中国さんによる曹操最大のライバル・袁紹の評価について
http://blog.livedoor.jp/kashikou/archives/52111820.html
・袁紹ってみんなどんな感じに評価している?
曹操ほどじゃないけど、一昔前とはかなり評価が変わったように思えるんだが……
・劉備と曹操からのとばっちりを一番受けた人かな?
曹操に叛逆されなければ勝者は袁紹だったと思う。
・袁紹はあれだ、手持ちのカードは最高だけど腕が悪かったというタイプ。
四世三公の背景、当時最大級の軍隊、豊かな勢力圏、配下には猛将と揃っていたのに負けた。
・一番の問題はタヒんだのが早過ぎたってことじゃないかな。
後継者問題からの息子同士の内紛で曹操に完全にやられた。
・曹操と比べて圧倒的に有利なスタートではあった。
スタート時点で持っているリソースが段違い。
・袁紹は庶子だからスタート地点そんなに高くないぞ。
下手すれば曹操の方が高いくらいだ。宦官であった祖父の名声の高さは宦官というマイナスを差し引いて余りある。
・袁紹の手持ちのリソースは袁紹が一から作り上げたものだしね。
袁家の正統は袁術の方で、袁紹は庶子。袁家のものを庶子が手に入れることはできない。
・それはそれで極端な持ち上げじゃないか?
傍流とは言え袁家の背景は使えた。若くして県令になったり、名声のある人間とだけ付き合ったりと、最初から全部持っていたわけではないがなんだかんだで「上から選ぶ側」だ。
・袁紹を持ち上げている連中は曹操ファン。袁紹を持ち上げることにより、結果的に曹操を持ち上げている。
・曹操関係で袁紹も再評価されている所は間違いなくあるよね。
昔はなんとなくやられているかませキャラみたいな扱いだったらしいが。
・昔の民間演劇とかを見ると曹操でさえもやられキャラだったのにな。
現在では曹操の持ち上げが活発だけど、それについては昔曹操をやられ役にしていた反動もあると思うわ。今のオタク世代で三国志語るヤツはだいたい曹操推し。
2: 2019/07/24(水) 19:41:13.76 ID:VZU85dU+0
>>1続き
・それで結局の所、官渡で曹操は袁紹側に裏切り者が出て兵糧燃やせなかったら勝てなかったのだろうか?
・勝てなかったとは思わん。袁紹側が愚か過ぎたから。
・曹操が勝てるかは何とも言えんが、袁紹は必ず負ける。
官渡に関しては曹操の戦いが上手いというより、袁紹の戦いが下手くそだったと感じる。
・烏巣という重要な場所をなんで淳于瓊に任せたのか……裏切り者よりこっちの方が問題だ。
・持久戦になった場合、袁家の方に問題が出ない方がおかしい。
・官渡に限って言えば持久戦で先に士気崩壊するのは曹操側だったけど、荀彧が弱気な曹操の撤退を止めた結果の袁紹側に裏切り者だからね。裏切り者以外の問題は発生しそう。
・袁紹は運の悪さもある。早くタヒんだのが何よりの問題。
官渡の失敗より早くタヒんだことによる袁家の内部闘争が大きな問題。
・官渡の後にすぐタヒんじゃったからな。
曹操への復讐も後継者の選出も満足にできないままタヒんでお家騒動開始。最後は曹操にやられると。
・袁紹は勢力も名声も大きかったし人材も豊富、肥沃な支配地もあった。当時は袁術の勢力もなかなかの規模だったから、手を組めれば勝者になることも難しくはなかったと思うが……
・スタート時点で考えたなら袁術は嫡子、袁紹は庶子だからスタート時の本当の大勢力は袁術。豊かな南陽を押さえて更に袁家のリソースのほとんどを持っていた。
もっとも、袁術も袁紹もリソースの活用や政治的な戦いには失敗しているがね。
・袁家が団結できていたら三国時代終了だろうな!当時最大の門閥貴族だった。
でもこいつらがいたから漢が終わっちゃったわけで……
>>1>>2続き
・官渡での失敗も大きいけど、もっと大きいのはあっさりタヒんじゃったことだろう。子供の出来も悪かった。
曹操は赤壁で負けても生き残ってその後も優勢な状況を進めていった。
・そう言えば曹操が赤壁でタヒんでたらどうなったんだろう?
・赤壁時点での曹操配下は袁紹より複雑だから分裂して大変なことになるんじゃないか?あと呉が一番得をしそう。
ただ官渡では袁紹側の損失、特に中枢と主力部隊の損失が大き過ぎたが、赤壁はそういった面での損害は少ないから案外分裂まではいかずにまとまった可能性もある。
・袁紹は士人のリーダー格だったのが大きい。これで他の群雄と差がついた。
ただそういった背景から漢が本当に滅びるような環境でも権力争いやっちゃったのがね。
・袁家は袁術も袁紹も豊かで重要な場所を押さえているから、仮に手を組めたら勝ちは確定だったろうね。
もっとも、親族同士の争いは他人同士の敵味方よりも妥協点が無いというケースもあるわけで……
・結局、袁紹はタヒんだのが早過ぎたという点に尽きる。
官渡で負けてもまだ優勢は保っていた。ただ内部抗争と敗戦による有能な人員の損耗も大きいが……
それに支配地の統治に関しても当時としてはかなり安定していた、余裕があったとされるし袁紹がタヒんで民が悲しんだというのも間違いではないだろう。
・袁紹はそこまでア○だとは思わないが……超強敵である公孫瓚を倒しているわけだし。
配下に聡明なのが多いのに話を聞かない取り入れないという問題は否定せんがな!
・配下のゴタゴタを見ると袁紹は優柔不断なのが問題だったように思う。配下の派閥闘争、意見とその反対意見が常にあったような環境で、それを使いこなせるタイプでは無かった。
>>1>>2>>3続き
・イケメンで手持ちのリソースも膨大だけど反応速度が遅いイメージ。
三国時代の初期~中期で天下の誉れを手に入れてしまったが故の堕落だったのかもしれん。
・対公孫瓚や対董卓を考えると無能ではないだろうしタヒんだのが早いのも問題だったけど、官渡の敗戦で顔良文醜張コウ高覧の河北四庭柱、
許攸田豊の二大謀士を失い精鋭部隊も壊滅したから中原に再度打って出るのは厳しかったんじゃないか。
・袁紹は表面的には強く優秀に見えるが性格がダメだった。諫言で忠臣を○したり、有用な提言を採用しなかったり余計な形にして悪化させたりしている。
自分が手に入れていた優秀な武将も優秀な謀士も全部自分でダメにして失った。
・地位があって外見が良くても頭の回転が良いとは限らない、もちろんブサイクでもダメなときはダメ。袁紹の外見描写と顔良文醜については何とも言えない皮肉を感じる。
・まぁその二人、史実にある名前だからね……顔良が関羽に一騎打ちで○されたのも史実だし……
君は張松
お前は魏延
諸葛亮 「斬れ」
台湾さんをお忘れなく
三国志を扱ったありとあらゆる作品でも大抵序盤のかませ犬
董卓「そりゃワシじゃ」
外的要因もあったのかもしれんけど有能なやつなら上手く使えよと
その最初から揃ってるロイヤルストレートフラッシュが気に入らないから全部チェンジしてブタに変えるのが袁紹
沮授か田豊どちらか一方でも言うこと聞いてたら良かった
官渡の戦いがなんとたった3コマで片付けられてしまった。
基本的に劉備を軸にした作品だからだろうけど。
連載雑誌が変わるタイミングだったからとかじゃなかったか
天地を喰らうには出てこないでしょ
後世に色々残してるし
今伝わってる孫子兵法も曹操がまとめ直したんだっけ
張松に馬○にされたよね史実は知らんけど
たぶんそれ演義の創作だろね
中国でその前の版だかの竹簡が発見されたとかで、その解説文付き和訳を読んだだけだが
孫子(の兵法)って「敵を知り己を(ry」とか「成功させたければ準備段取りしっかりしろ。戦争なんて国家の一大事なら尚更だ」とか
「戦争長引かせても経費ばかりで良いこと無いから短期間で終わらせろ」とか大戦略・インテリジェンスレベルでは現代でも十分通用する一方で
戦車(チャリオットの方ね)の運用方とか戦術レベルになると三国志の時代でも既に形骸化した内容で、
その辺を中心に(三国志時点での)現代の、実際の運用に即して注釈加えたのが曹操ver.なんじゃないかな。と思われる
関羽が曹操陣営にいなければ顔良文醜で無双できたろうに
創作作品でも知らんうちに負けてるし
穀倉を落とされたからだろ
曹操に寝返った裏切り者が兵糧の場所を教えた
天下分け目の戦してる最中に機密情報を知る幹部の家に強制捜査に入る空気の読めない審配さん
沮授の持久策は曹操の屯田がうまく行き続ければ国力の差が開く結果に終わりかねないし
田豊の奇襲策からの一転守勢に回れてのは機謀に頼りすぎ
40万の大軍の監督権が沮授一人ってのも組織としては危ういし権限分割からの左遷は順当
結果最終防衛ラインの官渡まで攻め込まれて勝敗は紙一重だったしな
むしろ官渡の後の袁紹の寿命が短かったのが滅亡の要因ですわ
袁煕と袁尚に分裂→袁尚が曹操と組み袁煕を滅ぼす→曹操が返す刀で袁尚を滅ぼす
って感じだっけ?
袁煕じゃなく袁譚じゃないか
袁煕は負けた袁尚受け入れて、部下の反発招いてたはず
今川義元?
しっくりくる。実はかなりの切れ者だったようだし
息子の代で滅ぼされたという意味で武田信玄
嘆いた老将も確か元袁紹配下じゃなかったっけ?
それは張郃さんだな
ユーチューブにある三国志解説動画見ると、蜀は戦いでなく外交で交渉すれば滅亡しなかったとコメントしてる人がいたけど、
もしそんな事が可能なら、今までに滅んでいった多数の弱小国はどうしてそうしなかったのかという疑問が残る
戦わない権利は滅ぼす側の強大国にあるわけで、基本的に弱小国には無いと考える方が自然だろう
弱小国は軍事力だけでなく政治的発言力も弱いわけだから
歴史を見ても弱小国が一時的に戦を免れる事はあれども、最終的には大体滅ぼされているわけだからね
なので戦国時代に話し合いで解決すればいいなんて、現代の平和ボケした考え方で現実ズレした理想論だと思う
そもそも漢室復興をうたう連中が簒奪者と交渉するかね
あそこで掲載誌変わったからな
それで世間話で流したのか
新しい雑誌では新連載なのにしばらく主人公の劉備が出てこないことになるので端折ったときいた
文醜 ドドリア
顔良 ザーボン
勝手にこんな変換してしまうわ
なおその後
実際は全員が巨大な北方の匈奴民族の南下にビビりまくってたからな
袁紹も曹操も北を背にしてるってのは常に悩みの種
だからなかなか南を全力で攻めきれない
滅茶苦茶つまらんぞ
バ○息子共が内紛始めたせいで滅ぼされたのであり
曹操に負けたとは言い辛い。
同時期での成功者という意味では袁紹のが遥かに上だろ。
董卓討伐連合の盟主になったからみんなの前で変に仲良いとこ見せて
便宜図ってる誤解されたくなかったからなのかね?
そこからこじれて張邈も袁紹もタヒぬと思うとちょっとやるせないわ
>袁家の正統は袁術の方で、袁紹は庶子。袁家のものを庶子が手に入れることはできない。
基本的に横光のしか知らんくて董卓討伐で総大将に選ばれてたから
袁紹のほうが上かと思ってたけど
玉璽を手に入れたからって即わしが皇帝じゃってなった理由が
そういう関係性だったからってことなのかねえ
花嫁誘拐のエピソードは話としては面白いが何処まで真実が含まれてるのだろうか
ただ事後対応がその場しのぎなのがマイナス
曹操が居なければ董卓が天下取ってただろうし
どの道、中華統一は無理だったと思う
劉備や孫権とかも居ても居なくても問題ないレベルだけど
袁紹は董卓討伐の発起人だし、袁紹が居なければ曹操が台頭することは出来なかったね
司隷校尉だったし
反劉備厨は演義の反動なのかね
曹操が英雄は自分と君だけであると言ったように自立して終えたという点で曹操に次ぐ英雄だよ
陳寿の評価は概ね妥当
孫権なんて孫策が作った基盤に乗っかってただけだし
初期のコーエー三国志しか知らないから、
袁術って弱小なイメージだったから何で皇帝になったのか意味不明だった
袁紹派閥と袁術派閥の戦いとか知らなかった
なぜ負けたのでしょう
武将の数が多いから一国の収入では追い付かず、賃金未払いになり忠誠心ダダ下がり
兵糧を売って資金繰りをし、挙げ句兵糧が足りず兵士の脱走が後を絶たない
だからいつも公孫??にアッサリ○られてる
袁紹ってそんなイメージ
関羽がいなけりゃ曹操は詰んでた
曹操には人材コレクター資質があったから
優秀過ぎる人材が溢れてたんだよなぁ
まあ、晩年の老害化で優秀過ぎる人材をタヒに追いやったりしてるけど
袁紹が郭図の献帝擁護案を採用してたら
曹操の地位にいたかも知れないんだよなぁ
袁氏は汝南の豪族だし、地元や中央で関係築いた臣下と、よそ者として乗り込んで根拠にした冀州土着の豪族をまとめきれなかったのかもしれない
まあこれも「人望がなかった」ってことだろうけど
ここまで出張ること出来なかったかも
引用元: http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1563964846/
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