わかります
いくつか種別がある中でガチの暗記の方は廃れたんじゃなかったっけ
結局ガチ暗記プラス詩作政策が流行ったような
丸暗記の明経科は北宋の時代で終わったね。
残った進士科は論文と詩だから,丸暗記ばかり得意でも合格は出来ない。
>>17
むしろ、詩の作成こそ丸暗記必須というのが、中国語という言語世界だったりする。
文言というのは、古典のフレーズをパッチワークのように繋いで作るのが正統とされる、かなり特殊な「言語」で、
自然言語(母語としての白話各方言)を話せるからといって、文章を紡げるものではない。
ここに加えて、詩文だから韻律を揃えなければならない。それも口語とは全く違う音で揃える必要がある。
このへんは、
「詠み人の気持ちが乗れば、三十一文字なんて自然に出てくるはずだ」という日本語の詩歌論とは、全く正反対の言語文化がひろがる。
詩文作成を課すことで、さらに丸暗記にかけるべき労力は多大になった。
それはいつの時代のどこの国でも公文書作成には必須の能力だけどな。
依頼なのか下命なのか通達なのか,内容によって決まった言い回しと特定の用語を使う。つまりパッチワーク。
それがちゃんと出来るかどうかを見られるんだから,科挙で詩を出題したのは正解だろう。
この時の科挙の問題が「西夏に対する政策を書け」
それを全否定したらシビリアンコントロールなんて成立しないぜ。
幕僚は軍事のプロだが、実際に指揮を執るのは総理大臣や防衛大臣。
科挙に落ちてカルト教団つくって反乱おこした洪秀全
>>15
前線での部隊指揮の事いってんのかも>軍事指揮
あった。清では一時期,旗人の文科挙受験資格に「武科挙の騎射に科目合格しておくこと」というのがあって,その時期の旗人は大変だったと思う。
https://ryukyushimpo.jp/okinawa-dic/prentry-41313.html
言いがかりをつけられて科挙を断念したんだっけ。
興味があるなら新書の
科挙~中国の受験地獄~
みたいな本がかなり詳細に長所短所や制度の変遷などに述べてるので一読するのをオススメする
日本人の書いた本なので読みにくさや価値観の違いも少ないと思われる
興味があるなら新書の
科挙~中国の受験地獄~
みたいな本がかなり詳細に長所短所や制度の変遷などに述べてるので一読するのをオススメする
日本人の書いた本なので読みにくさや価値観の違いも少ないと思われる
進士科:50歳で受けても若者扱い
だっけ
科挙から明経が無くなって,超難関の進士だけになって当時の中国人は困らなかったのかね。
もっとも胥吏や幕友から正式の官僚になるルートもあったようなので,どうしても官員になりたい人はそういうルートを使ったんだろうか。
胥吏だけど江戸時代の日本でいえば武士以外の層から採用された
代官所手代あたりがわりかし近いんやろか?
(給与なんかはおいといて)
こぞって飛びつこうとしたんかな>幕友
https://kotobank.jp/word/%E5%B9%E5%8F%8B-113878
科挙ってのは資格試験であって採用試験じゃない(現代日本の国家公務員総合職も同じ。但し国家総合職合格は3年で失効するが,進士は終身有効)から「無い内定」も発生したらしいね。
明清になると別に官職着けなくても科挙資格さえ有れば紳襟、郷紳地主層としてやっていけたんじゃね?
生員は言わずもがな、挙人が終身資格になったせいで地方に挙人が余りまくったと聞くし
科挙って砕けて言えば「徳のあるだーれだ試験」でしょ
官職につけなくても徳が有ることは変わらないと
科挙がインテリ王選手権みたいに思えてきたw
インテリ王選手権(たいてい暗記した知識量となぞなぞの機転しか問われない)
ここまでいっしょだな笑
彼らの協力を得るのに懸命だったんだっけ
協力を得るのもあったろうけど,事務を執ってもらう人材として活用したかった面もあると思う。
事務自体は胥吏だった人なんかでも可能だろうけど,管理経営は名士のほうが向いているだろう。
ホー・チ・ミンは科挙合格者じゃなかったのね。
きっとベトナムでは昭和末期までは合格者が存命だったろうな。
因みに以前「やる夫が科挙を受験するようです」というスレで,最終合格者が記念写真を撮るシーンがあった。
「実際に撮った合格者が存在したかは不明」と註釈があったが,朝鮮で1894年,中国で1905年,ベトナムで1919年まで実施してたんだから,記念写真撮った合格者は絶対実在すると思う。
1986~1988年に100歳で亡くなった場合(科挙とは関係ないけど同国の
ヴォー・グエン・ザップ将軍も100歳あたりまで生きてたっけ),
生まれたのが1886~1888年。
科挙廃止手前の1910年代後半当時は30前後だったのね。
文章の美味さ、古典の知識の豊富さが優劣の条件で、
土木や経済、医療など実務的なことはいやしいこととされていた。
科挙を取り入れなかった日本でも財務担当の勘定方の役人は軽視されてたんだっけ
(「武士のやる仕事じゃない」みたいな感じだったと思ふけど)
最初はね。
勘定奉行所は江戸時代を通じて強化の一途をたどり続けたし,財政担当の勝手掛老中が「首座」として最上位扱いされるようになった。
(「よしの草紙」の中では勝手掛老中のことが「首相」という語で呼ばれでいる)
>>37
江戸期の日本では、「軍事のプロ」に対する反対概念として「財政のプロ」がある。この対立は実は大日本帝国まで引き継がれるが、
おおもとは豊臣政権の加藤清正と石田三成の有名な対立ではないかと思う。
武家政権の本来のコア統治要素は、西欧中世と同じく「裁判」だったのだが、豊臣政権以降、武士間での所領争いが事実上無くなったので、
政治の基本要素から裁判(司法)が外れた。それでも江戸期を通じて訴訟件数は今よりはるかに多いけど。
近世以降、司法に変わり、財政が政府の最も重要な問題として浮かび上がってきたが、軍事主義者はなかなか認めなかった。
中国の場合、軍事に対しては、なぜか文字通りの「文官」になり、その文官の要素として財政が軽んじられる伝統が続く。
これは、詩歌を尊ぶ「文官」たちが財政の実務性をバ○にしたからで、近世・近代日本の事情とは対立軸が違う。
やっぱり、日本とは大きく異質な世界だ。日本人にとって、「詩歌で国を治める」なんてことは、
「水銀を飲んで不老長寿」並みの心底意味不明な世界だったろう。たとえ地域文明の雄として学ぶべき存在だった時代でもw
現在の中国における官界エリートは科挙の頃と違って理系出身者が多いのよな
科挙に数学は必須だよ
>>36最古はバビロニアの官吏登用試験。4000年前。数学を課した
現地の試験官
電信も電話もインターネットも無い時代に天下各地で一律の同じ出題なんて不可能やからな
中央で作成した出題を各所に送ってたら試験実施前の漏洩もまず防げない
地方で不正やってても誰も気づけなさそうだけど
監察御史という皇帝直轄の視察官が監督してるから無理
そもそも地方の権力がそこまで強いのなら中央集権自体成り立たないでしょ
中央での2次試験に受かるとは思えんな
郷試に合格(挙人)するだけでも現地ではかなりの社会的地位を得られるし
塾を開いてやって行ける程度の学力的権威は得られる
自分が果たせなかったことを弟子に託したり、
弟子を教えながら自らも殿試を目指したりって
感じなんかな。
出題者が厳罰に問われた”維民所止”事件
日本でも国家安康てのがあったっけ…
ミスを見抜けるかどうか試したのだ
外国留学経験者との対立・抗争って激しかったんやろか?
科挙の廃止後ってどんな官吏登用試験だったっけ
当時の支那の人口で割るとだいたい本邦の全国模試100万人分の
20位以内くらいの合格率となる。これは日本の国家公務員試験で
主計局に登用されるような連中かね。
ただ科挙は成人男子であればほぼ全員参加できるので
母集団は大きいが、科挙を受けることができるような立場も
そんなにないのでそこまで過酷だったかは不明。
割り当て人数の人口比やら土地の豊かさなど地方によって難易度が変わるだろうしね
先進地域ならまだしも落伍した地域なら殿様と変わらないんじゃね、と思ってしまう
(むしろそっちに弟子があつまりそう)
官僚をやってりゃ賄賂を受け取らない清廉な人ですら大金持ち。
塾の先生なんかやらないだろう。あまり尊敬されなかったらしいしな。
実際に塾で教えてた進士は居るらしいよ。
一旦は任官したけど官僚があまり好きではなくて田舎で隠棲した人とか,合格は合格だがビリのほうだったから任官しなかった人(してもあまり出世できない)とか。
清廉な人というと諸葛亮だろうが、実はそもそもが半端ではない大領主だったりする
試験というほうが近いかも。
植民地では宗主国に貢ぐための経済政策や財務がすべてだからね。
これは結局、科挙だってどこかからやってきたガ○ジン皇帝に
仕えるための試験でしかないから、その精神は同じだ。試験によって
より大きく家畜になるか小さい家畜になるかを試しているだけであって、
自分自身の人生の主人公になるための人間になるという概念は科挙にはない。
東アジアの愚かさはこの科挙制度がよく表しているよ。
旧中国の政治に求められたことは封建時代の理想の政治を郡県社会の下でどうやって再現するかだから、
財政は言ってみれば戦後日本の軍事みたいな扱いだったんじゃないかと思う。
意味ない文章を丸暗記するのも、科目わけしてなんとか意味のあるようにみせかけたものを丸暗記させるのも対して違いはない
学者になることじゃない。
欧州みたいな自然哲学は支那では道家がこれを
担当してた。それと仏僧。今でも支那人が
自然科学と政治を区別できないのは科挙だけが
学問だと思ってるから。道家的なものは在野の
劣った思想として2000年以上も退けられてる。
技術者や道家をもっと大切にしていたら欧州に
指一本で敗北することはなかっただろうね。
科挙というのは結局保守しかできない
アジアの限界でもある。日本も試験や偏差値が
大好きだろ?知性がないのさ。
>>65
>技術者や道家をもっと大切にしていたら欧州に 指一本で敗北することはなかっただろうね。
中国に「こんな国,指一本で滅ぼしてやるぅ!」と言ったのはイギリスのマカートニー。
乾隆帝のお情けで謁見だけは出来たが,ゼロ回答されて涙目で逃げ帰ったのはご承知のとおり。
日本にも池乃めだかという,似たような決め台詞で有名な喜劇役者が居ますね。
官権が強いフランスは結局第二次百年戦争に
自由主義の英国に負けてるのだから
政治家になるのに異常な勉強時間を課す
フランスはダメでしょ
チャトランガにて家臣が封止したのと
科挙の精神は似てるかもネ
実証重視
このスレはまだ誰も実際の出題も答案も持ってきてない
郷試合格が会試の受験資格
童試合格が郷試の受験資格
童試=郷試の受験資格ってのは明清の話だな
確か唐宋だと天才児に科挙を受けさせてみようぜって試験だったはず
代わりに明清だと特に優秀な人物を地方官僚が推薦して飛び級で郷試受験が出来るようになってたりする
なんて名前の制度だったかな
朝鮮の科挙は、試験場に従者を連れ込んでもよかった
だから従者に扮した替え玉や家庭教師が…
まあ朝鮮の人口、経済規模じゃ全部真似するの無理だろうし……
そこらへんが中国人と朝鮮人の差なんだな。
日本もそういう不正を場の雰囲気みたいなもので押し切ってやるタイプ多いぞ
限界はあったと思うぞ。
「こいつ本当に合格したのか」と疑われるほど無能だったり馬○だったりしたらバレるだろう。
あんまり血縁が薄くなるとそうも行かなくなるんだろうけど
まあ時代が唐→宋と下ると貴族の力が弱くなるからずっと栄えた家で居たいなら結局受けなきゃならなくなる
ただ清の中盤辺りまでは満州貴族は受けちゃいけなかった
漢化しちゃうから
ただ大した戦争もなく時代が過ぎ、科挙も受けられないから文人官僚として功をあげる事も出来ない、と言う八方塞がりな状況になってしまって皇族ですら没落してしまった
それが世間に浸透して学歴社会みたいな価値観が受け入れられるだよね
民主国家じゃないんだから世間は関係ないんじゃない?
学歴の威信が民衆に認められれば武力や血統で統治する必要が無くなるわけだから関係ありあり
まあ科挙の場合は儒学の徳の概念とかが関わるから一概に学歴云々とは言えないんだけれども
少数民族どころか外人でも問題無し
日本人の進士も居る
阿倍仲麻呂が科挙に受かってたって話はどの程度信憑性があるんだろう?
他に清末に受かっていた日本人がいるらしいが。
古代支那世界では征服した周辺の民族に
科挙を優先して合格させる優遇策をとっていた
アメリカが征服したダメな国の民をなつけるため
留学生を大量に受け入れてるのと同じ
清末の服部宇之吉はもともと東大教授で科挙廃止後に大学堂に招聘されて帰国時に進士の称号もらっただけで科挙には合格してない
少数民族は知らないけれど、職業や戸籍等によってたまに制限がかけられてた筈
上記の清代満州族とか明代の軍戸とか
明代の歴代の兵部尚書の軍戸出身率は36%と人口比(2割)に比べて倍の数値
民戸出身者より優先的に任官できる仕組みになってたっぽい
満州旗人も八旗科挙とか翻訳科挙とかそれ専用の科挙試験があったぞ
受けないもしくはどこにも受からないと自動的に武官職になる
あれ当初は軍戸規制されてなかったっけか
すまんなもう一回文献当たってみるわ
科挙は現在の世界の学歴社会の起源だ
欧米は東アジア以上に学歴社会で
ある一定の階級は全部有名大卒じゃないと
ダメなんだぜ
聖書の暗記力「のみ」で人を採用した記録ってあるのだろうか
聖書に限らず暗記力「のみ」で人を採用した例など世界のどこにも無いやろ
あるとしたら無文字社会の語り部くらいか
欧米は資格を得て大学いくかんじ
今の欧米と同じ。科挙型の「偉い先生に徹底服従。
考えるな、暗記しろ」という教育は科挙が行われてから。
科挙以後、支那世界にはいわゆる学者や自然哲学者が
公的な権力からは消える。たいてい外野の存在になる。
これは欧州が教会勢力を権威としてた時代と似てますね。
合理よりも権威で欧州の支配を正当化しようとする。
この試みは結局合理・実業を重視するゲルマン系の
連中に覆されるのだが、現代の支那では未だに合理よりも
権威、実よりも政治権力闘争の闘論ばかり重視されている。
権威に反するから。支那世界は始皇帝よりもまえの世界は
論語にあるように対話型の教育だった。だけど科挙が始まって
からは最初から結論が来て、それをひたすら踏襲するだけの
家畜の育成教育になってしまう。やれ胎教だとか、やれ童試合格のために
お受験競争をさせるとか、そんな世界だ。
今の薄ら馬○の日本と同じですね。対話型教育を重視する欧米が
頭脳の世界で一強なのも無理はない話。
意外に思うかもしれないが、例えばメンデルもコペルニクスも本業はカトリック司祭だった
さらに言えば、コペルニクスの地動説の見解は、コペルニクス自身が自らのその論文を教皇パウルス3世に献呈していたほどだった
コペルニクスが献呈した論文も、もちろん突き返されたりなどされていない
それどころか、かの有名なガリレオの裁判の時期にすら、
コペルニクス論文に対して採られた措置は閲覧の一時停止に過ぎず、禁書にされたりということも無かった
神の栄光をたたえることにつながる、という宗教的意識であったといわれる。
しかしそれはあくまで科学者たちの個人的な心理の問題であって
教会組織とか教会のエラい人の考えは別。
あまり増長して図に乗ってるのが目立つと看過できない、ってことだったのでは
ま、真実はどうでもいいけど、権威に楯突いてくるのは困るとか、いろいろでしょ
定期テストだけやる自由放任主義だけど
あとは科挙浪人を家庭教師として雇う感じじゃないかなぁ
科挙の受験科目教える私立学校あったよ。「書院」という。
家庭教師雇える金持ちばかりが受験していたわけじゃないし,金持ち以外からの合格者も居ないことは無い。
そういう学校は自然科学や工学の分野などは教えてたのかなあ
そういうのは教えないね
実学は胥吏の家系が代々受け継いでるんじゃなかったっけ、確か
よく知らんけど考証学の考えを使った史学は当時としてはかなり進歩的だったんじゃなかろうか
考証学知ってた日本人がランケの実証主義歴史学を受け入れやすかったとか何とか
宋元代には社学や私立書院が栄えて明に入ると府州県学等の官立学校が栄えるって感じだったわ
明清代には昨日と府・州・県が現代日本で言う市みたいなもんで、それぞれに置かれてたから1,200~1,800校程設置されてた(時代により増加)
学校と言っても最低限の図書館設備と5~6人の教官が居るだけなんだけども
でもこれのお陰でどんな田舎でも生員になれば一応勉強できてたみたいだ
あとは大学みたいなものとして国子監が宋代からある
明代の学校制度に関しては門戸の広さと政策の規模的に当時の欧州より上じゃなかろうか
乞食ハゲ皇帝が、統治システムに関わるとは言え、治世中に1,200校も置いてるからすげえ
人種的なものじゃなく構造的なもんだろう
受験の世界比較とかで考えてみる必要があるのか
欧米は筆記に重点が置かれない?
逆に最も難しかった時期とか
明だよ
採点しやすいように定型文を覚えればいいから
隋唐とかは受ける人まだ少なくて楽そう
単なるイメージだけど
試験だけやってたのか
学問とはなにか?とか人間とは?とか
そういった疑問は一切知識人には沸かなかったのかねえ
道家がいるけど自然科学の定理などを発見し
残したというのは聞かないし
そういうのは一部の天才が切り開かない限り出てこない
科挙はそういう人材を振り落とす?そんなことは無い気がするが
科挙で集められた人材が一部の天才的資質を過小評価しがちになる?
そういうことがあるのかも
多いんだっけか
提示してしまうので、ふつう排斥されるものだ
たとえば古代エジプト。自然科学的手法を重視する宗教改革は
潰された。
その弟子古代ギリシャ。やはり自然哲学者は○される。
ソクラテス、ピタゴラス、アルキメデス、アリストテレス(彼は
諸説あり)は○された。
その後は中東由来の一神教が世界の最新思想潮流であり、
自然哲学を創始した中等、エジプト、地中海の南方は
これらに根こそぎ滅ぼされる。
イスラム教徒によって灯が再び灯され、インドや欧州で
同じようにある種の正確さとして生き残る。そして
欧州は宗教改革でこの自然哲学と共に独立し、世界を征服した。
東アジアは支那は宋代にイスラム世界の最新科学がもたらされていたが
「既存の秩序を壊す」という理由で排除。支那世界唯一の自然哲学である
道教と同じ道筋をたどる。
日本は戦国時代で織田信長が自然哲学を受け入れることのできる
素地を形成したが、つまらない凡人の横槍でタヒ亡。以後、日本は
自然哲学の理解できない薄ら馬○が政権を握り、見事
自然科学を利用した英米に滅ぼされる。
東アジアや日本に自然科学の導入は早すぎたのだろう。
アメリカの植民地・日本州は自然科学的な目で人を
見ることを良しとしない。いわく「(共産党幹部や天皇マンを絶対とした)既存の秩序が
乱れる」からだそうです。東アジアの連中の政治に関する知性はこの程度だ。
去勢された男と売春しか取り柄のない女たち・・
東アジアに生まれる人間は幸福であろう?人間として生きる
苦悩を知らないのだから。
なぜなら必ず数字や自然科学的洞察でその政策や言葉の意味をみるからだ。
このやり方だと言葉上でのまやかしやたばかりが通用し辛い。
「既存の秩序が乱れるから選挙なんてするな」なんて理由で人の上に立とうとするやつなど
まったく論外だ。これらの一見回りくどい支配方法であっても、
流石に世界を征服した人たちの政治技術は抜きん出てる。
「お偉いさんに絶対服従」のアジアなんぞ問題にもならん。
本来利息を取ることを禁止していたキリスト教がユダヤ人の銀行業に驚異を感じて利息を取り出した
彼らはカトリックなら地獄に落ちるのか?
貴族、金持ちは金を自宅に置いときたくないから当然銀行に預ける
当然ユダヤ人は信用があって確実に(利息付で)引き出せる
そんなんを悪とみなしてたのがルター
科挙でマナーが身に付くかもしれないとすら考えないよ
弁護士の倫理観の話とかで司法試験合格者にモラルがあるということなんて考えていないように
司法試験の内容にマナーは含まれてない
だが科挙の試験内容には「禮」が含まれてる
進士に禮を期待するのはお門違いではなかろう
それは最後まで突破する場合で
最初の方の試験だけ突破してそこそこの役人として過ごすので十分な気がする
世界の富の半分を所有すると言われた某資産家になったつもりで考えれば分かる
物理学者が核兵器が作れるぞと騒ぎ出し新聞に載った
キミがその資産家だったらどうするか?
勿論、その核兵器は自分だけが所有し、他の誰にも渡さないようにするはずだ
そのためには物理学者を独り占めする必要がある
そこで用意されたのがヒトラーと昭和天皇だ
ヒトラーは物理学者をアメリカに集める仕事をした
欧州の物理学者はナチスを倒すためにマンハッタン計画に参加した
昭和天皇は都市での原爆実験を正当化するためにアメリカと戦争する仕事をした
原爆から放射される放射線の○傷力を調べるためにモルモット小学生1万7千人を動員した
2010年8月6日放送NHK「封印された原爆報告書」
原爆の前後のモルモットの変化を知る必要があるので、
小学生なら炭になっても大きさでサンプルなのか一般人なのかの区別ができるということだ
実証精神から科挙が起こったんだよ
暗記型の全部が悪いわけでも無いからなぁ
受験問題はハイブリッドなのが良い
そもそも科挙は暗記試験なんか?
十三経のテキスト暗記は必須やけどそれだけで合格できるもんやないやろ
暗記だけで策問なんかどうやって回答すんねん
科挙は四書五経を暗記した上での論文試験
いや、そやから十三経を暗記しただけで策問回答できるかちうんや
暗記型はある程度までならいいけど
難しくなり過ぎると
勉強し過ぎて馬○になる
疑わずに受け入れる馬○でないと合格できない
知障やのに記憶力だけは凄いちう人かておるんやで
どうせ司法試験みたいに判例や学説の通りに書かないと駄目
深夜までの取調だろうが何だろうが任意の自白と書かないと駄目
生員止まりながら運良く官吏の道を歩んだ許世英
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%B1%E4%B8%E8%8B%B1
民国成立後は政府の要職も務めたけど洋服着てるね
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/71/%E8%A8%B1%E4%B8%E8%8B%B1.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/34/Xu_Shiying.jpg
試験地獄と言いながら幸せなんじゃないの
太子監の一つが前身な北師大学堂は外国人が教官だったり生徒を外国に
留学させてるけど,近代的な学問の要素を取り入れた場合の科挙にも
興味があるw
生員止まりじゃ科挙官僚とは言えないでしょ……
清末生員とか金で買えるし……
この下の人は進士になってさらに清末、民国を生き抜き1949年には全人代の代表に選ばれたらしい
張 元済
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E5%83%E6%B8%88
その人92歳まで生きてるやん
その時代にしては驚異的な長生きやな
進士を経て官僚となった人物か
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%E5%83%E5%9F%B9
最後の清朝皇帝が皇帝な満州帝国で漢民族向けの高等文官試験を
科挙と称した架空世界(非漢民族は別称)
もちろん殿試には溥儀自ら立ち合いますw
フランスのENAに近いんかな?
殿試は不合格を出さなくなったから順位づけのためだけだからなあ
フランスのグランゼコール制度も科挙に似てはいるけど
福沢諭吉が門閥制度を憎んだりしているし
今の社会のように事実上の差別は根強いからねえ
>>212
天は人の上に人を作らず 人の下に人を作らず
などと言いながら、自分の娘の婿には士族以上の身分を望んでいるからなぁ
井上靖の小説「敦煌」の主人公の趙行徳は、
殿試落ちて放浪して西夏の漢人部隊に拾われて、
読み書き出来ることから、西夏の漢文担当書記になったよな。
まぁ、所詮小説だからフィクションのわけだが。
文章語としての文言はパーフェクトに出来るけど、口語は南方の訛りが強すぎて、口頭試問を受けてもまったく会話にならない例って出てきそうw
「殿試は全員合格」だとしたら、どこで口語のスクリーニングをかけたんだろ?
どうせ公平な入学者選抜しても
不公平な入社・就職選抜がまっている
大差はない
試験を工夫したけど、結局試験制度ではバ○しか
集まらないんで勧誘制にかえたとかいう
話がなかったっけ?1500年も科挙の愚かさに
気づかなかった支那もすげえよな
>>231
アファーマティブアクションや既存のエリート選抜システムへの反発から試験一元制を導入しろという主張のアメリカ人も一応たまに見かけるが…
正直それがアメリカ人気質やアメリカの大学制度とどこまで噛み合うかは未知数だなあ
それは良くないだろうなあ
支那清朝でも征服したばっかの異民族を介入するために
科挙で甘く点をつけてたというのが反発を招いたと
あったし、勉強のできる無能が集まるのは競争社会の
アメリカで、投資家がこれを許さないだろう。試験だけが
基準だとガリ勉バ○の中共から逃げてきた中国人や
カーストから逃げてきたインド人だらけになる。つうか
もうなってるからなあ。数学五輪や科学五輪の代表が
ほぼ全員中国から逃げてきたやつで笑ったわ
試験に通るのって疑わずにそのまま受け入れる馬○だもん
司法試験合格者の法曹が馬○ばかりなのもな
何だよ自白事件って
どうして自白なんてものが当てになると思うんだか
証言も同様でこんないい加減なものな
昭和大学ばんじゃい
勉強のできるバ○が来てしまうんだよなこれはすごい逆説で
皮肉な話だそもそも人間の能力を可視化(実証)するのが
目的だったのにダメな人間しか集まらないんだもの
科挙をやりまくっても科挙から世界史に残るような偉人はゼロ
科挙のない欧州の天才学者は数知れず
この差はやはり総合的な知能の差なのだろう
19世紀あたりからの試験制度は実質科挙だが
例えば欧米でもピアノや楽器で超絶技巧レベルで全くミスをしない達人を集めるだろ?
そうするとそういうタイプの人間からはほとんど優れた作曲家は生まれない
実際生まれてない
そういう感じ
暗記型採用試験?
以前教会や宗教でそういうのないかって質問したんだけど
ないってレスされたけど
キリスト教だとまず聖書の暗記と書き写しだろうなあ
聖書は古代支那でいうと春秋戦国と四書五経を
まとめたような書物で、これらの暗記や独唱などは
基本であったろう。それとキリスト教だと中世から
ユークリッドの幾何学を学ぶ。
あったのだろうじゃなく
実際あったのならそれもほぼ科挙だな
記録あるのか知らんけど
あったよ。聖書の暗記なんてイスラムでは最重要科目だった
ユークリッド幾何学は当時の神学生が苦戦してたと聞いた
やっぱ数学が苦手な人は
多いんだね古今東西
コーランじゃなく旧約の暗記?
>>243
それは、暗記した内容の直接的文言のみ問うのではないということ。
或る命題や経典などの内容について、諸説さまざま突き合わせたうえで、
それを回答者自身はどう解釈するか、また、その根拠は何かを問う、ということだよ。
だから、たとえば、ユダヤ教のタルムードは端的に言えば学説集一覧だし、
またたとえばキリスト教の中世スコラ哲学の論文は、その論述内容自体が、
或る命題に対する諸説を列記した問答から論拠と結論を導き出していく、
という様式になっているのがごく普通なんだな。
アインシュタインもニュートンも優等生
確か本家科挙でも一芸特化の試験をやったことがあったよな。
本流の合格者以上に使い物にならなかったのと、
本流からのいじめで1回か2回かで終わり。
史上最高天才候補の一人フォン・ノイマンは間違いなく天才やけど人格的には酷かったらしいな
ロスアラモスの研究所で核開発してたとき他の研究員は激しく葛藤しつつ苦悶しながら研究してたけど
ノイマン一人だけは嬉々として研究してたらしい
一芸特化というのはそういうことや
傘をさしてないと怪しいとか傘を持っていなかっただけだろ
他人が共犯だと自白したら逮捕されるってふざけるな
三角比でさえ長さの比率だって気がつかなかった
一言言葉の説明をしないんだよなあ
抽象論理を操る訓練は丸暗記教育とは違うし、それが近代科学を産む母胎になった。
むしろ科挙の勉強なんて哲学と修辞学がほとんど全てだろ
中頃は無難なやつ、
後期はおべっか使いが受かる
をずっと1500年くりかえし。
それ以外の人材登用の
方法の探求や基礎研究一切なし
やっぱ保守はだめだね
基準が変わらないならそんな性格変化は起こらない気がするが
科挙で受かるのは良くも悪くもエリーとタイプ
試験に向けて対応するとそうなる
できる奴は見れば分かるだろうなんだろうな
「三民主義」読んだらわかるで
思うな。それは住民たちの「Aか反Aか(カトリックかプロテスタントか)」といった
信仰を明らかにするための作業であって、民主主義などとは関係がない。
ましてやよい政治・良い政策とはなんの関係もない。第一話し合いという
作業が両者にはないのだ。現在のアメリカを見てると投票は宗教戦争の
一形態に過ぎないことがよく分かるよ。
みんなはどう思う?
フィクションではそういう話があるそうですが。
太平天国では女子にも科挙試験の門戸を開き、実際に女性の状元もいた。
洪秀全が科挙に何度も落ちたせいでおかしくなったので、
科挙の弊害を多少は無くそうと考えたのだろうか。
女帝のもとではあり得るんじゃね
とは中国人も考えたのだろう
『鏡花縁』という伝奇小説では
武則天が女性用の科挙を行う
心理学的な話だけど社会的に成功した女性は同性を見下したり辛くあたる傾向がある
クインビー症候群って奴な
武則天もそうだけど班昭、呂雉や西太后も同じ女にはやたら厳しかった
SATはPISA型じゃないんじゃ無いかな?
中国や韓国、日本の受験生は、科挙とか試験勉強の影響から、やたら対策を取るのが常道になっていて
そうしない米国本国の学生との差が付きすぎるわけだ。
ところが、そうやって高得点取った学生が、いざ講義になるとろくなコトを発言できない。
だから、東洋の学生の点数は減点させられて居るわけだが、それにやたら文句言う人がいたりする。
まあ、仕方ないかと。
司法試験上位合格の裁判官や検察官や公務員試験上位合格の財務省が
平気で残酷なことをする人間のクズでなければ
馬○でしかない
逮捕して取り調べでつ
Q
「其の君に礼有る者を見るは、孝子の父母を養うが如きなり、と請(こ)う。下文を以て答えよ」
A
「下文に曰く、其の君に礼無き者を見るは、鷹?(ようせん)の鳥雀を逐うが如し、と。謹(つつし)みて対(むか)う」
わかるかい
清少納言みてーだな
定子「香炉峰の雪いかならむ」
清少納言「まず御簾を上げます」
分かるかい!
だから共産革命が起きたのかも知れない
で結果はどうだろう
実際家柄重視の日本なんか派閥争いや家督争いで国が乱れたからな
近代においては列強に追い越される原因となったけどね
19世紀にはエリートは高学歴だったよね
これが貴族官僚だとその後何代にも渡って争いが続く
儒教の本を覚えないと文章が書けないんだよ
中国語には文法がないから論語とかの話を覚えていないと分が作れない
文法がないんじゃなくすくないんだとかってのは無視ね
論語、孟子、史記、漢書などにゃ実学・行政技術は書かれていないから
今の数学とかも対して変わらんだろ
歴史とか英語とか、意味のありそうなものを暗記させてるように見えるが
対して変わらん
科挙=受験のルーツだ
聖書丸暗記でもなんでもいいんだよ
最新のメディカル科学として高評を得てる翻訳書だぞ
支那愚民が科挙合格目当てで丸暗記してる四書五経なんかとは比べもんにならん程実用的だっての
実際的な行政技術や経理学は官吏に登用されてから学ぶから
例えば李誡が土木の実務に当たる官僚に対して発行した「営造法式」なんてかなり実用的な構成になっている
ここらへんは現代日本の公務員試験と同じ
古臭い北宋時代の建築技術書なんか丸暗記したって、国土交通省の技術職に採用される確立は高まらない
格調高い定形文書を作成することが求められてたんだろうな。
それで選ばれる人材も対してかわらん
学校開いて地域の子供に学問教えてそう。
でもって生徒からの月謝で生計立ててたり。
それで上にくる人材ってのは基本同じ
これが前近代の中国と日本の差だね
西洋学問の導入も清のほうが圧倒的に早いんだよなぁ
康熙帝の時代には帝みずからブーヴェより数学、建築学、天文学、ラテン語の講義を受けているし
その頃の日本なんて学問と言えば儒学や漢詩ぐらいしかない
>>348
>西洋学問の導入も清のほうが圧倒的に早いんだよなぁ
なのに日本軍には惨敗してしまったんだよなぁ
>>351
清末の洋務運動が失敗したのはなぜか?
結局、守旧頑固派に押されてしまい、
明治維新政府のようなドラスティックな西洋化ができなかった。
科挙官僚の沽券に関わるとして、
なかなか海外留学組を重用しなかったりとか。
それでも軍備や工業、電信や鉄道等の西洋化はそれなりに進み、
北洋艦隊の艦船を日本に派遣して
こんな東洋一の最新鋭大型艦を清は持ってるんだぞ、
と日本人に見せて
日本を牽制するまでになってた。
だが、却って日本人を発奮させてしまい、
日本は軍事費大幅増額(軍拡八カ年計画)で
軍艦の建造や購入を進めてる。
軍事費の捻出のために明治天皇が朝廷費用の減額を決めた頃、
西太后は頤和園建造に軍事費を流用していた。
日清戦争の後の北清事変でも日本軍に惨敗したんだよね
カルト組織の義和団の「仙術」を盲信する宮廷内に同調し反知性主義が悪化していった
いるがそういうのって変人と思われたんかな?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%E9%A2%E7%B2
>>347
たまにいるけど変わり者だと思われるんじゃね
能力の高さだけ示して役職につくの嫌がるなろう主人公も多いし
司法試験に合格しても弁護士登録しないのもいるし
なんでも学問として分類されると思うのはまちがい
太子監在籍者・卒業者のほうがそうでない連中より郷試やその後の
会試の合格率って高かった?
太子監に入らないと郷試・会試を受ける資格をもらえなかったってん
でもないよね。
民国初期の北洋政権だが袁世凱時代やその後の安徽直隷時代では
儒教は古くさい物と見なされた?まだまだ信奉が根強かった?
北洋政権の政治家・官僚が未だ科挙官僚(進士)上がりで固められてたら
後者な気もするといいつつ。
こっちは宗主国の弾圧で挫折を余儀なくされたか。
清ではバーリンゲーム視察団があったな、
岩倉使節団とは違って単なる物見遊山旅行に終始したようだが。
科挙官僚になったところでどうせ内朝の女官に頭上がらないからな
女が科挙官僚になるメリットがない
アニメで彩雲国物語。
科挙官僚を高級将校にしても役に立たないはず。
馬賊、海賊、匪賊の頭領を抜擢したほうがマシな気がする。
過去に科挙官僚でありながら名将になった人たちって、
兵学も極めてたから?
李鴻章の淮軍から頭角を現したり馬賊の張作霖が
清朝軍の隊長に転身したり
清末といえば西欧式のカリキュラムを取り入れた士官学校が
国内各地に作られたり優秀な士官候補生を日本の陸士へ留学
させたりというふうに近代的な専門教育を受けたプロの軍人が
輩出されるようになってきたのな。
民国期に新疆を支配した軍閥指導者の楊増新は清朝時代に
現地へ派遣された科挙官僚だったが。
地方行政だが日本に例えると
中央から配属されてきた科挙官僚=国司(本社からの管理職)
実務に長け役所に採用された現地の挙人・生員=在庁官人(現地雇いのスタッフ)
みたいな感じだったんかな。前者は少数で後者のほうが圧倒的に多かったはずよね。
科挙は最終的に文学的素養、芸術みたいなのの理解を取り入れたが
受験=科挙を完成させる要素ってなんだろう
本業のかたわら副業として職務についてたのね。
国子監を卒業したら自動的に挙人になれるわけじゃないのよな
引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1530313202/
コメント