同じフランク王国から分裂したのに、神聖ローマ帝国はそのまま分裂して、どうしてフランスは統一できたの?
神聖ローマ帝国は大空位時代以降諸侯が事実上独立し、
その後帝位を得たハプスブルク朝の領土への野心も主に帝国の外へと向けられ統一に向かうことはなかった
一方フランスにもアンジュ―帝国やブルゴーニュ公、トゥールーズ伯など王国に属していながら統一を脅かした勢力があり
王領がほんのわずかでしかなかったにもかかわらずそれらは全て駆逐され
更にその後ユグノー戦争をも乗り越えて再統一を果たした
どうして同じフランク王国から分裂したのにこれほどまでに違う歴史を辿ったのか?
2: 2020/03/12(木) 01:25:07.94 0
カペー系の系統がどんどん相続していくから
王領が巨大化した
同じ頃に始まった神聖ローマ帝国のリウドルフィンガー家が5代100年余りで途絶えるのに対しカペー家が初代ユーグカペー以降250年も続いたのが大きい
全く相続が発生していない、ゼロから再出発になる
フランスは全て男系でつながってるから前王朝の王領を全て相続できた
ザクセン朝からハプスブルク朝まで同一男系で相続が可能だったと仮定すると
ザクセン朝からニーダーザクセン、ザーリアー朝からフランケン、シュタウフェン家からシュバーベンの所領をひきつぎ
それにハプスブルクのオーストリアが加わればフランスみたいに統一的な方向にいけただろうね
でもカペー朝やヴァロア朝が地方豪族との婚姻で獲得した領土を
その地方豪族の血をひかないブルボン家が相続できるのはおかしい
その地方豪族も途絶えてるからね
ブルターニュはいたけど完全に黙○した
それぞれの継承システムが採用されるにあたって何か民俗的背景が?
フランスも断絶したら神聖ローマと似た感じになった可能性もある
ルクセンブルク家が領有した地域はハプスブルク家が結果的に飲み込んだけど
ブランデンブルクを除いて
フランスの国王は、世襲制なのに、なぜか有能な人物が多かった
とくに中世のフィリップ尊厳王と、ブルボン朝を創始したアンリ良王の評判はいい
フランソワ1世を追加
シャルル5世も
そもそも、神聖ローマ帝国は「ドイツ」じゃなかったからなあ
ボヘミア王カレル、シチリア王フェデリーコ、スペイン王カルロス
歴代のベスト皇帝ランキングでTOP5入りしそうな3人の大皇帝の本拠地が、ドイツ・オーストリアの外
フランク王国の初代クローヴィスが、パリに都を定めて1500年
フランス王国の初代ユーグ・カペーが、パリに都を定めて1000年
大昔からずっとパリが都だから、時が経つにつれて求心力が高まる
それに比べてドイツには、首都と呼べるようなとこがなかった
現在のチェコ共和国の領域
現代の国民国家の概念では理解しにくいが、
彼はボヘミア王も兼ねていたから
それ以外の有力貴族家系が弱い
最初からそうだったわけではない
>>14
トゥールーズ伯、アンジュー伯、シャンパーニュ伯、ブルターニュ公、極め付けはアキテーヌ公とノルマンディ公(からのイングランド王を兼ねたアンジュー・プランタジネット帝国)
その後にもブールゴーニュ公やフランドル伯など王家に対抗しうる大諸侯はフランスにも多く存在したよ
(王家に寄生する形の大貴族しかいない)イングランドとは状況は違う
それはお互いさま
イギリスはフランスと、フランスはイギリスとの争いを通じて国民国家を形成
ドイツとイタリアは、オーストリア・ハプスブルク帝国との争いを通じて国民国家を形成
こんなに広かった、アンジュー帝国の領土
イングランドの国王がこれだけの勢力を持っていたから、「打倒イングランド」が即、「フランス統一」といっても言いすぎではないほどだった
ある意味、本当にバラバラなドイツと比べたら、まとまった状況と言えなくもない
>>21
とはいっても、アンジュー帝国内に封臣がいて、彼らはフランス諸侯としてフランス王の名目的な臣下(封建契約上の臣下じゃないけど)だったから
プランタジネット家との間で諍いがある場合、フランス王に頼って仲介してもらうって手続きがあるから、そこから切り崩されるのよね
実力が多少見劣りしても、権威の使いようで決定的に優位に立てる場面があるってことではなかろうか
負け犬ジョンカ○
しかし、アンジュー帝国における「イングランド王位」って添え物に過ぎなくて、アンリからしてアンジュー伯としての地位のが大事だったのよね
リシャール(リチャード)の主要な活動拠点は、主に母親からの相続地であるアキテーヌだったし
その意味で、アンジュー帝国の時点ではあくまでもフランス王国内での勢力争いであって、「イングランド対フランス」的なものではなかった
それがイングランド対フランス的に変化するのは、もっとずっと後、百年戦争の末期からだろう
アンジューってのは、この辺りか
アンジュー伯国はノルマンディー公国と近く、婚姻によってヘンリー2世はイングランド王国とノルマンディー公国を手に入れた
当時のアンジュー伯領には、メーヌやトゥーレーヌもその領地に含んでいたから、面積だとその3倍くらいはあるかな
ノルマンディとブロア方面に拡張する感じで
リシャール・ド・プランタジュネは、在位期間の大半を大陸ですごした
イングランドは3百万人しかいなかった
プランタジネットとトゥールーズ伯は違ったけど
俺はシチリアの方と思って買いてしまった
シチリア系はハンガリー・ポーランド王にもなってる
カペー系とヴァロア系はシチリア王位めぐって争ってるな
北方ルネサンスなんてものも生まれたし
>>41
中世においてはブリュージュ、近世にはアントワープが海洋貿易の中心
ライン川を通じてケルン商人、北海を通じてハンザ同盟都市、大西洋を通じてジェノヴァ商人と交易する物流センター
さらに、イギリスから羊毛を輸入して毛織物を生産する加工貿易
(後には、イギリス製の毛織物を輸入するようになった)
毛織物産業が盛んだったから。羊毛はイングランドから輸入。
イギリスから羊毛を輸入して、毛織物を生産する。
それをライン川の船で輸送して、ドイツ・フランスの内陸部に売る。
これが、フランドル繁栄の黄金パターン
北海・バルト海沿岸のハンザ同盟都市の海洋貿易は、ブリュージュとロンドンが西の終着駅
フランドル産の毛織物は、北海のニシンと並ぶ代表的な国際商品
海だけではない。
ライン川の河川交通は、ドイツ経済の大動脈。
https://www.hankyu-travel.com/attending/heritage/germany/images/ESP12-12726A.jpg
「もしも、イングランドの大陸領土と、ブルゴーニュ公国が存続していたら」
という、歴史if地図
ていうか、百年戦争当時の勢力図
もともと、フランドルとブルゴーニュは別の国だからな
2つの国をくっつけただけ
どっかにほしかったな
ワロン地域とロレーヌとフランシュコンテがくっついてユグノーになればよかったのに
ラテン系かはともかく、フランス語話者でプロテスタントの国というとジュネーブ
ワロンはユグノーだが、他の二つはカトリックだからどうしようもないな
プロテスタントの思想は厳格すぎて、南国の人には合わない
スイスは山岳国家で寒いから別枠
フランスはフランスは新教徒の影響が残るから、コロナはそこそこ。
賢いやつ働き者はユグノー戦争後ドイツへ。
だからドイツはコロナが少ない。
>>61
いやいや、そういう問題ではない
単に、北イタリアには中国人労働者が多いだけ
事実誤認があるな
今回の流行の発端はミラノ近郊で、むしろ観光客からの感染が予測されとる
>>64
ミラノはファッションの中心地で、服飾産業が極めて盛ん
中国人のお針子が多い
それを考慮しても、>>64の予測が出てるって言ってるんだよ……
そもそも、イタリア現地の労働者が移動もせんで感染源になるわけねーだろ
隣国のドイツは氷河期にかなりの部分が氷河に覆われていて
地味が痩せているのに。
19世紀とかヨーロッパの主要国でロシアとフランスだけ穀物の単収図抜けて低いぞ。どっちも土地広いからそこそこだったけど。
けど農耕可能地はめちゃ広いからな
昔はイギリスの国土を見て「これじゃ恵まれすぎだ」とボヤくフランスの知識人がいたほど、フランスの国土はじつはあんまり良くない
近世まで大きな森林地帯が残っていた
中世なら国土に森林の占める割合はもっと大きかっただろう
フランスの小麦の単収
https://www.nies.go.jp/ica-rus/foodproblem/images/kawashima/002.png
単収が伸びたのは1950年から
1.5トンから半世紀で8トン弱まで増える
農業国というイメージのあるフランスだが、そうなったのは20世紀の後半か
でかくても砂漠や荒れ地だらけじゃね
世界でも稀有な国じゃないかな。
引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1583939853/
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