朝鮮朱子学を積極的に取り入れ
近代化以降はデカンショ
デカルト カント ショーペンハウエルを
エリート青年たちが読み耽ったという
日本オリジナルのものでスゴいものはなかったという印象なんだが
オリジナルの意味が不明だけど
朝鮮朱子学をオリジナルというなら鎌倉仏教
・鎌倉時代に相次いで勃興した新たな宗教運動は、日本思想史上の頂点をなすと広くみなされている
・「禅」は欧米のビジネス、芸能、文化など各界の著名人に多大な影響を与えている
儒教や朝鮮朱子学等々がお前にとっては凄いものなのか
そもそも哲学なのか?って疑問があるけどね
HENTAI を知らんのか
メインカルチャーは西欧をお手本としないものを排除するのが日本のルール。
そういうルールのない「HENTAI」は、世界に誇る独自の発展を遂げている気がする。
日本人哲学思想家がいないからね
日本オリジナルなんて存在しない
大陸か西洋のパクリ
なんで西洋ひとまとめなん?
大半の国がよその国の借り物の思想だろ
なんで国で区切るんだバ○かよ
西洋といえばキリスト教文明だろうが
キリスト教を元にした哲学思想を日本が輸入したんだろ
その前は大陸の儒教や道教から生まれた思想哲学を輸入したし
それなら無さそう
いやわからんけど
数学を基礎にしてるからどちらかというと西洋寄りだが
それが正しいって誰も証明してないけどね
〇〇が言ってたじゃなくてさ自分の意見を述べようよ
大陸哲学というものはドイツ語と深く結びついたものだと思うね
他の言語圏からはまったく出てこなかったし
フランスのはドイツから輸入してちょっと弄ったエセ哲学だし
そうそう言語化されて初めて概念が蓄積発展していく
ゲルマン民族大移動でヨーロッパぜんぶフランク王国が飲み込んでローマ教会も取り込み
その布教の役目を負う時にローマ哲学を分析し始めた
もともと蛮族だったから学問の歴史が浅いおかげで客観視し言語化できた
ギリシア~ローマの哲学は言語から進化し文学や芸術に昇華抽象化されたせいで
贅肉を徹底的に削り落として哲学にまで遡るのが大変だった
西周がやったように古代のラテン語とかをほじくり出して分析研究し現代語に訳したものがいまのヨーロッパでもたくさん使われてるらしい
欧米人にとってその分野のとっかかりになる鈴木大拙が
日本人では一番スゴい思想家ということになる
昔、柄谷行人が何かに書いてた
西洋哲学をがっつり学んだ日本人として有名なのは江戸幕府おかかえの学者の西周
wikiより
明治6年(1873年)には森有礼・福澤諭吉・加藤弘之・中村正直・西村茂樹・津田真道らと共に明六社を結成し、翌年から機関紙『明六雑誌』を発行。啓蒙家として、西洋哲学の翻訳・紹介等、哲学の基礎を築くことに尽力した。『明六雑誌』1874年3月に「洋字を以て国語を書するの論」を発表。1874年7月、形式論理学に関する最初の解説書『致知啓蒙』を刊行。1875年4月から1876年9月までヘヴン著西訳『心理学』刊行。『明六雑誌』1875年6月から10月に「人世三宝説」を発表。
西洋語の「philosophy」を音訳でなく翻訳語(和製漢語)として「哲学」という言葉を創ったほか、「藝術(芸術)」「理性」「科學(科学)」「技術」「心理学」「意識」「知識」「概念」「帰納」「演繹」「定義」「命題」「分解」など多くの哲学・科学関係の言葉は西の考案した訳語である。
上記のように漢字の熟語を多数作った一方ではかな漢字廃止論を唱え、明治7年(1874年)、『明六雑誌』創刊号に、『洋字ヲ以テ国語ヲ書スルノ論』を掲載した。
著書に『百学連環』、『百一新論』、『致知啓蒙』など。
中国にもその概念がないからいくつかの用語は中国にも逆輸入されてるらしいな
https://i.imgur.com/g7jcf1R.jpg
これは多くの日本人が学んだが輸入後に日本で新規に生まれた概念はない
興教大師覚鑁とか仏教論理学駆使しているのか難しすぎるわ
日本人が学問に対して思想や哲学を求めてないからな
論理的な文章も書かないし議論もしないんでは特に哲学なんてなくて良い
勝手に信心してろよ
東洋の宗教は教義や戒律がないものが多くて大概が哲学思想の教えを各々が学ぶ
思想というのは価値観や人生観の延長にあるが
価値観はその人が生まれ自立して行きていくうえで重要と捉えたものが価値観になり
その時間が長くなれば人生観になる
さらにその人生観が言語化され次世代に引き継がれるときに思想になっていく
要するに行きていく食っていくための知恵が東洋思想の源流という考え方
よりよく健やかに生きるための定義考え方という意味では仏教やギリシア思想にも似てる
宗教=ややこしいものという認識は一神教の弊害
ものすごく難しいことを優しく噛み砕こうとして漫画化したものがある
https://ic4-a.wowma.net/mis/gr/135/content.bookoffonline.co.jp/goodsimages/LL/001227/0012274555LL.jpg
https://pbs.twimg.com/media/EuvJtrxVIAIy130.jpg
しかし難解
年功序列や忠君愛国が相対化されるから
日本はまだ儒教の影響下にある証拠
伝聞できるものに頼っている間は所詮哲学だが
神道の哲学はあまりに古すぎて伝えがなくなってしまったそれでも混沌を起こさずに続いているそれが哲学を超えたモノなんだって
信じるか信じないかはあなた次第
ネット上で「西周の訳語の研究」というPDFファイルが拾える
これは論文というより西周はどういうことをしたのかを定量的に調べまとめたもので10Pほどしかないので読みやすい
その論文の一部の画像
https://i.imgur.com/m40YW7o.jpg
https://i.imgur.com/bGLqOhU.jpg
関孝和くらい知っとけ
ベルヌーイより先にベルヌーイ数発見してるわ
というか今だからこそ逆にその言語論の独自性が浮かび上がってくる
ハイデガーが認めていただけのことはある
あれは唯識あたりから?
熊楠なんかはオリジナルやない?
熊楠はそうだな頭になかった
柄谷、東の動ポモなどは翻訳されてそこそこレビューついてるが
圧倒的なのは精神科医の斎藤環だな
ヒキコモリの本
戦う戦闘美少女は向こうのアニヲタが
理論武装するために使うのか
大量にレビューがついてて評価も良い
特に現代日本では議論に際して弁護士や政治家などがやる詭弁術が重視されその傾向に拍車がかかっている
韓国人の方がこの点で優れている
だが過去を振り返ると荻生徂徠とか親鸞とかその辺りは研究者からは途轍もない思想家だったと評価されてるよ
それまでには存在しない新興宗教だからどっちかと言うとほぼ同じ時代に生まれた創価学会とか天理教とかああいうのと共通点が多い
まずはその認識からスタート
そうだな
そもそもで言えば天皇の本業である神事の儀式は山岳信仰の中に残ってる
神聖な山の上に登りそこで天皇が神と一緒に食事をする御饌なんて典型的
人間がいかに快適に過ごすかという方法論。
だから同時発生的に世界各地に時代を問わず生まれてきた。
紙が生まれて保存されてるけど、それ以前にも普通にあった。
起源は中国でもギリシャでもない。
人類史そのもの。
林羅山
中江藤樹
山鹿素行
伊藤仁斎
荻生徂徠
契沖
荷田春満
賀茂真淵
本居宣長
平田篤胤
江戸時代の思想家の課題は朱子学=儒学との対決だった
貝原益軒先生も
その次が本居宣長かな
そして新井白石に伊藤仁斎と続く
平田篤胤はX
日本もそうで禅宗と禅宗が影響した文化があるから言葉遊びの思想なんて要らない
生活の中の態度にまでそれが及んでいるのに比べたら朱子学なんて弱いもんだがもちろん学者は引きこもって本読んでるだけだからなんもわからない
でも悟りの境地みたいな曖昧模糊とした観念を研究する外人がそれを細かく分析していくとその中に瞑想技法が出てきた
日本では禅の瞑想で目指す「無の境地」がなんとなく掲げられてそれは体得しないと得られないとして禅寺が1000年以上も独占していたわけだが
外人は「無の境地」の脳波を調べそれがどう生理的なものと結びつくかを研究した結果
マインドフルネスという技法を編み出してしまった
座って静かにして自分の呼吸、吸う吐くそこだけに集中して余計なことを考えずよけいな力も入れずひたすら呼吸にだけ集中する
何も考えないのではなく息のことだけ考える
そしたら「無の境地」と同じ脳波パターンに誰でも入れるようになった
禅の修行でかれこれもう1000年以上も言語化されず技法化もされなかった瞑想が10年そこらの研究で解明されてしまったのだから日本人はこれを反省しないといけない
説明可能な概念化により物質的なものと精神的なものに分けることができて
精神的なもののうち科学的でない観念を削ぎ落とすと哲学または物理学が残る
釈迦がやってたのはそういう作業
道元の文章等を見ればわかるが
禅僧たちは悟りを絶対の極致だと捉えていない
一流の人間が到達する悟りの行を二流三流の人間がやると
誤った認識と思考に陥る危険性がある
変な快楽状態を求めるようなことになれば、それはもう修行とは言えない
だからこそ道元は思考と行動を抑制するための修行を続ける必要性を説いて
いわゆる悟りの境地を超えていくことを目的にするように言っている
道元が欧米発祥のその手の研究に触れたら、全く取るに足りないと論評するだろう
今や文明の数だけ哲学がある
哲学のない国というのはありえないという認識になっている
国ごとにかわるようなものが果たして哲学なのかな
哲学って普遍性の探索だと思うんだが
多分98が言ってんのは風習だろ
文明が興らなかった国でも風習はある
思想や哲学は文明と直結したものなので文明を輸入する側の亜流である国にも思想や哲学は根付く
ミュージシャンでもありジャーナリストでもあり坊さんでもあり哲学者でもある感じがする
西田や漱石の世代中心に
志賀直哉の暗夜行路にも主人公の兄が会社辞めて鎌倉に行くエピソードがある。主人公は禅ブームに反感持ってるけど
君にぴったりな思想が論理実証主義
「哲学とは言語の論理的シンタックス」
釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはするかな
日本オリジナルじゃないっていうなら
ヨーロッパもオリジナルはゼロじゃねーか
ギリシャはヨーロッパだろ
日本で独自発展したものが果たして哲学と言えるのかという問題
だからヨーロッパ発祥の哲学だけを「哲学」と呼ぶのは
もう欧米人自身が明白に否定していることを
いい加減日本人は分かりなさいと
師匠<門前の掃除をしろ
弟子<師匠、これで悟れるのでしょうか?
師匠<門前の掃除をしろって
弟子<師匠、いつまで続けるのでしょう?
師匠<ずっとだよ
この話だな
さて、お釈迦様に、周利槃特(しゅりはんどく)という弟子がいました。
優秀な兄の勧めでお釈迦様の弟子となった周梨槃特ですが、優秀な兄とは反対にとても物覚えが悪く、時には自分の名前も忘れてしまうほどでした。
他の弟子たちと一緒に修行に励むのですが、一生懸命に努力はするものの他の弟子たちについていけず、次第に周利槃特は周りから愚か者とバ○にされるようになりました。
そんな状態が続き、ついに周利槃特は修行をやめる決意をし、お釈迦様のもとへ行きました。
修行をやめることを告げに来た周利槃特に、お釈迦様は一本のほうきを手渡し、「掃除をしながら『塵を払い、垢を除かん』と唱えよ」と言いました。
周利槃特はそれなら自分にも出来そうだと思い、お釈迦様に言われたとおりにほうきを手に取り掃除をはじめました。
しかし、最初は『塵を払い、垢を除かん』を唱えていると思えばほうきを忘れ、掃除をしていると思えば『塵を払い、垢を除かん』と唱えるのを忘れてしまう言った具合でしたが、ただひたすらに『塵を払い、垢を除かん』と唱えながら手を動かし掃除を続けました。
そして、長年続けていくなかで周利槃特は「塵とは何か、垢とは何か」ということを考えるようになっていきました。来る日も来る日も掃除を続けた周梨槃特、ついには自分自身の心に積もった塵と垢に気付き、それらを捨てて離れることによって悟りを開きました。
お手軽ラジオドラマ ソフィーの世界
https://youtu.be/d5Y8VHFmZes
https://youtu.be/zareAfWkCXY
その12まであるので本を読むのがだるい人はぜひどうぞ
https://www.kosho.or.jp/upload/save_image/5000170/20200619155449166619_f0df218ca301bf2a8ba7e8f242b21012.jpg
映画では小津溝口成瀬と例外的に何人かはいるけれども
谷崎川端三島は?
日本の作家の中では比較的世界に知られてるっていうレベルでしょ所詮は
おっさんの俺は好きな女の子に好かれたい思いはまだ捨てれない
他は別にいいかもしれんけど
仏教は愛欲を否定してるわけじゃなく愛欲を抱えてつらいつらい言ってる奴に対して
あたりまえやろと言ってるだけ
愛欲が楽しいなら思う存分に楽しめばいい
その楽しいことは何ら戒めてない
森鴎外
夏目漱石
この辺は思想家ではないけど
少し勉強してみようかしらん
基本的に儒教捨てて西洋マンセーに走った時代だからね
言文一致運動が盛んに推奨され現代の日本語のような文体が生まれた
その頃から既に日本では思想は西洋から学習するもので自ら作り出すという考えがなくなってしまった
あと特に明治はナショナリズムと同時に社会的ダーウィニズムが隆盛してた時期なのでそういう意味でも思想的には怠惰であった
特にハイデッカーのヘルダーリン論以降は
サルトル、フーコー、ドゥルーズ、デリダも半分文芸批評家だし
日本だって漱石や小林秀雄等の文芸批評をまるきり無視するのは変だし
そいつら本職がポエマーじゃん
ポエムと文学は親和性高いよ
抽象的なもの普遍的なものを必要とする動機がほとんどなかった
だから鎖国してた江戸時代には和算があったんだよ
ベルヌーイ数
行列式
ソディの6球連鎖
オイラーの定理
全部日本人が世界初
日本人が抽象的普遍的思考が出来ないなんて愚にもつかない俗説
オイラーは有名だけど関孝和なんて誰も知らんよ
戦前からとっくに認められてるわw
お前が知らんだけ
現代数学の3分の1は岡の上に成り立っている
岡も海外の方が知名度高いかもね
典型的な哲学書なんだと思うが世の中の見方が変わる
引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1631528453/
コメント
コメント一覧 (1件)
バカ「え? 『みそぎをすませる』とか『けがれ』とか『暑気払い』とかって・・・」
賢い人たち「はぁ? そういう日常の話してるんじゃねーんだよ!俺たちは高尚な思想哲学の話してるんだよ!! 知らねーなら黙ってろ!」
バカ「・・・ごめんなさい」