三国志で呉の五虎大将を決めるなら誰になるかな?
四大都督ってのはあるけどあれは別だね
太史慈、董襲、甘寧、凌統、陳武なんかはちょっと入れづらいような。
朱然は都督扱いかな、とか。
潘ショウは預かった兵士が少ない。
個人的には朱桓と賀斉を推したい。
黄蓋は地方の押さえって感じで、微妙。
でも韓当が入って黄蓋が外れるとか嫌なカンジ。
武勇よりは宿将で信頼が篤かったって感じか
合肥の戦いで奪われた軍旗を奪還したり、洞口の戦いで曹休追い払ったりしてるじゃん。
関羽=張遼=程普
張飛=張郃=黄蓋
馬超=于禁=韓当
黄忠=楽進=宋謙
趙雲=徐晃=祖茂
こんなところかな
それで確定だな
呉はかなりメンバー入れ替わってるからな
孫堅時代初期なら>>28でいいと思う
祖茂が入っているところがポイント高い
それより後の時代だとまた変わってくるな
太史慈とか周泰とか甘寧とかの新参組と程普黄蓋韓当あたりの古参組の兼ね合いをどうするか
末期もまた末期でいいよな
諸葛恪とか陸抗とかいろいろ
かといって陸遜とか周瑜とか朱然ってそういうイメージじゃないよね。
とりあえず参考として他国の将軍位を確認
魏王216曹操
魏王220曹丕
楽進:右将軍(218年にタヒ亡)
于禁:左将軍(魏帝即位後に呉から復帰し安遠将軍)
張遼:征東将軍→前将軍(曹丕即位)
張郃:盪寇将軍→左将軍(曹丕即位)→車騎将軍
徐晃:平寇将軍→右将軍(曹丕即位)
漢中王214
関羽:前将軍
張飛:右将軍→車騎将軍
馬超:左将軍→驃騎将軍
黄忠:後将軍(翌年タヒ亡)
趙雲:翊軍将軍(成都平定時)→征南将軍→鎮東将軍
という訳で、基本は列伝にのっている人なのだが、さらに趙雲を除けば
王位即位時に四方将軍となった人が有力だろうと愚考
そんな訳で結論
朱然:昭武将軍→征西将軍(222)→車騎将軍(帝位)以降略
賀斉:後将軍
呂範:建威将軍→前将軍(223)
潘璋:振威将軍→平北将軍(夷陵)→右将軍(帝位)
徐盛:建武将軍→安東将軍
候補
諸葛瑾:左将軍→大将軍(帝位)
朱桓:奮武将軍→前将軍(帝位)
韓当:威烈将軍→昭武将軍(223)
周泰:奮威将軍
ついでに陸遜は別格
それを見る限り潘璋と朱桓が入るのは確定だね
呂範、賀斉、朱桓、潘璋+αじゃね?
>>66-67
朱桓を外したのは主に以下の3点
・上官に反抗し上官の側近と副官を○したこと
(※関羽みたいに性格止まりじゃ無く実力行使までしている
・部下思いかも知れないが私兵1万人抱え込み
(※国の一将というより呉を支える半独立の豪族といった方が正確
同じ豪族の陸遜も別格として外したが、こちらは別格までいかない微妙さ
・最大の戦果といえる少数で曹仁撃退は222年で王位即位後
異論があるのは分かる。
こうやって除外しすぎたことで小粒になりすぎたから朱然を入れたんだが
こちらも大都督まで行ったから別格とすべきかもしれない…
でも朱姓とはいっても養子だし、生き残ったことで実績で昇格に見えた
蜀の張飛、魏の張郃と同格まで昇格した人という意味で残した
>部下思いかも知れないが私兵1万人抱え込み
これはちょっと違うような。
遷盪寇校尉,授兵二千人,使部伍吳、會二郡,鳩合遺散,期年之閒,得萬餘人。
命令を受けて、離散していた兵を集めて1万の兵を得たということで、
それがそのまま朱桓の兵になったということじゃない。
それと朱桓は孫権の側仕えからのスタートであり、孫権から兵を授けられたこともあり
半独立の豪族なんてことはないと思う。
>>69
そうですね豪族なのは事実だが、私が思っているより勢力はないかも
でも、気位の高さや配下への施しは豪族という立場が影響してるとみる
少なくとも公私折半で兵を私物化しているという印象はぬぐえない
それに3つ目に上げた年齢のわりに登場が遅いというのは事実だし…
と、言った所で微妙すぎな徐盛より古参韓当の方が順当な気がしてきた
そんな訳で私は「朱然、賀斉、呂範、潘璋、韓当」に変更
あくまで朱桓は入れたくない、たぶん条件絞りでも少数派だろうけど
>少なくとも公私折半で兵を私物化しているという印象はぬぐえない
これは呉はみんなそうだよ。兵の世襲だってあったわけだし、
呂蒙や賀斉も独自に兵装を整えている。
別に、朱桓をいれないのはおかしい!と言ってるわけじゃないのだけどね。
都督という話で言えば、呂範も朱然以上に格が高すぎるかもしれない。
彼は揚州牧だしねえ。
潘璋は、活躍の割には与えられる兵が多くなかった点が難しい。
まぁ選ぶのは大変だよね。
呂範は後方雑務の軍政もこなしてるというか
自分で買って出て結果も出してるからね
揚州牧も無難にこなしてそうだ…
まあ、陸遜を上回る大司馬就任の方は病気している状態で
印綬を受け取る前に亡くなったから名目というか
追贈の前払いみたいな印象を受けるけど
ついでに賀斉も徐州牧だったりするけどこちらは名目だよな
朱桓も皇帝即位のときに青洲牧というのもあるが
それはそれとしてスルーされっぱなしの全琮カワイソス
程普、黄蓋、朱治、韓当
四大都督
周瑜、魯粛、呂蒙、陸遜
三主将
徐盛、朱然、丁奉
五闘将
太史慈、董襲、甘寧、周泰、朱桓
韓当黄蓋程普は3宿将で別物っぽい
太史慈は何か違う
周泰は許チョ的立場
個人的には甘寧凌統徐盛朱然朱桓辺りかな
エピソードが派手なので過大評価されてるだけ
そもそも簡単に人を○すような野蛮人は論外だろ
趙雲も一人だけ官位低いし
それに甘寧の場合は預けられる兵の数も少なかったしなぁ。
蜀の五人にも一長一短はあるが、それは仕方ない。
史料も少ないし。
だけど孫呉の場合は記述も豊富で候補となる武将も多いんだから
活躍時期や官位は審査基準になっておかしくない。
他4人の官位が並んでた時の趙雲の官位は一人だけ低いぞ
率いた兵力も同じ巻にまとめられてる奴と比べて甘寧が特別低いとは思わないんだが
演義なら
宿将
程普、黄蓋、韓当
五将
関羽=張遼=甘寧
張飛=許チョ=太史慈
馬超=徐晃=周泰
趙雲=張コウ=徐盛
黄忠=李典=凌統
蜀魏の五将に合わせて孫権期前半に活躍していることが条件だろう
呉王即位の222年までに生き残ってないのは無条件で除外
夷陵で陸遜の副将だったのは朱然。
石亭では陸遜の左右を固めてたのは全琮、朱桓。
よって呂範、朱然、全琮、朱桓、賀斉、潘璋から-1
>>150の基準にこだわらなければ十分候補に入ると思うよ
官位は別に普通では、低くはないと思う
親族ってのは孫堅・孫策、名家は周瑜・陸遜あたりかな?
宗室・五子・二孫・他の呉・会稽四姓や劉基を見ると特に補正があるとも思えないけど
多く書かれてる人と伝は立ってるけど簡単な説明程度の人の差のことだろうから、
資料が少ない人が不利って話。
資料が少ない人が不利なのは呉に限った話ではないでしょ。
蜀漢の人物なんてほとんどがそれで不利だよ。
>>159で上げてる人物は補正かかってるの?
山越の襲撃から命懸けで孫権を守った逸話とか
官位の割には結構重要な任務についてるとことか
趙雲とかぶるんだが。
位階は高い。前半期の孫権にとっては重要な武官だっただろうな。
呂蒙、蒋欽などの輩。
周泰 董襲 甘寧 凌統 徐盛(朱桓)
派手な見せ場があるやつ重視でいくとこうなった
朱桓は他と比べると参入やや遅いので補欠、太史慈は早タヒになので除外
五虎なんて史実からしたら虚像なんだから位階やら活躍期間とかにこだわってもしょうがないよね
派手な活躍や人気とかでサクッと決めるのが一番いいと思う
>正史由来じゃん
>>191の言いたいことはそういうことじゃないと思うよ
つか>>191もそれを言うなら虚像じゃなくて虚構だろと思うが
まぁ俺も官位とかに縛られるより>>188みたく気楽に考える方がいいとは思うけども
多分物語の中での「格」だろうな
その格を決めるためにいろんな要素があるが
まぁ人気や立ち位置は重要
馬超は劉陣営入りまでの暴れっぷりもさることながら演義の敵役曹操を追い詰めたってのがデカイ
演義なら太史慈、周ユ、呂蒙、陸遜、徐盛という感じ
あとは活躍してはいるが派手さで上の五人より落ちる
ただ中三人を落とすなら太史慈、董襲、甘寧、凌統、潘璋、徐盛から-1かな
正史
蜀:関羽、張飛、魏延、フウ習、黄忠
魏:楽進、ウ禁、徐晃、張遼、張コウ
呉:朱然、朱桓、全ソウ、賀斉、潘璋
演義
蜀:関羽、張飛、馬超、黄忠、趙雲
魏:楽進、ウ禁、徐晃、張遼、張コウ
呉:太史慈、周ユ、呂蒙、陸遜、徐盛
蜀の五虎将は蜀書第六に列伝されている五人が選ばれて、創作によって肉付けされたもの
いわゆる魏の五将は、普通は魏書第十七の曹操の指揮下で最も有名を馳せた五人のことだが、
演義には反映されず、楽進などより許チョの方が活躍しているし位も上っぽく書かれてる
…思うんだが五虎将と聞くと正史や官位などの厳然たるデータばっかで決めるのがなんだか味気無い気も
なんかこう夢がほしい
うまく言えなくて申し訳ないが
正史・演義で両方出してもいいと思うけどね
結局は根拠となる書物でどれだけ大きく扱われているかで決まると思う
でも今の俺ら(日本人)の漠然たるイメージも多少反映させたい
軍師やら将軍やら文官やら都督やらの区別が曖昧になりがちな日本人のおおらかなイメージというか…
孔明が五虎将じゃないんだから四大都督は外したいとか、軍を率いてるのは知ってるけど緒葛瑾は外したいとかのぼんやりとした意見
国内外に武名が轟き、勇猛果敢または冷静沈着な武勇に長けた名将で、抜群の功績を立て、ここ一番で頼れる人物
そんな人を五将軍としたいなー
>>204
でも呉は都督級と部将の分担が結構はっきりしてるから
甘寧らはずっと魯粛、呂蒙、諸葛瑾、陸遜らの監督を受けてるんだよな
関張馬みたいに勇猛で独立した軍を率いてっていう将は
やはり程普、韓当のような黎明期からの古参組だけになってしまう。
というか独立して軍を率いるの定義は、その軍の最高指揮官ってこと?
楽進や北上関羽以外の四虎とかそんな経験あったっけ?
軍だろうが部隊だろうが一方の将として活躍してればいーんでないと思うが
四虎なら、張飛と趙雲は蜀入りで一軍率いてる。
馬超は曹操との対決がある。
黄忠だけ微妙。
>>212
山越の襲撃から孫権を命懸けで守った
濡須では督となり活躍
とりあえず、孫権期前半の主な戦いのほとんどには参加している
まあ、他にいなければ入れてもいいかなってレベル
魏書の張楽于張徐伝、蜀書の関張馬黄趙伝に相当する呉書といえば程黄韓蒋周陳董甘凌徐潘丁伝
即ち、魏の五将軍、蜀の五虎将に相当する武将は
程普・黄蓋・韓当・蒋欽・周泰・陳武・董襲・甘寧・凌統・徐盛・潘璋・丁奉
であり、孫呉十二(神)将とでも名づければよい
十五の賀斉・全琮・呂岱・周魴・鍾離牧があってる。
九の周瑜・魯粛・呂蒙だと諸葛亮寄りだし。
他方、程普は生地から離れまくってるのに江南の人に慕われるとか何が違ったんだろうね。
程普は文官試験突破組。実はインテリ。
だから政治的な意味合いでの地位もあって高めって事じゃないのかな。
陸遜の代理で曹丕を撤退させた徐盛とかかな
あと賀斉も戦わずに曹休の軍勢を撤退させたんだっけ?
のであって本人は政争に関わってない
張休と顧譚の排斥のときは全琮が前面に出てたんじゃない
大物相手でなければ孫権が二人を庇えば終わりだし、そのときの孫権には庇う意思もあった
いや、論功行賞で顧承と張休が捏造をやったという誣告を孫権が信じたんだよ
当初は顧譚のこともあって迷った孫権だったが
顧譚は「そんなの讒言だ」と突っぱねたので
孫権も思い切った処置を取らざるを得なくなった。
正史でまとめて伝を立てられた人物の総称だ、
呉の12虎大将で問題あるまい。
程黄韓蒋周陳董甘凌徐潘丁、これで決まりだ。
格的にも魏や蜀漢の5将と変わらないしちょうどいい。
さすが呉は人材が豊富だ。
どっちが危険?
甘寧は部下の扱いや素行が悪いだけで、
ことさら上官や同僚ともめるタイプじゃない。
むしろ魯粛などに対しては大人しかったりする。
都督の下の一将としては十分。
魏延は国家の宿将となったが、
軍事官僚が統括する中華の行政システムと衝突して敗北した。
大人しくしていれば張コウと同等の評価を得られたのに、
野心と気位が勝ってしまった。
甘寧の全盛期はあまり記録が残っていない益州時代だとすれば
結構危険な存在だったかもな
それこそ呂布や公孫サン、サク融並みの
張飛=徐晃=周泰(潘璋)
馬超=張郃=董襲
黄忠=楽進=凌統
趙雲=于禁=蒋欽
甘寧と周泰が逆だったらいい
張遼、徐晃、張郃、はともかく、他は惇や淵、許、典でもいいじゃん
典韋許チョは最強の用心棒なんで入れにくい
于禁と楽進いなかったら袁紹に負けてるわ
正史前半の武官の巻
魏書
諸夏侯曹伝(夏侯惇・夏侯淵・曹仁・曹洪・曹休・曹真・夏侯尚)
張楽于張徐伝(張遼・楽進・于禁・張郃・徐晃)
二李臧文呂許典二龐閻伝(李典・李通・臧覇・文聘・呂虔・許褚・典韋・龐徳・龐淯・閻温)
蜀書
関張馬黄趙伝(関羽・張飛・馬超・黄忠・趙雲)
呉書
周瑜魯粛呂蒙伝(周瑜・魯粛・呂蒙)
程黄韓蒋周陳董甘凌徐潘丁伝(程普・黄蓋・韓当・蒋欽・周泰・陳武・董襲・甘寧・凌統・徐盛・潘璋・丁奉)
朱治朱然呂範朱桓伝(朱治・朱然・呂範・朱桓)
蜀は五大とかじゃなくて同時期に五人しかいないだけ
魏はいっぱいいるけど五大は確定してる(張遼>楽進>于禁>張郃>徐晃)
呉はいっぱいいる上に区分の仕方が微妙
魏の張繍や呉の太史慈が五大に入るようなもので、明らかにおかしい
というより降伏後の馬超は張繍や太史慈より活躍してない
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