【イスラエル】旧約聖書に登場する街で2800年前の像の頭部発見…当時の王か?
2018.06.12 11:30
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聖書に出てくる王をかたどった可能性のある2800年以上前の像の頭部が発見された。
■ ヘブライ語聖書の都市で
イスラエル北部のアベル・ベス・マーカ(Abel Beth Maacah)は、キリスト教で言う旧約聖書である「ヘブライ語聖書」に何度か登場する街だ。その古代の街で一番高い位置に建っている建物は、行政関連の建物であったのではないかとされる。今回見つかった像はその建物の中で昨年発掘されたもの。
大きさは約5.1cm x 5.6cm程の小さな頭の像で、元々は20~25cmほどの小さなスタチューの頭部だったと思われる。ファイアンス焼きなどとも呼ばれる釉薬が使われた陶器であり、長く黒い髪と髭の生えた男の顔がかたどられ、頭部には黄色と黒のヘッドバンドを着けている。
■ 一体誰の像?
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Credit: Gaby Laron (The Hebrew University of Jerusalem) via Azusa Pacific University
アズサ・パシフィック大学のプレスリリースによると、同大学の聖書・宗教学科教授で、今回の発掘を率いた考古学者であるロバート・マリンズ(Robert Mullins)は、この像の精巧さなどから、像は著名な人物がかたどられたものであり、これが王であったと推測している。
これが見つかったのと同じ建物で発見された有機物質を放射性炭素年代測定したところ、紀元前902年から806年とされた。その時代、この場所はイスラエル王国、ティルス王国、アラム・ダマスカス王国の三国に面していた。これらの王国の王たちは聖書に描かれており、もしかするとこれらのいずれかの王である可能性もある。
もしこれが聖書に描かれた王の像であれば非常に興味深い。とは言えこの像が王であるというのは何の裏付けもない憶測にしか過ぎず、更なる研究発見が望まれる。
今回の発見はアメリカのキリスト教福音主義系の大学、アズサ・パシフィック大学と、イスラエルのヘブライ大学による共同チームによる発掘プロジェクトでなされたもの。発見された像の頭部はエルサレムのイスラエル博物館で現在展示されているほか、像の詳細に関しては近々刊行されるNear Eastern Archaeologyジャーナルの6月号に発表される予定だ。
Text by Discovery
引用元: ・【イスラエル】旧約聖書に登場する街で2800年前の像の頭部発見…当時の王か?
こんなモミアゲとヒゲが繋がったヤツが
・・・あぁ事務員にいたわそう言えば
王の身分を隠して庶民と交流を図っているのか
いやいや、残念ながら日本書紀と違って相当歴史的に正確
奇跡的な事柄が書かれてることで同じと見なしたがるのも分からないでもないが、都市や王や役人にそれぞれの習俗なんかはかなり考古学的に裏付けられているからね
まあ、ユダヤ人がアケメネス朝統治下で、
ペルシアの偉い人監視の上で
作ったもんだから。
無茶苦茶いい加減だと、やり直しさせられるよな。
日本書紀は聞き取りの記録としては結構正確
矛盾点もあえて残してる
>>93
日本書紀に関して卑下しようと言う気はないんだけどね
実際どれくらい歴史が反映された神話なのかってのはロマンがあって好きだし
なんなら神武だっていてくれた方が嬉しい
単純に考古学的見地からして聖書の方が裏付けとなる遺跡がしっかり発掘されていて、過去に考えられていたより余程正確かもしれないって見なされているよって言いたいんだ
日本は文化や地質学的にその手の遺跡はあまり期待できないからね
>大きさは約5.1cm x 5.6cm程の小さな頭の像で、
>元々は20~25cmほどの小さなスタチューの頭部だったと思われる
なんか・・・日本語訳ひどくない?
よくわからんが
いつの間に許されたの?
>>50
あいつらは反逆者
神に選ばれたはずが傲慢なために神に潰された
一応該当する聖書の記述
列王記上15章20節 (新共同訳)
ベン・ハダドはアサ王の願いを入れ、配下の軍の長たちをイスラエルの町々に送り、
イヨン、ダン、アベル・ベト・マアカ、キネレトの全域、およびナフタリの全土を攻略させた。
(アサはユダの王、ベン・ハダド1世はダマスカ○の王で、紀元前870年頃のこと)
列王記下15章29節 (新共同訳)
イスラエルの王ペカの時代に、アッシリアの王ティグラト・ピレセルが攻めて来て、
イヨン、アベル・ベト・マアカ、ヤノア、ケデシュ、ハツォル、ギレアド、ガリラヤ、
およびナフタリの全地方を占領し、その住民を捕囚としてアッシリアに連れ去った。
(アッシリア王はティグラト・ピレセル3世で、紀元前732年のこと)
「アベル・ベト・マアカ」は「マアカ家の草地」を意味し、聖書では別の箇所で
「アベル・マイム」(水の草地)と記述している箇所もある。
歴代誌下16章4節 (新共同訳)
ベン・ハダドはアサ王の願いを入れ、配下の軍の長たちをイスラエルの町々に送り、
イヨン、ダン、アベル・マイムおよびナフタリの町のすべての補給基地を攻略させた。
アラビア語では西暦1226年頃より「アビル・アル・カム」(小麦の草地)と記述されて現代に至る
あそこで畑とか牧畜とかやってみろ
森がないから。
たまに雨が降っても保持出来ずに濁流となり、岩山を残す。
戒律に縛られて改革や革新の芽が摘まれてしまう
そのイスラエルヨルダン地区には別の民族がいた
イスラエル風じゃないだろ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%A4%E3%B9%E3%A9%E3%A8%E3%AB%E7%8E%8B%E5%9B%BD
イスラエル王だとしてもその期間に在位してたのは11人(1人は7日だけだが)もいるので特定は難しそうだな
名君とされて一番在位の長いイェフあたりかな
弑逆されたり暗○されたり、大変なお国柄だなw
足利義輝「おっそうだな」
万能である筈の神が何故人間を民族で別け異なる言語を与え争い事の原因を創ったのか?
という疑問に答える為に作ったストーリー
キリスト教の布教のために
土着のメソポタミアの神々や歴史・王権を否定をするため
>>75
南王国はバビロニアに滅ぼされて
バビロン捕囚を受けてるからな。
おまえらなんか、こんなんじゃ!!
悪者じゃ!って感じ?
バビロニアが滅びてペルシアの時代になって、
やっと解放されたけど、
バビロニアで3~4世代も過ごしてるので、
バビロニアからイスラエルあたりに
帰らない人もでてきたりで……。
まあ、そんな感じ。
年代的にはソロモン王の数世代後で、
ヘブライ王国分裂から大分経っている
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