悲劇的な最後を遂げた中国史の名将ランキング
隋の功臣。宰相。斉国公。北周の将軍高賓の子。
随国公・楊堅が北周の実権を握ると、幕下に招聘され、尉遅迥の反乱や陳討伐で活躍し、晋王楊広を総大将に陳平定の兵が起こると、元帥長史として全ての判断を任された。
文武に大略あり、蘇威・楊素・賀若弼・韓擒虎ら多くの英才を推挙し、彼らの才能を尽くさせた。
文帝の信任も厚く、20年近く宰相の地位にあり、朝野全てを心服させたという。
後、皇太子楊勇の廃立・高句麗遠征に反対して独孤皇后の讒言にあって失脚。
楊広の即位後は太常となるも、朝政誹謗の罪で誅○された。
秦の将軍。祖父、父も秦の軍人。祖先は斉の出身。
秦王・政の天下統一のため、父・蒙武を継いで将軍となる。
楚攻略では楚の名将・項燕に敗れたが、斉攻略では大勝を収めた。
統一後は30万の兵を率いて北上し、黄河を渡って匈奴を討伐。
万里の長城を修復して連結し、辺境に駐屯して匈奴を迎え続けた。
その功績から始皇帝の信頼も厚く、太子・扶蘇の後見を任された。
しかし、始皇帝が没すると、趙高と李斯の謀略によって胡亥が二世皇帝に即位。
扶蘇は自決させられ、蒙恬も毒をあおって自害した。
前漢の将・丞相。周勃の次子。
匈奴の侵入に対し、文帝の命で将軍として劉礼・徐悍と共に駐屯し長安を守り、匈奴を撃退した。
文帝は各陣営を巡って兵を労った際、周亜夫の陣の令だけが整然としていたため、その陣姿は文帝に感嘆され、寵愛を受けた。
呉楚七国の乱の鎮圧でも大功を挙げ、漢王室の強化に努めた。
景帝の時代には周亜夫は丞相として政権の中枢を担うが、感情的対立から不遇となり、実子の不祥事から過酷な査問を受ける。
その査問の最中に、吐血して餓タヒしたと伝えられる。
戦国末期の趙の将軍。守戦の名将。
趙の北方の国境守備の任に就き、雁門に駐屯して匈奴に備えた。
堅守策を取ったため、趙王に臆病と断定されて他の者に代えられたが、被害が増大。
再起用時は、伏兵を用いて匈奴に大打撃を与え、北方を安定させた。
秦の大軍が攻めてくると、廉頗を失っていた趙の幽繆王は、李牧を大将軍に任じて防がせた。
苦戦した秦軍は、李牧を排除するために幽繆王の寵臣・郭開に大金を贈って離間を画策。
郭開の讒言を信じた幽繆王は、密かに李牧を捕らえて斬った。
李牧のタヒの三カ月後、趙は滅亡した。
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唐の武将。高句麗の出身。
玄宗の命により、歩騎一万を率いて西域に進軍する。
カシュガルからパミール高原を越え、ギルギットを攻め取り、タシュケントなどを征服していく。
イスラム帝国とタラス河畔で決戦するが、西域部族が離反して敗北し、長安に帰還した。
安史の乱が勃発すると副元帥に任じられる。
先行した封常清が洛陽を失陥すると、撤退を支援し唐軍の潼関への退却を成功させた。
しかし、宦官らが兵糧を着服したと讒言し、冤罪によって処刑された。
東晋末宋初の将。
東晋を滅ぼし皇帝を僭称した桓玄討伐のため、劉裕に従い決起。
北伐にも参戦し、後秦を滅ぼした。
宋の建国者の劉裕のタヒ去後、少帝を廃して文帝を擁立し、政権を掌握し北伐を実行したが、兵糧不足で撤退。
後に司空となるが、後難を怖れた文帝に○害された。
この時、文帝の目の前で頭巾を床に叩きつけ、「自分を○すことは万里の長城を壊すことに等しい」と叫んだという。
その報を受けた北魏は、宋への侵攻を開始し文帝は後悔したという。
後世、その見事な撤退策は、「三十六計逃げるに如かず」の語源となった。
秦末漢初の群雄。後に、漢の梁王。
鉅野の沼沢で漁師をしながら、裏では盗賊の首領として衆を率いていた。
陳勝・呉広の乱が起こると、周囲に推されて挙兵し、楚軍に協力して秦討伐に活躍。
だが、功を認められなかったことから不満を持ち、斉の田栄と組んで項羽への反抗を始める。
その後、東進してきた劉邦と結託すると、神出鬼没の遊撃戦を繰り返して楚軍の補給線を寸断。
劉邦に再起の時を与えて、項羽を悩ませ続けた。
漢の統一後は梁王に封じられていたが、謀反を疑われ、呂后の言を容れた劉邦に粛清されている。
南宋の武将。武穆。岳王。
農家に生まれながらも文武に励み、辺境防衛の義勇軍に参加。
数々の軍功を上げて頭角を現し、次第にその地位を高めた。
その後、南宋に侵攻する金と対峙し、中原回復を目指して度々戦果を上げている。
名声を高める一方で、他の官僚や軍閥との協調を欠いて次第に孤立。
金との和平を主張する秦檜が宰相に就任すると、無実の罪を着せられた処断された。
その背中には「尽忠報国」と刺青されていたという。
明末の武将。広東省東莞の人。
本来は科挙に合格し、進士に及第した文官だったが、仕官時に軍事に関心を持っていたとされる。
後金対策のため、寧遠城を築城し、ポルトガル製の大砲を導入する等防備を固めた。
この策は当たり、後金のヌルハチ、ホンタイジの侵攻を阻止出来たが、買収された宦官の讒言で崇禎帝から謀反の嫌疑を被ったため、凌遅刑にされた。
諸葛孔明に準えられた軍略と、兵への慈愛に満ちた将であり、彼の処刑は明の崩壊を決定づけた。
おまけの中身が知りたくて――。
浜松市東区内のショッピングセンターで、ポテトチップスのおまけのプロ野球選手カードの入った袋25個に、はさみで切り込みを入れたとして、
浜松東署は6日、愛知県豊川市中条町宮坪、無職松尾昇容疑者(51)を器物損壊容疑で逮捕したと発表した。
「巨人軍のカードが欲しかった」と容疑を認めているという。
同署によると、松尾容疑者は5日午後1時55分ごろから約20分間、同センターで、おまけのカード付きのポテトチップス25袋(1袋90円、計2250円)のおまけの袋をはさみで切った疑いがある。
同容疑者は、計35袋のおまけの袋を切り、中身のカードを確認して気に入った10袋を購入した。
それ以外の25袋を商品棚に返してセンターを出たところを警備員に呼び止められたという。
シンプル過ぎて逆に二度見したわ
どっちかといったら韓信のせいでタヒんだレキイキの方が悲惨だろ
引用元: https://swallow.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1600668979/
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