ローマになぜキリスト教が広まったか
貧乏人が人生つらくてキリスト教に走ったのかと思ってたら、信仰の主体は中産階級だったとか書いてる本もあるし。
放埓なローマの生活からキリスト教を信仰し出すきっかけがいまいち見えない。
奔放に本能のままに生きる行き方は必ず反動を伴う。
名高い聖職者が若いころ放蕩者だった話は掃いて捨てるほどある。
享楽の追及は必ず限界に突き当たりその先にある救いの光は禁欲となる。
同じ事は社会についても言える。
自堕落な底辺を見てたら中産階級は自分たちはしっかりしなければと思うでしょう
いったい何がメリットなのかさっぱり理解できない。
いわんや古代ローマ人の動機など・・・
>>4
キリスト教は一面では、現代社会で広く共有されている価値観(*1)ではうまく生きていけない人たち(*2)のために、それと異なる価値観を提供するパッケージのような働きをする。
*1 例えば、「高学歴で高所得の職に就くのが幸せ」、「美人と結婚して子供を持つのが幸せ」、「苛烈な競争原理と自己責任論」といった価値観。
*2 例えば、低学歴、派遣、貧乏、ブス、孤独。
現在でもアメリカの低所得者層なんかに熱烈に支持されるのはこれが大きな原因の1つ。
また、既存の価値観と異なる価値観を求める学者・インテリにも割と受け入れられやすい。
高名な大学教授や裁判官でキリスト教徒という人がいるのは、(そもそも両親がキリスト教徒といった事情を除くと)この点が大きい。
同じ民族内でも貴種は神の子孫と言われて差別があり、いわんや異民族は差別されて当然というのに対し、
「人間は全て皆同じマニュアル通りにすることで同じ救いを得られる」という思想の方が、複数の異民族や旧
来の民族で不満の溜まっている階層がまとまりやすかったのでは。
キリスト教しかり、仏教しかり。不本意ながら多様性が高まり、既存の勢力と新来の勢力が妥協せずに押し
合いへしあいしている時にこそ必要な思想でしょう。
南北朝時代の中国では仏教が興隆していましたが、中国に安定した統一王朝があれば、あそこまで盛んに
はなっていなかったかもしれません。
中国内部に居住した異民族に受容されただけではなく、南朝でも周辺の異民族に対する外交文書で仏教の
用語と概念が使用されるなど(日本への仏教公伝もその影響であり、当時の国際情勢による必然)、漢人自
身も外向きになっている時代に仏教が盛んになっていた様に思います。
唐や元は統一王朝でしたが(前者は鮮卑で)異民族による外向きな王朝でした。
多神教のローマは世界帝国で、むしろキリスト教化した時代から分裂していますが(これがキリスト教受容の
不義によるものだという批判に対し、古代からキリスト教聖職者は反論に心をくだいている)、本体が強い状態
でなければ、多神教ではいられなかったのでしょう。
中産階級の受容は、上層に対する反発と成り上がり志向から、正当化を求めたものではないでしょうか。
「同じ人間(とキリスト教が保証)なら、より有能な自分たちが代わりに牛耳を執ってもいいはずだ」と。
万民法と普遍宗教ってことですか。
クーランジュの「古代都市」なんか読むと、逆に近現代のヨーロッパ人には普遍的でない神様、特定の種族や家門だけ庇護する神様ってものがどうも不可解に感じるみたいですね。
神道的な神様感に慣れている日本人にとっては、クーランジュの描く古代の宗教とか社会って割りと自然で納得のいくことのような気もしますが。
ローマ人の祖先や神々に対する記述を読んでいると、西洋人キリスト教徒の著者よりも日本人
読者の方がローマ人に共感出来るのではないかと思える場合がありますね。
神道のもろ血縁に基づくものだから、世界宗教にはなれないわな
日本人にはアブラハムの宗教は排他的で神道はアミニズムだから寛容とかいう迷信があるけど
氏子でないと入信できないのだから不寛容はなはだしい
仏教との権力闘争に負けた大人しくなっただけの話
ユダヤ教は民族宗教で、キリスト教はそれを止揚して世界宗教へと発展させた、と俗に言われてるけど
これは誤解で、ユダヤ教時代から、すでに世界宗教を目指していた形跡があるんだよね。
例えばアブラハムに対して神が
「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される」(創世記12章3節)と語ったり、
ソロモンが第二神殿を建立したとき
「あなたの民イスラエルの者でなく、他国人で、あなたの大いなる名と、強い手と、伸べた腕のために遠い国から来て、この宮に向かって祈るならば、
あなたは、あなたのすみかである天から聞き、すべて他国人があなたに呼び求めるようにしてください。」(歴代誌下6章32節)
何で中東の一小王国に、それまでの民族宗教とは一線を画す、コスモポリタン志向の宗教が忽然と現れたのか、よくわからないけど。
他民族や異教徒を征服・支配すべしと言ってるだけのようにも思える。
そのわりに日本じゃ全く広まってないし
血縁主義のイスラム教にも数で負けそうだけど
現存する宗教で血縁(特定民族以外入信できない)を掲げてるのって神道ぐらい
ゾロアスター教 ヤジディ教 ヒンズー教
信者を増やす気はない
インド、中国、日本、タイなどでは多数派には至らなかったというだけで
特殊なのは一神教が広まった方ではなく、広まらなかったほう
日本でもかなり急速に信仰が広まったみたい
秀吉の禁教令がなければ韓国みたいになったろう
あの当時で殉教者が何十人も現れたのだから
キリスト教って恐ろしいよ
形状変化と妥協でローマ人に受け入れ易くしたから
子孫が用意した野菜に乗るという物質的な要素がつくもんな
老子道徳経も最初の方は形而上的だがすぐに卑近な例や政治に関するものになっていく
神話なんか信じられてなかったけどな
ミトラス教のほうが熱狂的だった
多分ローマではミトラス信者をキリスト教が獲得したんだろ
教皇レオの説得によって撤退した、という話が広まってキリスト教の権威が高まった。
本当に「神の鞭」なら、人間ふぜいである教皇が神の御業を妨害しちゃイカンだろう。
はやくローマに来て「神の鞭」を振るって下され、とアッティラを急かすなら辻褄は合うが・・・
「偶像に力はないすべてぶち壊せ」という信仰が人々の心を打ったからだろう
キリスト教信者は病人の看護やタヒ者の埋葬をよく行い、
公衆衛生的条件を自ら改善してタヒ亡率が下がった。
これでローマ帝国内におけるキリスト教信者の増加を
十分に説明できるらしい。
元来、カトリック、とりわけイエズス会派はマリア信仰色が強い。
今回教皇が訪れた隠れ切支丹の地長崎では、イエズス会の宣教師や司祭等が去った後
このマリア信仰が独自のスタイルに変化してゆく。所謂、カモフラージュも兼ねた
摩利支天 (まりしてん, 梵: Marīcī, 訳:陽炎、威光)
信仰と結びついてゆくのである。
摩利支天は、仏教の守護神である天部の一柱。
日天の眷属である。
原語のMarīcīは、太陽や月の光線を意味する。摩利支天は陽炎を神格化したものである。
由来は古代インドの『リグ・ヴェーダ』に登場するウシャスという暁の女神であると思われている。
実は遠くギリシャ、オリンポスからヘレニズムの インド経由で到達した
オリンポス12神の軍神マルスであるともいわれている。
陽炎は実体がないので捉えられず、焼けず、濡らせず、傷付かない。
隠形の身で、常に日天の前に疾行し、自在の通力を有すとされる。これらの特性から、
日本では山本勘助、毛利元就、立花宗茂ら戦国武士の間に摩利支天信仰があった
当時エジプトからローマ帝国全域に広がっていたイシス女神への信仰が
聖母マリアへの尊崇という形に転化したこと。
聖書にそんなの載っていないよ、という意見は常にあったが、
不況の初期からキリスト教信仰と深くからみあってしまったので、
マリア信仰を排除するのは無理だった。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません