イスラム教「世界最高峰の知の集積所“知恵の館”を作ったぞ」 モンゴル「中東侵略や!!!!」→全焼失してしまう・・・・
ギリシア語の学術文献の、アラビア語への翻訳であった[2]。時にはシリア語を介しての翻訳になった。
国家事業として、医学書・天文学(占星術を含む)・数学に関するヒポクラテス・ガレノスなどの文献から、
哲学関係の文献はプラトン・アリストテレスとその注釈書など、膨大な書物が大々的に翻訳された(「大翻訳」)。
また、使節団を東ローマ帝国に派遣して文献を集めることもあった。
1258年のモンゴル帝国によるバグダードの戦いによりバグダードが陥落した時に、知恵の館もその膨大な文書と共に灰燼に帰した。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2c/Maqamat_hariri.jpg
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E6%81%B5%E3%81%AE%E9%A4%A8
ええんか…
当時のイスラム圏は先進国だったらしい
このおかげで今落ちぶれたつて思えばまあ
よくやった
落ちぶれたのはここ数百年でやぞ
むしろ今ああなのはもんこに焼かれたからやぞ
父さんが抑えてくれると思ってるけど
騎馬技術がほぼすべてやったんやから無理やろ
パワーこそ正義よ
白人一強の諸悪の根源やろ
とっとと中共に併合されて民族浄化されろや
言うて第一回十字軍のときから白人のキチゲ振り切れすぎてるしあんまりモンゴル関係ないやろ
産業革命がよりにもよってイギリスで起きたのが世界の運のつきや
エジプト残ったやん
すぐ降伏しなかったイスラム側も含めてくそ
C教ががががか
それだけのせいちゃうやろとも思うけど
(引用)イスラム世界において、最高度の学問の授与を目的とした最初の有名な施設は、
アル=マァムーンが首都(バグダード)に設立した(830年)「知恵の館(バイト=アル=ヒクマ)」だった。
この施設は、翻訳事務所となったばかりでなく、学林および公共図書館としての機能も果たし、附属の天文台ももっていた。
この時期に続出した天文台は、天文学を教える学校でもあった。
それはこの当時にはじめて現れた病院が医学の研究所でもあったことと、同様であることを忘れてはならない。
<ヒッティ/岩永博訳『アラブの歴史』下 講談社学術文庫 p.127>
ギリシア文化とイスラーム文化
古典古代のギリシアの学問は、ヘレニズム時代を経て、イスラーム世界に伝えられ、8~9世紀にアッバース朝の都バグダードの
「知恵の館」で組織的にギリシア語からアラビア語への翻訳が行われた。その間、ヨーロッパ中世社会ではギリシア文化と科学、
哲学などの学問は忘れ去られていた。イスラーム世界と接するイベリア半島や南イタリアで、
イスラーム教徒からすぐれた技術に刺激されたヨーロッパのキリスト教徒は、
12~13世紀にトレドの翻訳学校などで盛んにアラビア語訳のギリシア文献を、ラテン語訳することが行われるようになった。
このように、古代ギリシア文化が中世ヨーロッパに知られたのは、イスラーム世界を経てのことであったことは重要である。
はぇ
引用元: https://swallow.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1618068236/
ディスカッション
コメント一覧
イスラム「今日は神が作られた世界の理性を
探求するために天文学でも研究するか」
→「神は偉大なり!異教徒は全員首切り落とせw」
中国「今日は新しい発明品でも作ろうかなアル」
→「人民よ馬鹿であれ。女は纏足でもしとけ」
ロスキー「今日は本当に平和な日だな〜詩でも作るか」
→「コロセコロセ!侵略してレイプして回れ!」
半島「今日は服を新しい色に染めてみるか」
→「服に染料?そんな技術なんてねえよw服すらねえ」
ヨーロッパ日本「あいつらザマァw」
モンゴル罪深すぎてワロタ