科挙という隋から清まで約1300年間も続いた官僚登用試験の歴史
わかります
いくつか種別がある中でガチの暗記の方は廃れたんじゃなかったっけ
結局ガチ暗記プラス詩作政策が流行ったような
丸暗記の明経科は北宋の時代で終わったね。
残った進士科は論文と詩だから,丸暗記ばかり得意でも合格は出来ない。
むしろ、詩の作成こそ丸暗記必須というのが、中国語という言語世界だったりする。
文言というのは、古典のフレーズをパッチワークのように繋いで作るのが正統とされる、かなり特殊な「言語」で、
自然言語(母語としての白話各方言)を話せるからといって、文章を紡げるものではない。
ここに加えて、詩文だから韻律を揃えなければならない。それも口語とは全く違う音で揃える必要がある。
このへんは、
「詠み人の気持ちが乗れば、三十一文字なんて自然に出てくるはずだ」という日本語の詩歌論とは、全く正反対の言語文化がひろがる。
詩文作成を課すことで、さらに丸暗記にかけるべき労力は多大になった。
それはいつの時代のどこの国でも公文書作成には必須の能力だけどな。
依頼なのか下命なのか通達なのか,内容によって決まった言い回しと特定の用語を使う。つまりパッチワーク。
それがちゃんと出来るかどうかを見られるんだから,科挙で詩を出題したのは正解だろう。
この時の科挙の問題が「西夏に対する政策を書け」
それを全否定したらシビリアンコントロールなんて成立しないぜ。
幕僚は軍事のプロだが、実際に指揮を執るのは総理大臣や防衛大臣。
>>15
前線での部隊指揮の事いってんのかも>軍事指揮
あった。清では一時期,旗人の文科挙受験資格に「武科挙の騎射に科目合格しておくこと」というのがあって,その時期の旗人は大変だったと思う。
言いがかりをつけられて科挙を断念したんだっけ。
興味があるなら新書の
科挙~中国の受験地獄~
みたいな本がかなり詳細に長所短所や制度の変遷などに述べてるので一読するのをオススメする
日本人の書いた本なので読みにくさや価値観の違いも少ないと思われる
進士科:50歳で受けても若者扱い
だっけ
科挙から明経が無くなって,超難関の進士だけになって当時の中国人は困らなかったのかね。
もっとも胥吏や幕友から正式の官僚になるルートもあったようなので,どうしても官員になりたい人はそういうルートを使ったんだろうか。
胥吏だけど江戸時代の日本でいえば武士以外の層から採用された
代官所手代あたりがわりかし近いんやろか?
(給与なんかはおいといて)
こぞって飛びつこうとしたんかな>幕友
https://kotobank.jp/word/%E5%B9%E5%8F%8B-113878
科挙ってのは資格試験であって採用試験じゃない(現代日本の国家公務員総合職も同じ。但し国家総合職合格は3年で失効するが,進士は終身有効)から「無い内定」も発生したらしいね。
生員は言わずもがな、挙人が終身資格になったせいで地方に挙人が余りまくったと聞くし
科挙って砕けて言えば「徳のあるだーれだ試験」でしょ
官職につけなくても徳が有ることは変わらないと
科挙がインテリ王選手権みたいに思えてきたw
インテリ王選手権(たいてい暗記した知識量となぞなぞの機転しか問われない)
ここまでいっしょだな笑
彼らの協力を得るのに懸命だったんだっけ
協力を得るのもあったろうけど,事務を執ってもらう人材として活用したかった面もあると思う。
事務自体は胥吏だった人なんかでも可能だろうけど,管理経営は名士のほうが向いているだろう。
ホー・チ・ミンは科挙合格者じゃなかったのね。
きっとベトナムでは昭和末期までは合格者が存命だったろうな。
因みに以前「やる夫が科挙を受験するようです」というスレで,最終合格者が記念写真を撮るシーンがあった。
「実際に撮った合格者が存在したかは不明」と註釈があったが,朝鮮で1894年,中国で1905年,ベトナムで1919年まで実施してたんだから,記念写真撮った合格者は絶対実在すると思う。
ヴォー・グエン・ザップ将軍も100歳あたりまで生きてたっけ),
生まれたのが1886~1888年。
科挙廃止手前の1910年代後半当時は30前後だったのね。
文章の美味さ、古典の知識の豊富さが優劣の条件で、
土木や経済、医療など実務的なことはいやしいこととされていた。
科挙を取り入れなかった日本でも財務担当の勘定方の役人は軽視されてたんだっけ
(「武士のやる仕事じゃない」みたいな感じだったと思ふけど)
最初はね。
勘定奉行所は江戸時代を通じて強化の一途をたどり続けたし,財政担当の勝手掛老中が「首座」として最上位扱いされるようになった。
(「よしの草紙」の中では勝手掛老中のことが「首相」という語で呼ばれでいる)
>>37
江戸期の日本では、「軍事のプロ」に対する反対概念として「財政のプロ」がある。この対立は実は大日本帝国まで引き継がれるが、
おおもとは豊臣政権の加藤清正と石田三成の有名な対立ではないかと思う。
武家政権の本来のコア統治要素は、西欧中世と同じく「裁判」だったのだが、豊臣政権以降、武士間での所領争いが事実上無くなったので、
政治の基本要素から裁判(司法)が外れた。それでも江戸期を通じて訴訟件数は今よりはるかに多いけど。
近世以降、司法に変わり、財政が政府の最も重要な問題として浮かび上がってきたが、軍事主義者はなかなか認めなかった。
中国の場合、軍事に対しては、なぜか文字通りの「文官」になり、その文官の要素として財政が軽んじられる伝統が続く。
これは、詩歌を尊ぶ「文官」たちが財政の実務性をバ○にしたからで、近世・近代日本の事情とは対立軸が違う。
やっぱり、日本とは大きく異質な世界だ。日本人にとって、「詩歌で国を治める」なんてことは、
「水銀を飲んで不老長寿」並みの心底意味不明な世界だったろう。たとえ地域文明の雄として学ぶべき存在だった時代でもw
現在の中国における官界エリートは科挙の頃と違って理系出身者が多いのよな
>>36最古はバビロニアの官吏登用試験。4000年前。数学を課した
現地の試験官
電信も電話もインターネットも無い時代に天下各地で一律の同じ出題なんて不可能やからな
中央で作成した出題を各所に送ってたら試験実施前の漏洩もまず防げない
地方で不正やってても誰も気づけなさそうだけど
監察御史という皇帝直轄の視察官が監督してるから無理
そもそも地方の権力がそこまで強いのなら中央集権自体成り立たないでしょ
中央での2次試験に受かるとは思えんな
郷試に合格(挙人)するだけでも現地ではかなりの社会的地位を得られるし
塾を開いてやって行ける程度の学力的権威は得られる
自分が果たせなかったことを弟子に託したり、
弟子を教えながら自らも殿試を目指したりって
感じなんかな。
日本でも国家安康てのがあったっけ…
ミスを見抜けるかどうか試したのだ
外国留学経験者との対立・抗争って激しかったんやろか?
当時の支那の人口で割るとだいたい本邦の全国模試100万人分の
20位以内くらいの合格率となる。これは日本の国家公務員試験で
主計局に登用されるような連中かね。
ただ科挙は成人男子であればほぼ全員参加できるので
母集団は大きいが、科挙を受けることができるような立場も
そんなにないのでそこまで過酷だったかは不明。
割り当て人数の人口比やら土地の豊かさなど地方によって難易度が変わるだろうしね
先進地域ならまだしも落伍した地域なら殿様と変わらないんじゃね、と思ってしまう
(むしろそっちに弟子があつまりそう)
官僚をやってりゃ賄賂を受け取らない清廉な人ですら大金持ち。
塾の先生なんかやらないだろう。あまり尊敬されなかったらしいしな。
実際に塾で教えてた進士は居るらしいよ。
一旦は任官したけど官僚があまり好きではなくて田舎で隠棲した人とか,合格は合格だがビリのほうだったから任官しなかった人(してもあまり出世できない)とか。
清廉な人というと諸葛亮だろうが、実はそもそもが半端ではない大領主だったりする
試験というほうが近いかも。
植民地では宗主国に貢ぐための経済政策や財務がすべてだからね。
これは結局、科挙だってどこかからやってきたガ○ジン皇帝に
仕えるための試験でしかないから、その精神は同じだ。試験によって
より大きく家畜になるか小さい家畜になるかを試しているだけであって、
自分自身の人生の主人公になるための人間になるという概念は科挙にはない。
東アジアの愚かさはこの科挙制度がよく表しているよ。
もちろん宗主国フランスは留学先の日本に圧力かけてたけど。
旧中国の政治に求められたことは封建時代の理想の政治を郡県社会の下でどうやって再現するかだから、
財政は言ってみれば戦後日本の軍事みたいな扱いだったんじゃないかと思う。
意味ない文章を丸暗記するのも、科目わけしてなんとか意味のあるようにみせかけたものを丸暗記させるのも対して違いはない
学者になることじゃない。
欧州みたいな自然哲学は支那では道家がこれを
担当してた。それと仏僧。今でも支那人が
自然科学と政治を区別できないのは科挙だけが
学問だと思ってるから。道家的なものは在野の
劣った思想として2000年以上も退けられてる。
技術者や道家をもっと大切にしていたら欧州に
指一本で敗北することはなかっただろうね。
科挙というのは結局保守しかできない
アジアの限界でもある。日本も試験や偏差値が
大好きだろ?知性がないのさ。
>技術者や道家をもっと大切にしていたら欧州に 指一本で敗北することはなかっただろうね。
中国に「こんな国,指一本で滅ぼしてやるぅ!」と言ったのはイギリスのマカートニー。
乾隆帝のお情けで謁見だけは出来たが,ゼロ回答されて涙目で逃げ帰ったのはご承知のとおり。
日本にも池乃めだかという,似たような決め台詞で有名な喜劇役者が居ますね。
郷試合格が会試の受験資格
童試合格が郷試の受験資格
童試=郷試の受験資格ってのは明清の話だな
確か唐宋だと天才児に科挙を受けさせてみようぜって試験だったはず
代わりに明清だと特に優秀な人物を地方官僚が推薦して飛び級で郷試受験が出来るようになってたりする
なんて名前の制度だったかな
これらの女性はよく日に焼けているが、みめ形は悪くない。髪の毛はいずれも黒くごわごわしているが、それを手ぎわよく編み、頭のてっぺんの所で、かんざしでとめている。
子供たちはきわめて数が多く、ほとんどが素っ裸である。男は概して顔立ちがよく、手足がよく発達しており、たくましく筋骨隆々としている。 (pp. 22-23)
確かに中国政府の機構と権威は、ほとんど即座にどんな困難でも克服し、人間の力でできることなら何でもしでかしてしまうほどによく組織され、強力である。 (p. 27)
ところが、中国人は航海術について並み外れて無知であるために、海岸でしばしば難破して行方不明になる。なぜなら、中国人はヨーロッパ人を知るようになってから
二百五十年以上経過しているにもかかわらず、またわれわれの船や航海ぶりを見て讃嘆するくせに、どんな些細な点でも、船の構造や操縦方法をまねしたことがない。 (p. 33)
儀式を貫く特徴は、アジア的な高貴さに特有な物静かな威厳と目立たないような華やかさにあった。このようなものはヨーロッパ人の洗練さの程度をもってしては、
まだ到達していないところである。 (p. 93)
このあたり[景徳鎮付近]は気持のよい平坦な土地で、自然のままではあまり肥沃ではないのだが、驚くほどによく耕作されている。中国人は確かに世界一の農夫である。(p. 185)
中国人は医術ないしは外科術や科学的知識の点で、いかに他の諸国民に遅れているかということである(もっとも機械工学の若干の部門においては、彼らは優れている)。 (p. 188)
彼らはわれわれの軍隊の持ってるような規律というものを全く知らない。着にくそうな服装を身につけ、武器といえば火縄銃と弓矢と大刀だけである。武器の扱い方も不器用である
し、性格や気質からいっても戦争好きではない。だから、指揮よろしきを得た攻撃に対しては、ろくに抵抗もできないであろう。 (p. 205)
18世紀の水準で言えば,ヨーロッパ医学は別に中国医学より優れてなどいなかったと思うけどね。
まだ手術創の感染防止すら発見してない時代だよ。
西洋医学が漢方医学よりも有用になったのは種痘の発見以後
なんだかこれだけ見るとThe平和ボケ国家って感じだな
大学のときに教わった先生に、
「中国の歴史は平和と統一の歴史である」
と言っていた人がいた。
中国シンパな発言の面もあったかもしれんが、
中世以降の欧州との比較だとなるほどとも思える。
だから従者に扮した替え玉や家庭教師が…
まあ朝鮮の人口、経済規模じゃ全部真似するの無理だろうし……
そこらへんが中国人と朝鮮人の差なんだな。
日本もそういう不正を場の雰囲気みたいなもので押し切ってやるタイプ多いぞ
限界はあったと思うぞ。
「こいつ本当に合格したのか」と疑われるほど無能だったり馬○だったりしたらバレるだろう。
能力不足で不正を疑われても閑職に回される程度だろう。
現代日本の公務員のコネ入庁のア○だって
別にア○を理由に不正とみなされてクビになることはない。
というか、従者を連れ込んでOKなのは最初から厳正にやる気はないし
みんなそれはわかってるってことじゃないのかな。
本当に優秀な奴もある程度登用できれば良し、ってところでは。
「進士」も「士大夫」も世襲身分ではない
朝鮮社会はまだまだ身分制度が健在で「両班」も世襲身分になってしまってる
世襲身分のある社会なら、高貴な者が従者も無しで一人でどこかに出向くなど屈辱になってしまうだろう
あんまり血縁が薄くなるとそうも行かなくなるんだろうけど
まあ時代が唐→宋と下ると貴族の力が弱くなるからずっと栄えた家で居たいなら結局受けなきゃならなくなる
ただ清の中盤辺りまでは満州貴族は受けちゃいけなかった
漢化しちゃうから
ただ大した戦争もなく時代が過ぎ、科挙も受けられないから文人官僚として功をあげる事も出来ない、と言う八方塞がりな状況になってしまって皇族ですら没落してしまった
それが世間に浸透して学歴社会みたいな価値観が受け入れられるだよね
民主国家じゃないんだから世間は関係ないんじゃない?
学歴の威信が民衆に認められれば武力や血統で統治する必要が無くなるわけだから関係ありあり
まあ科挙の場合は儒学の徳の概念とかが関わるから一概に学歴云々とは言えないんだけれども
少数民族どころか外人でも問題無し
日本人の進士も居る
阿倍仲麻呂が科挙に受かってたって話はどの程度信憑性があるんだろう?
他に清末に受かっていた日本人がいるらしいが。
古代支那世界では征服した周辺の民族に
科挙を優先して合格させる優遇策をとっていた
アメリカが征服したダメな国の民をなつけるため
留学生を大量に受け入れてるのと同じ
清末の服部宇之吉はもともと東大教授で科挙廃止後に大学堂に招聘されて帰国時に進士の称号もらっただけで科挙には合格してない
>>109
ありがとう
少数民族出身とか外人出身っていうと誰がいるかな?
少数民族は知らないけれど、職業や戸籍等によってたまに制限がかけられてた筈
上記の清代満州族とか明代の軍戸とか
明代の歴代の兵部尚書の軍戸出身率は36%と人口比(2割)に比べて倍の数値
民戸出身者より優先的に任官できる仕組みになってたっぽい
満州旗人も八旗科挙とか翻訳科挙とかそれ専用の科挙試験があったぞ
受けないもしくはどこにも受からないと自動的に武官職になる
科挙は現在の世界の学歴社会の起源だ
欧米は東アジア以上に学歴社会で
ある一定の階級は全部有名大卒じゃないと
ダメなんだぜ
聖書の暗記力「のみ」で人を採用した記録ってあるのだろうか
聖書に限らず暗記力「のみ」で人を採用した例など世界のどこにも無いやろ
あるとしたら無文字社会の語り部くらいか
聖書の丸暗記度で人材を決めるみたいなの、ユダヤ教とかならありそうだが近い事はされてなかったのかな
>>118の人も触れてるが、ヘブライズム系統の神学の場に於いても試験は基本的に解釈と討論
単なる暗記では学識を認められない
ユダヤ教のタルムードはまさにそういう学説集だし
キリスト教の中世スコラ哲学の論文は普通どれも個々の論文そのものが討論集
唐の時代の名簿が残ってるの?
まあ当たり前か
定期テストだけやる自由放任主義だけど
あとは科挙浪人を家庭教師として雇う感じじゃないかなぁ
科挙の受験科目教える私立学校あったよ。「書院」という。
家庭教師雇える金持ちばかりが受験していたわけじゃないし,金持ち以外からの合格者も居ないことは無い。
そういう学校は自然科学や工学の分野などは教えてたのかなあ
そういうのは教えないね
実学は胥吏の家系が代々受け継いでるんじゃなかったっけ、確か
よく知らんけど考証学の考えを使った史学は当時としてはかなり進歩的だったんじゃなかろうか
考証学知ってた日本人がランケの実証主義歴史学を受け入れやすかったとか何とか
明清代には昨日と府・州・県が現代日本で言う市みたいなもんで、それぞれに置かれてたから1,200~1,800校程設置されてた(時代により増加)
学校と言っても最低限の図書館設備と5~6人の教官が居るだけなんだけども
でもこれのお陰でどんな田舎でも生員になれば一応勉強できてたみたいだ
あとは大学みたいなものとして国子監が宋代からある
明代の学校制度に関しては門戸の広さと政策の規模的に当時の欧州より上じゃなかろうか
乞食ハゲ皇帝が、統治システムに関わるとは言え、治世中に1,200校も置いてるからすげえ
逆に最も難しかった時期とか
明だよ
採点しやすいように定型文を覚えればいいから
隋唐とかは受ける人まだ少なくて楽そう
単なるイメージだけど
試験だけやってたのか
学問とはなにか?とか人間とは?とか
そういった疑問は一切知識人には沸かなかったのかねえ
道家がいるけど自然科学の定理などを発見し
残したというのは聞かないし
そういうのは一部の天才が切り開かない限り出てこない
科挙はそういう人材を振り落とす?そんなことは無い気がするが
科挙で集められた人材が一部の天才的資質を過小評価しがちになる?
そういうことがあるのかも
多いんだっけか
科挙でマナーが身に付くかもしれないとすら考えないよ
弁護士の倫理観の話とかで司法試験合格者にモラルがあるということなんて考えていないように
司法試験の内容にマナーは含まれてない
だが科挙の試験内容には「禮」が含まれてる
進士に禮を期待するのはお門違いではなかろう
それは最後まで突破する場合で
最初の方の試験だけ突破してそこそこの役人として過ごすので十分な気がする
実証精神から科挙が起こったんだよ
暗記型の全部が悪いわけでも無いからなぁ
受験問題はハイブリッドなのが良い
知障やのに記憶力だけは凄いちう人かておるんやで
>>181
そもそも科挙は暗記試験なんか?
十三経のテキスト暗記は必須やけどそれだけで合格できるもんやないやろ
暗記だけで策問なんかどうやって回答すんねん
科挙は四書五経を暗記した上での論文試験
いや、そやから十三経を暗記しただけで策問回答できるかちうんや
難しくなり過ぎると
勉強し過ぎて馬○になる
疑わずに受け入れる馬○でないと合格できない
日本在住の華僑が受ける科挙東京試験を扱う部署
早口で10回オチかw
どうせ司法試験みたいに判例や学説の通りに書かないと駄目
深夜までの取調だろうが何だろうが任意の自白と書かないと駄目
年功序列がはっきりしているのがあちらさんの自慢だろうに
試験地獄と言いながら幸せなんじゃないの
無能を選抜するどちらも
清末生員とか金で買えるし……
この下の人は進士になってさらに清末、民国を生き抜き1949年には全人代の代表に選ばれたらしい
張 元済
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E5%83%E6%B8%88
その人92歳まで生きてるやん
その時代にしては驚異的な長生きやな
進士を経て官僚となった人物か
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%E5%83%E5%9F%B9
科挙と称した架空世界(非漢民族は別称)
もちろん殿試には溥儀自ら立ち合いますw
井上靖の小説「敦煌」の主人公の趙行徳は、
殿試落ちて放浪して西夏の漢人部隊に拾われて、
読み書き出来ることから、西夏の漢文担当書記になったよな。
まぁ、所詮小説だからフィクションのわけだが。
文章語としての文言はパーフェクトに出来るけど、口語は南方の訛りが強すぎて、口頭試問を受けてもまったく会話にならない例って出てきそうw
「殿試は全員合格」だとしたら、どこで口語のスクリーニングをかけたんだろ?
口述ないだろ
試験を工夫したけど、結局試験制度ではバ○しか
集まらないんで勧誘制にかえたとかいう
話がなかったっけ?1500年も科挙の愚かさに
気づかなかった支那もすげえよな
アファーマティブアクションや既存のエリート選抜システムへの反発から試験一元制を導入しろという主張のアメリカ人も一応たまに見かけるが…
正直それがアメリカ人気質やアメリカの大学制度とどこまで噛み合うかは未知数だなあ
それは良くないだろうなあ
支那清朝でも征服したばっかの異民族を介入するために
科挙で甘く点をつけてたというのが反発を招いたと
あったし、勉強のできる無能が集まるのは競争社会の
アメリカで、投資家がこれを許さないだろう。試験だけが
基準だとガリ勉バ○の中共から逃げてきた中国人や
カーストから逃げてきたインド人だらけになる。つうか
もうなってるからなあ。数学五輪や科学五輪の代表が
ほぼ全員中国から逃げてきたやつで笑ったわ
司法試験合格者の法曹が馬○ばかりなのもな
何だよ自白事件って
どうして自白なんてものが当てになると思うんだか
証言も同様でこんないい加減なものな
勉強のできるバ○が来てしまうんだよなこれはすごい逆説で
皮肉な話だそもそも人間の能力を可視化(実証)するのが
目的だったのにダメな人間しか集まらないんだもの
科挙をやりまくっても科挙から世界史に残るような偉人はゼロ
科挙のない欧州の天才学者は数知れず
この差はやはり総合的な知能の差なのだろう
19世紀あたりからの試験制度は実質科挙だが
例えば欧米でもピアノや楽器で超絶技巧レベルで全くミスをしない達人を集めるだろ?
そうするとそういうタイプの人間からはほとんど優れた作曲家は生まれない
実際生まれてない
そういう感じ
暗記型採用試験?
以前教会や宗教でそういうのないかって質問したんだけど
ないってレスされたけど
キリスト教だとまず聖書の暗記と書き写しだろうなあ
聖書は古代支那でいうと春秋戦国と四書五経を
まとめたような書物で、これらの暗記や独唱などは
基本であったろう。それとキリスト教だと中世から
ユークリッドの幾何学を学ぶ。
あったのだろうじゃなく
実際あったのならそれもほぼ科挙だな
記録あるのか知らんけど
あったよ。聖書の暗記なんてイスラムでは最重要科目だった
ユークリッド幾何学は当時の神学生が苦戦してたと聞いた
やっぱ数学が苦手な人は
多いんだね古今東西
コーランじゃなく旧約の暗記?
それは、暗記した内容の直接的文言のみ問うのではないということ。
或る命題や経典などの内容について、諸説さまざま突き合わせたうえで、
それを回答者自身はどう解釈するか、また、その根拠は何かを問う、ということだよ。
だから、たとえば、ユダヤ教のタルムードは端的に言えば学説集一覧だし、
またたとえばキリスト教の中世スコラ哲学の論文は、その論述内容自体が、
或る命題に対する諸説を列記した問答から論拠と結論を導き出していく、
という様式になっているのがごく普通なんだな。
アインシュタインもニュートンも優等生
確か本家科挙でも一芸特化の試験をやったことがあったよな。
本流の合格者以上に使い物にならなかったのと、
本流からのいじめで1回か2回かで終わり。
ロスアラモスの研究所で核開発してたとき他の研究員は激しく葛藤しつつ苦悶しながら研究してたけど
ノイマン一人だけは嬉々として研究してたらしい
一芸特化というのはそういうことや
傘をさしてないと怪しいとか傘を持っていなかっただけだろ
他人が共犯だと自白したら逮捕されるってふざけるな
三角比でさえ長さの比率だって気がつかなかった
一言言葉の説明をしないんだよなあ
抽象論理を操る訓練は丸暗記教育とは違うし、それが近代科学を産む母胎になった。
むしろ科挙の勉強なんて哲学と修辞学がほとんど全てだろ
中頃は無難なやつ、
後期はおべっか使いが受かる
をずっと1500年くりかえし。
それ以外の人材登用の
方法の探求や基礎研究一切なし
やっぱ保守はだめだね
基準が変わらないならそんな性格変化は起こらない気がするが
科挙で受かるのは良くも悪くもエリーとタイプ
試験に向けて対応するとそうなる
「三民主義」読んだらわかるで
思うな。それは住民たちの「Aか反Aか(カトリックかプロテスタントか)」といった
信仰を明らかにするための作業であって、民主主義などとは関係がない。
ましてやよい政治・良い政策とはなんの関係もない。第一話し合いという
作業が両者にはないのだ。現在のアメリカを見てると投票は宗教戦争の
一形態に過ぎないことがよく分かるよ。
みんなはどう思う?
あってもよさそうなもんやのに
なんだ無いんやろ
庶民党は無い
大統領選挙で共和党:地球人を奴隷にする、民主党:地球人を奴隷にする
どっちに投票する?ってのが
フィクションではそういう話があるそうですが。
洪秀全が科挙に何度も落ちたせいでおかしくなったので、
科挙の弊害を多少は無くそうと考えたのだろうか。
女帝のもとではあり得るんじゃね
とは中国人も考えたのだろう
『鏡花縁』という伝奇小説では
武則天が女性用の科挙を行う
心理学的な話だけど社会的に成功した女性は同性を見下したり辛くあたる傾向がある
クインビー症候群って奴な
武則天もそうだけど班昭、呂雉や西太后も同じ女にはやたら厳しかった
「其の君に礼有る者を見るは、孝子の父母を養うが如きなり、と請(こ)う。下文を以て答えよ」
A
「下文に曰く、其の君に礼無き者を見るは、鷹?(ようせん)の鳥雀を逐うが如し、と。謹(つつし)みて対(むか)う」
わかるかい
定子「香炉峰の雪いかならむ」
清少納言「まず御簾を上げます」
分かるかい!
実際家柄重視の日本なんか派閥争いや家督争いで国が乱れたからな
近代においては列強に追い越される原因となったけどね
19世紀にはエリートは高学歴だったよね
これが貴族官僚だとその後何代にも渡って争いが続く
儒教の本を覚えないと文章が書けないんだよ
中国語には文法がないから論語とかの話を覚えていないと分が作れない
文法がないんじゃなくすくないんだとかってのは無視ね
論語、孟子、史記、漢書などにゃ実学・行政技術は書かれていないから
今の数学とかも対して変わらんだろ
歴史とか英語とか、意味のありそうなものを暗記させてるように見えるが
対して変わらん
科挙=受験のルーツだ
聖書丸暗記でもなんでもいいんだよ
おまえクソ馬○だな
最新のメディカル科学として高評を得てる翻訳書だぞ
支那愚民が科挙合格目当てで丸暗記してる四書五経なんかとは比べもんにならん程実用的だっての
例えば李誡が土木の実務に当たる官僚に対して発行した「営造法式」なんてかなり実用的な構成になっている
ここらへんは現代日本の公務員試験と同じ
古臭い北宋時代の建築技術書なんか丸暗記したって、国土交通省の技術職に採用される確立は高まらない
格調高い定形文書を作成することが求められてたんだろうな。
各地の地方軍閥を支えた官僚は挙人・生員とか地元の高等教育機関
卒業者とか海外留学経験者なんかがいたそうだが。
学校開いて地域の子供に学問教えてそう。
でもって生徒からの月謝で生計立ててたり。
それで上にくる人材ってのは基本同じ
これが前近代の中国と日本の差だね
西洋学問の導入も清のほうが圧倒的に早いんだよなぁ
康熙帝の時代には帝みずからブーヴェより数学、建築学、天文学、ラテン語の講義を受けているし
その頃の日本なんて学問と言えば儒学や漢詩ぐらいしかない
>西洋学問の導入も清のほうが圧倒的に早いんだよなぁ
なのに日本軍には惨敗してしまったんだよなぁ
清末の洋務運動が失敗したのはなぜか?
結局、守旧頑固派に押されてしまい、
明治維新政府のようなドラスティックな西洋化ができなかった。
科挙官僚の沽券に関わるとして、
なかなか海外留学組を重用しなかったりとか。
それでも軍備や工業、電信や鉄道等の西洋化はそれなりに進み、
北洋艦隊の艦船を日本に派遣して
こんな東洋一の最新鋭大型艦を清は持ってるんだぞ、
と日本人に見せて
日本を牽制するまでになってた。
だが、却って日本人を発奮させてしまい、
日本は軍事費大幅増額(軍拡八カ年計画)で
軍艦の建造や購入を進めてる。
軍事費の捻出のために明治天皇が朝廷費用の減額を決めた頃、
西太后は頤和園建造に軍事費を流用していた。
日清戦争の後の北清事変でも日本軍に惨敗したんだよね
カルト組織の義和団の「仙術」を盲信する宮廷内に同調し反知性主義が悪化していった
昭和に入ると義和団と同じように信者は敵弾に当たらなくなるというカルトが日本でもはびこった。そのカルトの名は生長の家。
いるがそういうのって変人と思われたんかな?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%E9%A2%E7%B2
たまにいるけど変わり者だと思われるんじゃね
能力の高さだけ示して役職につくの嫌がるなろう主人公も多いし
司法試験に合格しても弁護士登録しないのもいるし
会試の合格率って高かった?
太子監に入らないと郷試・会試を受ける資格をもらえなかったってん
でもないよね。
儒教は古くさい物と見なされた?まだまだ信奉が根強かった?
北洋政権の政治家・官僚が未だ科挙官僚(進士)上がりで固められてたら
後者な気もするといいつつ。
こっちは宗主国の弾圧で挫折を余儀なくされたか。
清ではバーリンゲーム視察団があったな、
岩倉使節団とは違って単なる物見遊山旅行に終始したようだが。
科挙官僚になったところでどうせ内朝の女官に頭上がらないからな
女が科挙官僚になるメリットがない
アニメで彩雲国物語。
馬賊、海賊、匪賊の頭領を抜擢したほうがマシな気がする。
過去に科挙官僚でありながら名将になった人たちって、
兵学も極めてたから?
李鴻章の淮軍から頭角を現したり馬賊の張作霖が
清朝軍の隊長に転身したり
国内各地に作られたり優秀な士官候補生を日本の陸士へ留学
させたりというふうに近代的な専門教育を受けたプロの軍人が
輩出されるようになってきたのな。
民国期に新疆を支配した軍閥指導者の楊増新は清朝時代に
現地へ派遣された科挙官僚だったが。
中央から配属されてきた科挙官僚=国司(本社からの管理職)
実務に長け役所に採用された現地の挙人・生員=在庁官人(現地雇いのスタッフ)
みたいな感じだったんかな。前者は少数で後者のほうが圧倒的に多かったはずよね。
科挙は最終的に文学的素養、芸術みたいなのの理解を取り入れたが
受験=科挙を完成させる要素ってなんだろう
本業のかたわら副業として職務についてたのね。
民から勝手に税を取り立てるけどな
それに科挙合格者の地方赴任の費用を商人が協力してみたいに
政府はまじで何も支援しない
確実に利益になるから必ず商人が協力するから
貧乏で科挙に通っても問題は生じていないが
中国文化を取り入れた琉球は科挙だけでなく凌遅刑もあったのね
その瞬間に同情する気持ちが消えた
国子監を卒業したら自動的に挙人になれるわけじゃないのよな
宦官の方が古典漬け官僚どもより世知に長け、有能かつ果断。
結果、皇帝は宦官に信頼を寄せる。
科挙官僚が無能で、特に非常時に機敏に対策できない中で、
王朝が永らえたのは宦官たちの功績ではないか?という視点も成り立つ。
それでも、歴史書は科挙官僚が編纂し、
宦官勢力を諸悪の根源のごとくに記録する。
そんなに悪い存在なら、さっさと宦官制度を廃すればいいものを、
廃止できないのは、結局は王朝存続にとって必要な存在だったから。
科挙官僚と宦官勢力は皇帝権力を支える両輪で、
両勢力が互いを掣肘することは、
皇帝独裁維持に役立ったんだよ。
現在でも優秀な理系よりも文系が出世するようなもの
勉強し過ぎて馬○になっている
今の官僚とか法曹みたいに難関の試験を突破したのにというか突破できるから
恐ろしいぐらい頭が悪い
じゃあなんで学歴コンプとか詐称とかあるんだろう
大学入試は今まで科挙型の傾向を暗記する手法が横行していた。
来年度の大学入試の一次から、それに変わって PISA型という長文を読解して
内容を理解しそれにたいして答えなきゃイカン思考型の試験に変わるとか…
読解じゃなく
大卒者
なぜなら不逮捕特権があり全体の極一部だから
科挙は最後まで受からなくてもそこそこの小役人になれる
大卒者
なぜなら不逮捕特権があり全体の極一部だから
科挙は最後まで受からなくてもそこそこの小役人になれる
生計立ててそうなイメージある。村一番の知識人みたいな感じだったりも・・・
村の学校の先生なんかも少なくなかった?
そのルーツが科挙
引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1530313202/
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません