【歴史】コロナと黒死病の共通点、モンゴル帝国の大陸統一とベネチアの隔離
感染が拡大するイラン。人々はマスクだけでなく、手袋もはめている(写真:AP/アフロ)
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新型コロナウイルス感染の爆発的な拡大を目の当たりにして、歴史研究者なら、14世紀に発生した黒死病(ペスト)の大流行を想起するかもしれない。もちろん、黒死病と新型コロナウイルスでは原因も症状も致死率もちがう。しかし、医学的にではなく、現象面を社会的に見た場合、両方とも中国が一つの鍵となり、世界中に感染が拡大したという共通点がある。
黒死病の発生源は中央アジアとされることが多いが、正確にいうと、実ははっきりしない。漢文資料には1334年に浙江流域で悪疫がはやり、500万人が死んだという記録がある由(よし)。一方、欧州側では1347年ごろから黒死病の流行が始まる。
他方、中東側の資料、例えば、エジプトの有名な歴史家マクリージーによれば、1341~2年におそらくイラン(イル・ハン朝?)、1347年ごろにはエジプトに到達したという。仮に漢文資料に出てくる1334年の悪疫流行がペストだったとすると、7年かけて中国から中東に達し、そこからさらに5年ほどで欧州に届いたことになる。あるいは中央アジアで発症したものが、東は中国、西は中東、欧州へと拡大していったという分析も可能だ。
●パクス・モンゴリカがもたらした黒死病の大流行
当時は、チンギス・ハーンのモンゴル帝国を源流とする元朝が中国を、チャガタイ・ハン国が中央アジア、キプチャク・ハン国が北アジアからコーカサスや黒海北部、そしてイル・ハン朝が中東(イラン、イラク、アナトリア半島)をそれぞれ支配し、世界がモンゴルの軍事力によって一体化していた。
それにともない国や地域を越えた貿易もシームレスに行われるようになり、モノやヒトの移動も活発化した。モンゴルが広大な領域を支配することでもたらされた繁栄をしばしば「モンゴルの平和(パクス・モンゴリカ)」と呼ぶ。皮肉にも、これが黒死病の世界的な大流行(パンデミック)の原因となってしまったわけだ。
パクス・モンゴリカの恩恵を最も受けたのが、有名な旅行家であるマルコ・ポーロやイブン・バットゥータである。彼らは、モンゴルの征服によってできた広大な領域を通って、イタリアやモロッコからはるばる中国まで旅することができた。
ちなみに、イブン・バットゥータは1347年ごろシリアを旅行中にパレスチナのガザで疫病が流行しているとの報を聞いている。1日の死者が1000人以上となり、ガザはほとんど廃虚のようになったという。その後、イブン・バットゥータはパレスチナを経てエジプトのカイロに入り、行く先々で疫病の猖獗(しょうけつ)を目撃している。特に大都市カイロでは1日の死者数が2万人を超えたといわれる。はっきりした統計はないものの、14世紀のペスト大流行で中東では人口の3分の1~2分の1が死亡したとされる。
14世紀、モンゴルの軍事的伸長でできた、ユーラシア大陸を包括する「世界システム」でモノ・ヒトの移動の自由が大きく拡大した。今日の「世界の工場」としての中国の経済発展も同様の役割を果たしていると言えるかもしれない。モノとそれにともなうヒトの移動、そして豊かになった結果、多くの中国人が世界中にビジネスや観光で旅している。中国でいったん感染症が発生すれば、そのウイルスはあっという間に世界中に拡散してしまうのだ。
※省略
「隔離」の語源は、ベネチアが取った黒死病対策
欧州で新型コロナウイルス感染者が圧倒的に多いイタリアは、14世紀に黒死病がまん延したときにも極めて甚大な被害を受けている。当時、イタリアという国は存在しなかったが、ベネツィア(以下、ベネチア)やフィレンツェなど貿易で栄えていた都市は、とりわけ被害が大きかった。地中海を隔てて中東と接していること、また、当時はイスラム教徒が支配していたスペイン(アンダルシア)とも近かったことが理由だ。
ちなみに、現在はクロアチア領となっているラグーザ(ラグサ)という都市国家では、黒死病対策として、同市に新たに入ってきた者を特定地域に30日間隔離する政策を取った。その間、病気の兆候が出ないかどうか監視していたわけだ。現在の隔離政策の先鞭(せんべん)である。
その後、ベネチアでは、その隔離期間が40日に延長された。ベネチア方言で40日のことを「quaranta giorni」と言う。この語が、英語のquarantineやフランス語のquarantaineなど大半の欧州語で「隔離」を意味する言葉の語源になったのである。(続きはソース)
3/22(日) 7:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200322-64574927-business-int
私は経験の差だと思う
人間は経験にすら学ばないと言うことだな
>>11
つまりは大鳴戸が現役復帰して白鵬を倒すと
地球の歴史的には大して差がない
ペストは既に古代ローマ時代からあって
古代ローマや後継の東ローマ帝国でも大流行している
人口の半分が死んでも国も地球も滅びない
おまえら、安心しろ
ノアの大洪水が40日で水が引いたとされる事から40日経てば事の白黒がハッキリすると考えられていたのである
40秒で支度しな
黒死病で北イタリアはほぼ全滅
それ以外の欧州は、フランスや北欧もほぼ人口が半減
東欧ポーランドは人口希薄なためあまり流行せず
ロシアは寒い時期はなりはひそめ、春先から流行
モスクワで20万人が死亡、政府の対応が悪いと大暴動が起こる
そして日本ではなぜか流行せず
ペストが入っても大阪で50人死んだくらいの被害
ほぼ現代と同じ様相を呈してる
歴史は繰り返す
ロシアで大暴動が起こるぞ
>>32
日本でコレラが江戸時代広まらなかったのは関所で人の出入りを管理してたからみたいだね(ウイキペディア
つーことは今回も大人しくしてればいいけど、ほっつき歩くとか分からん
ポーランドはアルコールで体を拭く習慣があったから、流行らなかったんじゃなかったっけ?他の東欧はしらんけど
長い疫病だと数百年以上続くけど
>>42
バベルの塔の逸話かいな
個人的には、バーチャルでなら
グローバリズムは成功できそうだと思ってるけどね
仮想現実が一段とリアルに近づくきっかけになったら面白い
面白い
最近売れてるらしいと話題になってた
あとぼくの考えたさいきょうウイルス作って人類滅亡目指すSLGも売れてるとかw
高麗や南宋人も含めた混合軍だったらしいけど、モンゴル人いなかったわけじゃないだろうし
今回と一緒で東アジアではすでにある程度の人が免疫持ってたから、ヨーロッパほど被害なかったんだろうな
マジで?
日本にいつ来たんやろペスト
天然痘は習ったけど
>>52
いやエビデンス無しねw
単なる俺の想像
今回だって日本はもちろん中国にしろ韓国にしろヨーロッパほど酷くないじゃん
以前から似たウイルスに曝露されてたと考えるのが一番簡単な説明かなーと
来たのは来たけど相手が悪かった(?)
速攻で撃退させられた
https://www.terumo.co.jp/challengers/challengers/33.html
モンゴル支配下になった時点で高麗や南宋でもペスト流行してても不思議無い¥からね
人体で何かペスト由来の過剰反応みたいなのが起きてるんじゃないの
紀元前からあっただろうて
黒死病の時に(正確には少し後の時代)死を擬人化して骸骨として描く死の舞踏という美術様式が流行った
タロットカードの死神のルーツであり、鎌を持った死神のイメージはここから来ている
ちなみにベルセルクの骸骨騎士の元ネタはライダー版タロットの死神のカード
引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1584869544/
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