考古学の立場でみた食人風習(カニバリズム)について考察してみたい
http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/hon/kami.htm
モースの食人説
明治10年(1877)に東京大学教授として日本に招かれたモースは、
大森貝塚(縄文後期~晩期)の発掘調査の末に、
人類学・考古学に関する日本初の学術論文となる研究報告書(1879)を
東京大学から発行している。そこでモースは、貝塚から発見された人骨が、
他の獣の骨と識別できない状態で混在していたことや、
ひっかいたり切り込んだりした傷がいちじるしいことなどを有力な根拠として、
これを「日本に人喰い人種がいたことを、初めてしめす資料である」と主張した。
同年に発表された「日本太古の民族の足跡」では、
日本人はアイヌなどとの複合民族だとした上で、貝塚を形成し、
しかも野蛮な食人風習(カニバリズム)を行っていたのは、
温厚なアイヌではなく、先住民の「プレ・アイヌ」だと述べている。
縄文時代と言われる1万数千年もの長期間の間に稀に食ってみた人はいるかもしれんが
少なくとも全体として食う習慣はない
『中国食人史』4, 敵兵を糧食とする
以下は『呪われた中国人』(カッパ.ブックス)からの引用です。
「この黄巣軍は、その大軍に食糧を供給するために、大規模な「人肉生産工場」を設置した。」
「中和三年(883年)五月、黄巣は兵をひきいて陳州を攻めて百日が経った。(中略)賊(黄巣軍)は
人々を捕らえて食用に供した。一日ごとに数千人をも食べてしまった。賊は『舂磨砦』という巨大な
臼数百基を備えている。人々を臼に入れて、骨も一緒に細かく砕いて食用に供した。」(『唐書』黄巣伝)
「黄巣らの反乱軍は、西は関門、東は青州、斉州、南は江、淮、北は衛州、滑州にいたるまで
荒らしまわった。」
「人影は絶え、イバラが野をおおいつくした。反乱軍は食糧が欠乏していたので、食用人間を貯蔵して
いた。兵士が四方に出て人々を捕獲し、『塩屍』をつくり、関東の郡県はことごとく攻略された。」
(『唐書』秦宗権伝)
ゴミ捨て場において動物の骨と人骨が、扱いが変わらない状態で混じっている
縄文人は食べてるジャンそれじゃ
縄文人は改葬文化があった。一度埋葬してから骨を土器に収める。
平安初期は風葬だった。タヒ体を野ざらしにして、出て来た骨を砕いて壺に収める。
その作業が面倒なので、現在では最初のタヒ体は火で焼き、出て来た骨を砕きそれを
骨壺に収める。要するに日本の火葬は風葬の代用。
風葬の際にまだ骨についている肉片とかをそぎ落としたのがモースに誤解されたんじゃないの?>食人
古代カニバリズムがある方が普通だが
カニバリズム→人柱、いけにえ→動物の捧げもの→酒
ってのが普通のパターン
考古学だろw
遺物から推論しろよ
スレを盛り上げたいんだろw 手間暇を惜しむなよ。
これは、カニバリズム自体が許されざる行為として明確に規定されたため、タヒんだほうがマシという、
人間の生存本能を脅かすような教えが浸透してしまったためである。
そのため、19世紀におけるアイルランドのジャガイモ飢饉において、100万人以上の人々が何も食わずにタヒんでいったのは、
アイルランドが、生粋のカトリック国家であることが大きい。
なお、タヒにたくない人間がアメリカやオーストラリアに逃げ出したことも、その後の世界を大きく変える一因となっている。
ちなみに、飢饉の最中、小麦は豊作だったが、全部イギリスに輸出された。
同じように、20世紀、ウクライナではスターリンによる農業の集団営農化政策によって2度の大飢饉が発生。
特に、ホロドモールと呼ばれる1933年から始まった飢饉では、数百万人におよぶ餓タヒ者を生み出すこととなった。
この場合も、実は人々が生きていけるだけの収穫はあったのだが、スターリンが食料を輸出して外貨を稼ぐために、
住民から食料を強奪。結果、20世紀最悪とされる飢饉を引き起こしたと言われている。
もっとも、ウクライナではアイルランドとは違い、カニバリズムが行われている。
これは、共産主義が宗教を否定したおかげであるといえる。。
貝塚で人骨を発見して、ガッツポーズ!!だったが・・・しかし
古代日本人は、貝や魚のタヒ骸も人のタヒ体も別のものだ、と明確に区別せず、
同じ場所に捨てた。もしくは葬ったのだ。
人骨が貝塚で出てきたのはそいつが集落で嫌われ者だったか敵対集団か生贄かなんかだっと考えた方がスッキリする
それに対して大和朝廷は大陸系で、これもDNA検査でも証明されてる
実際、出雲系の上諏訪の人間は小柄でしなやか
金刺氏に率いられて大和朝廷から送り込まれてきた下諏訪岡谷の人間は大柄で筋肉質だ
ポリネシアン系ということは、当然に食人文化も持っている
それが、贄柱、おこうの文化だというのは説得力がある
近世、贄柱に刺されている鹿肉が一本あたり50キロなのも
人の代わりと考えるとわかる分量だ
食べてたのは間違いない
それが我々大和民族の文明的祖先かどうかは議論の余地がある
遺伝的には確実に先祖の一部ではあるな
諏訪地方もそうだが、縄文系の意識が濃いところは骨噛みなどもやる
また、罪人の肝を薬にするなど薬用としての食人は、古代の名残である可能性も高い
長江文明期(河ぼ渡文化{七千年前})から子孫繁栄の為に産み立ての
子供を煮込んで食うと言う風習があった。遺跡からも煮込み用の土器に
入った子供の白骨が見つかっている。他に猿も食ってたとか。
今でも長江流域を中心に煮込むほかに丸焼きにして齧り付いたり、
その肉を炒め物にしているらしい。
どうだ中華食人七千年の歴史を思い知ったかアルか!
どこから始まったんだ?
完全な人間を食べることで自分を完全な人間にしようって感じかな。
引用元: http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/archeology/1368426326/
ディスカッション
コメント一覧
大阪府下の発掘調査に携わった経験から。
新石器時代はもちろん、縄文弥生時代にも人骨と獣の骨が一緒に出土しています。人骨は周辺の土に溶けて硫化(黄色)して付着している為、展示が難しい。
教育委員会に調査報告書を提出しますが、プレス発表時は伏せています。
人権意識や医学知識がなかった時代、人肉食や生贄はさほど抵抗がありませんでした。また集落を野生動物から守る為、死体や老人、子供を山に捨て置く(スケープゴートとして)の習慣もありました。庶民が墓を作る様になったのは近代以降、それまでは当たり前の様に死体を打ち捨てていましたよ。
縄文土器や弥生式土器(主に土師器)と一緒に人骨が出土→煮炊きして食べていた。犬も食した形跡も有。猫を食べた形跡はナシ。また弥生時代の鉄器と併せて使用した青銅器は主に祭祀に使われていたが、青銅器と一緒に人骨が埋蔵されている場合があるので、殺人祭祀(生贄)ではないか?という説も。
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同物同治かな。何処の文明でもカニバリズムはこの思想。
熊や虎、蛇を食べるのも同じ。