旧約聖書に登場する古代都市・ジクラグの存在を示唆する遺物が発見される
発見したのは、オーストラリアの学生32名
イスラエル南西部に位置する古代遺跡「キルベット・エル・ライ(Khirbet el-Rai)」。
ここは発見以来、旧約聖書に登場する伝説上の都市・ジクラグ(Ziklag)が存在した場所と考えられてきました。
一方で断定できる証拠がなく、専門家の間で意見が分かれていました。しかし長年にわたるこの論争にも、ついに終止符が打たれるかもしれません。
今年初めから行われていた発掘調査にて、ジクラグの存在を示唆する失われた秘宝の数々が発見されたのです。
しかも、発見者は、オーストラリア・マッコーリー大学の学生32名とのこと。
本調査はイスラエル考古学庁の支援のもとで行われ、報告の詳細は、4月8日付けで「The Lighthouse」に掲載されました。
Rare figurines uncovered at lost biblical city
https://lighthouse.mq.edu.au/article/april-2020/Rare-figurines-uncovered-at-lost-biblical-city
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/04/Ziklag.jpg
■「ジクラグ」の存在を示唆する遺物を発見!
古代都市・ジクラグは、旧約聖書の『サムエル記』によると、巨人ゴリアテを倒したダビデ王に対し、同地に住んでいたペリシテ人が与えたとされます。
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年代的には、紀元前13〜12世紀ころにペリシテ人が同地に移住して都市として機能し始めたのは、紀元前10世紀ころのようです。
それ以前に、この地一帯はカナン人が住んでいた「約束の地」として知られます。
カナンの歴史も大変古く、紀元前3000年にはすでに文献に登場していました。
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そして今回の発掘調査では、カナン人が信奉していた神・バアルをかたどったブロンズ像が見つかっています。
バアルは嵐と慈雨の神として崇められ、長い帽子を被り、すらっと背が高く足を前後に開いて、右手を振りかざしているのが特徴です。
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上画像が以前に発見されていたバアル像です。
そして、下の画像が今回見つかったものであり、まさにバアル像の背格好に合致しています。
バアル像は、カナン人からペリシテ人へ、そして都市・ジクラグへと受け継がれたのでしょう。
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また、旧約聖書『出エジプト記』にある「金の子牛」の物語に関連しているとみられる子牛のブロンズ像も見つかりました。
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モーセは、シナイ山で神から十戒の石版を授かるまで40日という期間を待たなければなりませんでした。
その間、山のふもとに残されたイスラエルの民は、モーセがタヒんだと思い込み、新たに民族を導いてくれる存在として「金の子牛」を鋳造したのです。
偶像崇拝を禁ずるモーセは、これに激怒し、子牛を粉々に粉砕して水に混ぜ、それを民に飲ませたと伝えられています。
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調査の結果、これらの遺物の年代は3300〜3000年前の間と推定され、ジクラグが存在したとされる年代にも符合します。
さらに、遺跡の地層を調べてみると、白い灰や焦げた泥のレンガ、木の燃えかす、燃やされた陶器の破片などが多数見つかりました。
これは同地で大規模な火災が起きたことを示します。
もしかしたらジクラグは、火に焼かれ灰となり、人々の記憶からも奪い去られていったのかもしれませんね。
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ゴリアテは、手と足の指が六本あったらしい。
http://s-yaho.lflinkup.com/1072311198
そのエジプトより500~1000年は進んでいたメソポタミア文明の場違い感w
キリスト教会は避けて通るんだっけ?
成立って紀元7世紀ぐらいか?
>>11
日本書紀の神武東征時の大阪湾の地形(当時汽水湖)と同じ地形が存在したのは
地理学、土木学の成果によって約2500年だと証明済みだからな
宮内庁の天皇陵の比定がそもそも間違えてるから
古墳名や遺跡名も間違えてる始末
ゴリアテ
えっと、ラピュタだっけ?
なんで子牛像は土塗れやねん
あれ欲しいよな
すべてそこから始まった
>>21
タクティクスオウガだっけ?
またやりたくなってきた
人間の子供を生贄に捧げるので古代ローマ人も嫌悪した邪宗ですが
行く先々で侵略して滅ぼした土地の宗教をそうやってデマ流して貶めてきたんだよ
考古学調査でバアルや妻アシュトレテに捧げられた幼児の骨が大量に発掘されてる
なんで、宇宙の秩序と生命の源である創造者を、人間が勝手なイメージで作って偶像に貶めたの?
神が創造者である必要はないよ
一神教原理主義者はソレに拘るが
ぶっちゃけ、割とどうでもいい話
今後ともよろしこ・・・
犬かと思った。
四国の剣山に奉納したとなんかで見た
テレ東の歴史ミステリーロマンかやりすぎ都市伝説かムーだな
確かに40日程度で忘れられて過去の人扱いされたらモーゼさんも怒るかもな。
しかし代わりに作られた「金の牛」ってご神体の選択はどこから出てきたんだろう。
バアル像は青銅製ってのもちょいと面白いね。金や銀じゃないんだ。
古代エジプトでは牛なんかも神の象徴にされていたからそのつながりかな
金は鋳造しなくても成形できるから、皆が少しずつ出しあったものを鎚で叩けば神像がつくれる。
青銅のほうが高度な冶金技術が要るから流浪の集団では難しいよ。
イスラエル人のような白人なのか?
バアル→ベリアルじゃなかったっけ?
聖書って白けるぐらいに変な記述が出てくるよな。
煙幕か!
その後もう一回山に登って新しい十戒授かったが、その内容は有名なやつじゃなくて、生贄がどうの過越祭がどうのとかねユダヤ教の祭祀に関するものが多かった
これって!
ただの土産物レベルだろ・・・。
ちなみにパレスチナと言うのはペリシテ人の土地と言う意味
残念ながら誰にも発見されなかったみたいだな
思い出作りにはちょうど良いな
>また、旧約聖書『出エジプト記』にある「金の子牛」の物語に関連しているとみられる子牛のブロンズ像も見つかりました。
>https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/04/e63f28ea543d4c1c9748acf7fc4a435e.png
(∪^ω^)
あるいはイェリコの戦いとかソロモンの宮殿とか、すべて真っ赤な嘘です。
これらはすでに考古学的発掘によって証明されています。
そもそもユダヤ民族などという民族は紀元前千年以前には存在していません。
紀元前1200年ころに現在のパレスティナを含む地中海東岸地域を「海の民」と
呼ばれる北からの侵略者が荒らしまわって荒廃した後に内陸に住んでいた放牧民が
その地に徐々に移住してきて、その中からいくつかの部族がまとまってユダヤ民族の
元になったに過ぎません。文化程度はエジプトはもちろんギリシャやフェニキア人にも
はるかに劣っていました。その文化的に劣っているという劣等感が一神教のような
狂信的な宗教を生み出して、その一神教を中心にまとまったのがユダヤ人なのです。
ユダヤ人が一神教という狂気の源を生み出し、その結果、世界で何十億人もの人々が
犠牲となりました。
ユダヤ人は世界に狂気と憎しみをもたらした災厄の原因です。
引用元: https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1586926361/
コメント
コメント一覧 (1件)
>考古学調査でバアルや妻アシュトレテに捧げられた幼児の骨が大量に発掘されてる
幼児を捧げたんじゃなくて亡くなった幼児の供養してたって話もある