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ガチ仏教徒が面白い本尊のある寺院で打線組んだったので見てみてね!!!!

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1: 21/03/28(日)21:45:48 ID:H1z
1右 竹寺(牛頭天王)
2三 南光坊(大通智勝如来)
3遊 観福寺(大六天王)
4一 乙訓寺(合体大師)
5中 東勝寺(佐倉惣五郎)
6二 蓮台寺(瑜伽大権現)
7左 護浄院(三宝荒神)
8指 薬王院(飯縄権現)
9捕 箸蔵寺(金毘羅大権現)
投 赤山禅院(泰山府君)

※追記 2021/03/28 22:03:23
仏教徒が今まで行った寺社の中でおすすめの場所で打線組んだ
1二 備中国分寺
2中 錦織寺
3左 長谷寺
4三 西大寺
5一 石清水八幡宮
6右 由加神社本宮
7遊 三井寺
8捕 證誠寺
9投 仁和寺

64: 21/03/28(日)22:03:23 ID:H1z
仏教徒が今まで行った寺社の中でおすすめの場所で打線組んだ
1二 備中国分寺
2中 錦織寺
3左 長谷寺
4三 西大寺
5一 石清水八幡宮
6右 由加神社本宮
7遊 三井寺
8捕 證誠寺
9投 仁和寺

>>1に追記(1回目)

2: 21/03/28(日)21:46:07 ID:H1z
蔵王権現はいくつかの寺院で本尊となっている事から、閻魔大王は仏教寺院として非常に興味深いもののワイの知る限り3つの寺院で本尊とされており、本尊以外ならさらに多くの寺院で祀られている事から選考対象外としました
今回はあくまで「本尊として」貴重な寺院ということで
なお脇に祀られている本尊以外の仏も対象外です
3: 21/03/28(日)21:46:31 ID:H1z
1右 竹寺(牛頭天王)
埼玉県飯能市
牛頭天王は祇園精舎(古代インドの仏教寺院)の守り神とされる神
道教、陰陽道、蘇民将来伝説などとの関わりも深く、素戔嗚(すさのお)と同一の存在とも言われる
祇園様と言われ、八坂神社を筆頭に全国の祇園社に祀られ、祇園会という祭りで信仰されていた
4: 21/03/28(日)21:46:48 ID:9SY
ご本尊さまにご祈念したら、二人のお母さんは助かりました
拍手~
6: 21/03/28(日)21:47:00 ID:H1z
>>4
何やそれ?
12: 21/03/28(日)21:48:19 ID:9SY
14: 21/03/28(日)21:48:35 ID:H1z
>>12
あの怖い奴か
51: 21/03/28(日)21:58:06 ID:6ff
>>14
宗教に対して寛容なニキでもアレはアカンか
53: 21/03/28(日)21:58:48 ID:H1z
>>51
いや信仰するのは自由やで?
ただちょっとワイは怖い
5: 21/03/28(日)21:46:50 ID:H1z
元々仏教を守る神が神社形式で祀られているのであって、別に神仏が習合したという事では無いが、明治政府が神仏分離を実施すると牛頭天王を祀る事は禁止されて、それらの神社は素戔嗚を祀る神社に強制的に変わった
ただ仏教側ではいくつか目をかいくぐって、今も牛頭天王を鎮守社などに祀る寺院がある
でもさすがに本尊として残す寺院は無い・・・と思っていたが竹寺に残っていた
8: 21/03/28(日)21:47:22 ID:H1z
竹寺はその他にも鳥居に茅の輪、鎮守社などを残す神仏習合の色の強い寺院
また本尊の脇には日吉大社や全国の八王子神社で祀られ、神仏分離以降その姿を消した八王子権現(牛頭天王の息子たち)も祀られている
さらに蘇民将来伝説の影響も健在で、寺では蘇民将来の札を配っている
9: 21/03/28(日)21:47:38 ID:H1z
ちなみに蘇民将来伝説というのは、お金持ちの弟と貧乏な兄のところに神様が宿を借りに現れたところ、金持ちの弟は断り、貧乏な兄、蘇民将来が快く宿を貸した
すると蘇民将来は神様から札を授かり、子孫の安泰を約束され、兄は不幸になったという話
それを由来とし、人々は蘇民将来と書いた札を縁起物として家に置いていた
10: 21/03/28(日)21:47:53 ID:H1z
2三 南光坊(大通智勝如来)
愛媛県今治市
大通智勝如来は法華経に登場する仏で、その子供たちは阿弥陀如来や釈迦如来になったとされる
世自在王仏や香積如来などと同じく、教典でメインに語られる仏では無い上、さしたる信仰の歴史も無いため本尊どころか祀られること自体が稀
なのだが、この南光坊では本尊とされている
11: 21/03/28(日)21:48:08 ID:H1z
ちなみに南光坊は四国八十八ヵ所の寺院の一つ
元々神仏習合で神社と寺院が一体となった施設で、大通智勝如来は神社の祭神の本地仏(その神の本来の姿である仏)として、祀られていたらしい
それが神仏分離によって、寺社一体の施設が消滅すると行き場を無くした仏像が、神社の別当寺(神社より対場が上でその神社を管理する寺院)の、塔頭で明治時代に廃寺にならずに済んだ南光坊に祀られた、というのが真相らしい
13: 21/03/28(日)21:48:23 ID:H1z
そういえば南光坊は凄く塔頭らしい名前だ
無論、この寺以外の独立した寺院に祀られている例は、見たことが無いが強いて言えば、各地の八十八ヵ所の写し霊場に祀られている
15: 21/03/28(日)21:48:51 ID:H1z
3遊 観福寺(大六天王)
千葉県香取市
大六天王(第六天魔王)と言えば織田信長が名乗った名として有名である
元々、大六天王とは他化自在天に住む天人の事
他化自在天は六道輪廻の一つ、天界のいくつかある階層の内、六欲天という所の一番下(上から六番目)にある場所のため、そこに住む存在は第六天魔王と呼ばれる
16: 21/03/28(日)21:49:08 ID:H1z
中世に流布した神話、所謂中世神話では天照大神(の姿をした大日如来)が、日本に仏教を布教するのを阻止しようとする存在として描写されている
この様に仏法を妨げる魔王とされており、日蓮宗、法華宗、日蓮系宗教では信仰を邪魔する存在を、第六天の魔王と呼ぶ
織田信長もこの様な意図で名乗った模様
17: 21/03/28(日)21:49:23 ID:H1z
他方神社では神として祀られることもあったらしい
この寺院に関しては、814年に弘法大師が、病魔退散のために大六天王を祀った
この寺とワンセットの山倉大神という神社に、本尊として祀られていた
18: 21/03/28(日)21:49:34 ID:H1z
明治の神仏分離で山倉大神と観福寺が分離されると、像は寺の方に移動し本尊となった
現在、観福寺は「第六天」の総本山を名乗っている
19: 21/03/28(日)21:49:49 ID:H1z
4一 乙訓寺(合体大師)
京都府長岡京市
八幡神は言わずと知れた八幡宮の祭神であり、神法守護の強い神として知られる
そのため日本中の寺院で祀られ、東大寺や東寺など今でも神像は、各地にちらほら現役で残っている
そのため八幡神自体は本尊かはともかく、珍しいものでは無い
20: 21/03/28(日)21:50:04 ID:H1z
また弘法大師空海は真言宗の開祖であり、真言宗寺院ではほとんどの場所で祀られている
本尊として祀られている事はあまり無いが、こちらに関しては珍しいものでは全くない
つまり八幡神も弘法大師も珍しい本尊という訳ではない
21: 21/03/28(日)21:50:17 ID:H1z
しかし八幡神と弘法大師が合わさった像となるとこの寺の他に例を見ない
かつて乙訓寺には空海が住していたとされる
その頃の事としてこの様な話が伝わっている
22: 21/03/28(日)21:50:52 ID:H1z
弘法大師の元に老人姿の八幡神が訪れた
弘法大師が老人の首から上を、八幡神の首から下を彫り、二つを合わせると不思議な事にサイズや形を合わせた訳でも無い二つの像はぴったりと合っていたという
それ以来この寺では体はどう見て弘法大師だが、頭が老人の顔をした不思議な像を祀っているという
23: 21/03/28(日)21:51:04 ID:H1z
5中 東勝寺(佐倉惣五郎)
千葉県成田市
佐倉惣五郎は下総国佐倉藩領公津村の人物
当時の藩主堀田正信は重税を課しており、領民は貧困に喘いでいた
惣五郎は人々を救うために、将軍に現状の改善を求めて禁じられていた直訴をする
24: 21/03/28(日)21:51:16 ID:H1z
結果、訴えは聞き届けられるが直訴の罪として惣五郎一家は処刑される
後年、惣五郎の怨念が噂される様になると、各地に惣五郎を祀る社やお堂が建てられた
ここ東勝寺では、惣五郎の遺体が葬られたとされ、明治時代に惣五郎の御霊を祀るお堂が建てられ、それが本堂となった
25: 21/03/28(日)21:51:28 ID:H1z
東勝寺は宗吾霊堂という別名を持つ
その名の通り現在では惣五郎の寺として信仰されている
26: 21/03/28(日)21:51:43 ID:H1z
6二 蓮台寺(瑜伽大権現)
岡山県倉敷市
蓮台寺は創建当時からこの珍しい権現(仏が化身した神の名称の一つ)を祀っている
寺伝によると行基が神のお告げを聞き、この地で三密瑜伽(ヨーガ)という瞑想を行って、権現を祀ったという
以来、現在に至るまで変わらず権現を本尊としている
27: 21/03/28(日)21:51:56 ID:H1z
本堂には脇侍の真ん中に弘法大師像、本尊の千手観音像と共に、鎮守神でありもう一つの本尊として瑜伽大権現が祀られている
しかしネットで瑜伽大権現と検索すると、大きな不動明王の写真が出てくるばかりで権現の像は出てこない
寺によると不動明王像はお前立ち(本尊の代わりに前に立つ仏像)らしい
28: 21/03/28(日)21:52:08 ID:H1z
弘法大師像、千手観音像の間に確かに仏像を置く場所はあるのだが、扉は閉まっており、その代わりに前に金色の御幣(神社によくある棒に紙のぴらぴらが付いたあれ)が、置いてある
さらに近々移転する本堂の予想図にも権現の像が描いてない
さらにネットには、本地仏の阿弥陀如来像と薬師如来像を祀っていると、書いてあるところもある
29: 21/03/28(日)21:52:28 ID:H1z
さらに言えば神仏分離以前は寺と隣にある神社が一体となっており、権現はそちらに祀られていたらしい(補足すると両方に祀られてる可能性もある)
以上の事からひょっとすると、一般的な権現を祀る寺院と異なり、権現像は最小から無いのかもしれない
もしかすると秘仏なのかもしれないが、現地でスタッフさんに確認し忘れたのとネットに詳しい記述が無いため不明
30: 21/03/28(日)21:52:41 ID:H1z
7左 護浄院(三宝荒神)
京都府京都市
三宝荒神は経典に説かれない日本独自の神
役行者がその存在を感得(その存在を感じて会得すること)したとも、開成皇子が感得したとも伝わる
火の神としてかまとの安全を守るご利益があるとも、三宝(仏、仏教の教え、僧侶の三つの宝のこと)を守る存在とも伝わる
31: 21/03/28(日)21:52:51 ID:H1z
寺院で祀られている例としては、この寺の他に清荒神清澄寺が有名だが、あちらは本尊では無く守護神的扱いである
この寺は開成皇子が荒神を本尊として祀ったお堂が移転したらしい
神であるため本堂の前には鳥居が建っている
32: 21/03/28(日)21:53:02 ID:H1z
薬王院(飯縄大権現)
東京都八王子市
元々飯縄大権現は信濃国(長野県)にある現在の飯縄神社で祀られていた神で、関東以北で武神として信仰されていた
薬王院には俊源大徳が勧請(神の御霊を元々祀られていた場所から、ろうそくの火の様に二つに分けて、祀りたい場所に祀ること)したとされる
飯縄神社が神仏分離で別の神を祀る様になった今、薬王院が飯縄大権現信仰の中心地となっている
33: 21/03/28(日)21:53:15 ID:H1z
飯綱大権現は狐に乗った烏天狗の姿をしている
中世には飯縄大権現を祀る行者や巫女が飯綱法という名の術で、管狐という妖怪を操り人の過去や未来を言い当てたという
これらの事から飯綱大権現の正体は、荼枳尼天だという説もある
34: 21/03/28(日)21:53:27 ID:H1z
また同様に狐に乗った烏天狗の姿をした秋葉三尺権現も、信濃の飯縄山出身とされる
薬王院の飯縄大権現は大本堂と御本社に祀られている
飯綱大権現は修験道の神だが、権現の信仰の残る薬王院では、今も修験の行が残っている
35: 21/03/28(日)21:53:39 ID:H1z
9捕 箸蔵寺(金毘羅大権現)
徳島県三好市
金毘羅大権現はかつて、讃岐(香川県)の金刀比羅宮を中心に全国の金刀比羅神社、琴平神社、金比羅神社などで祀られていた神
金毘羅とはインドの水神にして、ヴァ―ハナ(神の乗り物)であるクビーラの事で、仏教では十二神将の一人宮比羅大将として知られている
宮比羅大将が日本で神となった姿が金毘羅大権現らしい
36: 21/03/28(日)21:53:54 ID:H1z
箸蔵寺の縁起によると弘法大師が、現在この寺のある山を登ったところ、現れた金毘羅大権現が「箸を使う者(つまり日本国民の事)を救うと誓おう」という、ご神託を下したとされ、これが箸蔵寺の寺号の由来でもある
以来金毘羅大権現をずっと本尊として祀ってきた
とはいえ長い間、金毘羅信仰の中心は、今の金刀羅宮とその別当寺である松尾寺であり、箸蔵寺はその奥の院と認識されていた
37: 21/03/28(日)21:54:12 ID:H1z
それが変わるのが明治時代
神仏分離によって金毘羅大権現は金刀比羅宮と名前を変え、松尾寺はほぼ全ての塔頭と共に廃寺となる
しかし箸蔵寺は神仏分離の影響を免れ、今も金毘羅大権現を堂々と本尊にしている
38: 21/03/28(日)21:54:23 ID:H1z
明治維新の折、仁和寺の門跡(皇族や貴族出身の住職、当時の仁和寺門跡は皇族)は、還俗し新政府軍の将軍となった
その際に仁和寺の末寺だった箸蔵寺は、新政府軍に金銭的な支援を行った
そのため明治政府が目こぼしをしたのでは無いかと寺は推測している
39: 21/03/28(日)21:54:35 ID:H1z
投 赤山禅院(赤山明神=泰山府君)
京都府京都市
赤山禅院は比叡山延暦寺の別院(この場合の別院は塔頭)
天台宗の僧侶円仁が、唐に渡り仏教を学んでいた際、赤山法華院という寺に祀られていた神に、帰国後寺院を建立して祀ることを誓う
円仁は目的を果たせないまま没したが、その意思を継いだ安慧によって、この寺が建立される
40: 21/03/28(日)21:54:52 ID:H1z
ここまで書けば新羅明神(天台宗寺門派)や清瀧権現(真言宗)、或いは赤山明神と同じ天台宗山門派で祀られる神で、同じく円仁が感得した摩多羅神などと同じ類のさして珍しくない中国由来の神の様に思えるが、この赤山明神は一つとても異質な特徴を持つ
赤山法華院で祀られていた神とは、泰山府君という道教の神なのだ
日本で仏教と神道が習合した様に、中国では仏教と道教や儒教が習合していた
41: 21/03/28(日)21:55:08 ID:H1z
そのために赤山法華院では泰山府君が祀られていた様だ
道教の神が祀られているだけでも中々珍しいのに、道教の神を本尊として祀る寺院は本当にレアと言える
42: 21/03/28(日)21:55:39 ID:H1z
ここまで投下してて思ったけどバラにする必要ないなあ
まとめて投下しなおすわ
43: 21/03/28(日)21:56:17 ID:H1z
1右 竹寺(牛頭天王)
埼玉県飯能市
牛頭天王は祇園精舎(古代インドの仏教寺院)の守り神とされる神
道教、陰陽道、蘇民将来伝説などとの関わりも深く、素戔嗚(すさのお)と同一の存在とも言われる
祇園様と言われ、八坂神社を筆頭に全国の祇園社に祀られ、祇園会という祭りで信仰されていた
元々仏教を守る神が神社形式で祀られているのであって、別に神仏が習合したという事では無いが、明治政府が神仏分離を実施すると牛頭天王を祀る事は禁止されて、それらの神社は素戔嗚を祀る神社に強制的に変わった
ただ仏教側ではいくつか目をかいくぐって、今も牛頭天王を鎮守社などに祀る寺院がある
でもさすがに本尊として残す寺院は無い・・・と思っていたが竹寺に残っていた
竹寺はその他にも鳥居に茅の輪、鎮守社などを残す神仏習合の色の強い寺院
また本尊の脇には日吉大社や全国の八王子神社で祀られ、神仏分離以降その姿を消した八王子権現(牛頭天王の息子たち)も祀られている
さらに蘇民将来伝説の影響も健在で、寺では蘇民将来の札を配っている
ちなみに蘇民将来伝説というのは、お金持ちの弟と貧乏な兄のところに神様が宿を借りに現れたところ、金持ちの弟は断り、貧乏な兄、蘇民将来が快く宿を貸した
すると蘇民将来は神様から札を授かり、子孫の安泰を約束され、兄は不幸になったという話
それを由来とし、人々は蘇民将来と書いた札を縁起物として家に置いていた
44: 21/03/28(日)21:56:22 ID:Bq4
本尊ってなんて読むの?ほんけい?
45: 21/03/28(日)21:56:31 ID:H1z
>>44
ほんぞん
46: 21/03/28(日)21:56:36 ID:6ff
4月から大学生?
48: 21/03/28(日)21:56:45 ID:H1z
>>46
せや
49: 21/03/28(日)21:57:12 ID:H1z
2三 南光坊(大通智勝如来)
愛媛県今治市
大通智勝如来は法華経に登場する仏で、その子供たちは阿弥陀如来や釈迦如来になったとされる
世自在王仏や香積如来などと同じく、教典でメインに語られる仏では無い上、さしたる信仰の歴史も無いため本尊どころか祀られること自体が稀
なのだが、この南光坊では本尊とされている
ちなみに南光坊は四国八十八ヵ所の寺院の一つ
元々神仏習合で神社と寺院が一体となった施設で、大通智勝如来は神社の祭神の本地仏(その神の本来の姿である仏)として、祀られていたらしい
それが神仏分離によって、寺社一体の施設が消滅すると行き場を無くした仏像が、神社の別当寺(神社より対場が上でその神社を管理する寺院)の、塔頭で明治時代に廃寺にならずに済んだ南光坊に祀られた、というのが真相らしい
そういえば南光坊は凄く塔頭らしい名前だ
無論、この寺以外の独立した寺院に祀られている例は、見たことが無いが強いて言えば、各地の八十八ヵ所の写し霊場に祀られている
50: 21/03/28(日)21:57:41 ID:H1z
3遊 観福寺(大六天王)
千葉県香取市
大六天王(第六天魔王)と言えば織田信長が名乗った名として有名である
元々、大六天王とは他化自在天に住む天人の事
他化自在天は六道輪廻の一つ、天界のいくつかある階層の内、六欲天という所の一番下(上から六番目)にある場所のため、そこに住む存在は第六天魔王と呼ばれる
中世に流布した神話、所謂中世神話では天照大神(の姿をした大日如来)が、日本に仏教を布教するのを阻止しようとする存在として描写されている
この様に仏法を妨げる魔王とされており、日蓮宗、法華宗、日蓮系宗教では信仰を邪魔する存在を、第六天の魔王と呼ぶ
織田信長もこの様な意図で名乗った模様
他方神社では神として祀られることもあったらしい
この寺院に関しては、814年に弘法大師が、病魔退散のために大六天王を祀った
この寺とワンセットの山倉大神という神社に、本尊として祀られていた
明治の神仏分離で山倉大神と観福寺が分離されると、像は寺の方に移動し本尊となった
現在、観福寺は「第六天」の総本山を名乗っている
52: 21/03/28(日)21:58:16 ID:H1z
4一 乙訓寺(合体大師)
京都府長岡京市
八幡神は言わずと知れた八幡宮の祭神であり、神法守護の強い神として知られる
そのため日本中の寺院で祀られ、東大寺や東寺など今でも神像は、各地にちらほら現役で残っている
そのため八幡神自体は本尊かはともかく、珍しいものでは無い
また弘法大師空海は真言宗の開祖であり、真言宗寺院ではほとんどの場所で祀られている
本尊として祀られている事はあまり無いが、こちらに関しては珍しいものでは全くない
つまり八幡神も弘法大師も珍しい本尊という訳ではない
しかし八幡神と弘法大師が合わさった像となるとこの寺の他に例を見ない
かつて乙訓寺には空海が住していたとされる
その頃の事としてこの様な話が伝わっている
弘法大師の元に老人姿の八幡神が訪れた
弘法大師が老人の首から上を、八幡神の首から下を彫り、二つを合わせると不思議な事にサイズや形を合わせた訳でも無い二つの像はぴったりと合っていたという
それ以来この寺では体はどう見て弘法大師だが、頭が老人の顔をした不思議な像を祀っているという
54: 21/03/28(日)21:59:11 ID:H1z
5中 東勝寺(佐倉惣五郎)
千葉県成田市
佐倉惣五郎は下総国佐倉藩領公津村の人物
当時の藩主堀田正信は重税を課しており、領民は貧困に喘いでいた
惣五郎は人々を救うために、将軍に現状の改善を求めて禁じられていた直訴をする
結果、訴えは聞き届けられるが直訴の罪として惣五郎一家は処刑される
後年、惣五郎の怨念が噂される様になると、各地に惣五郎を祀る社やお堂が建てられた
ここ東勝寺では、惣五郎の遺体が葬られたとされ、明治時代に惣五郎の御霊を祀るお堂が建てられ、それが本堂となった
東勝寺は宗吾霊堂という別名を持つ
その名の通り現在では惣五郎の寺として信仰されている
55: 21/03/28(日)21:59:39 ID:H1z
6二 蓮台寺(瑜伽大権現)
岡山県倉敷市
蓮台寺は創建当時からこの珍しい権現(仏が化身した神の名称の一つ)を祀っている
寺伝によると行基が神のお告げを聞き、この地で三密瑜伽(ヨーガ)という瞑想を行って、権現を祀ったという
以来、現在に至るまで変わらず権現を本尊としている
本堂には脇侍の真ん中に弘法大師像、本尊の千手観音像と共に、鎮守神でありもう一つの本尊として瑜伽大権現が祀られている
しかしネットで瑜伽大権現と検索すると、大きな不動明王の写真が出てくるばかりで権現の像は出てこない
寺によると不動明王像はお前立ち(本尊の代わりに前に立つ仏像)らしい
弘法大師像、千手観音像の間に確かに仏像を置く場所はあるのだが、扉は閉まっており、その代わりに前に金色の御幣(神社によくある棒に紙のぴらぴらが付いたあれ)が、置いてある
さらに近々移転する本堂の予想図にも権現の像が描いてない
さらにネットには、本地仏の阿弥陀如来像と薬師如来像を祀っていると、書いてあるところもある
さらに言えば神仏分離以前は寺と隣にある神社が一体となっており、権現はそちらに祀られていたらしい(補足すると両方に祀られてる可能性もある)
以上の事からひょっとすると、一般的な権現を祀る寺院と異なり、権現像は最小から無いのかもしれない
もしかすると秘仏なのかもしれないが、現地でスタッフさんに確認し忘れたのとネットに詳しい記述が無いため不明
119: 21/03/28(日)22:15:05 ID:H1z
>>55これや
120: 21/03/28(日)22:15:27 ID:nJz
>>118
>>119
はぇサンガツ
お隣県でよかったわ
122: 21/03/28(日)22:16:35 ID:H1z
>>120
その二つは一推しや
時間があればぜひ行ってみてクレメンス
56: 21/03/28(日)22:00:01 ID:H1z
7左 護浄院(三宝荒神)
京都府京都市
三宝荒神は経典に説かれない日本独自の神
役行者がその存在を感得(その存在を感じて会得すること)したとも、開成皇子が感得したとも伝わる
火の神としてかまとの安全を守るご利益があるとも、三宝(仏、仏教の教え、僧侶の三つの宝のこと)を守る存在とも伝わる
寺院で祀られている例としては、この寺の他に清荒神清澄寺が有名だが、あちらは本尊では無く守護神的扱いである
この寺は開成皇子が荒神を本尊として祀ったお堂が移転したらしい
神であるため本堂の前には鳥居が建っている
57: 21/03/28(日)22:00:17 ID:wTp
イッチは大学でこういうの勉強するんか?
58: 21/03/28(日)22:00:59 ID:H1z
>>57
何を学ぶんかは良く分からんが卒論はこう言うのって決めてる
62: 21/03/28(日)22:02:18 ID:6ff
>>58
匿名掲示板で仏教の話題をふった際の反応について
63: 21/03/28(日)22:02:33 ID:H1z
>>62
59: 21/03/28(日)22:01:14 ID:H1z
薬王院(飯縄大権現)
東京都八王子市
元々飯縄大権現は信濃国(長野県)にある現在の飯縄神社で祀られていた神で、関東以北で武神として信仰されていた
薬王院には俊源大徳が勧請(神の御霊を元々祀られていた場所から、ろうそくの火の様に二つに分けて、祀りたい場所に祀ること)したとされる
飯縄神社が神仏分離で別の神を祀る様になった今、薬王院が飯縄大権現信仰の中心地となっている
飯綱大権現は狐に乗った烏天狗の姿をしている
中世には飯縄大権現を祀る行者や巫女が飯綱法という名の術で、管狐という妖怪を操り人の過去や未来を言い当てたという
これらの事から飯綱大権現の正体は、荼枳尼天だという説もある
また同様に狐に乗った烏天狗の姿をした秋葉三尺権現も、信濃の飯縄山出身とされる
薬王院の飯縄大権現は大本堂と御本社に祀られている
飯綱大権現は修験道の神だが、権現の信仰の残る薬王院では、今も修験の行が残っている
60: 21/03/28(日)22:01:47 ID:H1z
9捕 箸蔵寺(金毘羅大権現)
徳島県三好市
金毘羅大権現はかつて、讃岐(香川県)の金刀比羅宮を中心に全国の金刀比羅神社、琴平神社、金比羅神社などで祀られていた神
金毘羅とはインドの水神にして、ヴァ―ハナ(神の乗り物)であるクビーラの事で、仏教では十二神将の一人宮比羅大将として知られている
宮比羅大将が日本で神となった姿が金毘羅大権現らしい
箸蔵寺の縁起によると弘法大師が、現在この寺のある山を登ったところ、現れた金毘羅大権現が「箸を使う者(つまり日本国民の事)を救うと誓おう」という、ご神託を下したとされ、これが箸蔵寺の寺号の由来でもある
以来金毘羅大権現をずっと本尊として祀ってきた
とはいえ長い間、金毘羅信仰の中心は、今の金刀羅宮とその別当寺である松尾寺であり、箸蔵寺はその奥の院と認識されていた
それが変わるのが明治時代
神仏分離によって金毘羅大権現は金刀比羅宮と名前を変え、松尾寺はほぼ全ての塔頭と共に廃寺となる
しかし箸蔵寺は神仏分離の影響を免れ、今も金毘羅大権現を堂々と本尊にしている
明治維新の折、仁和寺の門跡(皇族や貴族出身の住職、当時の仁和寺門跡は皇族)は、還俗し新政府軍の将軍となった
その際に仁和寺の末寺だった箸蔵寺は、新政府軍に金銭的な支援を行った
そのため明治政府が目こぼしをしたのでは無いかと寺は推測している
61: 21/03/28(日)22:02:16 ID:H1z
投 赤山禅院(赤山明神=泰山府君)
京都府京都市
赤山禅院は比叡山延暦寺の別院(この場合の別院は塔頭)
天台宗の僧侶円仁が、唐に渡り仏教を学んでいた際、赤山法華院という寺に祀られていた神に、帰国後寺院を建立して祀ることを誓う
円仁は目的を果たせないまま没したが、その意思を継いだ安慧によって、この寺が建立される
ここまで書けば新羅明神(天台宗寺門派)や清瀧権現(真言宗)、或いは赤山明神と同じ天台宗山門派で祀られる神で、同じく円仁が感得した摩多羅神などと同じ類のさして珍しくない中国由来の神の様に思えるが、この赤山明神は一つとても異質な特徴を持つ
赤山法華院で祀られていた神とは、泰山府君という道教の神なのだ
日本で仏教と神道が習合した様に、中国では仏教と道教や儒教が習合していた
そのために赤山法華院では泰山府君が祀られていた様だ
道教の神が祀られているだけでも中々珍しいのに、道教の神を本尊として祀る寺院は本当にレアと言える
65: 21/03/28(日)22:03:45 ID:H1z
ワイは日本の宗教に興味を持ってからというもの、様々な寺社をお参りしてきたんや
そんな中でも面白い場所が結構あったから、そういった寺社の中からおすすめの場所で打線を組んだやで
持ってるパンフレットと記憶から、なるべく豊富な面白いポイントを紹介していくで
なお写真は結構パシャパシャ取ってるけど、ネットに挙げる勇気は無いから興味を持ったら是非ググってみてクレメンス
66: 21/03/28(日)22:04:17 ID:H1z
1二 備中国分寺
場所 岡山県総社市所属
所属 真言宗御室派
格式等 国分寺
国分寺と言えば聖武天皇が、741年に諸国に建立した寺院として有名だが、この寺は備中国に建てられた国分寺で、建立当時は東西160m、南北180mの巨大寺院だった
平安時代末期には現在の寺域にまで縮小し、やがて廃寺になる
現在の形にまで復興するのは江戸時代中期で、惣持院住職の増鉄和尚が領主蒔田氏の協力を得て再興し、さらにその約100年後に證旭和尚の手で五重塔が再建された
67: 21/03/28(日)22:04:30 ID:H1z
縮小したとはいえ、旧国分寺の土地にそのまま新しい建物が建っているため、門から少し歩くとかつての門の基石を見ることができる
男は辛いよの撮影が行われた事もあるらしい
境内には本堂の他、大師堂や、京都の本山級寺院や大寺院でも半分以上の場所で存在しない経蔵が、小型の漆喰造りながら建っており県指定文化財になっている
68: 21/03/28(日)22:04:42 ID:H1z
そんな境内の建物で一番目を引くのは、やはり五重塔だろう
1821年から1843年にかけて建立された塔で、国指定の重要文化財
総高34・3mの堂々とした外観をしており、形は縦に長く横は狭い江戸時代後期特有の様式
69: 21/03/28(日)22:04:51 ID:H1z
三重塔は結構な数残っているが、五重塔は相当珍しい
実際、岡山県にある19の塔の内、五重塔はここだけらしい
勿論、京都奈良江戸の寺院にも明治以前の五重塔がある場所は多くない
70: 21/03/28(日)22:05:01 ID:H1z
内部には、動物に乗った宝冠形式(質素な姿ではなく王冠を付け着飾った特殊な姿)の、五智如来が安置されており、真ん中の大日如来は中心の柱で表現されている
塔内部には上に登れる仕掛けがあり、證旭和尚の像が上部に安置されている
また十二支の彫り物や、天女の天井絵が内部を彩っている
71: 21/03/28(日)22:05:14 ID:H1z
境内外の周囲は田園風景が広がっている
この風景は地元の人によって守られているらしい
開けた田園の中に五重塔が建っている景色はとても美しく見応えがある
72: 21/03/28(日)22:05:25 ID:H1z
2中 錦織寺
場所 滋賀県野洲市
所属 真宗木辺派
格式等 本山
錦織寺の歴史は858年、慈覚大師が大きな松(虫に食われ枯れてしまったが現存する)の近くに、毘沙門天を祀るお堂を建立したことに始まる
それから時は流れて鎌倉時代、浄土真宗の祖親鸞聖人がこの地に立ち寄ると、毘沙門天からのお告げがあり、この土地で教えを広める事にした
以来、浄土真宗の寺院となった
73: 21/03/28(日)22:05:42 ID:H1z
そんなある年の7月6日の夜、光が射し音楽が鳴り響いて良い香りが広がった
親鸞聖人が覗くと天女が機を織っていた
朝になり残っていた紫紅の錦を四条天皇に献上したところ、「天神護法錦織之寺」という勅額を賜り、以降寺号が錦織寺となる
74: 21/03/28(日)22:05:54 ID:m83
寺院ガチ勢は流石におもしろすぎる
76: 21/03/28(日)22:06:14 ID:H1z
>>74
兼神社ガチ勢やで~
75: 21/03/28(日)22:05:54 ID:H1z
阿弥陀堂の本尊は、親鸞聖人が関東に滞在していた時、漁師の網にかかって海の底から引き上げられた阿弥陀如来像
浄土真宗では珍しい座像形式
また元々毘沙門天を祀ったお堂を起源とする事から、一般的な浄土真宗の寺院にある御影堂(親鸞を祀る)、阿弥陀堂(阿弥陀如来を祀る)に加えて、毘沙門天を祀る天安堂がある
77: 21/03/28(日)22:06:28 ID:H1z
これは奇跡と言って良い程珍しい
一般的に浄土真宗寺院では阿弥陀如来や親鸞聖人、七高僧(浄土教成立から浄土真宗に至るまでの七人の祖師)以外を祀る事はまず無い
さらに元が天台宗の慈覚大師が建てた寺院であるためか、天台宗の守り神である山王権現を祀っており、小さいが神道形式の社がある
78: 21/03/28(日)22:06:38 ID:H1z
浄土真宗を知っている人なら分かるが、浄土真宗は教義的に阿弥陀如来や祖師以外を祀ったりすることは無いため、こんな例は他には見られない
浄土真宗の中では本当に珍しい寺院
79: 21/03/28(日)22:06:50 ID:H1z
3左 長谷寺
場所 奈良県桜井市
所属 真言宗豊山派
格式等 総本山
686年に道明上人が、法華経の一場面を描いた銅板法華説相図(現存)を祀るお堂を、建てたのが始まり
今の形になったのは727年で、西国三十三観音霊場を開いた徳道上人が聖武天皇の勅願で十一面観音を祀った
時代は下り1588年、根来寺から専誉僧正が入山し、以降新義真言宗の中心地となる
80: 21/03/28(日)22:07:01 ID:H1z
境内でまず目につくのは長い長い登廊(屋根の付いた階段)で、これは春日大社神官の中臣信清が子供の病気平癒のお礼に造ったもの
登廊には長谷型灯籠と呼ばれる独特な灯籠がかけられている
登廊を中程まで登ると修験道の信仰される蔵王権現が祀られている
81: 21/03/28(日)22:07:18 ID:H1z
国宝の本堂は正堂と礼堂の双堂形式で、断崖絶壁に立つ清水寺に勝るとも劣らない大きな舞台の付いた巨大な建築
本尊は1538年に近江国高島の木材を使って、三日で造られた巨大な十一面観音像
右手に錫杖を持ち平らな岩に立った独特な形式で、この姿は長谷観音と呼ばれる
82: 21/03/28(日)22:07:31 ID:H1z
境内には四季折々の花が咲き乱れるため、長谷寺は花の御寺と呼ばれる
また境内には銅板法華説相図を祀る本長谷寺がある
その他、境内には権現社、愛染堂、御影堂、経蔵、近代建築の五重塔など山に沿って様々な堂舎が並ぶ
83: 21/03/28(日)22:07:43 ID:H1z
4三 西大寺
場所 岡山県岡山市
所属 高野山真言宗
格式等 別格本山
山口に住む藤原皆足姫は信仰熱く、日頃から観音菩薩の持仏(一か所に安置するのでは無く身の回りに置く仏像)を欲していた
ある時、旅の仏師に部屋を覗かないことを条件に千手観音を彫ってもらうが、姫は約束を破り部屋を覗いてしまう
怒った仏師は出ていこうとするが、仏師の言葉から姫はその正体が長谷寺の観音菩薩であることを理解する
84: 21/03/28(日)22:07:53 ID:H1z
751年、皆足姫は都に行こうとするが、途中金岡荘で船が動かなくなり、千手観音像が浮き上がると陸地に降り立つという奇譚を、目撃する
縁を感じた皆足姫は、この地に千手観音を祀るお堂を建てる
そして777年安隆上人が長谷寺で修行をしていた時、「金岡荘の観音堂を修築せよ」というお告げを聞く
85: 21/03/28(日)22:08:03 ID:H1z
安隆上人が金岡を目指す航路の途中、サイの角を持った龍神が表れて、「この角をもって御堂を移せ」と告げる
そうして安隆上人は現在地に際の角を埋めてその上に寺を建て、サイの角を戴く寺という意味で寺号を犀戴寺(さいだいじ)とした
その後、鎌倉時代に後鳥羽天皇が討幕を祈願して寺に文字を書いた際に、西大寺という字だったため現在の寺号になる
86: 21/03/28(日)22:08:14 ID:H1z
1510年から続く会陽(はだか祭り)が有名
この祭りは牛玉(ごおう)という福をもたらす木札をはだかの男たちが奪い合う奇祭
現在では一万人が参加し三万人の見物客が訪れる(おそらくだが、それ用の椅子もセッティングされている)、国の重要無形民俗文化財
87: 21/03/28(日)22:08:27 ID:H1z
本堂内部には階段と二階部分があり、二階には大きな窓が付いている
祭りの際にはそこから牛玉を投げ落とすが、普段は向こうに網がかかり、その上に観音菩薩の乗る蓮を表した器がおいてある
参拝客は二二階に上がって窓から散華を投げられる様になっており、蓮に散華を乗せられた者は幸福になるという(ワイは見事乗せられた)
88: 21/03/28(日)22:08:38 ID:H1z
本堂には他にも大きな愛染明王像や、ヤクの皮で作られたチベット仏教の曼荼羅、九谷焼の菩薩像、古代のサイの角の化石、アジア各地のサイの人形、マニ車、山サンゴ(陸地で採れるサンゴの化石)、古代中国の陶磁器など多数の寺宝が陳列されている
正直本堂だけでも見どころだらけだが、個人的にさらに凄いのが本殿とセットで拝観できる牛玉所殿
ここにはこの地の守り神、牛玉所大権現が祀られているのだが、その権現像が面白い事に五大明王の姿をしている
89: 21/03/28(日)22:08:50 ID:H1z
寺側の資料にも明確に五大明王だと書かれている
どういう理屈かは分からないが、西大寺では五大明王像を、そのまま権現という神として祀っている
この事は、権現像の秘仏を祀る奥殿前の立て札に、はっきりと「仏では無く神」と書かれている事からも分かる
90: 21/03/28(日)22:09:00 ID:H1z
これだけで十分面白いが、牛玉所殿には四国の金毘羅大権現(現金刀比羅宮)に安置されていた、金毘羅大権現の本地仏である不動明王と毘沙門天像が祀られている
権現信仰とは、仏が権現という名の神として化身したという思想であり、本来の姿である仏と化身した姿である神は一体だが、権現を祀る場合は神の姿の像を祀り、それを権現とするのが普通だ
しかしこの寺では本地仏だけを移動させた経緯があるとはいえ、本来の姿である仏を祀りそれを神とするという非常に特殊な形である
91: 21/03/28(日)22:09:01 ID:nJz
仏僧ニキ乙やで
92: 21/03/28(日)22:09:09 ID:H1z
>>91
サンガツ
93: 21/03/28(日)22:09:30 ID:H1z
牛玉所大権現と合わせてこのケースは、現代に残る権現信仰の形を知る上で、とても面白い例だと思う
その他、牛玉所殿には白玉で作られた文殊菩薩像がありこれもまた面白い
94: 21/03/28(日)22:09:43 ID:H1z
5一 石清水八幡宮
場所 京都府八幡市
所属 神社本庁
格式等 旧官幣大社・別表神社・伊勢神宮に次ぐ皇室第二の宗廟
859年、奈良大安寺の僧行教和尚が九州の宇佐神宮に籠り祈祷をしていたところ、祭神である八幡神から「都の近くの男山移って国家を鎮護する」という託宣を蒙り、同年男山に八幡神を祀ったのが始まり
藤原純友の乱の折には朝廷から平定の請願がった
乱が無事平定されると、国家鎮護の宮として朝廷の崇敬は厚いものとなり、天皇の行幸や上皇の御幸は円融天皇の行幸以来、240回以上にわたる
95: 21/03/28(日)22:09:55 ID:H1z
社殿は織田信長、豊臣秀吉、豊臣秀頼、徳川家光によって長い時間をかけて整えられ、現在の形になった
本殿は現代に残る、八幡造と呼ばれる社殿の中では最大最古
社殿の内部はたまにしか公開されていないが信長が寄進した壁や、楠正成が植えたという御神木の楠は外にあるため見ることができる
96: 21/03/28(日)22:10:08 ID:H1z
摂社末社(神社に付属する小さな社)は本殿の後ろにあり、回り込むとたくさんの社殿が並ぶ圧巻の光景を見ることが出来る
その他にも一列に整然と並んだ灯籠や、参道の真ん中にある馳馬や競馬(おそらくレースのようなもの?)のスタート地点として使われた一ツ石、本殿に背を向けないように本殿からみて斜めの位置にある門、など意識すると見どころは多い
社殿内部には信長が寄進した金の雨樋があり、運よく内部が拝観できれば一部を見ることでが出来る
97: 21/03/28(日)22:10:20 ID:H1z
また社殿内部からしか見れないが、上に猿の彫り物がされている場所がある
この猿には、かつてあまりにも見事な出来のために命を持ち社殿を抜け出していたずらをしたためお仕置きとして目に釘を打たれた、という逸話があり今も目に釘が刺さっている
なおこの話には数年前修理のために釘を外すと、普段猿のいない男山に猿が現れた、という後日談がありその時の写真も残っている
98: 21/03/28(日)22:10:34 ID:H1z
山の下には仁和寺の法師が本殿と間違えたという高良社が残っている
京都市から若干離れているため、人がまばらで落ち着いた雰囲気の漂う神社
余談だが真横に刀に関連する神社(八幡宮とは無関係)があり、最近刀剣女子に人気らしい
99: 21/03/28(日)22:10:48 ID:H1z
6右 由加神社本宮
場所 岡山県倉敷市
所属 単立
格式等 由加神社の総本宮
由加神社は磐座信仰に端を発する歴史の古い神社で、瑜伽大権現を祀る蓮台寺と一体の宗教施設だった
神仏分離で別の宗教施設となったが、敷地はすぐ隣にある
現在では祭神に本地仏があるという考えも復活しており、公式サイトなどで本地物を見ることができる他、社殿にもしっかり「権現」という額がかかっている
111: 21/03/28(日)22:13:12 ID:nJz
>>99
本地仏という概念を認める神社とかあるんやねぇ
そういうとこ結構あるん?
112: 21/03/28(日)22:13:24 ID:H1z
>>111
いや全く無いで
113: 21/03/28(日)22:13:34 ID:nJz
>>112
ここだけってことか
114: 21/03/28(日)22:13:44 ID:H1z
>>113
せやねん
116: 21/03/28(日)22:13:59 ID:nJz
>>114
ええなめっちゃ行ってみたくなった
118: 21/03/28(日)22:14:49 ID:H1z
>>116
隣の蓮台寺も面白いで
本堂に幣が置いてあるねん
100: 21/03/28(日)22:11:00 ID:H1z
境内に入る前にまず驚かされるのが鳥居で全体が備前焼きで造られている
左右の狛犬もおそらく備前焼き
他では見たことのない外観をしている
101: 21/03/28(日)22:11:11 ID:H1z
本殿には随所に日本神話の神や名場面などが彫られている
社殿の軒下の扉が開いており、中に入ることができる
軒下はぐるっと一周できる通路になっていて、祭神が祀られている場所のすぐ下には社がある(神社曰くパワースポット)
102: 21/03/28(日)22:11:21 ID:2gy
身内に仏教徒ゼロだわ
母系→長崎出身でクリスチャン
父系→福岡出身で神道

お盆休みとかいらん

104: 21/03/28(日)22:11:43 ID:H1z
>>102
いつ休みが必要な感じなん?
103: 21/03/28(日)22:11:22 ID:H1z
いたるところに落書きがあり思わず顔をしかめたが、よく見ると「大正○○年」と書かれていた
別の場所には同じく大正と書かれたものや、明治と書かれたものもあり至る所に昔の参拝者の跡が残っていた
中には筆で「文化」と書かれた江戸時代の落書きまであった
105: 21/03/28(日)22:11:56 ID:H1z
江戸時代には金毘羅大権現(現金刀比羅宮)と合わせて、瑜伽大権現をお参りする両参りという習慣があったらしく、最近作られた広い休憩所からは金刀比羅宮のある松尾山が見える
蓮台寺と合わせて全体的にあか抜けた商売っ気が鼻に付かないこともないが、それ以上に見るべきポイントは多い
106: 21/03/28(日)22:12:10 ID:H1z
7遊 三井寺
場所 滋賀県大津市
所属 天台寺門宗
格式等 総本山
正式名称は園城寺
壬申の乱に敗れた大友皇子の子、大友与多王が父を弔うために建立した寺院
「三井寺」の名前の由来は、天智・天武・持統の三帝の御産湯に使われた霊水があり、それ故御井寺と呼ばれていたものを、智証大師円珍が三部潅頂という儀式に使用したために三井寺と呼ばれるようになった
107: 21/03/28(日)22:12:24 ID:H1z
859年から877年の間に智証大師円珍が中興した
円珍のタヒ後は円珍の流派と慈覚大師円仁の流派が対立し、円珍派は山を降り三井寺を中心に天台宗寺門派という教団を形成した
以来三井寺は、山に残った天台宗山門派(現在、天台宗と聞いて一般にイメージされる方)の拠点である延暦寺と、幾度となく激しい抗争を繰り広げる
108: 21/03/28(日)22:12:34 ID:H1z
それを象徴するのが三井寺の鐘
かつて延暦寺が三井寺に攻めこんだ際に、弁慶が三井寺の鐘を持ち去った
しかし鐘が「イノー(帰りたい)」と音を出したため、弁慶は怒って鐘を突き落としそれを三井寺側が後に回収したという
109: 21/03/28(日)22:12:46 ID:H1z
その鐘は今も現存しており見ることができる
ところどころに傷が残っているのがそれらしい
ちなみに、上の弁慶の逸話を元にした力餅というお菓子が三井寺で売っており、なぜか弁慶が英雄として表わされている
110: 21/03/28(日)22:13:02 ID:H1z
境内には1239年に創立された学問所である勧学院や、伏見城から移築された室時代の三重塔、扉が開いており中の輪蔵(経典を収める蔵)を見ることができる経蔵など、広い境内に様々な名所があるが、ワイがおすすめしたいのは新羅善神堂
大陸からやってきたとされる異形の姿で、三井寺の守り神とされる新羅明神を祀っている
この新羅明神がまた面白いのだが、それを書くと長くなるし三井寺の話題と微妙にずれるのでここでは割愛
115: 21/03/28(日)22:13:48 ID:H1z
三井寺には国宝10件(64点) ・重要文化財42件(720点) と、数多くの国指定文化財があり、龍谷ミュージアムにもいくつか出展されている
当然と言うべきか仏像の類も多く存在しているのだが、その一部が本堂の裏側に安置されておりすぐ近くで見ることができる
というか経蔵といい鐘といい三井寺は見てるこっちが心配になるくらい、貴重な寺宝をすぐ近くで見せてくれる
117: 21/03/28(日)22:14:02 ID:H1z
こういったものに興味がある人には本当におすすめ
正直延暦寺に比べてこちらが少しマイナーなのが全く理解できない
121: 21/03/28(日)22:15:30 ID:H1z
8捕 證誠寺
場所 福井県鯖江市
所属 真宗山本派
格式等 本山
真宗山本派は十ある浄土真宗の宗派の中で、一番末寺数、信徒数の少ない宗派
なんと寺院数21か寺、信者数1,740人
そんな宗派の本山だから證誠寺には大きなお堂などの見どころは少ない
123: 21/03/28(日)22:16:49 ID:H1z
それでもワイが證誠寺を一度は行ってほしい寺として、打線に入れたのはこの寺に関わる人たちの思いがこもっているから
證誠寺は親鸞聖人を初代、本願寺系列の寺院では破門された、邪教の徒として扱われる息子の善鸞上人を二代目としている
親鸞聖人のタヒ後はその遺骨を一部分けてこの寺に祀っておりその骨は今もこの寺に残っている
124: 21/03/28(日)22:17:00 ID:H1z
本尊の阿弥陀如来像は平安時代から鎌倉時代の作で由緒ある像
後二条天皇より「山本山護念院證誠寺」の勅額と、勅願寺の位を賜った凄い寺でもある
さらに一時期は鯖江の他の浄土真宗本山と共に、三門徒派と呼ばれる教団を形成し福井に一大勢力を築いた
125: 21/03/28(日)22:17:12 ID:H1z
最盛期はとても凄い寺だったのだろうが、毫摂寺との争いで末寺が離散、三門徒派も衰退し現在の様になってしまった
正直今の宗教離れの時代にはお世辞にお先が明るいとは言えない
さらに戦後1948年4月に火災で伽藍が全焼するなど踏んだり蹴ったりだ
126: 21/03/28(日)22:17:23 ID:H1z
境内には当時の焼け跡を残す木が生えている
しかし前代と今代の法主によって二つのお堂はなんとか再建される
末寺数21で中規模のお堂を二つ建てる事がどれほどの苦労か想像に難くない
127: 21/03/28(日)22:17:32 ID:H1z
それでも彼らはやり遂げた
さらに信徒の人たちはなんとかお金を集め、何も無かった欄間に彫り物を寄進したり、門を建てたりした
この寺には人々の信仰や寺への厚い思いが詰まっていると思う
128: 21/03/28(日)22:17:45 ID:H1z
普段は鍵が掛かっており受付に言わないと入れない
さらにコロナ禍では室内が狭いためか、読経中に中に入る事も出来ず数十分待つことになったが、中で欄間を見た時の感動は数十分待った甲斐があったと思う
小さくてこれから先も分からないが何故か応援しくなる、それが證誠寺というお寺だ
129: 21/03/28(日)22:17:57 ID:H1z
9投 仁和寺
場所 京都府京都市
所属 真言宗御室派
格式等 総本山
888年に先代光孝天皇の遺志を継いだ宇多天皇が建立した寺院
宇多天皇はこの寺に入って出家した
そのためこの寺は「御室(僧侶の住む場所である室に御の字を付けた尊称)御所」と呼ばれる様になった
130: 21/03/28(日)22:18:15 ID:H1z
このため周辺の地域は御室と呼ばれる
かのオムロンも御室に会社があったのが名前の由来
ほとんどの期間を皇族が住職を務めた格式高い寺院
131: 21/03/28(日)22:18:38 ID:H1z
応仁の乱で一度は荒廃したが、江戸時代に徳川家光によって伽藍が整備される
今ある伽藍はほぼ全てその時の物のもの
見どころは数多い
132: 21/03/28(日)22:18:50 ID:H1z
まず金堂は御所の紫宸殿を移築したもので、今に残る最古の紫宸殿
天井は侵入者が隠れられないように吹き抜けになっており、これも紫宸殿の名残り
仁王門は南禅寺山門、知恩院山門と共に京都三大門に数えられる大きく立派な門
133: 21/03/28(日)22:19:01 ID:H1z
脇には筋骨隆々とした巨大な仁王像が安置されている
宸殿は歴代門跡の住居だった場所
火災で焼失しており明治の債権だが、当時の技術の粋を集めた優美な建物が並んでいる
134: 21/03/28(日)22:19:12 ID:H1z
宸殿の奥の霊明殿には歴代門跡の位牌が祀られており本尊の薬師如来は秘仏で国宝では最小の仏像
九所明神には松尾明神、加茂明神、八幡神、牛頭天王など京都各地の神様が祀られている
社に続く参道の入り口には鳥居もあり、神仏習合の影響も感じさせる
135: 21/03/28(日)22:19:22 ID:H1z

御影堂も御所の建物の移築で弘法大師や宇多天皇を祀る
横には不動明王を祀る小さなお堂がある
不動明王の乗る岩は醍醐天皇によって、大宰府へ左遷された菅原道残が宇多上皇に会うために腰かけて上皇を待ったという伝説の残る岩
136: 21/03/28(日)22:20:03 ID:H1z
その他五重塔や経蔵など有力寺院で無いと持てない堂舎もある
仁和寺は桜の名所と捨ても有名で寺の紋も桜
桜の前に建つ観音堂には千手観音と二十八部衆および風神雷神が祀られており、長い間人目に触れなかったため江戸時代の壁画が色を明るく残しながら現存している
137: 21/03/28(日)22:20:09 ID:H1z
以上や
138: 21/03/28(日)22:20:31 ID:nJz
おつやで
相変わらずすごい情報量やな!
140: 21/03/28(日)22:21:09 ID:H1z
>>138
丸二日かけて文章書いたやで~
139: 21/03/28(日)22:20:47 ID:H1z
あ、忘れてた
今度はおすすめ寺社打線をひとまとめに投下するわ
141: 21/03/28(日)22:21:20 ID:rbw
これが噂の仏教ガチ勢か?
142: 21/03/28(日)22:21:58 ID:H1z
>>141
せやで
143: 21/03/28(日)22:22:45 ID:H1z
1二 備中国分寺
場所 岡山県総社市所属
所属 真言宗御室派
格式等 国分寺
国分寺と言えば聖武天皇が、741年に諸国に建立した寺院として有名だが、この寺は備中国に建てられた国分寺で、建立当時は東西160m、南北180mの巨大寺院だった
平安時代末期には現在の寺域にまで縮小し、やがて廃寺になる
現在の形にまで復興するのは江戸時代中期で、惣持院住職の増鉄和尚が領主蒔田氏の協力を得て再興し、さらにその約100年後に證旭和尚の手で五重塔が再建された
縮小したとはいえ、旧国分寺の土地にそのまま新しい建物が建っているため、門から少し歩くとかつての門の基石を見ることができる
男は辛いよの撮影が行われた事もあるらしい
境内には本堂の他、大師堂や、京都の本山級寺院や大寺院でも半分以上の場所で存在しない経蔵が、小型の漆喰造りながら建っており県指定文化財になっている
そんな境内の建物で一番目を引くのは、やはり五重塔だろう
1821年から1843年にかけて建立された塔で、国指定の重要文化財
総高34・3mの堂々とした外観をしており、形は縦に長く横は狭い江戸時代後期特有の様式
三重塔は結構な数残っているが、五重塔は相当珍しい
実際、岡山県にある19の塔の内、五重塔はここだけらしい
勿論、京都奈良江戸の寺院にも明治以前の五重塔がある場所は多くない
内部には、動物に乗った宝冠形式(質素な姿ではなく王冠を付け着飾った特殊な姿)の、五智如来が安置されており、真ん中の大日如来は中心の柱で表現されている
塔内部には上に登れる仕掛けがあり、證旭和尚の像が上部に安置されている
また十二支の彫り物や、天女の天井絵が内部を彩っている
境内外の周囲は田園風景が広がっている
この風景は地元の人によって守られているらしい
開けた田園の中に五重塔が建っている景色はとても美しく見応えがある
144: 21/03/28(日)22:23:14 ID:H1z
2中 錦織寺
場所 滋賀県野洲市
所属 真宗木辺派
格式等 本山
錦織寺の歴史は858年、慈覚大師が大きな松(虫に食われ枯れてしまったが現存する)の近くに、毘沙門天を祀るお堂を建立したことに始まる
それから時は流れて鎌倉時代、浄土真宗の祖親鸞聖人がこの地に立ち寄ると、毘沙門天からのお告げがあり、この土地で教えを広める事にした
以来、浄土真宗の寺院となった
そんなある年の7月6日の夜、光が射し音楽が鳴り響いて良い香りが広がった
親鸞聖人が覗くと天女が機を織っていた
朝になり残っていた紫紅の錦を四条天皇に献上したところ、「天神護法錦織之寺」という勅額を賜り、以降寺号が錦織寺となる
阿弥陀堂の本尊は、親鸞聖人が関東に滞在していた時、漁師の網にかかって海の底から引き上げられた阿弥陀如来像
浄土真宗では珍しい座像形式
また元々毘沙門天を祀ったお堂を起源とする事から、一般的な浄土真宗の寺院にある御影堂(親鸞を祀る)、阿弥陀堂(阿弥陀如来を祀る)に加えて、毘沙門天を祀る天安堂がある
これは奇跡と言って良い程珍しい
一般的に浄土真宗寺院では阿弥陀如来や親鸞聖人、七高僧(浄土教成立から浄土真宗に至るまでの七人の祖師)以外を祀る事はまず無い
さらに元が天台宗の慈覚大師が建てた寺院であるためか、天台宗の守り神である山王権現を祀っており、小さいが神道形式の社がある
浄土真宗を知っている人なら分かるが、浄土真宗は教義的に阿弥陀如来や祖師以外を祀ったりすることは無いため、こんな例は他には見られない
浄土真宗の中では本当に珍しい寺院
145: 21/03/28(日)22:23:47 ID:H1z
3左 長谷寺
場所 奈良県桜井市
所属 真言宗豊山派
格式等 総本山
686年に道明上人が、法華経の一場面を描いた銅板法華説相図(現存)を祀るお堂を、建てたのが始まり
今の形になったのは727年で、西国三十三観音霊場を開いた徳道上人が聖武天皇の勅願で十一面観音を祀った
時代は下り1588年、根来寺から専誉僧正が入山し、以降新義真言宗の中心地となる
境内でまず目につくのは長い長い登廊(屋根の付いた階段)で、これは春日大社神官の中臣信清が子供の病気平癒のお礼に造ったもの
登廊には長谷型灯籠と呼ばれる独特な灯籠がかけられている
登廊を中程まで登ると修験道の信仰される蔵王権現が祀られている
国宝の本堂は正堂と礼堂の双堂形式で、断崖絶壁に立つ清水寺に勝るとも劣らない大きな舞台の付いた巨大な建築
本尊は1538年に近江国高島の木材を使って、三日で造られた巨大な十一面観音像
右手に錫杖を持ち平らな岩に立った独特な形式で、この姿は長谷観音と呼ばれる
境内には四季折々の花が咲き乱れるため、長谷寺は花の御寺と呼ばれる
また境内には銅板法華説相図を祀る本長谷寺がある
その他、境内には権現社、愛染堂、御影堂、経蔵、近代建築の五重塔など山に沿って様々な堂舎が並ぶ
146: 21/03/28(日)22:24:48 ID:H1z
4三 西大寺
場所 岡山県岡山市
所属 高野山真言宗
格式等 別格本山
山口に住む藤原皆足姫は信仰熱く、日頃から観音菩薩の持仏(一か所に安置するのでは無く身の回りに置く仏像)を欲していた
ある時、旅の仏師に部屋を覗かないことを条件に千手観音を彫ってもらうが、姫は約束を破り部屋を覗いてしまう
怒った仏師は出ていこうとするが、仏師の言葉から姫はその正体が長谷寺の観音菩薩であることを理解する
751年、皆足姫は都に行こうとするが、途中金岡荘で船が動かなくなり、千手観音像が浮き上がると陸地に降り立つという奇譚を、目撃する
縁を感じた皆足姫は、この地に千手観音を祀るお堂を建てる
そして777年安隆上人が長谷寺で修行をしていた時、「金岡荘の観音堂を修築せよ」というお告げを聞く
安隆上人が金岡を目指す航路の途中、サイの角を持った龍神が表れて、「この角をもって御堂を移せ」と告げる
そうして安隆上人は現在地に際の角を埋めてその上に寺を建て、サイの角を戴く寺という意味で寺号を犀戴寺(さいだいじ)とした
その後、鎌倉時代に後鳥羽天皇が討幕を祈願して寺に文字を書いた際に、西大寺という字だったため現在の寺号になる
1510年から続く会陽(はだか祭り)が有名
この祭りは牛玉(ごおう)という福をもたらす木札をはだかの男たちが奪い合う奇祭
現在では一万人が参加し三万人の見物客が訪れる(おそらくだが、それ用の椅子もセッティングされている)、国の重要無形民俗文化財
本堂内部には階段と二階部分があり、二階には大きな窓が付いている
祭りの際にはそこから牛玉を投げ落とすが、普段は向こうに網がかかり、その上に観音菩薩の乗る蓮を表した器がおいてある
参拝客は二二階に上がって窓から散華を投げられる様になっており、蓮に散華を乗せられた者は幸福になるという(ワイは見事乗せられた)
本堂には他にも大きな愛染明王像や、ヤクの皮で作られたチベット仏教の曼荼羅、九谷焼の菩薩像、古代のサイの角の化石、アジア各地のサイの人形、マニ車、山サンゴ(陸地で採れるサンゴの化石)、古代中国の陶磁器など多数の寺宝が陳列されている
正直本堂だけでも見どころだらけだが、個人的にさらに凄いのが本殿とセットで拝観できる牛玉所殿
ここにはこの地の守り神、牛玉所大権現が祀られているのだが、その権現像が面白い事に五大明王の姿をしている
寺側の資料にも明確に五大明王だと書かれている
どういう理屈かは分からないが、西大寺では五大明王像を、そのまま権現という神として祀っている
この事は、権現像の秘仏を祀る奥殿前の立て札に、はっきりと「仏では無く神」と書かれている事からも分かる
これだけで十分面白いが、牛玉所殿には四国の金毘羅大権現(現金刀比羅宮)に安置されていた、金毘羅大権現の本地仏である不動明王と毘沙門天像が祀られている
権現信仰とは、仏が権現という名の神として化身したという思想であり、本来の姿である仏と化身した姿である神は一体だが、権現を祀る場合は神の姿の像を祀り、それを権現とするのが普通だ
しかしこの寺では本地仏だけを移動させた経緯があるとはいえ、本来の姿である仏を祀りそれを神とするという非常に特殊な形である
牛玉所大権現と合わせてこのケースは、現代に残る権現信仰の形を知る上で、とても面白い例だと思う
その他、牛玉所殿には白玉で作られた文殊菩薩像がありこれもまた面白い
147: 21/03/28(日)22:25:27 ID:H1z
5一 石清水八幡宮
場所 京都府八幡市
所属 神社本庁
格式等 旧官幣大社・別表神社・伊勢神宮に次ぐ皇室第二の宗廟
859年、奈良大安寺の僧行教和尚が九州の宇佐神宮に籠り祈祷をしていたところ、祭神である八幡神から「都の近くの男山移って国家を鎮護する」という託宣を蒙り、同年男山に八幡神を祀ったのが始まり
藤原純友の乱の折には朝廷から平定の請願がった
乱が無事平定されると、国家鎮護の宮として朝廷の崇敬は厚いものとなり、天皇の行幸や上皇の御幸は円融天皇の行幸以来、240回以上にわたる
社殿は織田信長、豊臣秀吉、豊臣秀頼、徳川家光によって長い時間をかけて整えられ、現在の形になった
本殿は現代に残る、八幡造と呼ばれる社殿の中では最大最古
社殿の内部はたまにしか公開されていないが信長が寄進した壁や、楠正成が植えたという御神木の楠は外にあるため見ることができる
摂社末社(神社に付属する小さな社)は本殿の後ろにあり、回り込むとたくさんの社殿が並ぶ圧巻の光景を見ることが出来る
その他にも一列に整然と並んだ灯籠や、参道の真ん中にある馳馬や競馬(おそらくレースのようなもの?)のスタート地点として使われた一ツ石、本殿に背を向けないように本殿からみて斜めの位置にある門、など意識すると見どころは多い
社殿内部には信長が寄進した金の雨樋があり、運よく内部が拝観できれば一部を見ることでが出来る
また社殿内部からしか見れないが、上に猿の彫り物がされている場所がある
この猿には、かつてあまりにも見事な出来のために命を持ち社殿を抜け出していたずらをしたためお仕置きとして目に釘を打たれた、という逸話があり今も目に釘が刺さっている
なおこの話には数年前修理のために釘を外すと、普段猿のいない男山に猿が現れた、という後日談がありその時の写真も残っている
山の下には仁和寺の法師が本殿と間違えたという高良社が残っている
京都市から若干離れているため、人がまばらで落ち着いた雰囲気の漂う神社
余談だが真横に刀に関連する神社(八幡宮とは無関係)があり、最近刀剣女子に人気らしい
148: 21/03/28(日)22:25:54 ID:H1z
6右 由加神社本宮
場所 岡山県倉敷市
所属 単立
格式等 由加神社の総本宮
由加神社は磐座信仰に端を発する歴史の古い神社で、瑜伽大権現を祀る蓮台寺と一体の宗教施設だった
神仏分離で別の宗教施設となったが、敷地はすぐ隣にある
現在では祭神に本地仏があるという考えも復活しており、公式サイトなどで本地物を見ることができる他、社殿にもしっかり「権現」という額がかかっている
境内に入る前にまず驚かされるのが鳥居で全体が備前焼きで造られている
左右の狛犬もおそらく備前焼き
他では見たことのない外観をしている
本殿には随所に日本神話の神や名場面などが彫られている
社殿の軒下の扉が開いており、中に入ることができる
軒下はぐるっと一周できる通路になっていて、祭神が祀られている場所のすぐ下には社がある(神社曰くパワースポット)
いたるところに落書きがあり思わず顔をしかめたが、よく見ると「大正○○年」と書かれていた
別の場所には同じく大正と書かれたものや、明治と書かれたものもあり至る所に昔の参拝者の跡が残っていた
中には筆で「文化」と書かれた江戸時代の落書きまであった
江戸時代には金毘羅大権現(現金刀比羅宮)と合わせて、瑜伽大権現をお参りする両参りという習慣があったらしく、最近作られた広い休憩所からは金刀比羅宮のある松尾山が見える
蓮台寺と合わせて全体的にあか抜けた商売っ気が鼻に付かないこともないが、それ以上に見るべきポイントは多い
149: 21/03/28(日)22:26:26 ID:NLr
このテーマで打線組むにはものすごい知識量が必要になるんちゃうかと思ったんやがそこらへんはどうなんや?
151: 21/03/28(日)22:27:16 ID:H1z
>>149
パンフレットと現地の人の説明と自分が見たことでこれ全部書けたやで
152: 21/03/28(日)22:27:59 ID:nJz
>>151
凄えな
154: 21/03/28(日)22:28:35 ID:H1z
>>152
寺社は好きやから記憶に残りやすいんかもね
155: 21/03/28(日)22:29:07 ID:NLr
>>151
なるほどなあ
いや面白かったで
157: 21/03/28(日)22:30:03 ID:H1z
>>155
そう言って貰えて嬉しいわ
150: 21/03/28(日)22:26:29 ID:H1z
7遊 三井寺
場所 滋賀県大津市
所属 天台寺門宗
格式等 総本山
正式名称は園城寺
壬申の乱に敗れた大友皇子の子、大友与多王が父を弔うために建立した寺院
「三井寺」の名前の由来は、天智・天武・持統の三帝の御産湯に使われた霊水があり、それ故御井寺と呼ばれていたものを、智証大師円珍が三部潅頂という儀式に使用したために三井寺と呼ばれるようになった
859年から877年の間に智証大師円珍が中興した
円珍のタヒ後は円珍の流派と慈覚大師円仁の流派が対立し、円珍派は山を降り三井寺を中心に天台宗寺門派という教団を形成した
以来三井寺は、山に残った天台宗山門派(現在、天台宗と聞いて一般にイメージされる方)の拠点である延暦寺と、幾度となく激しい抗争を繰り広げる
それを象徴するのが三井寺の鐘
かつて延暦寺が三井寺に攻めこんだ際に、弁慶が三井寺の鐘を持ち去った
しかし鐘が「イノー(帰りたい)」と音を出したため、弁慶は怒って鐘を突き落としそれを三井寺側が後に回収したという
その鐘は今も現存しており見ることができる
ところどころに傷が残っているのがそれらしい
ちなみに、上の弁慶の逸話を元にした力餅というお菓子が三井寺で売っており、なぜか弁慶が英雄として表わされている
境内には1239年に創立された学問所である勧学院や、伏見城から移築された室時代の三重塔、扉が開いており中の輪蔵(経典を収める蔵)を見ることができる経蔵など、広い境内に様々な名所があるが、ワイがおすすめしたいのは新羅善神堂
大陸からやってきたとされる異形の姿で、三井寺の守り神とされる新羅明神を祀っている
この新羅明神がまた面白いのだが、それを書くと長くなるし三井寺の話題と微妙にずれるのでここでは割愛
三井寺には国宝10件(64点) ・重要文化財42件(720点) と、数多くの国指定文化財があり、龍谷ミュージアムにもいくつか出展されている
当然と言うべきか仏像の類も多く存在しているのだが、その一部が本堂の裏側に安置されておりすぐ近くで見ることができる
というか経蔵といい鐘といい三井寺は見てるこっちが心配になるくらい、貴重な寺宝をすぐ近くで見せてくれる
こういったものに興味がある人には本当におすすめ
正直延暦寺に比べてこちらが少しマイナーなのが全く理解できない
153: 21/03/28(日)22:28:00 ID:H1z
8捕 證誠寺
場所 福井県鯖江市
所属 真宗山本派
格式等 本山
真宗山本派は十ある浄土真宗の宗派の中で、一番末寺数、信徒数の少ない宗派
なんと寺院数21か寺、信者数1,740人
そんな宗派の本山だから證誠寺には大きなお堂などの見どころは少ない
それでもワイが證誠寺を一度は行ってほしい寺として、打線に入れたのはこの寺に関わる人たちの思いがこもっているから
證誠寺は親鸞聖人を初代、本願寺系列の寺院では破門された、邪教の徒として扱われる息子の善鸞上人を二代目としている
親鸞聖人のタヒ後はその遺骨を一部分けてこの寺に祀っておりその骨は今もこの寺に残っている
本尊の阿弥陀如来像は平安時代から鎌倉時代の作で由緒ある像
後二条天皇より「山本山護念院證誠寺」の勅額と、勅願寺の位を賜った凄い寺でもある
さらに一時期は鯖江の他の浄土真宗本山と共に、三門徒派と呼ばれる教団を形成し福井に一大勢力を築いた
最盛期はとても凄い寺だったのだろうが、毫摂寺との争いで末寺が離散、三門徒派も衰退し現在の様になってしまった
正直今の宗教離れの時代にはお世辞にお先が明るいとは言えない
さらに戦後1948年4月に火災で伽藍が全焼するなど踏んだり蹴ったりだ
境内には当時の焼け跡を残す木が生えている
しかし前代と今代の法主によって二つのお堂はなんとか再建される
末寺数21で中規模のお堂を二つ建てる事がどれほどの苦労か想像に難くない
それでも彼らはやり遂げた
さらに信徒の人たちはなんとかお金を集め、何も無かった欄間に彫り物を寄進したり、門を建てたりした
この寺には人々の信仰や寺への厚い思いが詰まっていると思う
普段は鍵が掛かっており受付に言わないと入れない
さらにコロナ禍では室内が狭いためか、読経中に中に入る事も出来ず数十分待つことになったが、中で欄間を見た時の感動は数十分待った甲斐があったと思う
小さくてこれから先も分からないが何故か応援しくなる、それが證誠寺というお寺だ
156: 21/03/28(日)22:29:41 ID:H1z
9投 仁和寺
場所 京都府京都市
所属 真言宗御室派
格式等 総本山
888年に先代光孝天皇の遺志を継いだ宇多天皇が建立した寺院
宇多天皇はこの寺に入って出家した
そのためこの寺は「御室(僧侶の住む場所である室に御の字を付けた尊称)御所」と呼ばれる様になった
このため周辺の地域は御室と呼ばれる
かのオムロンも御室に会社があったのが名前の由来
ほとんどの期間を皇族が住職を務めた格式高い寺院
応仁の乱で一度は荒廃したが、江戸時代に徳川家光によって伽藍が整備される
今ある伽藍はほぼ全てその時の物のもの
見どころは数多い
まず金堂は御所の紫宸殿を移築したもので、今に残る最古の紫宸殿
天井は侵入者が隠れられないように吹き抜けになっており、これも紫宸殿の名残り
仁王門は南禅寺山門、知恩院山門と共に京都三大門に数えられる大きく立派な門
脇には筋骨隆々とした巨大な仁王像が安置されている
宸殿は歴代門跡の住居だった場所
火災で焼失しており明治の債権だが、当時の技術の粋を集めた優美な建物が並んでいる
宸殿の奥の霊明殿には歴代門跡の位牌が祀られており本尊の薬師如来は秘仏で国宝では最小の仏像
九所明神には松尾明神、加茂明神、八幡神、牛頭天王など京都各地の神様が祀られている
社に続く参道の入り口には鳥居もあり、神仏習合の影響も感じさせる
御影堂も御所の建物の移築で弘法大師や宇多天皇を祀る
横には不動明王を祀る小さなお堂がある
不動明王の乗る岩は醍醐天皇によって、大宰府へ左遷された菅原道残が宇多上皇に会うために腰かけて上皇を待ったという伝説の残る岩
その他五重塔や経蔵など有力寺院で無いと持てない堂舎もある
仁和寺は桜の名所としても有名で寺の紋も桜
桜の前に建つ観音堂には千手観音と二十八部衆および風神雷神が祀られており、長い間人目に触れなかったため江戸時代の壁画が色を明るく残しながら現存している
158: 21/03/28(日)22:31:40 ID:H1z
さてそれじゃあワイは仏教部の再放送に移るわ
ここまでお付き合いいただいてサンガツやで
159: 21/03/28(日)22:31:42 ID:nJz
当時機材とかトラックとかないのに移築とかようやったよな…
仁和寺のあたりから内裏は近いんやっけ
161: 21/03/28(日)22:32:07 ID:H1z
>>159
右京区やから相当遠いわね
160: 21/03/28(日)22:32:04 ID:nJz
乙やで~
163: 21/03/28(日)22:32:39 ID:H1z
ほなノシ

引用元: https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1616935548/

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