野蛮人はやだね
何ほざいてんだ?
金帝国は事実上河北、河南、華中を収め、中国農地の7割を掌握し、中国人口の8割を抑えた中原朝だぞ
中国の正当朝は北宋→金帝国なのに、中原の支配圏を失った南蛮を正当化して、中原王じゃない王を正当扱いする横暴理論はおかしい
宋皇族など、ただの敗北した性奴隷に過ぎない。
滑稽なのが、世界の通説だと南宋は政府で領土の6割の支配圏を持ったようなレトリミングで解釈される
しかし現実の南宋は完全な地方政権級の領土と人口しか抑えてない。
あれ実領土人口は三国志の呉に蜀の一部取り込んだだけの少人口地域政権でしかない
あの当時の南宋人口は400-800万くらいの日本以下の脆弱地方政権に過ぎない。
はっきりいってすでに北宋時代から「皇族娼婦性奴」が実体化してるほど、北宋王朝の倫理観と正義は喪失してた(正義は禅譲要求で県立まえに失った)
でそれが領土と人口の75%を金に奪われる状況で、それを象徴するように「皇族娼館制」が始まった
洗衣院(せんいいん、またの名を浣衣院)とは中国、金王朝における官設の妓院である。
『靖康稗史証』の記載によると、靖康の変(1126年)の後、宋の多数の皇太后、皇后、
妃嬪、皇女(公主)、宗女、女官、宮女、及び官吏や平民の女性達が遠く金に連行され、
現地で洗衣院に入れられて、性的奉仕を強要された。
複数名の幼い皇女達も洗衣院で育てられ、成長後に洗衣院の娼婦となった。
この女性達の中には、南宋の初代皇帝高宗の母の韋氏、妻の刑皇后や娘の趙仏佑、
趙神佑の四名も含まれていた。
靖康の変の最中に、金の捕虜となって北方へ拉致された女性の数は、『開封府状』
によると、宋の妃嬪83名、王妃24名、皇女22名、嬪御98名、王妾28名、宗姫52名、
御女78名、宗室に近い姫達195名、族姫1241名、女官479名、宫女479名、采女604名、
宗婦2091名、族婦2007名、歌女1314名、貴戚、官民の女性達3319名の計11635名で、
それぞれが金額を課されたうえで、洗衣院に入れられた。
心身共に陵辱を受けたという。『南征録匯』によると、「開封府の港には人の往来、
絶え間なく続き、婦女より嬪御まで妓楼を上下し、その数五千を超え、皆盛装を
選び出ず。選んで収むること処女三千、入城を淘汰し、国相(完顔宗翰)より取る
こと数十人、諸将より謀克までは賜ること数人、謀克以下は賜ること一、二人。
韋后、喬貴妃ら北宋後宮は貶められ、金国軍の妓院に入れられる。」
『呻吟語』によると、浣衣院(洗衣院)では「妃嬪、王妃、帝姫、宗室の婦女は
均しく上半身を露(あらわ)にし、羊裘(ようきゅう、かわごろも)を被せらる」。
また、金兵の北帰の中途においても彼女らは陵辱を受け続け、「掠められた者、
日に(毎日)涙を以って顔を洗い、虜酋(金皇帝・皇族・貴族・将帥など)共、
皆婦女を抱いて、酒肉を欲しいままにし、管弦を弄し、喜楽極まりなし」。
捕虜となった宋の女性達の幾割かは、賞与として金の将兵に分け与えられた。
『呻吟語』は『燕人麈』を引用して、次のように記している。
「十に九人、娼となりて、名節を失い、身もまた亡ぶ」。「辛うじて妓楼を
出ても、即ち鬼籍に上る」。この著者は、また一人の隣家の鍛冶屋から伝え
聞いた話として、以下のようにも書いている。「八金を以って娼婦を買う、
すると実に親王女孫(皇族の孫娘)、相国姪婦(宰相の甥の嫁)、進士夫人
(科挙合格者の妻)なり」。
こうした凄惨な汚辱に耐えかねた欽宗の皇后朱氏は首を吊って自害を図るも
果たせず、入水して自害した。
金の皇族はモンゴル人に皆○しにされたけどね
全てが不潔の野蛮人だからな、中原の文明人に対する仕打ちも酷くて当然だ。
宋は周囲が野蛮な遊牧民だらけなのに文弱政治なんかやったからこうなるのだ。
文弱政治をするならば、まずは周囲の野蛮人を皆○しにしなければならない。
中国の弱体化が原因だけど
たのしい名前だな
北周・北斉・陳→隋が統一
宋・遼・西夏→元が統一
なぜなのか?
それまでこんな楽しい世界があるなんて思ってもみなかった
30年前、小学四年生で親が離婚した直後だったからなおさらだったのかもな
宋側が必要以上に被害者意識を持って書いたかもしれないし
条約無視
金が武力で強要した条約など守る道理はない。
重大なことなので今一度言うけど、金は遊牧民の集団。
遊牧民は略奪で生計を立てる強盗集団。だからこれを抹○するのは不変の正義。
故に条約破棄など歯牙にかける必要なし。
農耕民が遊牧民を攻撃するのは自衛のための聖戦だ
それはさすがに無理がある
実際ちょっかいも出し、ただでさえ金を見下し馬○にし蔑んでいた。
そして交渉するたびごとに ことごとく嘘つき騙し 一度結んだ条約は
必ず破り反古にし、ともかく裏切りまくった。
金にしてみりゃもう こんな相手を信用すること自体がムリだろう。
それで金はプッツンしちゃったんだよ。
そうなりゃもう何でもアリ
まともに付き合ってくれる可能性0ゼロの相手なんだから
こんな敵には何したって構わない。・・という本音が炸裂したんだろ
弱さの元凶は文治政治にある。
文治政治では平和は維持できぬのだ。
遼は金を潰しにかかった。が、それをはね返した金は逆に
遼に攻め入った。それを見た宋は・・昔、遼に奪われて失っていた
旧領土を回復しようと企図し すぐさま金と軍事同盟を結び
「万里の長城以北は 金、以南は宋」という盟約を交わした。
金軍は強くあっという間に長城以北を呑み込み、遼を滅ぼした。
だが、宋軍はからっきし弱く旧領土を占拠し続ける遼の残党を
叩くことが出来ず、いつまでたっても長城以南の平定が実現しなかった。
業を煮やした金国は長城以南に攻め込み、遼の残党を制圧。
このように 自力では全然勝ててなかったくせに宋国は、金に対し
長城以南の旧領土は「全部自分たちによこせ」と 図々しい要求をする。
武力で血の犠牲を払った金にしてみりゃ、それじゃ納得いかんから
「土地は渡すから いままでの槍働きに見合うだけのカネは払って」
とお願いして、宋は一応は約束。・・だが実は こんな蛮族にカネなど
くれてやるつもりなんか そもそも最初っから宋には無かった。
それまでも自分達を見下し小馬○にした態度の宋にはじっと我慢の
金国もついに激怒。
・・宋国に攻め入り 靖康の変と相成った。。
金は無論のこと、遼だって野蛮人だろ
こんな野蛮人どもが周囲にウジャウジャいるのに文治政治とか笑わせる。
趙匡胤はマジでカス。
宋の建国状況から鑑みれば軍人を優遇し、四方を征服して野蛮人どもを一匹残らず皆○しにすべきだったのだ!
> 軍人を優遇し、四方を征服して
> 野蛮人どもを一 匹残らず皆○しにすべき
はい。そんなアンタと全く同じ考え、同じ方法で
周囲の少数民族を併呑した中共(自称中華の後継者)は、軍備拡大し
征服した土地土地( チベット ・ 南モンゴル ・ ウイグルトルキスタンetc. )で
各地の少数民族に対し残虐野蛮な抑圧・○戮をじゃんじゃん
押し進めています
それどころか、さらに領土問題までデッチ上げ 隣接諸国を
さかんに恫喝・挑発していますよねえ
それは相手が非定住の野蛮な遊牧民どもに対して許される。
定住の文明人に対してはやってはならん
中共は遊牧民どもを皆○しにしてないだろ。
皆○しにしてたら、反発してテロってる奴など存在しない。
そうだな。この悲劇の元凶は趙匡胤にある。
趙匡胤こそ漢奸であり糾弾せよ!
いや、そもそも手ぬるいんだ。
新彊や西蔵に人間が存在しているのが証拠。
敗れ去ったとはいえ金は対モンゴル戦で野戦砲を大規模に運用して戦ったよ。
これは歴史上初めてに近いんじゃないのかな
中国人は心穏やかで平和を愛する民族だから。
そんなことでは神聖なる中原を守ることはできぬ!
その脅威を目の当たりにしたモンゴル帝国もまた、火砲を活用するようになった。
韓国みたい
その反省を活かした明は外国には強かったけど、
せっかく呉三桂が後金を山海関で撃破しまくってたのに
李自成とかいう池沼百姓が反乱起こしたおかげで滅亡
李自成は漢奸
>宋は内には強くて外には弱い、滅ぶべくして滅んだ国
北宋は華北にありながら江南の王朝のような性質を多分に持っていたということはない?
大きな差はないんじゃない?
北宋→南宋
経過は一緒だが結果は違う
晋は簒奪で滅び宋は多くの家臣が滅亡に殉じた
変な国号
日本の国名が畿内国とか関東国ってなるようなもんだろ?
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8B%E5%BE%BD%E5%AE%97#.E5.A5.B3.E5.85.92
ほとんど洗衣院に入れられているな
宋高宗 家族列表 女兒
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8B%E9%AB%E5%AE%97#.E5.A5.B3
洗衣院入りか護送中にタヒ亡…
元の皇后?だっけ
自分達の子孫もこうなるのか・・・と嘆いたんじゃなかったっけ
女性は○されてはいないはず…多分
中国も三国時代までは前王朝の皇族は丁重に扱われたけど
五胡・南北朝あたりから皆○しにするようになった
いまだに重宝されてて
会社に徳川さんいるけど、有名人との人脈すごいよ
日本は基本的に一族根絶やしなんてしない
直系は皆○しにしても分家に後を継がせて家を残す
実に賢いやり方だ
僭称じゃなくてモノホン
恭帝は元に降伏後40年以上生きてるから
子孫は探せば居る可能性あるな
タヒぬまで牢獄で監禁してたんだろ
どうだろうね
非征服国の金とか西夏とかホラズムなどの皇族は皆○しさせられたぽいけど
同じ非征服国でもケレイトやウイグルやウラジミールなどは
皇族がモンゴル軍の有力部族扱いにされて丁重に遇されてるから
40年以上生きたという事はそれなりの良い待遇だったという可能性も
おそらくそれは役に立つか立たぬかの差だろうな。
宋の皇族がモンゴルの役に立ったとは思えないけど…
役に立たなければすぐ始末するだろうね野蛮人は
元の最後の皇帝トゴン=テムルは南宋最後の皇帝恭帝の子供って俗説が流布してたくらいだし結構自由の身だったんじゃないか?
ちなみに靖康の変の後、明の永楽帝はトゴン=テムルの息子だという俗説も囁かれていた
因果なもんだな
モンゴルくらいかな中原に入っても漢化されなかったのは
五胡、契丹、女真、満州は殆ど漢化されてしまったしね
もっともモンゴルの場合は中原に入る前の段階で既にイスラムやヨーロッパの文明に接したこともあって
中華文明を相対的に捉えることができたのが独自性を保てた大きな要因だと思う
漢、唐、宋、明あたりの皇族の末裔ならいるでしょ
明に追い出された北元の貴族たち
今さら先祖のように過酷な遊牧生活は嫌だって一部が明に投降したりしてるな
一度快適な中原での生活や文化に触れると
なかなか戻れんよ
ちなみに靖康の変の後、明の永楽帝はトゴン=テムルの息子だという俗説も囁かれていた
因果なもんだな
民間人になってたらセーフとか
皇統は残念ながら弟の太宗にかすめとられたけど、助かったのなら人間万事塞翁が馬だよね
そのあと周囲の民族を虫けら扱いで虐○するの繰り返し。
夷狄さえ絶滅すれば平和になる。
???<「遊牧なんかしてなくても北から侵攻されたんですが…」
もっと文弱で理屈っぽい文化になったかな
文弱で理屈っぽい文化だから侵略の憂き目に遭う
北方侵略の脅威のない中華文明を体現したのが日本文明
熟考して中居使ってるに決まってるのに
ツングース系清朝は、最も名君を輩出した。康熙帝、雍正帝、乾隆帝。特に康熙帝と雍正帝は、
ツングース系の自己抑制が発揮されたストイックな名君じゃし。
実態上宋ー明間の600年間は敗残荒廃期間だったのに、そのことを消すために雄大な歴史が作られてる
その際たるものが人口の脚色で多大な嘘が散りばめられてる
宋ー清の歴史は漢民族朝は臆病で無能で敗北して服従して国土が荒廃して、これを清が蛮族懲罰して中国の平和を作り多民族朝なのだが認められた
この事実がバレるとやばいからか誇大粉飾でもってある
①五代10国時に寮の侵入と拡大があったため、宋は当初から唐時より国土を喪失して、農地人口が9割未満であった
②統治100年事実上の遊牧服従を行ったため、社会政策は停滞気味であり、人口の伸びしろが良くなかった
③金帝国への服従で王族はレ○プされ金帝国の性奴隷、娼婦まで見を落とした
④1100年以降金帝国の誕生で国土を喪失して、あわせて朝貢負担が巨大になった。
また南方ベトナムに飢饉がおき、ベトナムから食料を輸入しにくくなったため、宋末は唐の6割の農地面積、半分の食料入手量にまで穀物供給状況が悪化したため
人口は増えるばかりか停滞して南宋は2600-2900万も人口を維持できないほど荒廃した。
⑤元時代は莫大な兵力を要するモンゴルによ食料供出負担が巨大(推定年次生産量の10%弱)になったため人口は増えるばかりか減った
⑥明成立時国土は北宋より巨大であったが、北宋ー元までの300年で人口は停滞ないし純減であったため人口は4500万前後しかいなかった
⑥明の独立といいつつも、事実上遊牧の属国であった。このため対モンゴル戦争を画策するも王が捕虜になる。そして王都も侵略され、北京放棄寸前まで行く
この際の捕虜と隷属危機はモンゴルの自滅でなんとか退けるも。
この時のショックの自身の喪失で王は暗愚になり、モンゴル朝貢は継続する
あわせて王族の腐敗による負担も増大し、1450年以降中国の経済社会は荒廃に向かう
⑦1550年モンゴルの第二次侵攻で包囲されるもこれもモンゴルの内部抗争で難を逃れる
⑧対日戦争中、軍の予算は組まないのに、王の腐敗のために財政が破綻する。尚この際日本軍はモンゴルの比じゃない強さだったため、
現地明兵は「国境を超えられれば明は完全敗北」だと自覚する
⑨対日戦で正規軍の50%、対女真戦で30%の兵力を喪失して、軍不在状況になり、小規模な反乱さえ阻止できず自滅
⑩同時期飢饉+南部に大量虐○テロ集団(300万を虐○したらしい)が勃発などの危機があったが、清がこれを滅ぼして平定する
⑪清は遊牧600年侵入を退け遊牧を平服させ、食料飢餓問題を解決し、中国遊牧危機、600年荒廃の国土を回復させ、唐以上の最大はんずを作る。社会を繁栄させる
この遊牧600年恥辱を野蛮と侮辱した清が救ッタ事を消したいため、雄大な宋と明の神話が作られる
タタールのくびきというけれど、中国は600-700年遊牧モンゴルのくびきで荒廃と停滞した
あの時国家は機能停止になって世界的に致命的に遅れるんだよな。あの時代に世界の潮流に遅れる
でそれを救ったのが遊牧だから消したい歴史なんだ。
人口なんかは農地面積が単純に5倍で輸入食料だけでも2000万人を養えるくらい輸入してたから、清は爆発的に人口が増えた
政府としてみれば、北宋、南宋、明って半隷従政権で帝国じゃないから
中国の王朝、帝国ってのは
前後漢→正当○
北普→微妙で短期崩壊(初代統一帝の時代まで○) ☓
南普→下手したら大和並の人口になった ☓
五虎十六国→そもそも北朝じたいが中原統治にうまくいってない王者不在時代→☓
唐→鬼女帝超英雄武則天(中華5雄の一人)の超覇権帝国○
聖帝武則天を否定して、親属を強○レ○プして王統の血脈を崩壊したレ○プ玄以降王朝及び国際外交失墜、タヒ亡(政府と王朝の自閉化)
五代十石→覇者不在
北宋→隷従性奴隷失敗王朝
金帝国→500年ぶりの中原帝国
超元帝国→真かつ中国史唯一の世界帝国
北元帝国→エセンのタヒまで
明帝国→北元が自滅してくれたのに超超腐敗かして滅亡
清帝国→中華帝国だが、非中原人国家
はっきりいって中国は武則天武周帝国が中国最後帝国で、以降の中国は1000年以上モンゴル奴に成り下がる
中国の国民性や実体、成形が「清帝国までの1000年が植民領地国」って有様だった
そういう意味で最後の中原政権は聖帝武則天神聖武周帝国までだった
そしてその唐じたいが実機能もったの短期的で半分外人政権、そしてすでに唐の段階で、貴族、官僚趣味の腐敗国家の入り口に入った
こういうわけでまともな伝統性、連続性をもった正当朝は漢までなんだよな。
漢以降は王朝と呼べない失敗政権だらけ
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