フビライ>>>>>>越えられない壁>>>>>カエサルだろ、普通
西欧人ならまだしも、日本人までカエサルを過大評価するのは
未だにヨーロッパ中心史観から抜け出せていない証拠である。
カエサルよりも趙匡胤とフビライの方が能力や人間的スケールが大きい。
色んな能力を複合的に持ち合わせている点。
物書きで借金を作る天才で女を
だきまくれて史上一位と言うわけでは
ないが政治と軍事をこなせる点。
政治と軍事面を見るとカエサルより
光武帝やチンギスカンの方が有能だろうが
カエサルって結構、色んな能力を
持っているんだよね。
俺はカエサルは多面的な能力を持つから
高く評価してもいいと思うけど。
本当の創始者は、フビライ・ハーン
中華帝国の創始者は始皇帝だとは思うが、これをさらに進化させた世界帝国にしたのがフビライなんだとは思う。
元の滅亡後、朱元璋は以前の「中華帝国」にダウンサイズさせた。
これをもう一度世界帝国としたのが清朝。しかし、アロー戦争または日清戦争で大国からずり落ちた。
フビライが築いた世界帝国を現代風に焼き直したのが習近平の「一帯一路」である。
劉邦や朱元璋のような強烈キャラではないが、偉大な名君だ。
これは宋自体が評価低いからだろうね。
サラディンもしかり
寛容者こそ評価されるべき
虐○魔はいらん
あれは、「モンゴルの軍事力を利用して、目の上のコブの倭国を叩く好機ニダ」と考えた、悪い人たちにそそのかされた結果だから
海のシルクロードっていうやつだが、あの時代にそれを具体化させたのは凄い。
カエサルにはないスケールの大きさを感じる。
カエサルと比べる意味がわからんのだが
モンゴル帝国期には、北京からモンゴル高原に入り、中央アジアまで馬で駆け抜けるハイウェイルートが開かれた
戦争を始めても短期間で勝って終わらせてみせたカエサルとは確かに真逆
後世への影響では その3人よりフビライの方が大きい。もちろんカエサルよりもね。
祖父の成吉思汗も偉大だったが、破壊と収奪がメインで、建設では孫には遠く及ばない。
フビライが行った行った諸政策は開明的でアレキサンダーやカエサルと比しても遜色がない。
人徳、魅力を兼ね備えた聖王たち
インパクトはないが正確性では
授時暦>>>ユリウス暦二ダ。
それがあるから秦の始皇帝が開祖として特別視されるんだが、普通に見れば今の中国はフビライ・ハーンから始まっている
前からよく使う例えだが、中国史における大元のインパクトは、日本に例えれば
「北海道から北方民族が攻めてきて京都の朝廷を滅ぼして天皇家を断絶し、青森に首都を作って別の帝国を始めた。
その後、現代に至るまで青森が首都で、京都はすっかり荒廃して廃墟になってしまった」
というのに相当する
北京と長安の位置関係は、ちょうど青森と京都くらいだ
カエサルの影響力は2000年
だいたい700年ぐらい
紀元前の人間と同じ土俵には立てない
そもそもローマが地中海世界の覇権国になったのはカエサルが生まれる前。
2000年って、コンスタン地ヌスやビザンツ皇帝の功績を食っていないか?
まあフビライもチンギスやヌルハチの業績を食ってる部分はあるけどな。
北魏の孝文帝が、大同を捨てて洛陽に遷都したようなもんだろ
それなのにカエサルの評価が高いのはコンスタンティヌスは晩年に処刑や○人に走って暴君化したためであろう。しかしそれでは人気投票だ。
コンスタンティヌスの評価は現代においても歴史家によって様残だが日本では無名に近いのは残念だ。
テオドシウスと並んで大帝とか呼ばれてるし
トラヤヌスとかハドリアヌスとかアウレリアヌス差し置いて
せめて一時的に離れるだけなら許された
コンスタンティヌスの時代はイタリアはもう本土ではない
アントニヌス勅令以来「ローマ人」を意味するのは帝国全土の自由人になった
彼の時代のローマ人一般にとっての本土とは帝国全土のこと
だからイタリア本土を捨てた、という考えがそもそも成り立たない
この時期イタリアを本土と考えていたのは主にイタリア在住者くらいだろう
京都を捨てて江戸或いは東京に移ったからもう日本じゃない、ということに近い
イタリア半島一国の時代から数百年たった多民族・多宗教の大帝国の時代に
「ローマ」や「イタリア半島」に当時の人間がどれほどの民族的アイデンティがあったのかね?
日本だって、明治天皇の他に神武天皇や桓武天皇が「本土」を断捨離している。
コンスタンティノーブル遷都はピョートルのペテルブルク遷都や永楽帝の北京遷都と感覚的にはそう変わらん。
世界帝国とはそんなもん。
イタリア半島の本土意識はアウグスゥトスがウェルギリウスにアエネイアスを書かせて政策的に作らせた、とされている
実際アエネイアスは急速にローマ人の間に広まり民族叙事詩の地位を確立した
リヴィウスもアウグスゥトスの政策の一環だと考えられている
しかし5世紀頃にはウェルギリウスが読まれなくなった形跡があり、この頃には本土意識はかなり薄まっていた
可能性がある
だからこそダンテ達によるウェルギリウスの復興はルネサンス期のイタリアにとって重要な指標だったと考えられる
これらをゴチャゴチャにして、アイデンティ論をやってる人がいるね。
属州出身の皇帝が輩出している時代の「ローマ人」って、ローマに住んでいる人ではなくて
ローマ帝国の「市民」階級ってことだろ。アイデンティが「ローマ市」から離れている時代だから遷都が出来たわけで
>>35はいつの時代の どういう意識を指しているのかわけわかめ。
条件は少しづつ変わっていった
アウレリアヌスの頃はまだローマは首都扱いだがディオクレティアヌスとなると
イタリアを属州化してしまった。ただし属州といってもまだ若干本土らしい優越性があった
これがコンスタンティヌス朝になるとどんどん一般属州化し、西方宮廷はローマに置かれなくなった
段階を踏んでいるが5世紀には本土意識はほぼなくなった
帝政後期の途中までは…だけど
それ以外の一般属州民のローマ人意識とは大幅に乖離があったようだね
このあたりは南川先生が書いているが、ローマ周辺以外のイタリア半島の一般人の
認識はどうだったかまでは書いてない感じなので、半島の人の気持ちを知りたいところ
ローマ帝国の祖ではないけど東ローマの祖ではあるコンスタンティヌス
似てるっちゃ似てる
AAA チンギス・ハン
AA フビライ コンスタンティヌス
A 始皇帝 アレキサンドロス 趙匡胤
B カエサル ナポレオン 曹操
C 東條英機 トランプ
いろいろゴタゴタが重なってご破算になったが
「鎌倉武士最強!」とか恥ずかしいw
いや、あきらかに日本軍に負けた。
モンゴル軍は6月初頭に博多に来て日本軍に敗れ、それから2ヶ月間も逃げ回った末に
台風に遭遇した。
ぶっちゃけモンゴル軍が大帝国築けたのは、当時のユーラシア大陸に鎌倉武士レベルの軍が
存在しなかったからに過ぎない。
東路軍も江南軍もほとんど高麗兵と南宋兵でモンゴル人とかほとんどいなかったけどな
しかも高麗はモンゴルとの40年間、南宋は50年間に及ぶ戦争で疲弊しきっていたのだから
そんな相手に勝っても何の自慢にもならない
要するに、勝ったのは日本、負けたのは高麗
高麗・朝鮮は永続敗戦国
また史料無視して適当なこと書いてるな。
元史では高麗兵と南宋兵なんて少数派で圧倒的多数はモンゴル兵。
弘安の役はモンゴル帝国最大の軍事作戦なんだから日本の勝利はガチで世界史上の快挙だよ。
これで日本負けたら史上最弱のカスですやんw
モンゴル軍は1回目の日本遠征で福岡平野という平野部で野戦やって日本軍に負けてる。
モンゴル軍が鎌倉武士より劣った軍だったことは言い訳できない。
博多の多くが占領され、一般住民も捕虜となっている。
日本側の一次史料でも日本軍がボロクソに敗走し 最後は八幡神の力で神風が起こり やっとこさ元軍を撃退した様が描かれている。
長期戦の戦略ミスに気付いた高麗軍が撤退を主張し、上陸軍を船に戻したところを台風が襲って
なんとか日本軍はピンチ脱出ってところだ。
>
>>
結局のところ、高麗が足を引っ張ってくれたおかげでモンゴルはボロ負けだったな
まあそれを命令したフビライの責任でもあるわけだが
まあ、北条時宗がタライランみたいな外交巧者だったら戦争は回避できたかといえば
何とも言えんけどね。唐や明のような朝貢国(形式的な臣礼)ならば日本は飲める。(経済的には日本の方がウハウハ)
しかし、高麗のような完全な奴隷国を求められては戦争しかないからね。
モンゴルが撤退したのも3回目の侵攻を断念したのも、日本軍の奮戦とはほとんど関係ない。
補給とかコスパの問題で日本制服を元朝は断念した。
滅びかけた王朝を復活延命させたのは中国には劉秀しかいない。
フビライも凄いがこの2人は別格の英雄。
比較にならない。
> 滅びかけた王朝を復活延命させたのは中国には劉秀しかいない。
そんなことはない
安史の乱で崩壊した唐朝を復活延命させた代宗の例もある
劉秀と違って、英邁さや豪気さは微塵も感じられないが
紀元前1世紀のローマは内乱の時代であったが、滅びかけとまでは言えないと思う。
政治はさておき、社会や経済など文明としいぇは これからが発展期にあった。
滅びかけの帝国を延命、再興したのはコンスタンティヌスだろうね。 ビザンツ帝国の始祖。
個人的にはアウレリアヌスのほうが上に感じる
もっと統治期間が長ければローマの寿命もいくらか延びたかもしれん
しかし、カエサル以来 分裂の危機は何度もあり、在位が短かったために
「その他大勢」にカウントされてしまい、損してるね。
それにコンスタンはキャラ濃いし。
分裂勢力を確固撃破し一応の統一を回復
ディオクレティアヌスの立ち位置はカエサルに似ている
新たな統治のプランを出してきたが、その体制は彼一代で終わり
コンスタンティヌスの立ち位置はアウグストゥスに似ている
その後長く継承される体制を整備し、子孫に王朝を残した
続いて、混乱を収拾する人が現れて事態をなんとかまとめるが、これも長くは続かない。
最後にやっと、長期安定政権を構築する人が登場する
・・・この3段階が歴史の常だわな。破壊するのが得意な人ほど、長期政権は作れないものだ。それが歴史的な役割分担というもの
始皇帝 → 項羽 → 劉邦
北周の武帝 → 隋の煬帝 → 唐の太宗
柴栄 → 趙匡胤 → 趙匡義
信長 → 秀吉 → 家康
高杉晋作 → 木戸孝允 → 伊藤博文
小沢一郎 → 橋本龍太郎 → 小泉純一郎
スッラ → カエサル → アウグストゥス
各勢力が強いままでは、統一なんかできっこない。それを壊すのが始皇帝とか織田信長、小沢一郎の役割だ
そんな暴れん坊の破壊者が高転びに転んだ後、わりと穏健な人物が出て来て、弱体化した各勢力をまとめ上げる。
それが項羽や豊臣秀吉、橋本龍太郎の役割。いわば中継ぎだ。本当に安定した体制は、まだ作れない
そしていよいよ、真打ち登場となる。ここでようやく、長期安定政権が出来上がる。
それが劉邦や徳川家康、小泉純一郎の役回り
しかもその前に韓信他名将連中大粛清、そりゃ当然負けるよ状態
しかし、200年も続いた王朝の創始者である劉邦はやっぱりすごいよ。
フビライの王朝は100年だからね。
首都が同じという以外にあんまり共通項ないと思われ>「ペキン帝国」。
海を挟んで勝って鎌倉武士の方がモンゴル軍より強いみたいに言われても…って感じ
統治機構も南宋のパクリ、親から国を貰って早々に滅んだ元の王フビライ。
内乱だらけで腐敗したローマを皇帝制へ改革し自らの力で皇帝になったカエサル。
どう比べてもカエサルが圧倒的に上。
カエサルとオクタビは二人足して一人前だな。
内乱というけど、モンゴル帝国とローマ帝国では面積が数倍違うやん。
カエサル時代のローマ領土は大元ウルスより小さいやんかw
皇帝っていうけど、アジア史的な意味合いでいくと、ローマが「帝国」になったのは、
テオドシウス以降でしょ?
ローマが千年続いたといっても、カエサルの子孫と違うし、
カエサルとオクタビって、血筋で言うと信長と家光やんww
アウグストゥスはいろいろおかしい(誉め言葉)
ほぼアイデンティティで繋がってる
血筋もあるっちゃあるけどオマケみたいなもん
カエサルの場合無理なら大きな犠牲出る前に引き際をわきまえてさっさと撤退する
北条時宗やバイバルスの「勝利」(笑)など、大モンゴル帝国には何ら影響しない。
汲めども尽きぬ超帝国、それがモンゴル帝国である。
汲めども尽きぬ超帝国モンゴル帝国に圧勝した日本はもっと凄い
そらカエサルのが格上感あるやろ
ゲルマン人のアルミニウスが
トイトブルク森の戦いで
ローマ軍を破った事があるから
まあ日本軍が元軍を破ったのは
それに近いところもあるんじゃないかと
思うけど。
モンゴル人や高麗人のほうが野蛮だろ
日本人「フビライ? あー鎌倉時代になんか喧嘩売って来て二度も返り討ちにされた惨めな人か」
悪いけどこれが現実
三回目も計画してたとかちょっと粘着質過ぎんよ、フビライ
んなこたあない
外国を侵略して征服するのは、誰にとっても想像以上の難事業。
たったの2回で諦めるような根性ではムリ
実際のところ、豊臣秀吉の朝鮮征伐軍が2回で中断したのに対し、その数十年後の清軍は、5回も攻め込んでいる
陸続きで日本よりずっと地理的に有利だったにもかかわらず、朝鮮半島を征服し、最終的に屈服させるには5度の戦争が必要だった
フビライと秀吉は自ら行かないのがいけない
引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1611369860/
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