明国の皇帝達の特徴をまとめてみた
洪武皇帝:余が何度も気お付けろって言ってたが、全然耳に入らないこのやろう。
建文皇帝:孔子の本の中にこんな事に遭ったらどうしたらいいのか書いてない。
永楽皇帝:余が自ら修理に行く!誰が責任を負うか分かったら皆○し!
洪熙皇帝:俺は親父の味方。
宣徳皇帝:余は修理に行くかそれとも座って蟋蟀遊びか?
正統皇帝:手助けに行ったが、ハンマーに脚を叩かれた。
景泰皇帝:ハンマーを拾うが、正統皇帝に奪われた。
成化皇帝:万姉さん、どうすればいい?
弘治皇帝:皆様、慌てるんじゃない、余に任せて。
正徳皇帝:電車から降りて遊びにいった。
嘉靖皇帝:太乙真人(道教の神)お守りを。
隆慶皇帝:何も言わずに座ってた。
万暦皇帝:寝坊中。
泰昌皇帝:オ○ニーしてた。
天啓皇帝:彫刻中。
崇禎皇帝:皆様は上記の人達を見ただろう、余の悪さじゃないと分かってくれるだろう。
期待薄かとw
明朝の歴代皇帝は立派な人格者が多いな。
国内に上下対立に緊張感が無いから、対外政策で馬鹿なことをやる。
安全を慮る余り、自信を付ける機会を奪ってしまった。
皇帝だけ見たら、他の時代よりずっと面白いかも。
有能な人であったが惜しいことに部下を信じることができなかったおかげで・・・みたいな
やっぱり現代中国が異民族国家である清に○された皇帝に同情してるのだろうか
部下不信なのも先代の魏忠賢の徒党の恨み買っていたから
その反動もあっただろうが。
かなり経歴に傷をつけてしまったな。
欽宗は治世が短すぎて、ほとんど評価不能。
徽宗とはそんなに似ていなかったらしいから、そこそこはよくやったかも。
崇禎帝は、努力は認めるが独善的な要素が強い。
まあ王朝って創業者の性格が反映されることが多いからねえ
宋と明は対照的な感じだし
洪武帝から永楽帝にすんなり皇位継承されていたら明代はどうなっただろうか?
明代の宦官重用は靖難の変後の永楽帝から始まるといっても過言じゃないから、
宦官の跋扈がもう少し穏やかになったかもしれん。
でも皇帝独裁権強化自体が大元と言えば言えるんだよな。
清みたいにある程度のレベルで皇帝がまともならいんだけど、
明じゃあやっぱり途中から大崩か?
明代の士大夫は歴代王朝の中でも最低レベルと言われているからな。
八股文書ければ誰でもいいというし。
まあ派閥争い・汚職が蔓延している上に皇帝の一存で杖刑という
特殊な環境じゃ事なかれ主義になるのも無理はない。
むしろ海瑞みたいな硬骨漢が例外。
一面的な見方でしかないけど
靖康の変の前ぐらいに、なぜだか趙匡胤が復活して、皇帝となり、
金を撃退するなんて話があったけど、
崇禎帝即位時ぐらいに洪武帝が復活して皇帝になったら、
明は再建できただろうか?
できないと思う。
一人の力で歴史の流れに逆らうなんてありえないだろう。
明の政治は腐った、明を滅ぼしたのは清じゃない、一揆だよ。
民は基盤、基盤が崩壊したらその上に立ってある建物が崩すのも明らかだろう。
万暦帝ってさ、何となく始皇帝と立場似てない?
幼いうちに即位して、辣腕宰相が腕を振るって、とかいう点で。
親征開始以後が全然違うけどw
いくら皇帝独裁といったって、もうこの時代なら官僚組織だって
機能してるんだから、皇帝が政治に興味ないなんてことは、それ
ほどの欠陥にはなりえないのかもしれないと思う
だから明はあの皇帝たちであれだけもったのではないかと
実質簒奪が不可能に近い構造だったわけだし。
51 :世界歴史ちゃんねる:2006/11/13(月) 15:52:22 ID:pPzZ7iUb0
明代の皇帝・大臣・豪商・豪族は大変ぜいたくな生活を送り、淫らに婦女を弄び、退廃的な者が非常に多かった。
明の憲宗朱見深は万貴妃を寵愛し、房中術を習い、大臣・道士・僧侶たちが競って房中の秘方を献上すると、よく信任した。
明の武宗朱厚照は特に荒れすさみ、宦官の劉瑾に俳優や音楽・女色を集めさせ、宮中での遊戯には度がなかった。彼は西方
の異民族の僧に房中術を習い、のちには淫薬を服用し、一日に十数人の婦女と遊んだ。明の世宗は道教を信奉し、道教の方
術を性交の技法の助けとして用いた。
当時の社会的に淫らな気風は、房中術の研究や発展を促進しただけでなく、道教の外丹術や内丹術にも影響を及ぼした。明
代の道教の金丹術は主に紅鉛や秋石を作ることへ変わった。紅鉛は少女の最初の月経を清水にさらし、丹砂・没薬・童便など
を加えて錬成したものである。秋石は童便から精製した男性ホルモンの結晶体である。そのほかにも道教の内丹術が房中術と
結び付き、陰から採って陽を補い、少女を外鼎として丹を結ぶという閨丹という方法も作り出され、泥水丹法とも呼ばれた。
性行為の楽しみを増すことができ、寿命を延ばすこともできるとなれば、世の人々がその方法を用いないわけがない。だから、
明代の裕福なちょっとした有力者は、道教で処方する薬によって陽を助けて淫らな行為を行った。皇帝の場合はなおさらである。
明の世宗は紅鉛を好んだだけでなく、秋石も用い、陶仲文や朝廷内の大臣・道士はたびたびこれを献上した。嘉靖31年(1552年)
の冬には、8歳から14歳の300人の処女を首都に集め、嘉靖34年(1555年)の秋にも10歳以下の160人の処女を首都に集めた。
前者は皇帝が閨丹を実習するための外鼎として用い、後者は薬を煉り紅鉛を作るために用いた。当時の人は龍涎香もよく献上し
た。香を嗅いで心を動せば、エクスタシーを助長できると考えられた。明の時代に《金瓶梅》・《肉蒲団》などの小説が世に出たこと
は、もっともなことである。
江夏二妃古墳群から明代の「お宝」陶磁器24点出土―湖北省武漢市
2007年11月14日、チャイナフォトプレスによると、湖北省武漢市にある文物保護施設・江夏二妃古墳群から、
保存状態の良好な明代の磁器24点が出土した。
江夏二妃古墳群の墓室は青レンガで彩られた長さ5.1mのアプローチから入る。奥行き5.8m、幅2.4m、
高さ2.3mの墓室内には石の棺があり、この南側から白磁、青磁などたくさんの磁器が出土した。なめらかで
柔和な光沢を持つ出土品は壺、湯飲み、碗、三つ足の香炉などで、龍の文様が施されたものもあった。
武漢文物考古専門家の許志斌(シュー・ジービン)氏によると、ここには湖北省のスポーツセンターを建設予
定のため、9月より緊急発掘調査が行われていた。そして江夏二妃古墳群の西側30mあまりの地点でも一組
の夫婦の墓が発見され、墓碑とともに磁器数点が出土した。考証を経て、埋葬時期は明代の成化7年(1471年)
と判明した。遺骨は見つかっていないが、埋葬されているのは明代初代皇帝・朱元璋の第6子である朱ジェン
の孫ということが墓碑銘からわかっている。このように製造時期を確定できる磁器は、今後の貴重な研究材料
となる。
中世の「世界七不思議」!明永楽帝の大報恩寺塔、地下宮殿の入り口判明―江蘇省南京市
2007年1月7日、中国の「チャイナフォトプレス」は江蘇省南京市で現在発掘調査が行われている大報恩寺塔跡地で、地下
宮殿の入り口となる塔基(塔の基盤)が発見されたとのニュースを報じた。
明の太宗・永楽帝(在位1402年~1424年)がその母のために建てた大報恩寺塔は、瑠璃瓦と白磁磚(レンガ)、瑠璃磚で
造られた美しい塔で、別名「陶塔」「瑠璃宝塔」とも呼ばれたと史書にある。高さは約78mあり、当時の南京で最高の建築物
であった。その美しさと珍しさから、イタリアのピサの斜塔と並んで中世には「世界七不思議」の1つに数えられている。
1856年に戦火により消失した大報恩寺塔の跡地は現在の中華門外に位置し、その上に民家が建ち並んでいた。大報恩
寺塔復元プロジェクトのため、南京市博物館考古学チームは現地にて1年以上にわたる発掘調査を実施。このたび、ついに
塔基を発見した。史書によれば、その地下には宝物を収蔵した秘密の宮殿があるとのこと。
太平天国の乱の時に破壊された塔だよね。
南京名物の美しい塔だったらしい。
もったいないことしたな。
明→清ってきてるから仕方ないような気もするけど。。。その上清は名君率高いしな…
でも、明で嘉慶帝、光緒帝あたりを皇帝にしたらたちまち平時の名君になりそうだよwww
逆に清末に万暦帝が出たら、一気に愛新覚羅一族辛亥革命で族滅されるなw
>>51
その頃だと族滅は倫理的に憚られると思うけれど、社会的には抹○されていたのかもねww
清末だったら西太后がいるからなんだかんだいって史実と同じくらい王朝は続きそう。歴史の皮肉だけど・・・
明朝の恐ろしいところは暗君のオンパレードなのに約300年も続いたところかな。この明朝のタテ社会のシステムは褒めるべきw
明は王朝の寿命を延ばし得たろうか?
確実に明の連中を清のその時期に放り込んだら、清の崩壊は早まるだろうが。
どんな政治体制でも300年続いたら終了だと思うけどな(微調整し続けるにしても)
民主制ですら例外じゃないと思う
統治機構劇的に変えるのは無理だし
何気に優れた統治システムがあったのか?
民間に活力があったため。
中興の祖が現れなかったのが痛い。(でも結局の所、明王朝が続くのは300年ぐらいが限界か?)
光武帝は疑心暗鬼から功臣を○しまくるし、
永楽帝は甥○し及び健文帝一派を虐○、対外遠征で明の国力を衰えさせた
洪熙帝は聡明で人徳もあるが病弱で肥満体だったことまた、在位が短かった
ことが痛い
宣徳帝は文武両道の名君だが叔父を残酷な方法で○したこと、また崩御の際
に大勢の女官を殉タヒさせたことがマイナスになっている
私は明朝の皇帝でも洪熙帝と弘治帝が一番だと思う
確かに短所が一番小さいのは弘治帝、その次が洪熙帝だな。
ただ、長所が一番大きいのは洪武帝、二番目が永楽帝、三番目が弘治帝、四番目が洪熙帝だと思う。
つまり、洪武帝は明の皇帝の中で一番優秀だが、弘治帝・洪熙帝と比べて悪い面が多過ぎるんだな。
まぁ、洪武帝ほど徹底的な粛清を行った皇帝は、他の中華帝国にも見当たらない。(劉邦ですらここまで酷くはない)
自分的に、皇帝としては洪武帝の方が上だが、人間としては弘治帝の方が上だと思う。
ギリギリ及第点の短命の奴と無駄に長生きなキチガイ紙一重の無能が交互にやってくる
そんな印象
>>74
>ギリギリ及第点の短命の奴
洪熙帝(在位1年)・宣徳帝(在位10年)の事だろうか?
>無駄に長生きなキチガイ紙一重の無能
これは、嘉靖帝(在位45年)・万暦帝(在位48年)の事か。
明も洪武帝が即位してから約70年は名君のオンパレードで、この時代に洪熙帝・宣徳帝が即位した。
正統帝が即位してから約50年は「土木の変」「奪門の変」が起きたりで混乱するんだけど、弘治帝が即位してから18年で国力は回復。
前半の約140年は、暗君が何人かいるけど名君も多かった。ここまでは良かった。
問題は後半の約140年で、名君が一人もいない。この時代に嘉靖帝・万暦帝が即位している。
交互というよりは、前半に名君が集中し、後半は暗君が集中したという感じになる。
(細かく見れば名君と暗君が交互になっている時も有るが、全体的にはそんな感じ)
嘉靖、万暦は単に堕落しきった怠け皇帝といった感じがする。
むしろ洪武、永楽の方がキチガイと呼ぶに相応しい。
両名とも超有能なだけに尚更質が悪い。
なるほど、最後に「無能」と有ったので、嘉靖帝・万暦帝の事かなと。
でも、洪武帝・永楽帝の方がキチガイ(超有能)というのは賛成。(特に洪武帝が)
比べて優秀かと言われれば微妙
功績 法治主義の原則 宮刑(宦官を作らせない)の禁止 陵墓は最小限にして人民使役
を最小限に 官僚試験の公平化 人材の活用 三楊 呉中 夏元吉の名臣
数え切れない たった1年の在位ながら、明史で最高評価得ているので
逆に1年しか在位しないのに評価される皇帝は、秦以降聞いたことがない
あとは暗君だけは1年未満でもしっかり歴史書に記載される
次の清朝は名君揃いだよな(凡君はいても暗君は一人もいなかった)。
前者を反面教師にしたのが要因かね。宦官の専横もなかったし。
長子相続制じゃなかったから 複数いる皇子の中から優秀なのを皇帝にしたのが清朝
中国史上一番は誰かと言う話題になって
居並ぶ群臣が唐の太宗と言ったのに反して
洪武帝を挙げたそうだ。
その後、明再興を目指す南明を滅ぼしてるよな。
これは矛盾してね?
今の張天師家は後継者争いで大陸・台湾あわせて七人が乱立する無茶苦茶ぶりだぞ。
しかも台湾では孔氏宗家は今尚尊重されてるけど、張天師家は先代の張源先師が亡くなった時
国民党はおろか地元自治体の議員すら葬儀に参列してくれず、代わりに少し前まで禁教処分を受けてた一貫道のばあちゃん幹部の葬儀には国民党総統や国会議員が一堂に集まり
張天師家直属の道士達が悔し涙で嘆いたという悲しい話が最近あった位尊重されてない。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません