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昔の戦闘ってホントに映画や漫画みたいに武将が先頭で戦ってたの???

2023年9月5日

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1: 2009/06/30(火) 17:53:46 ID:bL1FMRcK0
項羽とか国のトップが先陣きって戦ったら
狙い撃ちされて終わりじゃね?
70: 2011/06/06(月) 17:18:59.19 ID:SQFXQG2+0
>>1
呂布、関羽、張飛だのは現代でいう原子力潜水艦、核ミサイルといった戦略兵器扱い
戦場に万人之敵とかいわれるクラスの武将を揃えられるかで戦の勝敗は決まった
雑兵の数はあんま関係ないかもね・・・
4: 2009/07/01(水) 00:05:33 ID:4odo32HDO
先頭の隊にいるとかはあるだろうけど隊の先頭とかは流石にどうなんだろうな。
5: 2009/07/01(水) 20:07:19 ID:E+6wa9eQ0
猛将として名を上げた人は、部下が強かったという事か。
6: 2009/07/02(木) 12:48:10 ID:03sY15eE0
近代史戦だと真っ先にタヒぬタイプだな
7: 2009/07/02(木) 17:38:40 ID:MdPy5R9RO

国のトップが先陣をきるといったらやっぱ柴栄か?
劉仁瞻との逸話は有名だよな。

劉秀は、彼にとって都合の悪いことの記述の多い『後漢紀』によると、
昆陽では兵を集める時にした約束を果たすため先頭に立ったらしいが。
『後漢書』の「光武帝紀」だとここら辺の記述省かれてるな。
親征のときの「自親戦」なんかも帝紀には絶対載ってない所をみると、
儒家的価値観では不名誉なことと見なされているようだ。
兵士のような真似をする、皇帝のやることではないってことで忌まれたのかも知れん。

どこぞのスレでもアレクサンドロスと同じ悪癖を持っていると言われてたな。
まあ、純軍事的にも人心掌握以上の意味は何もない行為であるのは事実。
そこら辺を見ると、国のトップがってのは極めて希だったのではないかと。

60: 2010/09/14(火) 19:02:28 ID:5f9Ooi5e0

後周の皇帝柴栄は攻城戦のとき、城内の一角を占拠し、趙匡胤に戦わせておいて
矢石が飛び交うなかで、冬至節を催した猛者だよ。
そのあとも、甲冑を身にまとって自ら追撃の指揮をとり、戦場をいったりきたりしている。
趙匡胤とは轡を並べて敵軍を追い討つなど、武将連中からみたら憧れの存在だったろう。
それでも傷を負ったという記録はない。
(趙匡胤、王審琦、韓重贇等親衛軍将は傷を負っているがw)

>>7も言っているが、劉仁贍の矢が柴栄に届く前に失速した逸話まで作られるほど。

10: 2009/07/05(日) 21:29:59 ID:hAxPxKxC0

三国志なら 孫堅、孫策、孫権 だな

11: 2009/07/05(日) 22:31:05 ID:DgIfcVpW0
>>10
孫堅は特に有名というか、タヒに様もうっかりですぎちゃった感じだね。
18: 2009/07/13(月) 19:57:42 ID:cJFJkx9xO
>>10
おいおい、能無しの権なんか先頭きって戦した事ねーよ
20: 2009/07/13(月) 22:36:32 ID:wldF4/gOO
>>18
張コウに諫められてるから記録に記されてないだけじゃないの?
17: 2009/07/12(日) 03:15:27 ID:3PUdqT5M0
通信機も信号弾も無い時代では、指揮官が戦況を正確に把握し、
もっとも適切な場所に速やかに部隊を機動させるには、
自ら先頭に立って軍楽隊やら旗手やらを引き連れて位置を占めるのが有効な方法だったようだ。
それが何よりの意思表示になり、中下級の指揮官も容易には退けず、結果粘り強く戦い続けることになる。
全ての指揮官が実践したわけではないだろうけど。
銃砲以前は勿論のこと、近世のスウェーデンのグスタフ・アドルフまでもそれでミスって(?)戦タヒしてる。
23: 2009/07/18(土) 12:47:16 ID:5Y9+UNQF0
孫策とかは先頭に居たイメージはあるが。
25: 2009/07/18(土) 18:26:37 ID:WKJt3VMk0
劉邦とかヌルハチとかもそこまで押されている状況でもないのに、
弓矢で負傷するってことは先頭ではないにせよ相当前線出てたんじゃない
27: 2009/07/22(水) 22:33:22 ID:yfNVmzQd0
ある程度前にいてくんないと指揮が下がるしなあ
自分より後ろだといつの間にか撤退してたりとか考えて不安だ
29: 2009/07/23(木) 08:55:23 ID:zFvLqKLn0
チンギスハーンもコイテンの戦いや西夏戦で負傷してるな
30: 2009/08/05(水) 22:51:31 ID:wzYx7x5P0
ヌルハチは負傷が原因でタヒんだんだよね
なら明の頃までは最高司令官が
前線に顔をだすのは当たり前だったんじゃ
31: 2009/08/05(水) 23:56:35 ID:aTQ8Ki8m0
民族によって戦い方は違うかも知れんけどね
32: 2009/08/06(木) 10:30:25 ID:7ozQHuGM0
だが武将が敵兵と壮絶な白兵戦なんて実際できるわけねーだろ
いくら武勇に自信があるとしても生身の人間だぞ?
槍で一突きされりゃ終了じゃん、ぶっちゃけ嘘臭いよね
後世に名を揚げようと創作したのが真実だろ
37: 2009/08/07(金) 23:34:18 ID:eszUH6Pr0

>>32>>34
なんでもかんでも、こういう英雄的な記述を疑い、現代的な考えに無理矢理あてはめて
分かったようなことを書いている人ってネットで多いよね

農民兵が主体の時代なら、幼少から武芸自慢、もしくは訓練を受け、鉄の鎧をつけている
武将が前線に赴くのは、百人単位はもちろん、千人単位の戦いでも、十分に価値がある
中世以前の戦いは先鋒をくずせば、戦いの帰趨がきまりやすい

戦争のたびに大勢を○すような強者が出世して武将になった場合、
その能力を使わないのはもったいないよ。それも十分に指揮であり、鼓舞になる。

33: 2009/08/06(木) 10:42:14 ID:atXK3PdR0
んなこたーない。
日本でも戦国時代なんかは、武士階級だと大概は前線で戦う教育を受けていたし。
総大将でも最前線で吶喊して兜を撃たれた跡が残っている武将もいる。
大体古代中世で後ろでふんぞりかえってるような奴はなかなか人望が集まらないよ。
40: 2009/08/08(土) 21:51:36 ID:EHHbzQXBO
志気を上げるためにちょこっと前に出て、後はうしろで軍師の意見など聞きつつ戦局を観てるって感じでは
42: 2009/08/09(日) 03:45:23 ID:L9GCZu3u0
劉邦は戦下手に見えるけど実は猛将
44: 2009/08/09(日) 10:39:59 ID:4ACDjP5t0

近代戦でも、戦車部隊の指揮官は第一線が常識ですが。
大隊長(250~1000名規模)、連隊長(1300~3000名規模)、旅団長・師団長クラスで
戦タヒがときたまあるからな、イスラエルあたりは。

歩兵・戦車兵・工兵は後方の指揮所よりも、前線指揮所の方が適切(戦況にもよるが。)
砲兵・兵站あたりは後ろでどっかり腰を据えてもらいたい。
指揮官は、もう本人の能力次第だろうな。
少なくとも、軍官僚とか政治屋みたいな将軍様には第一線までは来てほしくないな。
しっかりと部隊経験のある、現場を知っている人じゃないと……。
と、現代の兵隊さんは思うんだけどね。

45: 2009/08/14(金) 01:00:54 ID:vvM+ZPUf0
俺は戦争いったことないから分からないけど
前線じゃないと分からない戦況や流れってあるらしいからね
指揮する立場にいる人間かそれに連なる人なら
そういった情報は喉から手が出るほど欲しいはず
57: 2010/08/21(土) 17:51:49 ID:ARxlFlKyO

項羽なんかはよくフロントで戦ってたって描写があるが、まあ創作だろうな
だって最前線に立ってる本人がタヒんでないって事は、味方が誰一人タヒんでないって事じゃん

また、張良や劉邦からしたら遠巻きにして先頭の奴を矢で狙い撃ちさせて終わりって事になっちまうな

59: 2010/09/09(木) 22:58:45 ID:uZ2lYVsI0
>>57
劉邦は弓で射られてタヒにかけてる
58: 2010/08/22(日) 02:31:27 ID:WaMpwelc0

動く標的に遠巻きから狙えば当たるってほど、弓矢の命中率は高くない
防具に身を固めた相手に対して、確実に仕留められるほどの○傷力もない
紀元前であれば尚の事

総大将が一番槍や先駆けすることはないとは思うが、
前線が膠着した状況で主力騎馬隊で突破する
その陣頭を率いるというのならありえない話しではない

61: 2010/09/18(土) 23:05:49 ID:2SSzQS0C0
光武帝劉秀は皇帝になってからも先陣切ってたから部下が激怒したらしいね
62: 2010/09/22(水) 07:41:58 ID:ko4GkKxMO
皇帝に激怒するとはいい度胸じゃないか
首をはねてくれるわ
63: 2010/09/22(水) 12:22:37 ID:bINBq6I/0
>>62
すぐ豪族の支持を失いそうな暴君ですね
64: 2010/09/24(金) 01:21:44 ID:lvXAiu/K0
劉秀もそうだが、曹操や劉備も強大な統帥権を持っていたが、元々は一部隊の長からのデビュー
で、近代以前の混迷期の皇帝なり王なりってのはこのタイプが多い。
だから最高権力者の筈なのに前線で指揮を執ると言う不可思議な状況になる
65: 2010/09/24(金) 15:58:15 ID:htKqRFQ40

日本戦国だけでも
最上義光が直江兼続を追撃する際最前線に立ち兜に被弾、この人は自ら敵の首を打って自慢、
家来から「殿様がそんなことせんでもよろしい」と怒られている。
黒田長政は前線に立ちすぎて先頭の何十人か○せばその中に必ず長政がいるといわれた。
鉄砲玉に当たった森長可、井伊直政、後藤又兵衛らも最前線で指揮したのだろう。

光武帝や最上義光のように最前線で頑張るお!の人が家来から怒られるのもよくあることだが
彼らより下の立場なら逆にいけいけどんどんだっただろうね。

戦争というのはルール無用のようでいてルールがあるから、敵味方共通で将は将が相手をする的な
認識があったのかもしれない。春秋と戦国で戦争の仕方が違うような気配があるし戦国期の戦争と
楚漢戦争ではまた違う感じがする。

66: 2010/09/24(金) 16:43:12 ID:Fyx2aLWn0

概ね同意かな。

集権制が完成してしまえば別なんだけど、古代のそれじゃ弱含みなのは否めないし、乱世になるとそれはさらに弱いものとなる。
特に豪族、士大夫、土豪といった下の権力が強い前漢中期以降の明以前の中国、あるいは日本の戦国などでは、
ほとんどの時代において大将も命を懸ける必要もあったろうな。
李世民が自ら斥候に出て追っかけられたり、柴栄が先頭に出て弓で狙われたりしたのも、必要なことだったのだろう。

67: 2010/09/24(金) 17:22:04 ID:3skE96DY0

>>66
李存勗も自ら斥候して、梁軍の包囲に陥ること数度w
李存勗は史家からも李世民に似ているって言われている
戦争時の求心力は半端なかったと思う(即位後アレだけど)

柴栄が狙われたのは、創作っぽいところがあるけど、前にいなくちゃ
いけなかったのは、たしかに必要な行動だった。
ところで、劉仁贍に狙われた柴栄は、矢が外れたあと不敵にもさらに座を進めて
挑発している。

68: 2010/09/24(金) 17:29:17 ID:3skE96DY0
さらに。
柴栄は、高平の戦いのおり、全軍崩壊の危機を受けて
部下……枢密使の魏仁浦っていう軍師に「最前線行けや」って言われてる
皇帝自身もともとそのつもりだったけど、部下の進言により体裁を整えたって感じかな
部下側もそういう行動が必要だと認識していた時代ならでは。
69: 2010/09/24(金) 17:36:28 ID:FqLuZhVl0
最上義光は兜に当たったから良かったけど、タヒんでたら天下の笑い者だったな。
勝ち戦なのに功を焦って頓タヒしたって言われてる処だ。
81: 2011/06/25(土) 19:55:04.92 ID:DBx4XFBB0
蒲生氏郷「一番前に出るなど脳筋のすることよw」
北畠顕家「大将は後ろでどっしり座って兵に指示を出すものだ」
徳川家康「怒りにまかせて突撃など言語道断!」
82: 2011/07/04(月) 21:30:18.76 ID:+5D7fTuU0
家康は自分で怒りにまかせて突っ込んだことがあるからそう言ってるんだろ
83: 2011/08/27(土) 00:48:08.05 ID:CwEEY5PW0
マジレスすると、前線に出て突っ込まない奴に対しては叱ってる。
それに怒りに任せて突撃させる事も大事で、柴田勝家・武田も怒りに任せて
突撃させて勝利を収めてる。
88: 2012/03/18(日) 01:43:37.43 ID:d68/DlQy0
戦闘どころか士卒を追い抜いて一番槍の手柄とった奴とかいたな
91: 2012/06/12(火) 05:42:57.92 ID:r7dTDp/60

実際に先頭で戦う必要なんてないだろ
出てると兵に思わせることや
そういう噂を流布することは重要かもしれんがな
テレビも写真も無い時代だ
皇帝の顔を知ってる人間がどれだけいることやら

記録だって当てにならん
後からいくらでも書ける

92: 2012/07/20(金) 17:22:10.02 ID:5GdurFZR0
幹部クラスは戦車(現在のタンクとは違うぞ)だし戦場の主戦力なんだから
前に出たのは間違いないだろう
戦場で戦車乗りは遠目でも一目で普通の兵隊と違うとわかる
現在のルールを適応して指揮官が前線に出たはずないとかいう方がおかしい
国民国家の徴兵制が出来るまでは上が安全地帯にいたら兵卒なんて真面目に働かないよ
102: 2015/05/15(金) 09:57:33.49 ID:ugn3/JumO
宋の太祖趙匡胤は後周の武将時代に、兵5000人の奇襲を受けて500人に満たない兵で撃退してるね
味方の逃亡兵をぶったぎり、声を張り上げて鼓舞し、士気を維持するのが抜群に上手かったらしい
情報の伝達手段に乏しい最前線では、声のデカイ指揮官の存在は大切だったみたいだね
将を誉める言葉にしばしば『声が大きい』が入るのはその為
当然、敵と矛を交える機会も多かった事だろう
106: 2015/08/16(日) 12:52:53.13 ID:VDOJKO+v0
騎馬隊指揮官とか戦闘機の飛行隊長なんかは一番前に出て陣頭指揮を執るのが当たり前だったってのをどっかで聞いた
陣を組んで押し合う歩兵と違って、動き回る騎兵じゃ、責任者が前に立って進路示すのが一番なのかもしれんね
107: 2016/03/11(金) 15:35:49.23 ID:SRE2Q4Of0
そういや、高島俊夫氏が秀吉の唐入りの時お互いがやりにくいと思ったというような事を
三国志の本の孔明の項でかいてたな
日本は命知らずが突撃してくるが、中国は相手の中央が出てきたらこちらは左右が前に出るみたいな事を書いてた
まあ高島氏は歴史の研究家じゃないからどこまで信じられるかはわからないけど

引用元: http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1246352026/

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