【マグリブ】アラビア半島に代表されるアラビア語圏の歴史について
アラビア語(マルタ語も含む)圏、かつてアラビア語が使用された地域、アラブ系移民が
多い地域、アラブ人街の歴史、文化について語るスレです。
主な対象地域
マルタ、エジプト、サウジアラビア、シリア、パレスチナ、UAE、アルジェリア、イエメン、イラク、
オマーン、カタール、クウェート、コモロ、チュニジア、バーレーン、マリ、モーリタニア、モロッコ、
西サハラ、ヨルダン、リビア、レバノン、エリトリア、スーダン、チャド、ソマリア、イスラエル、イラン、
イベリア半島、マレーシア、インドネシア、パリ、ロンドン、トロント、モントリオール、シンガポール、バンコク等
2: 2012/05/03(木) 21:46:14.36 0
「アラビア語圏」は必ずしもイスラム教徒というわけでもあるまい。マルタの例もあるし、
コプトやマロン派の教義や社会を論じるのにはここは最適だろう。
>>4
>コプトやマロン派の教義や社会を論じるのにはここは最適だろう。
なるほど、そういう需要もあるんだな。
スレの趣旨も大分違うし。
マルタだけに別の独立した言語が生まれたんだろう。
>>7
アラビア文字を廃止したからじゃね?
アラビア文字を使ってたら、アーンミーヤ扱いだったと思う。
なるほど。
たまたまヨーロッパに近くて、でも話し言葉はアラビア語という地域がマルタしか無かったということか。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/syometsu/shuchoyemen.html
UAEなんか、未だにフジェイラとか、ラスアルハイマとか、アブダビとか土侯国としても健在なのに、
やっぱ石油が無いと駄目なんだろうか。
名産品、蜂蜜とか綿と書いてあるけど。
お互いマイナー好きだなぁ。
50 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/07/18(月) 21:30:53 0
ハシーム家のヒジャズ王国。アラビアのロレンスの活躍等で有名。
イギリスの後押しで1920年独立するも、わずか5年で滅亡w
ハシーム家はメッカ・メディナの本地をサウド家に奪われ、イギリスから
ラクとケラクに所領を譲ってもらい存続。思えばこれが、イギリス中東政策躓きのはじまり。
イラクのハシーム家も第二次大戦後に革命で滅亡。現在ハシーム家はケラクのみ。
歴史の流れが違えば、アラビア半島・イラク・シリアにハシーム・アラブ王国が建国されていたかもしれない。
216 名前:自転車小僧 ◆IBmI/K76EY 投稿日:2007/06/21(木) 01:38:46 0
オスマン=トルコ語は母音が8個あるトルコ語を3母音しか書き分けできない
アラビア文字で表記すると言う無理があったし、オスマン=トルコ語の
表記が不統一で本来のアラビア語にない"p"や"g"と言った子音も人によって書き方が違う非常に不便なものだった。
青年トルコ党は当初アラビア文字を分かち書きした新トルコ文字を作ろうとしていた
が見た目がよくない上に分かち書きすることで"j","ch","kh"など点の数で区別する
子音が紛らわしくなるなどあったし、政教分離と言う考えもあって結局ラテン文字
にした。おかげで識字率は飛躍的に伸び当時の中東地域ではもっとも発展した地域にもなった。
ラテン文字を擁護するわけではないが言語の表記がうまくできなければ文字としては存続するのが難しい。
沖縄みたいだな。
>>23
アラビア語の短母音は、ア、イ、ウの3つしかない。
二重母音や長母音もア、イ、ウの組み合わせだけ。
ただ、イがエのように聞こえたり、ウがオのように
聞こえたりすることはある。フサイン→フセイン とか。
それとも、英語の母音の方が近い?
>>26
アラビア語のアは、日本語のアとも英語の母音とも違い、
ドイツ語の a に近い発音。
アラビア語のイは/i/、日本語のイとほとんど同じ発音。
アラビア語のウは/u/、英語の口をすぼめる u に近い。
しかし、もともと3種類しか母音がないので、日本語風に
平坦なアや平坦なウで発音しても、充分に通じる。
子音はメチャクチャ多いけどなwww
いちおうアラブ連盟もまだあるし、全く無いわけじゃないだろうけど弱いじゃろうな
近年はイエメンも随分出生率が下がってきたし、そこまでは行かぬかも
出生率低下速度が遅いアフリカ諸国のほうが大人口となるかもね
wikipedia以上の情報がなかなか無くて。
英語でもいいんですけど。
歴史の話なんてシバの女王のことぐらいしか書いて無いよ。
いろいろぐぐっていたら、ソコトラ島のキリスト教に関する面白い論文を見つけました。
ソコトラ島のキリスト教について
http://hdl.handle.net/2433/154435
古代ギリシャ人でペルシアの教会の管轄下にあるキリスト教徒だった人々が住んでいたことは
史料的に確認できるけど、どういう経緯で彼等がこの島に来たのかは不明ってことみたいだね。
第二次世界大戦後にアッシリア人の末裔を名乗り始めただけ
アッシリアが古代イスラエルを迫害したのは、聖書的にはヤハウェの意志とされてるし、
別にキリスト教徒を迫害したわけではなく、改宗すればみな仲間
まあオスマン帝国やクルド人に迫害されたネストリウス派キリスト教徒が民族主義に目覚めて、
栄光の古代アッシリア帝国と自分たちを結びつけたということらしい
居住地や血縁的にはそう遠くもないのかもしれんが、はっきりしたつながりは不明
http://en.wikipedia.org/wiki/Assyrian_people
アルカイダ系のイスラム過激派勢力「アンサル・ディーン」が統合して、新しく独立することに合意したらしい。
日本の田舎もそうだが、大人は車があるだろうが学生は大変だよな。
私立小学校とかどうやって通わせているんだろう。
>>78
それは普通のアラブ人
アラビア半島やインド、パキスタンにはネグリト部族がいるんだよ
ただしアラブ人が黒人奴隷として主に女奴隷をサハラ以南から連れて来て
るから、アラビア半島とかでは何がどれやら分からないのもいる。
そもそも普通のアラブ人にも5~10%が黒人奴隷の遺伝子が入ってる。
85 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/12/01(土) 23:46:56.86 0
イスラム圏はそういうの充実してるイメージが
あとは乗り合いタクシーとか。
アンカラにアンゴラ兎はいるかな
日本からあんまり出たこと無い人が大半って感じだし。
治安がいいという謎の国。
エジプトじゃなくてサウジにすれば正しい
あの土地があの範囲で一つの国家だった時代などほぼなかったように見えるが、
英帝の支配の都合上あんな風に区分けされたってだけなのか?
それでいい
それならスンニ派、シーア派、クルド人の3勢力がメソポタミアという大昔に栄えたっきりのあとは大帝国の一部でありっぱなしの領域として無理やり一つにまとめられてるのにも納得が行く
ただ、両大河流域自体は、ある程度まとまりがあったんじゃないかな。
モンゴル以降はジャライル朝の首都があったけどそれ以降は長らくメソポタミアに
首都は無かったな
オスマン朝とサファビー朝などでメソポタミア取り合ってたけど一応メソポタミア
自体は一まとめの時が多い様には見える
英語だろ
あるいは書き言葉は標準イタリア語?
ヴィジャーヤナガル王国のシンボルじゃなかったっけ?
イブン・ルシュド(アヴェロエス)はイスラム教徒で、
ベン・マイモン(マイモニデス)はユダヤ教徒。
マルタに亡命を希望するのをニュースで見た
アラブのキリスト教社会という共通点もあるし元々つながりがあるんだろうな
フェニキア人だった頃から行ったり来たりしていた家系があってもおかしくない
別にシリアのキリスト教徒に限らず、アラブの春の時にはイスラム教徒も大勢支援してた
いい加減どうにかできないものか?
イラク・シリアの文明遺産が壊されている
http://digital.asahi.com/articles/ASGBH5G35GBHULPT001.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASGBH5G35GBHULPT001
シーア派のモスクだったのかな?
日本だと一向一揆で門徒軍団が禅寺や密教の寺を壊したなんてことはさすがに無いよな?
キリシタン大名も領内の寺社を焼いたりした
1000年以上前のものが焼かれたことってあったか?
本来仏教的には諸行無常だし、仏像に執着するこたないわなと思う
原理主義者は無教養だけど節操が無いからそれを取り入れることもあるだろう
イスラム教とテロは無関係といいつつ、なぜここまでイスラムにはテロ組織が多いの?
>>165
イスラム以前は赤色テロがメインだった。
でも東側の大勢が崩壊し、冷戦が終結し、共産革命を支持するものがいなくなって絶滅した。
残ったのは帝国主義・旧宗主国に反発するテロ。
IRAとETAは、スペイン、イギリスが住民側に譲歩することで懐柔に成功。
結果的にテロ組織側は住民の支持を失っていった。
アラブではイスラエルがまだ強行なまま。
アメリカも相変わらずバックアップで、欧米はそれに続いている。
なんでイスラムテロの勢いは弱くならない。
今後全てのテロが正当化できる。
ムハンマド条約により承認されている。
ニューギニアや雲南あたりは凄いことになるぞ
クルド人とは人口が違い過ぎだろ。
韓国より多いんだから
それこそナイジェリア北部のある民族国家は、丸ごとボコ・ハラムに乗っ取られるかも
でもアシャンティ王国やブガンダ王国は、はイギリスがそれぞれガーナやウガンダとは別に独立を回復させてほしかったな
スワジランドやレソトは独立した王国になったのに
テロルを否定する理論も出るが、テロルを正当化する理論もスンニーから出る
なんで?
ISIS団という共通の敵の出現でアメリカ様と仲直りの口実ができた
アフマディ派のような穏健派は血の気の多い民族には受けが悪いんだな
議会制支持とか女性の権利向上、はたまた建築アワード主催とか歴史好きにはコレじゃない感w
輪廻転生が信じられてるんだっけ
稀代の英雄だったムハンマドを重要視するのは分かるけど、ムハンマドの甥にすぎないアリーをあそこまで重要視するのはな…
アリーなんて目立った実績もないのにあんなに崇めて虚しくならんのかね
シーア派=隠れゾロアスター教
アラウィー派、ドルーズ派=隠れキリスト教
アラビア半島・メディナ市にある宗教団体で働く青年・アリー・ターリブを取り巻く恋愛模様や、戦争での活躍を描いたドラマ。
偉そうな感じが伝わってくる
四代カリフになったはいいけど、大勢が従わずにムアーウィヤに靡いたのも分かる
アーイシャに嫌われてたのも当然
Wikipediaのアリーの記事だと、アリーが一方的にアーイシャをなじってて、下手したらDVもしてたんじゃないか?
って印象しか受けないけど。江戸の町人のおかみさんみたいに、旦那と丁々発止のやりとりで喧嘩したりしてたのかな?
預言者の娘ってことで、それなりに妻に言論の自由を認めてたのかな
カリフになっても結局共同体をまとめることできずに暗○されてるし
http://www.geocities.jp/ahulal_bayt/shirumonotachini-kike/ask-f1.html
こりゃ異端言われるのもしゃーない
別にしゃーなくない
シーア派からすればスンニ派こそ異端じゃんよ
そこで相互異端視を「しゃーない」で済ましたら世の中おさまらない
宗教宗派はお互いに共存可能性を模索すべきというのが
政教分離の建前をもった我々世俗社会の正義
他にすがるものがなかったんだろうな
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%A4%E3%A9%E3%B3%E6%99%E7%86#.E8.82.89.E3.81.A8.E9.AD.9A
それこそ忌み嫌うイスラエルと一緒だぞ。アッラーはそんなこと言ってないのに。むしろ海産物はすべてOKってなってたかと。
だから最近日本のクジラ肉がハラル認証を受けたんだっけ(もちろんスンニ派だろう)
シーア派は内陸で普及したからかな
アルジャジーラのニュース見てて思うんだけど、
右→左のアラビア語の文章の中に左→右の数字が入ってる文章に
アラビア語圏の人々は違和感ないのかな?
んで、レオナルド・ダ・ヴィンチはメモを右→左に鏡面書きしてたのは
有名な話だが、そこから話を膨らませて、アラビア語文章を左→右に
鏡面書きすれば数字やアルファベットとの混在文章で違和感を無くする
ことができるのでは、とふと考えた。
アラビア語では数はリトルエンディアンなので
アラビア語中の数字はちゃんと右から左に書いてるのだ
数字を右から左に読むのは10(×1000^n)の位までだけじゃなかったか?
横書き・左→右の文章なんて日本人は違和感がないのかな?
どんな関連からも恐ろしく低くて酷いという意見で一致している
あれはいったいどうしてなんだろう?
砂漠の部族の中にはいまだに部族神を信仰していた連中がいた、という記述があって驚いた
それこそオーストラロイドみたいなのが
でもルブアルハリ砂漠とカラハリ砂漠やオーストラリアの砂漠じゃ降水量が違うか
後者は200ミリくらいはある
アラビア半島南部にはコーカソイドのアラブ人の他に黒人だかネグリトらしき人種は存在しているぞ
差別待遇受けて社会の底辺らしい
http://geopolis.francetvinfo.fr/al-akhdam-les-invisibles-du-yemen-10463
http://www.dictall.com/dictall/newsInfo.jsp?id=48041
東南アジアとかでセンサスを実施すると時々、政府が初めて認識した村とか発見するし。
『生きながら火に焼かれて』(スアド、ヴィレッジブックス)に、
ヨルダン人の父親が生まれた子供が女の子だったので生き埋めにしてしまう
場面が出てきた
イスラーム以前の習慣は意外に民衆の間で残っているのかも
ヨルダンというかアラブ社会に間引きの風習はないんだが・・・
あったら中国みたいに男女の性別比の均等が崩れてるよ
チョーラ朝は同じインド文化圏のシュリーヴィジャヤを攻撃していたけど
西のオマーンあたりを属国化して逆にインド文化圏に取り込むくらいはしてほしかった
エチオピアはイエメンを属国化して同じく取り込んでほしい。
で、従来のアラブ人の神も復活させてほしい
サウジアラビアの現体制がクソだとよくいわれるけど、イブン=サウードが建国する
以前のアラビア半島の記録を読んでいると、あれでもまだマシになったほうなんじゃ
ないかと思えるようになった
・部族間の戦争や隊商の襲撃が常態
・ベドウィンは日本の農家が秋になれば稲を刈るのと同じ感覚で、嬉々として
略奪に出かけた。それも食うに困って襲うのではなく、当然の収穫として、
むしろ余裕のあるときに実行した
・略奪の遠征は好んで冬が選ばれた。沙漠にいくらか雨があり、牧草が豊富で、
家畜の乳がよく出て、最も生活の楽なシーズンである。この時期はとくに
「ラビー」と呼ばれ、さまざまな種類の略奪隊が内陸にひしめいた
・昔から町の人間はベドウィンを野獣にたとえていたし、メッカの商人などは
彼らを悪鬼と同じ扱いをしていた
この「北斗の拳」状態を終わらせたのがイブン=サウードで、略奪に対しては
参加者全員の公開処刑。「目には目を」の徹底的実行をもってした。
サウド家自体が、その強盗団の代表格だった。
「王国」を名乗り強盗団で遠征、メッカ住民を大虐○・廟を破壊。
しかもやったのは19世紀だぞ。
オスマン帝国が本腰を入れて軍を投入して、強盗団の拠点を占領し
強盗団は壊滅。中心メンバーは処刑、周辺メンバーは帝国各地へ敗流された。
そういえば、21世紀の今日当時のサウド家を彷彿させる集団がいるような。
同じ過激派でもスーダンのマフディーがつぶされたのに対して、
サウド家は再興できた
この違いはどこに由来する?
サウド家はシーア派の聖地カルバラーでも虐○やらかしてる
http://www.huffingtonpost.jp/alastair-crooke/you-cant-understand-isis_b_5807238.html
1801年、この連合はイラクの聖都カルバラを攻撃した。女性や子供を含む何千人もの
シーア派を虐○した。預言者ムハンマドの○害された孫であるイマーム・フセインの
寺院を含め、シーア派の寺院の多くが破壊された。
イギリスの役人、フランシス・ウォーデン中尉は当時の状況を観察し、「彼らはそこ
(カルバラ)のすべてを略奪し、フセインの墓を・・・略奪した。その日の、
独特の残酷な状況の中で、5000人以上の住人を○害した・・・」と書いている。
サウド家の出自はアラビア半島の真ん中の文字通りの不毛地帯。
アラビア半島全域が不毛地帯だと我々のような湿潤地域の人間は考えがちだが
メッカを含む紅海沿岸域やペルシャ湾岸地域はそれなりの人口を支えるだけの
農業が可能で元々の人口も多い。
だから、オスマン帝国時代も紅海沿岸域やペルシャ湾岸地域はその領土としたが、
アラビア半島の真ん中は、支配下に置くだけ損だからほったらかしだった。
紅海沿岸はイスタンブールから直通の鉄道までひいて開発整備してたが
第一次大戦でメッカ太守だったマホメットの子孫がアラビアのロレンスと
組んで反乱を起こし鉄道を破壊、戦後は半島中央の狂犬サウド家が
紅海沿岸域を征服、鉄道は放棄されたまま現在に至る。
クウェートのサバハ家やバーレーンのハリーファ家などは、もとはアラビア半島中央の
ナジュド高原に住んでいたが、17世紀末にダワーシル族に圧迫されて現在の地域に
移っていった
もっとも移った先で豊富な油田が開発されたのだから何が幸いするかわからないが
ちなみにイブン=サウドの母親はダワーシル族のスダイリー家の出だったらしい
湾岸産油国の場合、財政赤字でスエズ以東から撤退するイギリスによって
いわば無理矢理「独立させられた」ようなもの
クウェート人が日本を恨む歴史的な理由がちょっとあった
人工真珠の成功で真珠特産地だったクウェートは困窮して餓タヒ者まで出るほどだったという
サウジアラビアの石油成金エピソード
「砂漠の豹」アブドゥルアジーズは一挙に大金持ちになったが、金の使い方を
知らず、息子をはじめとするサウード家一族や側近などに大金をばらまいた
ある年には、自分の肖像入りの金時計3万5千個をばらまいたといわれ、
また一度にアメリカ製乗用車パッカードを40台も購入し、世界で最大の
エアコンシステムを備えた宮殿を建設した
1947年6月、当時リヤード州知事だったアブドゥルアジーズの第六子ナーシルは
職権を乱用し、自分の宮殿で酒宴を催した。客の中にはかつての仇敵イブン・ラシード家
一族の者がいたが、酒を一気飲みしタヒ亡したため表沙汰になり、ナーシルは知事を
解任された
さらに1951年11月、ジェッダのイギリス副領事が催した酒宴に招かれた第十七子
ミシャーリーは泥酔し、ウィスキーをもっと振る舞えとわめいたあげく副領事を射○した
湾岸産油国って、文化面ではエジプトやシリアなど地中海沿岸の国々に比べて
アレだよな~
ナジド当たりの住民は自分たちのことを「アラブの中のアラブ」だと誇っているらしいけど
他の地域のアラブ人は人種的にかなり混交しているから
>>258 戦前日本人と結婚した元オマーン国王も、かなり混ざってる顔だよな
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/0/0f/Taimur_bin_Feisal.jpg
http://media.gettyimages.com/photos/former-oman-sultan-taimur-bin-feisal-and-daughter-buthaina-pose-for-picture-id502403122
ブサイナ姫と。なぜか娘にはモンゴロイド的特徴が極端に強く出てるな。髪は多少くせ毛?
古代エジプトの末裔の、コプト教徒のガリ元国連事務総長が亡くなったな
ベルギーでもテロが起きたけど、
アラブ人はほかの民族に比べて柔軟性に欠けているのかな
どこへ行っても自分たちの習慣をかたくなに変えずに問題を引き起こしている
この人たちはスマトラやジャワで軋轢は起こさなかったんだろうか
まあ原住民をイスラム化させてしまったわけだけど
アチェとかバタックとか、もともとの文化がしょぼかった民族はイスラム化して人名もイスラム風にできたけど、
ジャワやスンダの絢爛たる王朝文化の下では、人名までは無理だった
元来はアラビア半島の言語でしか過ぎないのに
南スーダンのリンガ・フランカだったジュバ・アラビア語は発音が単純化してるそうだけど
文例
http://mindsc.ape.jp/2013/04/09/%E3%A2%E3%95%E3%AA%E3%AB%E8%AB%B8%E8%AA%9E%E6%87%E6%B3%E8%A6%E8%A6%A7-02-%E3%B8%E3%A5%E3%90%E3%BB%E3%A2%E3%A9%E3%93%E3%A2%E8%AA%9E/
マレー語・インドネシア語の中のアラビア語語彙がすでに面白い発音の単純化を起こしている
これが閉音節を許さないポリネシア語地域まで行くと、逆にかけ離れすぎて受容そのものがすんなりとはいかないだろう
(ハワイ語の中の英語外来語(例・Christmas→Kalikimaka)、日本語の中の漢語のようなことになる)
またそこまでアラビア半島や中東から離れた土地だと、イスラム化の段階で
アラビア語語彙を多数借用した別の土着言語として固まってしまうので、
ピジン・クレオール的な言語全体のアラブ化までは至らない
別のパターンとして、イスラム化の次には言語的にはアラブ化ではなくペルシア化したりチュルク化したりする
エイヤ、サッハぐらいしか覚えてないけど
あとキュウリをキャベツって言ってたような
>>277
ぜんぜん違う
アラビア語の口語(アンミーヤ)系の方言に欧州各地の外来語が大量に入って
それがアラビア語風に不思議な複数形や派生語を作ったりする
アラビア語圏の中では例外的にフスハー(文語)を使わずアンミーヤだけが公用語になっている
みんな最終的にアラビア語に塗りつぶされて消滅した
フェニキア語の領域は広かったので、植民先でラテン語やギリシャ語あるいは他の現地語などに吸収されて消えたとも言えるね
言語学として詳しいだけでもすごいけど、日本人で読み書きできる人いるのかな
アラビア語をかじったついでに文字が楽な親戚の言語をやってみようとか、
レバノンなどキリスト教圏のアラビア語方言とはどんなものか見てみたいとか、
地中海好きで遊びに行ってみたいとか
一応日本でも入門書や語彙集や会話帳は出ているようだが、
英語で読める入門書でTeachYouselfシリーズのが昔から詳しい
シチリアの支配下に入った時に先住民の支配層が一掃されたってことか
男の子を待望して名前まで決めて
その名前を元にアブー・なんとかって自分も改名して
子供がいざ生まれたら女の子だったので錯乱して埋めてしまうというのがあったな
コーランの規定上、夫は妻を保護し扶助を与える義務があり、またそれぞれの妻のあいだに
差異を設けることは決して許されない。これらの条件を満たせないときは一夫一妻が奨励され、
夫が義務を怠ったりそれぞれの妻の扱いに差異を設けた場合は離婚申し立てと賠償の根拠となりうる。
現在の日本の学会の主流見解ではこのようなイメージの大部分は外部世界の偏見や無知、
また悪意ある宣伝に基づいたものであるとされている。イスラームにおける婚姻制度は法的に
極めて厳格であり、二人以上の妻をもつ場合の男性の経済的負担は非常に大きいものとなる。
したがって一定以上の社会的地位と経済的実力を持たない限り二人以上の妻を持つことは
困難である。
歴史的にイスラーム社会においても二人以上の妻をもつのはごく限定的なものであり、それ以上は
大商人などの非常に限られた層だけであったことが明らかになっている。
近代に入ると、社会の安定に伴って一夫多妻は減少し、さらにヨーロッパ法の導入にともない、
イスラーム社会においても一夫一妻がほとんどとなった。
また非ムスリム諸国およびムスリムの革新派からは、一夫多妻制は女性差別であるという批判も
受けるようになった。これに対しては当初の理念的としては女性差別の制度ではなかったとしつつも、
社会秩序維持上必ずしも必要な制度ではない、もしくは時代にそぐわないとしてムスリムが
大多数の国家でも一夫多妻の婚姻にかかわる審査を非常に厳格化している国も存在する。
2009年現在において現在法律によって完全に一夫多妻制を禁止している国としては
トルコとチュニジアが挙げられる。
預言者ムハンマドの特例
で、何が言いたいの?現実に複数の妻を持てるのはごく一部だからイスラムは一夫一婦制だとでも言いたいの?
その理屈だと世界中で一夫多妻制があった国はないということになるわな
いつの時代でも圧倒的大多数をしめた庶民は一夫一婦だから
現実はそういうことに全然なっていないではないか
ホメイニ師にフランスの女性記者の会話「皆は貴方を女性差別者と言いますが私は貴方がそうでないことを知っています」「私は女性差別者だがそれがどうかしたのかね?」「(絶句)」というのを思い出す
これは女性記者が不勉強だっただけだなあ。
選挙はやってるけど国民主権だけは断固として認めないとか、
女子教育には力を入れるけど結婚だけは9歳から認めるとか、
そういうイスラム共和政の譲れない一線として男女の不平等がある。
イスラム教と欧州のキリスト価値観との勝負は19世紀についたはずなのに
まだ復活戦に入ってしまった
一重に欧州側のわきの甘さだな
イスラム側は妥協・融和する気はゼロだからね
過激派でなくとも
なぜイスラム教と文明をもってアフリカの角にやってきたアラブ人は、ソマリ人に言語的に同化してしまったんだろう
古い文明を誇るエジプトですらアラブ化してしまったのに。失礼ながらソマリアなんかはるかに容易そう….
陸続きでも南アラビア諸語は完全に同化されないで残ってるな
フスハーなんていう不規則性が大きい元々そこらの部族のローカルな言語に完全に置き換えるのは馬○馬○しかったんだろうな
南アラビア諸語が規則的だっていう情報はどこから入ったの?
フスハーはヒジャズ地域の通商言語であり、ギリシャ語のコイネーになぞらえられる共通語だよ
部族のローカルってどっから湧いた
ジャマル・カショギがジャマール・ハーショグジーであるべき理由|保坂修司|ニューズウィーク日本版
https://www.newsweekjapan.jp/hosaka/2018/10/post-24_3.php
2018年10月30日
※なお、本コラム公開後、それを読んだリヤード駐在の丸紅社員で旧知の宮内良尚氏より、
ジャマールとアドナーン、ドディー・ファーイドの親族関係についてハーショグジー家の証言にもとづく指摘があった。
それによると、やはりジャマールとアドナーンは親族であるが、叔父・甥の関係ではなく、
したがって、ジャマールとドディーもイトコ同士ではないとのこと。
具体的にいうと、ジャマールの祖父とアドナーンの父ムハンマドが兄弟であるそうだ。
したがって、ジャマールからみると、アドナーンは祖父の兄弟の子、
つまり父のイトコ、ということになり、ドディーはその甥なので、ジャマールのハトコということになろう。
文字で起こすと余計わかりにくいので、サウード家とのハーショグジー家の相関図をつくってみたので、参考にしてください。
https://www.newsweekjapan.jp/hosaka/2018/10/30/hosaka181022-chart1030.PNG
使うのは外来語に限ってる様で必ずしも長音のあるアラビア語単語由来でも長母音になるのでは無い様だが
「おい・めいの子」
今では逆転したらしいのが寂しい
まず治安を何とかせねば
格変化等が消え去って単純化したどっかのアーンミーヤの方がどう転んでも憶えやすい
南アラビア語ってそんな単純化したもんだろうか
また覚えやすいっていう理由で人は言語を替えていったり覚えていったりするもんだろうか
たぶんそれ違うよ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%AB%E3%AB%E3%AD%E3%B9%E3%BB%E3%A1%E3%8D%E3%A0
イスラムからの棄教といえばロシアに組み込まれたタタールの一部は
イスラムから正教へ改宗してたっけか。
洗礼タタールまたは受洗タタールと言われる者が大量にいた
19世紀に帝国支配の圧が強まると、その一部が正教を棄教してムスリムに戻った
右でググるとそれに関する論文PDFが出てくるよ → 洗礼タタール 「棄教」タタール、そして正教会
この人はイスラム教徒だったのね。
「無政府状態がまる一日続くより、専制政治が60年間続くほうがまし」
という。
中東の社会では、混乱が恐れられる。
上からの統制がなくなり、あらゆる部族や派閥が、お互い抗争しあう
ようになったらどうなるのか、と懸念する。
その結果、イスラーム法学者たちは、次第に、残忍で不法な、
しかもイスラーム教徒でない暴君に対してでも服従することを
主張するようになった。
少なくとも秩序をある程度保ってくれさえすれば、社会が終わりない
内戦で破壊にさらされ続けるよりはましだ、というわけである。
引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1336044467/
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません