明・朱元章の軍師で三国志演義の孔明のモデルともいわれた劉基ってどうよ?
演義の孔明のモデルって話もあるし
日本では知名度皆無に近いけど。
劉基は記録に残らない部分で結果を出してそう
占術や方術の何と多い事か。
占術だけなら邵康節、風水のみなら楊救貧がそんな手合いだが、その手の方術全てで持て囃されるのは劉伯温と孔明の二人が専ら。
これ程実像から離れた好評価もそうそう無い。
日本の豊臣秀吉で言うと、
李善長が黒田官兵衛で、この人が竹中半兵衛みたいなイメージ?
ちょっと違うか。
李善長が蕭何で劉基が張良みたいなイメージじゃないか
李卓吾に言わせると劉基は張良より上らしいが
身を全うできなかったってだけでも張良より下だな。
主の本性を見抜く目も持ち合わせてなかったし。
劉基の長男は胡維庸の派閥に追いやられて○されたんじゃなかったっけ?
それと永楽帝と劉基の次男のエピソードには伏線がある。
まだ朱元璋存命時にこの二人が囲碁を打つことがあって、
この時、劉基の次男は好手を打って永楽帝にその手は待ってくれないかとせがまれ、
劉基の次男がそれを承諾するということがあった。
ただこの時、劉基の次男は永楽帝に
「今はこのまま引き下がっても良いですが、
例えあなたが相手でも引き下がることができない時は
私は決してあなたに対しても膝を折りません」
みたいな事を言っていた。(明史の伝参照)
方孝孺のように劉基の一族に累が及ばなかったのは、
多分事前にこのできごとがあったからじゃないかと俺は思う。
>>11
劉基は朱元璋の本性を見抜いていたと思うよ。
明律を完成させると早々と故郷に隠居しているし、
その後政界に戻ってしまったのは、
政敵である胡維庸等の自分に対する讒言が余りに酷くて
弁明の為仕方なく中央に再び出仕するようなったからじゃなかったっけ。
隠居している間は、必タヒになって自分の素性を隠していて、
隠居している土地の県の知事が偶然劉基が自分の県に隠居していることを知って
その身分を隠して訪ねていくと、
最初は歓待されていたけど、その身分を明かすと、
劉基はその場を何とか誤魔化して知事さんに帰ってもらったっていう
エピソードも確かあったはず。(そんだけ朱元璋が怖かったんだろう)
胡維庸や李善長を政敵にしちまってる(=そいつらに警戒されてる)時点でダメじゃん。
張良って誰かに警戒されたり讒言されたりしたことがないからな(あったかもしれないが
少なくとも記録には残ってない)。
誰も敵に回さず警戒もされずって究極の処世術だ。
劉伯温のことを思うと、ついつい考えることがあるんだけど、やはり粛清されたんだろうか?
李善長らの派閥に対して、劉伯温は為す術がなかったと思う。
そんな状況で、あえて粛清したのなら、朱元璋は劉伯温さえいなければ、
あとは何とでもなると思ったのかな??
自派閥も作らず、張良のように逃げてみてもああなった辺り
やっぱり粛清じゃないかな。
朱元璋の学の有る無しへのコンプレックスが粛清の原動力なんだろか。
そういや朱元璋、般若心経の注釈書いてるんだけど
中身は通俗的解釈で大したことないらしい。
長男は録を削られたあと故郷に帰って、許された後も建文永楽のどっちにも出仕せずに
永楽年間にタヒんだ
次男は賊討伐とかして多少の功はあったけども、
靖難の変で建文帝側についたんで、永楽帝につかまって牢屋の中で自○した
……はず
永楽帝は帝位につくと、下野していた劉基の次男劉璟を召し抱えようとした。
しかし病と称して出仕しなかったので、無理やり逮捕して都に連れてきた。
劉璟はそれでもなお永楽帝を(陛下でなく)殿下と呼び、言った。
「殿下は百世の後も『簒』の一文字から逃れることはできませんぞ」
劉璟は獄に下され、そこで自らくびれてタヒんだ。
法官は一族を連座させる命令を下してほしいと頼んだが永楽帝は許さなかった。
というような経緯だな。明史によれば。
成祖以基故、不許
成祖は基の故を以って許さず
と書いてある。
基は劉基のことで、劉基に免じてとかそういう意味かな? と思うんだが自信はない。
劉基はそういうことを超越して生きたいと思っていた。
その相手が喧嘩をふっかけてきて、その上
ボスは部下を○す気満々。
そんな状況で、ナニをしたら良いんだ?
絶対に生き残れる処世術とやらを、教えて欲しい。
>>28
>そんな状況で、ナニをしたら良いんだ?
陳友諒・張士誠を滅ぼして明を建国したあたりで隠棲していれば、他の功臣たちの恨みを
買うこともなかっただろうよ。
実際には身を引くどころか御史中丞になって法律の制定や綱紀の粛正に関わってるだろ。
そういう役職に就いたら嫌でも政争に巻き込まれるのは、彼ほどの知恵者なら分かってたはず。
李善長や胡惟庸との関係がもう手の施しようがないほど悪化しちまってから隠棲しても遅い。
朱元璋は同郷根性を強い結束力に還元させて、天下制覇を成し遂げたんだけど、
その分、朱元璋政権内ではよそ者は阻害されがちだったんだよ。
特に同郷連中と同じぐらい朱元璋から厚い信頼を受けていた
江浙の知識人たちなんて、朱元璋の同郷者から見たら邪魔者以外の何者でもなかった。
張良のケースがどうだったかは知らないけど、
朱元璋から特に信頼されていた劉基がその同郷の功臣たちと
仲良くやっていくってのはかなり無理があったんだと俺は思うよ。
しかも、天下取った後は、朱元璋の同郷の功臣連中が権力を笠に着て、
江浙地方(南京のお膝元)の田地やらなんやらを買いあさったもんだから、
江浙の知識人たちもよそ者風情が勝手なまねを・・・といがみ合っていたらしい。
しかし、それでも劉基は中立の立場をとって、どちらに肩入れすることもなく、
自分の意志を貫いていたっていうんだから充分人間として器が大きい。
(朱元璋同郷派閥の領袖ともいえる李善長が朱元璋に糾弾された際、劉基がこれを庇ったというエピソードは結構有名)
張良は保身を選び、劉基はできるだけ働くことを選んだ
劉基の方が士大夫としての心意気があったんだろう
張良の人生を概括すると、どうしても「復讐」になるんだよね。人生の目的を
遂げて満足したました。後はもうどうでもいいです静かに暮らさせて下さい、と。
それにこの人、儒教的な士大夫観念なんてほとんど身に着けてないだろうし。
張良も「上善は水の如し、水はよく万物を利して争わず」な老荘の人だから
儒学どっぷりの知識人な劉基とは基本的なポリシーからして違うな。
引用元: ・劉基ってどうよ?
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