかったのも痛い。

50: 2008/07/31(木) 12:44:31 ID:Mj2CDCVA0
戦争なんてものは政治を構成する一要素でしかないから、政治ができる方がエライ。
韓信よりも蕭何のほうがエライ。これは常識。
諸葛亮は誰に比せられていたっけか…
54: 2008/07/31(木) 15:57:41 ID:xWl2WQnL0
>>50
政治は管仲
軍事は楽毅
しかし孔明に楽毅ほどの軍事的才能は無い
55: 2008/07/31(木) 16:08:59 ID:xWl2WQnL0
>>50
陳寿が三国志で孔明の事を、管仲、蕭何に匹敵すると評価してる
51: 2008/07/31(木) 12:57:39 ID:SuhlasLO0
「漢代」ってのが漢代のいつの時期か分からんし、地域を蜀に限定してるつもりかどうかも分からんが
中国全体で徴税の対象として把握されてたのは前漢平帝の頃に5900万人前後、
後漢桓帝の頃に5000万人前後とされるんだから、中国全体で「漢代の人口500万人」だとすれば少なすぎる
52: 2008/07/31(木) 13:06:58 ID:SuhlasLO0
で劉禅の頃の蜀の人口は94万人とされ、三国の合計で800万人ぐらいになる
「漢代の(蜀の)人口500万人」とすれば今度は多すぎる
53: 2008/07/31(木) 13:47:53 ID:SuhlasLO0
三国じゃなくて漢代なら蜀の500万もあり得るんか
どうせスレ違いだしどっちでもいいけどな
57: 2008/07/31(木) 16:51:22 ID:zbjtH6J00

管仲に匹敵するって言われたからって安直に管仲=諸葛亮にしちゃうのは愚の骨頂
ハーンズの再来って言われながら世界に行けなかったボクサー何人もいるし

蜀をデザインした諸葛亮の手腕は凄いものだと思うけど…
同時代で比べても策と揚州平定で活躍しその後も呉の重役として尽力した周喩や
混乱期にいち早く勢力拡大に乗り出して最大の勢力を作った袁紹のが凄いと思うし、まして曹操とじゃ…

凄い事は凄いけど、圧倒的って程でもない様な気がすんだよなあ。
諸葛亮のタヒ後も国が何十年も続いたのはやっぱり彼の影響もあるんだろうけどね。

59: 2008/07/31(木) 20:10:33 ID:rueQVH3p0
直接自分が率いた戦では負けてないし、軍才はあっただろう
槍だか手押し車だかの発明がガセだったとしても蜀の富国強兵はかなり成功した部分があると思う
ただ、戦術および大戦略ではうまくいっても戦略レベルで数倍の兵力を持つ敵に勝ち続けるだけの能力はなかった
61: 2008/08/01(金) 00:23:09 ID:Gw1kd3CV0
あれ?管仲とか楽毅って自称じゃなかったか?
63: 2008/08/01(金) 13:43:26 ID:UxiToO0c0
>>61
自称だが陳寿も同じく評してたと思う。
64: 2008/08/02(土) 01:22:02 ID:CmD+csdU0
>>63
陳寿は三国志で孔明を管仲、蕭何に匹敵すると記述したけど
楽毅に匹敵するとは記述してないと記憶してる
62: 2008/08/01(金) 04:41:11 ID:JgaDx1AZ0
蕭何タイプだったのに張良・陳平役も韓信役もやらねばならなかった時点でどうしようもないなw
まあそれでもわりとうまくやったわけだからやはりなかなかの傑物だろう
66: 2008/08/02(土) 03:48:37 ID:7D86sHQR0
>>62
法正が長生きだったら陳平の位置だろうけど韓信が見当たらんからなぁ。
蜀軍全てに人望のある魏延というキレイなジャイアン級のアクロバットが必要だろうしw
65: 2008/08/02(土) 01:45:38 ID:CmD+csdU0
確認した
やっぱり陳寿は孔明が楽毅に匹敵するとは記述してない
用兵家としては数度に渡る魏への侵攻が成功しなかったのは
孔明に(臨機)応変の才能が無かったからと言う総括
67: 2008/08/02(土) 14:14:43 ID:CXpfkTAm0
魏延ではいいとこ灌嬰のポジション
68: 2008/08/02(土) 14:30:57 ID:qXXnuc2e0
軍事で韓信級の将帥といえば……
曹操だろ。
ああ、蜀漢の中で、か。
代替はせいぜい関羽だなぁ… やっぱり。
詐術に向いてないと思うから、今三歩くらい届かないが。
70: 2008/08/02(土) 16:17:21 ID:y7YZzXKGO
>>68
田豫
しかしとっくの昔に劉備に愛想尽かして去ってるから無理か
69: 2008/08/02(土) 15:37:55 ID:T/+fBCem0
孔明は、楽毅を尊敬してたが自称はしていない。
楽毅の書いた手紙に感銘を受けたんだったか?
74: 2008/08/02(土) 22:49:44 ID:SgsF5LFo0
三国志全体で言えば周瑜なんかは韓信に近い強さだな
曹操は自分が率いた戦では強いが、敵なしというほどじゃなかったからなあ
75: 2008/08/02(土) 22:56:57 ID:/3esGmiy0
周瑜は赤壁の一発屋。
曹操もこと軍事の才能に限れば韓信には遠く及ばない。
三国時代最高の将帥は鄧艾。
76: 2008/08/03(日) 00:00:04 ID:l1skDIPG0
>>75
周瑜は対黄祖と江陵攻略でもかなりの戦果を挙げてるそ
78: 2008/08/04(月) 00:30:50 ID:IX0YJbHC0
まあ>>75はかなり偏った意見ではあるが…
周喩も言ってみれば辺境でしかおおっぴらに戦った事ねェしな
たしかにそれだけで最強と呼べるかは疑問
80: 2008/08/05(火) 19:41:12 ID:n5086Ktx0
>>75
韓信に曹操のように屯田兵経営やりながら勢力拡大をする手腕があったとは居思えない。
89: 2008/08/14(木) 14:47:04 ID:6G6N47jk0
諸葛亮とシバイの立場が逆だったらどうなったんだろう
魏蜀の情勢が変わることはありえたんだろうか
90: 2008/08/16(土) 01:59:07 ID:ygom22bW0
すぐに乗っ取られるんじゃね?
91: 2008/08/16(土) 10:47:44 ID:CmeVG6NY0
司馬懿さんには、相としての力量がどうか、というのにかかってくるでしょ。
一方面の軍事だけ任される裁量しか与えられないんじゃ、姜維と立場
変わらんしね…
諸葛亮のように全権掌握なら、なんか遠からず乗っ取りそうでもあるし。
そうなれば、当然、その混乱や間隙を、魏や呉に狙われるだろうから
命数は短いような気がする。
92: 2008/08/19(火) 16:07:12 ID:U9FDtPd6O

何が泣いて馬謖を切るだよ。自分が勝手に採用しといて部下に責任転嫁して○すとか性格悪すぎ。

北伐なんて無駄

93: 2008/08/19(火) 16:47:44 ID:DncdmU9zO
いや、馬謖を○したのは軍令違反したからだろ
94: 2008/08/19(火) 16:49:59 ID:BTCGAQz+O
↑命令に背いて蜀をボロボロにしたのは馬謖
馬謖を採用したのは孔明の失策だから降格して罰を受けてる
98: 2008/08/19(火) 22:19:15 ID:zIywlVPW0
>>94
降格しても丞相の仕事は変わらずやらざるを得なかった悲しさ
モロに人材難は出てるね
95: 2008/08/19(火) 17:11:53 ID:67mFIcq/0
必タヒと笑われるかも知らんが、言うこと聞かない派遣は馬謖
96: 2008/08/19(火) 17:22:32 ID:dINj0NGaO
命令違反で大敗した上に脱走までやったら。庇いきれないわ
97: 2008/08/19(火) 21:13:06 ID:Bf114sVfO
馬謖の場合は脱走があるからねぇ。勝敗は兵家の常だから、その責任逃れをしようとして脱走した事が、より罪が重くなって処刑になった。それが真相だと勝手に思ってます。
99: 2008/08/20(水) 00:23:02 ID:QTDy0Q9F0

馬謖の失敗は後の歴史で見ると大損害に思えるね・・・・

孔明が叩かれるのは、演義で神がかった脚色がされてるからか?
蜀の命運を双肩に背負っている立場上、期待感も大きかっただろう。
伏龍なんて呼ばれず、蕭何っぽい人として描かれていれば印象だって
変わったんだろうなぁ。

100: 2008/08/20(水) 02:29:08 ID:H6sc8t680
孔明は蜀にとって絶対に必要な人材だったが、蜀の何から何までを取り仕切れるほどではなかったという感じかな。
104: 2008/08/20(水) 12:42:16 ID:7alO06bl0
「赤壁の戦い」という名称は作り物だが、それに該当する戦いはあるんだし。
それも火船攻撃しているんだから、元ネタでしょうが。
ただし、諸葛亮が従戦した記録はないので、虚構で妖術使わせたけど
それとて、大筋から逸脱しているわけではない。
つまり、演義の赤壁の戦いは、別に諸葛亮がいなくてもいい。
しかし、それを出すことによって印象を強めようとする手法というわけ。
だろ?
110: 2008/08/20(水) 16:52:50 ID:BvG9JFy7O
>>104
正史では魏軍に疫病が流行り引き揚げる際、置いていくしかない船団は燃やして撤収してる
111: 2008/08/20(水) 17:04:04 ID:SvpYN4AE0
>>110
武帝記だけじゃなくて周瑜伝、黄蓋伝も読もうぜ。
105: 2008/08/20(水) 12:49:52 ID:fL0vii/u0

522 名前:1/3[sage] 投稿日:2008/07/01(火) 22:57:21 ID:EBZJhXxM
話題に乗り遅れながら演義の諸葛亮のエピソードを羅列したよ。
興味無い人はスルー。原文流し読み。

1:計略等で敵軍を破ったエピソード
一番オーソドックスなやつ。
・計略で夏侯惇の軍を破った
・計略で曹仁の軍を破った
・曹操の退路を読み切り、伏兵を配備した
・周瑜と曹仁が戦っている隙に、陳矯を捕えて兵符を取り上げて、南郡と襄陽を奪った
・曹操軍本体を様々な計略を駆使して
(銅鑼を叩いて不安がらせる 背水の陣を敷く 糧道を絶つ など)
終始戦闘を優位に進め、曹操を漢中から撃退した
・雍ガイ 高定 朱褒らの反乱を策略によって平定した
・董荼那 金環三結 阿会喃らを、味方の抜け駆けまで計算に入れて破った
・孟獲を伏兵で破り捕えた
・馬岱に孟獲軍の糧秣を絶たせた
・退却して見せて、追撃してきた孟獲を破り捕えた
・兵士全員に土嚢を作らせる策で、朶思大王が守る城を落とした
・趙雲らに策を授けて祝融夫人を捕えて捕虜交換に用いた
・木製の怪獣によって木鹿大王の猛獣軍を打ち破った
・地雷によって兀突骨の藤甲兵を焼き○した
・安定太守の崔諒を偽使者でおびき出して安定を奪った
・夏侯楙らの策を逆手にとって南安を攻め落とした
・夏侯楙や偽姜維を用いて馬遵らに不信感を抱かせ、姜維を孤立させるなど
様々な策で姜維を追い込み、降伏させた
・曹真を夜襲を利用した策で破った
・城に迫る司馬懿を空城の計で追い返し、伏兵で損害を与えた
・曹真らの輸送隊を囮にした策を逆手にとり、破った
・魏延に策を授け王双を斬らせた
・カク昭が守る陳倉を電撃戦によって落とした
・司馬懿の命で武都陰平に向かう郭淮孫礼を待ち伏せて破った
・司馬懿の命で蜀陣を攻撃した張コウ戴陵を伏兵等で破った
・総攻撃に移った司馬懿の魏軍を本陣奇襲等の策で破った
・曹真を伏兵や偽装兵によって破った
・司馬懿との陣立合戦に勝利した
・退却するたび竈を増やす策で司馬懿を欺き、安全に撤退した
・偽の諸葛亮達を用いて魏軍を幻惑し、その隙に隴西の麦を刈り取った
・隴西に攻め寄せた司馬懿を伏兵によって破った
・ちょうど百日で兵卒が交代する日に魏軍を攻め寄せたとき、
あくまで交代させようとする態度を貫いて兵卒を奮い立たせ、魏軍を破った
・魏延らに策を授け、追撃してきた張コウを討ち取った
・司馬懿の鄭文らを用いた偽投降策を逆手にとって司馬懿を破った
・木牛流馬を複製した魏軍を、木牛流馬の構造を利用した計略によって破った
・司馬懿親子と魏延を谷に閉じ込め、焼き○そうとした
(ちょうど雨が降ってきて司馬懿らは助かった)

これで「史実の諸葛亮の軍才を超えていない?」
直接戦場に立たなかったときの戦果もまだまだ有るし。

106: 2008/08/20(水) 13:02:04 ID:7alO06bl0

>>105
戦略的にはほとんど変化ないからなぁ
細かい戦術勝利を軍才とするなら、神がからせようと必タヒではあるが
ほかの演義みたいに、勝っちゃわないところが史実を超えていないと
表現するところじゃないのかね?

>>・カク昭が守る陳倉を電撃戦によって落とした

陳倉って落としたんだっけ?

107: 2008/08/20(水) 13:14:11 ID:fL0vii/u0

>>106
落としてるよ。98回。
魏延、姜維に「三日準備して陳倉攻めろ」と指示しておいて
関興、張苞らをそれ以上の早さで出撃させた奇襲で陳倉を落としてる。

演義諸葛亮が勝てない原因はほとんど諸葛亮以外にある、というのが演義のスタンスだ。
勝てないから諸葛亮の軍才が史実を超えてない、なんて理屈は通らん。

109: 2008/08/20(水) 15:20:12 ID:7alO06bl0

>>107
ああ、確認した。
重病の郝昭が驚いてタヒんだってやつね。

>>なんて理屈は通らん

はは。ま、そうだろうけど、他の演義みてると、三国演義がマシで、
まだ史実に沿っていると見えてしまうわけだ、自分としては。
他のでは、勢力地図からして変わったりするのもあるしね。

108: 2008/08/20(水) 14:51:05 ID:O8dP1raP0
やってることが待ち伏せと祈祷ばっかで作者の羅姦中も
ウンザリしたことだろう
120: 2008/08/22(金) 18:14:13 ID:rqjz/YkB0
>>108
話を作ってる人は天才的軍略家ではなくて講釈師みたいな庶民だろうから軍事はわかんなかったんだろうね
113: 2008/08/20(水) 23:25:51 ID:INA+CKUE0

疫病は仕方ないとしても、それで荊州に撤退しなかった事や長期の遠征も含め赤壁は曹操の強引さが招いた敗北
周喩にも見事にそこを突かれた。

が、全滅はせずに曹仁らがコウリョウに残ってるので
演義ほどこっぴどくやられたわけでもなかったりする

115: 2008/08/21(木) 11:14:45 ID:fJIIsHd90
>>113
ただ船団を焼かれちゃったのは結構な損害じゃないかね。
それに曹仁が残ってる、と言っても結局1年くらい見○し状態だったわけだし。
114: 2008/08/20(水) 23:48:16 ID:OZuMgFpCO

蜀で平和に暮らしてた民の気持ちも考えろよ!

北伐なんて無駄

116: 2008/08/21(木) 12:37:32 ID:MJ5LkBXB0
>>114
蜀滅亡後、晋に併合されたあとは
征呉用の戦艦建設のため神聖な墓地の松柏まで刈り取られ
南中で乱が起こっても中央政府に「今は忙しい」と放置され
後には関中で増加した異民族の押し付け先になり、他の地域に先駆けて
異民族国家が誕生し、多くの住民は流民化。おかげで周辺も大混乱。
118: 2008/08/21(木) 21:10:57 ID:a8kpoXWT0
なんもなければ、それだけで平和に暮らせるって考えるのが日本人的な脳天気だよな
戦乱多き、大陸では断続的な戦争を続けながらも安定を保てるだけでも大変なもの
(むしろ、平和すぎれば、周辺国の食い物にされる)
三国志や蒼天ばかりじゃなく、十八史略を最低読んでから、来い
119: 2008/08/21(木) 21:18:40 ID:v52gAmv20
>>118
国境の国防軍が、ではなく上のほうが平和に慣れ親しむと
あっという間に崩壊してるしね。特に四川軍閥は。
討伐軍が出陣して数十日単位で陥落って例が数度もあると、もうね…
121: 2008/08/22(金) 18:34:00 ID:+Ud3UohA0
あと講釈だと○×の戦いを一席ぶつだけだろうから待ち伏せ・奇術の類も
1回ずつで済んで、客もそれで腹いっぱいになって帰るんだろうが
三国演義として120回まで通して読むと同じ事の繰り返しで飽和するともいえる
122: 2008/08/27(水) 21:16:43 ID:ebNQu9yv0

孔明って有能なんだけど、劉備を選んだ点が無能に思える。
劉備タヒ後の孔明独裁政権下の蜀漢において、
人材難が発生したのはこの人が時流を読めなかったと言うのもあるから
自業自得の側面もある。
孔明並みに賢ければ劉備陣営の未来がないこと、
曹操陣営と言う新興勢力のほうが未来があることに気づけると思うんだがなぁ
この人は生前において知っていたともおもうがな

魏の曹操より漢の劉備を選んだ点に孔明の限界を感じる。
この人って賢いのか賢くないのかわかんない。
劉備のような弱小勢力で&未来無しの漢の復興掲げる連中に身を投じれば、
そりゃ人材難が発生するだろ・・・。

人材難が予想される国に身をよせたのだから、
自業自得の側面も否定できないし、
彼もそれがわかって劉備についたのだろう。
だから孔明の晩年の失策の擁護に人材難を語る人がいるが、
漢の劉備を選んだのは孔明自身でもある。
孔明ってそう考えると評価に難しい人物だ。
曹魏より劉漢を選んだ時点で賢いのか賢くないのか?
天下三分を進言できるのなら、この人は確かに時流を読めたはず・・・。

123: 2008/08/27(水) 21:20:04 ID:j4B3/SHt0
しかし諸葛亮が魏に仕えたところで魏の丞相にまで出世できたかは疑問
124: 2008/08/27(水) 21:34:44 ID:ebNQu9yv0

>>123
明らかにこの人は最弱の漢で、その上、人材難の場所で、
きりもりできるのだからなれるのは確かだと思う。
曹操も喜んだろうし。

最もこの人は判断力において弱い・・・ような気がする。
なにせ劉備に主従する事を決意したのは確か27くらいで、
まだ30にもなっていない時期。
この時期であれば判断力や知力は冴えていただろう。
なにせ晩年の判断ミスなどを考えると、
この時期はまだ若いから判断力が衰えているとは思えん。
その上、天下三分の進言に見られるように、今を把握できていた。
つまりこの人はわかってたんだと思うんだな。
なにせ漢も前後(東西)を合計すると400年近くも続いている。
明らかにこの人も限界だとわかっていたはずだ。
恐らく、この時期の孔明は自信家だから、自分がいればまぁ、
漢もどーにかなるだろうと思ったんだろうな。

この判断が正しかったかどうかなど誰にも解らないが、
孔明が魏にいればもっと活躍できたような気もするし、
天下統一も早まったのではないか?
そっちの方が天下万民にとってもよかったと思うが、
孔明の劉漢についたところにこの人の限界も感じる。
所詮は地方小国の小物で終わってしまった。

125: 2008/08/27(水) 21:38:56 ID:ebNQu9yv0

だから判断力に関して?がつくところがある。
どうして27のまだ若い時期に、わかっていたはずである。
それなのに劉漢を選んだ、見えていたはずである。

そこに孔明の限界と判断力の不確かさを感じる。

最も三国時代に強烈な人間が一人もいないから、
孔明の評価も難しいんだよね
所詮は地方小国の宰相で終わった人だから

126: 2008/08/27(水) 22:01:25 ID:b9EFfLP+0
というか、鶏頭となるも牛後となるなかれ的な野心家だったのだろう。
天下三分、いわゆる分裂状態自体は、別に悪ではないので、
三すくみ状態をつくって、慢性的な緊張感を与えることこそ、衆愚とならない
道だとしたのかもしれない。
秦の統一以来、中国は分裂と統一を繰り返すが、統一されたからといって
戦争や不平や不満がなくなったわけでもないし、分裂だったから
社会が停滞したわけでもない。
分裂抗争が長引き疲弊すると、「だれか優秀な者によって統一を」と望み
一時の平和と今とは違う社会を夢見る。
統一王朝が腐敗すると、その矛盾は被支配層を蝕み、今とは違う社会を
作る原動力になってしまう。
135: 2008/08/28(木) 12:24:35 ID:Hg+9fjk60

孔明って徹底したリアリストではなくて
どこか理想主義者ってな感じがする。
地方小国に身をよせれば華々しい活躍なんて
そりゃ当たり前だができない。
だけど劉漢を選んだのは孔明自身でもあるからね。

>>恐らく丞相にはなれなかった
それは孔明を貶めすぎていると思う。
俺は孔明が三国一とか思わないけど、
少なくとも有能である。
魏に孔明に比肩できる奴は具体的に曹操以外でいたか?
国力差がありながら魏の司馬懿と対等に渡り合ったのは、
それだけ力が備わっていたからでしょう?
大国の魏と、名将の司馬懿と対等であれたのなら、
それこそそこまで貶めるほどではない。
むしろ孔明を貶める人たちに述べたいが、
魏が孔明で、蜀漢が司馬懿だった場合、対等に競い合えたか?
そういうシュチュエーションで考えると、
孔明は卑下される存在ではない。

141: 2008/08/28(木) 13:09:25 ID:BRVWi5CDO
>>135
魏に仕えてたら、丞相になれなかったと言うより大職につく機会が無かったと思う
魏は赤壁で負けたけど、その勢力は圧倒的で、魏、呉に続く勢力はなく、周瑜早死のことを考えるとおそらく劉璋勢力も魏に丸呑みされ、こうなると呉は四面楚歌状態で滅亡待ち。
劉備も荊州取れずに野垂れタヒに。
こう考えると公明が魏に仕えたとしても活躍する場がほぼなく、活躍したとしても治世の名文官止まりだと思う。
丞相になれたとしても武の面では力を発揮できなかったんじゃないかな
142: 2008/08/28(木) 13:12:29 ID:Hg+9fjk60
>>141
結論からいえばだれもわからないけど。
143: 2008/08/28(木) 13:21:42 ID:UYIZK1+e0
>>142
歴史上に名高い宰相として後世に伝わっているのは
なにも結果だけじゃない。
それに、結果で諸葛亮を評価しているのを見たいなら
舊唐書でも読めばいい。南詔伝でも見ればいい。
名高いわけのひとつとして、託子の遺命のこともあるよ。
舊五代史を読めばいい。
なにをもって「中国史上でもとるにたらない人物で終わった」などとするか。
147: 2008/08/28(木) 13:39:54 ID:aq7pdygs0
個人的には>>141と同意見だな。
孔明あっての蜀であり、蜀あっての孔明だったろうね。
たとえ魏に仕えて大出世したとしても、中国歴史上の一名将どまり。
これが知名度としてのシバイと孔明の差。
蜀に仕えてからこそ神格化され、後世にまで名が残ったと思う。
138: 2008/08/28(木) 12:47:31 ID:Hg+9fjk60

孔明って有能だけど、具体的な結果がだせなかったから
そこまで持ち上げられる存在でもないよ。
孔明アンチ派はそこまで悲観しなくてもよい。
孔明は有能だけで結果なし、の人だから。

もし孔明が魏を選択していたのなら、
魏主導の天下統一も可能だったと思うけどね。
劉漢を選択したところに、そこに孔明の限界を感じる。
だから地方小国の宰相で終わってしまった。
中国史上でもとるにたらない人物で終わってしまった。

孔明は魏にいけば・・・・と思う
歴史上に名高い宰相になれたのではないか
そこに孔明の知力の限界を感じる

139: 2008/08/28(木) 12:52:35 ID:SfPereBU0
無理だろ出世できない
140: 2008/08/28(木) 13:07:43 ID:UYIZK1+e0
諸葛亮は十分、歴史上に名高い宰相ですが…
142: 2008/08/28(木) 13:12:29 ID:Hg+9fjk60
>>140
でも孔明は具体的な結果がないやん。
有能だけど、結果がない状態で終わった。そんだけ。
所詮、地方小国の宰相だからねぇ。
144: 2008/08/28(木) 13:22:21 ID:sVzI7DE10
攻めての功は簡単に評価して、小国が強国に喰われないように対峙しつつ、
相手に好き勝手攻めさせなかった事実はなんで評価されにくいんだ?
当時の国力、人材の厚さを考えたら守りきっただけでも賞賛に値するがな。
「物語の様な奇策法術をあやつるスーパーマンでは無かった」なら解るが、
逆にベクトル振って「実は無能でした」みたいな言い方するやつが最近多過ぎる。
それこそ脚色曲解もはなはだしいと思うがな。
146: 2008/08/28(木) 13:29:21 ID:UYIZK1+e0

>>144
>>事実はなんで評価されにくいんだ?

結果がでてないから、と言いたいんでしょうね。
でも「結果的」に、後世諸葛亮の名は一定の知名度をもって語られることに…

148: 2008/08/28(木) 16:31:10 ID:uQVbtSuz0

まあ長年儒教のプロパガンダとしてかなり水増しされた評価を受けていたからこのくらいの過小評価は仕方ないんじゃないか
曹操の再評価と一緒だよ。

確かに曹操が当代最強の軍人であり中国史上でも屈指の器用貧乏だという事に異論はないが、
さすがにゴンタが見せるような世界征服まで成し遂げそうな魔人ではない。

もっともそんな釣りとしか思えないようなマンセーも最近じゃいないから、諸葛亮を過小評価する連中もそのうちいなくなるだろう

149: 2008/08/28(木) 22:31:48 ID:aq7pdygs0
曹操は芸術家だな。
感情的になることもありゃ、派手に勝つ時もあり、また負ける。
中国屈指の名将ではないが、興味深い人物だ。
153: 2008/09/04(木) 11:51:55 ID:xqBk9z8eO
孔明はショクのプロデューサー的役割でありながら、現場のディレクターとしても指揮権を振るった。
趙雲、蔣琬、馬忠あたりにこの仕事が託せればねって思うけど。
155: 2008/09/04(木) 20:06:24 ID:gWvdVhWw0
隆中から出て来て無位無官のままで呉と同盟を取り付ける
例えるならヒキニートが零細企業の仮採用の身分で
業界2番手との提携を取り付けるようなもの
現代にこんな才能の持主がいるだろうか
156: 2008/09/04(木) 23:52:36 ID:S/6Yq1oQO
>>155
ヒキニートはヒキニートでもオックスフォードの大学院卒のヒキニートだがな。
しかも各国首脳格にコネのある。
158: 2008/09/08(月) 06:32:46 ID:3lDktqmpO
蘇軾や崔浩のいうとおり実力はたいしたことない
160: 2008/09/09(火) 12:02:26 ID:dvnKCIgh0
蜀叩き孔明叩きの知ったかはたのむからここでだけやってくれ
最近どこででも極論で孔明叩きの書き込みを見かけてやれやれだ
逆脚色にも程がある
168: 2008/10/23(木) 14:01:25 ID:47hrl/WK0
アンチ蜀・孔明の多くは三国志ファンの反抗期みたいなもんだから生暖かく見守ろうよ
170: 2009/07/25(土) 17:38:35 ID:NoKcf2/Q0
劉秀と比べればどれも才能無しに見えるな。
172: 2009/07/26(日) 23:50:16 ID:J87od2fy0
比べる相手がチートすぎる。
175: 2009/07/29(水) 15:03:42 ID:tdIbOr2pO

俺は誰に何と言われようが三国志を語り始める奴は軽蔑することにしてる

三国志好きにまともな奴はいない
いたとしても、ヤクザの中で善人を見つけるようなもん

177: 2009/07/29(水) 19:13:42 ID:W/Q+zmZk0
>>175
どうした、なにがあった?
相談ならのるぜ
180: 2009/08/28(金) 08:31:16 ID:y4etApkm0
186: 2010/06/11(金) 09:49:24 ID:QotcgpBfO
じゃあ曹操や司馬懿なら北伐出来たのか?
188: 2010/08/14(土) 21:25:02 ID:f98MmBCO0

>>186
個人の能力で、1国として体裁が整った勢力に対して、
圧倒的な戦力差があっても、そうそうどうにかできるものでもない

多少暴論だが、国を征服するには、その国に内憂が起こっていることが条件といっても良い
曹操であっても司馬懿であっても、当時の魏、蜀の関係を考えれば、北伐を成功させることは
困難といえる

189: 2010/08/15(日) 04:11:52 ID:VeNjO8Kn0
そうそう、曹操であってもそうそうどうにかできるものではないよね
190: 2010/08/19(木) 13:21:12 ID:6pGKQPXl0
孔明は志を最後まで諦めないところは、かっこいい。
193: 2010/09/22(水) 09:52:10 ID:tOYxLQqX0
そもそも歴史に名を残している時点で無能では無い。
七光りなら無能の可能性も有るが、元々ニートだしな。
194: 2010/09/25(土) 21:30:34 ID:69ENWi460
なんで三国志に関係する話は有能か無能かの二極論ばっかなんだ
201: 2011/03/10(木) 05:10:57.78 ID:oeH7ulwp0
こいつは発明家だろ
202: 2011/03/13(日) 18:46:04.70 ID:NNpcNwb90
今日の三国演義は泣いた
203: 2011/03/20(日) 13:50:46.76 ID:MOYwJkdL0

地盤作ったのは琉美で守ったのは蒋琬とかの方がはるかに早い
当時の魏の状況考えても呉や公孫淵や鮮卑等の遊牧との対魏包囲網作れば蜀が魏に勝てる可能性だって
十分あったのに孔明の唯一の戦果2郡は批判されても仕方がない。

第一次北伐で長安にぶち込んで鮮卑との後詰めありゃ籠城してりゃ簡単に手出せねぇだろ
蜀の方が早く軍は到達すっし

210: 2012/07/12(木) 11:28:15.80 ID:reRSuznM0
諸葛亮VS劉封
211: 2012/11/02(金) 19:06:41.04 ID:mjIe6Q6x0

孔明のカミさんはブスで有名(当時の美人の価値観で)

中国の四川省(三国志の時代の蜀の国)のチベット自治区美人谷出身
映画レッドクリフの主題歌を歌ったalanさん
http://alan-web.jp/profile/

外見の特徴が、孔明のカミさんの歴史書の記述とほぼ同じ

212: 2015/10/09(金) 15:36:37.87 ID:H0EB7W+40

槍、気球、改良連弩、饅頭

政治と関係がない

213: 2015/10/30(金) 19:24:26.35 ID:4QVntuMh0
論語はただのドライな人間関係を描いた小説で、
いいとこ取りをして哲学に流用したのは日本人
216: 2017/03/26(日) 15:11:19.46 ID:KpFCjS820
孔明は軍師というよりは政治家。
軍人でも武将でもはないから軍事において功績が少ないのは当然。
内政、外交面では文句なしの手腕を発揮し
留守役が主だったのもそのためである。
それでも劉備や将軍達は進言を孔明に求めた。
才能なしの凡人に果たしてそんなことをするだろうか?
人物の資質を見抜く力は超一流と言われた劉備が
「孔明は水のようなもので私は魚。孔明なしでは私は生きられる。」
と言わしめ、反発してた関羽とチョウヒも孔明の才覚の凄さを見て
「すまなかった。これからは協力する」と素直に頭を下げたほど。
苦戦してた定軍山の戦いでは孔明が来て、曹操軍名将の夏侯惇を討てたし
異民族のリーダー孟獲に7戦全勝し捕らえては離してあげ
孟獲に「あなたには絶対勝てません。二度と逆らいません」
と言わせ心服した。これにより異民族との衝突が消え統治出来た。
また孔明は軍略だけでなく
政治、医療、気象予報、工具開発、治水工事、兵糧管理
と様々な分野で手腕を発揮。 今で言う博士に近い存在になり
特に武器開発は素晴らしく悪質な剣しかなかった当時
槍や刀を開発したのが諸葛亮と言われている。
それから当時一番悩みの種だった前線への兵糧を一度も遅れず
スムーズに届けられたのは孔明がいたからだと言われている。
今で言う 三輪車?を開発し山道での運送を楽にしたのも孔明。
当時、漢民族だけでなく差別されてた少数民族にも自治を授け
物資を与え暮らしを楽に豊かにさせ、非侵略者の聖人として
崇められた偉人は三国志の歴史でも彼だけ。
孔明が明らかに失敗したのは人事だけである
孔明のタヒ後、蜀は汚職など政治の腐敗が顕著になり
やがて滅亡へと突き進んでいく・・・

引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1216547302/

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