英古代王子の墓室、道路脇で発見 「ツタンカーメン王の墓」になぞらえる専門家も
【5月10日 AFP】
英イングランド南東部エセックス(Essex)州の道路脇の茂みにあったわずかな隆起の下から古代の墓室が見つかったと、調査に当たっていた考古学者チームが9日、明らかにした。英国としては、エジプトのツタンカーメン王(King Tutankhamun)の墓に匹敵するくらいの発見だという。
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墓室は、ロンドン北東に位置するエセックス州サウスエンド(Southend)近郊プリトルウェル(Prittlewell)のパブと安売りスーパーの近くを走る道路脇で見つかった。英国の研究チームは2003年、この場所を発見していたが、当初はさほど重要なものには見えなかったという。
「非常に不思議だったのは、何かが出てきそうには見えなかったことだ」。ロンドン考古学博物館(MOLA)のソフィー・ジャクソン(Sophie Jackson)主任研究員は、当時をそう振り返る。
それでもMOLAの考古学者40人で構成されるチームは、調査を進めることを決断。長年かけて注意深く掘り進め、放射性炭素年代測定を行い、アングロサクソン人の王子の墓室だと結論付けるに至った。このような墓室が英国で見つかったのは初めてだという。
この墓室は1400年前のものとみられ、キリスト教徒のアングロサクソン人の王族の埋葬地としては最古と考えられるという。
墓室全体の広さは約4メートル四方で、深さは約1.5メートル。墓室には、複数の金貨や、現在のシリアからもたらされたとみられるガラスと木で作られた色鮮やかな杯などが丁寧に配置されている。装飾品の一部は、今も墓室の壁に掛けられている。
発見されたものの中には、欧州民族の間で人気を集めたハープに似た楽器リラの一部もあり、これはアングロサクソンの彩色された木工作品としては英国最古の可能性もあるという。
■誰の墓か──戦士? 王の兄弟?
ジャクソン氏は、「これは、ツタンカーメンの墓に匹敵すると思います」「キリスト教は(英国に)少しずつ浸透していきました。墓室に納められた品々を見ると異教徒の埋葬方法に見えますが、十字架も一緒に納められているため、この時代はその過渡期であった可能性があります」と語った。
今回発見された墓室は、ツタンカーメンの墓に比べて経年数ではその半分にも満たない。また副葬品や遺物を見ると、埋葬されていた人物は、ツタンカーメン王よりもはるかに地位が低かったと考えられるが、それが誰なのかについては今のところ謎に包まれている。
だが遺体が置かれていた枠の長さは1.72メートルもあり、当時としては並外れて高身長だったとみられる。
ジャクソン氏によると、この人物は王子であり戦士でもあったと考える専門家もおり、同氏自身は、サベルト王(King Saebert)の兄弟であるサークサ(Seaxa)の可能性が最も高いと考えているという。
サベルト王は、エセックスを12年間統治した後、616年にタヒ去した。この地域で初めてのキリスト教徒の国王だったと歴史家らは考えている。
調査および科学的な年代測定によると、墓室の男性は575~605年の間にタヒ亡したと考えられるという。(c)AFP/
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日本で言えば高松塚かな?
そういえば田舎ほど、大昔の文物が残っていたりするものだ。
片田舎いうが地中海がメインなんだろ
ケルトとか精霊関係は好き
東ローマ帝国とか中華や中東の宦官文化はきらい
イギリス人男子の平均身長が172cmを超えたのって1930年頃
アメリカの西部開拓時代の開拓小屋のドアの小ささに現代アメリカ人は驚くという。
19世紀以前はアングロサクソンといえぞ栄養状態は悪く身長は今ほど高くない。
日本人男性の平均が江戸時代は150cm代だったことを考えるとおかしくはない。
枠の長さが172センチなら
身長は160センチ以下に見える
英古代王子って、いまのウィンザー朝と繋がっていないのでは
>>9
今の英国の支配層の過半は、1066年のノルマ○コンケストで英国を侵略征服したノルマン人=ヴァイキングの一派の子孫。
その血の流れを、現在の王朝であるウィンザー朝は受け継いでいる。
ここに葬られている王子などが属していた在地支配層はよくて男爵となった。
だからたとえ貧しく身分も低くとも、男爵らは、自分たちは伯爵やら公爵やらより格上だとして、田舎で誇り高く振舞っている。
伯爵やら公爵やらはようは王家の家来、男爵は王と戦って破れて服属しているがもともと王と同格だからね。
そういう意味では、現在の英国王家と貴族一味にでなく、男爵など在地支配層に、被葬者の血脈は保たれている。
なるほど
いまググったら、今の英王家は
ヴェッティン家 – Wikipedia
(現存する欧州貴族の家系ではロベール=カペー諸家に次いで古い家系とされ、
ヨーロッパでも1,2を争うほど歴史のある名門でもある。)
の リクベルト1世 伯爵 822年 まではさかのぼれるんだけど、
それ以上がググっても出てこない
適当言ってんなよw
ウィンザー家はドイツ人だぞ。
権威や権力を示す副葬品はそこそこに、あの世でもこっちと同じくセルフヘルプかつアウトドア的に楽しい生活をしていけるよう、
日用品や楽器が共に収められている。
少しは増えるのか。他は世界中から「かっぱらってきたもの」だから海賊が伝統文化
の国、王室の祖先もその流れ。それ故A.S人はその手のことが上手い。
栄養悪かったのかも
日本も江戸時代はものすごいちっちゃかった
男で160以下女は150以下
しょぼすぎだろ
普段から棺桶に寝ればいいんだよな
5世紀頃、ローマ軍が撤退すると、侵略してきたのがアングロ人、ジュート人、サクソン人のゲルマン系の3つの部族
アングロ人、ジュート人、サクソン人はほぼ言語も同じようなものだったので、アングロサクソンと総称された
ブリトン人はアングロサクソンに国を乗っ取られ、地方に追いやられてしまった
北部に追いやられたブリトン人の地は後のスコットランド、西端に追われたブリトン人の地は後のウェールズとなった
そして島の中央はイングランド(アングロ人の土地)と呼ばれるようになった
サベルト王はエセックスの王
以下Wikipedia
エセックス王国(英語: Kingdom of Essex)もしくは東サクソン王国(英語: Kingdom of the East Saxons, 古英語: Ēast Seaxna rīce)はいわゆる七王国と呼ばれるアングロ・サクソン人による7つの国家のうちの1つである。
それは6世紀に建国され、後に占領したエセックス、ハートフォードシャー、ミドルセックスおよびケント(短期間)のカウンティ(郡)の領域を支配した。エセックス王はしばしば周囲の君主に従属した。
エセックスの最後の王はシゲレッド(英語版)であり、825年、彼はエセックス王国をウェセックス王のエグバードに譲った。
向こうも伸びてるしこっちも伸びてる
例えばアイスランド人も1000年ぐらい前は20世紀前半の人ぐらい背はあった
それが18~19世紀あたりは男子平均で165㎝前後
20世紀に入ってまた伸びたが
引用元: http://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1557531683/
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