ポエニ戦争という共和政ローマとカルタゴとの間で地中海の覇権を賭けて争われた戦争
1:世界歴史ちゃんねる2007/09/07(金)20:31:51 ID: .net
2:世界歴史ちゃんねる2007/09/07(金)21:34:16 ID: .net
3:世界歴史ちゃんねる2007/09/07(金)21:55:16 ID: .net
4:世界歴史ちゃんねる2007/09/07(金)23:03:30 ID: .net
5:世界歴史ちゃんねる2007/09/08(土)10:55:03 ID: .net
6:世界歴史ちゃんねる2007/09/08(土)17:10:03 ID: .net
7:世界歴史ちゃんねる2007/09/09(日)22:21:22 ID: .net
8:世界歴史ちゃんねる2007/09/10(月)19:21:02 ID: .net
象?想像もつかんな・・・相当に恐ろしいことは確かだろう この時代だと散兵戦じゃなくて密集隊形だから
前列の連中は、おしっこチビりそう
9:世界歴史ちゃんねる2007/09/11(火)01:52:17 ID: .net
勿論ファランクスに比べればの話だけど。
10:世界歴史ちゃんねる2007/09/12(水)19:15:21 ID: .net
11:世界歴史ちゃんねる2007/09/12(水)19:54:44 ID: .net
指揮官は名前入りで再版きぼん
13:世界歴史ちゃんねる2007/09/24(月)09:18:18 ID: .net
使う側もそうとうの神経使ったんじゃないだろうか? 老親衛隊とか武田の騎馬隊みたいに使う局面は限られるとか
14:世界歴史ちゃんねる2007/09/24(月)20:33:47 ID: .net
15:世界歴史ちゃんねる2007/09/24(月)22:54:48 ID: .net
16:世界歴史ちゃんねる2007/10/10(水)11:12:18 ID: .net
18:世界歴史ちゃんねる2007/10/12(金)17:44:33 ID: .net
19:世界歴史ちゃんねる2007/10/13(土)02:16:40 ID: .net
20:世界歴史ちゃんねる2007/10/13(土)20:08:54 ID: .net
23:世界歴史ちゃんねる2008/03/01(土)11:12:56 ID: .net
27:世界歴史ちゃんねる2009/12/27(日)09:07:38 ID: .net
29:世界歴史ちゃんねる2010/11/13(土)20:58:56 ID: .net
歴史好きのロマンをかきたてると思うがなぁ・・・・ なんでレスつかないん?
30:世界歴史ちゃんねる2011/01/12(水)22:22:40 ID: .net
カルタゴの腐敗と新興国ローマの活気が対照的で、亡国の英雄ハンニバルの奮迅が感動ものでした。
戦争後、スキピオもまた元老院から失脚するんですよね。
スケールもロマンも盛者必衰の情操も含んだ、すげースペクタクルですよね!
35:世界歴史ちゃんねる2011/07/18(月)00:27:05.50 ID: .net
誰も平和=悪だなんて言ってないと思うぞ
平和=嘘だって言ってるだけ
お前だって生きてんだろ
その時点で生存競争に参加してんだよ
31:世界歴史ちゃんねる2011/01/16(日)21:50:38 ID: .net
塩婆のローマ人物語もあるんだから
もう少しメジャーになってもいいのにな 日本じゃ帝政ファンの方が多いのかしらん?
32:世界歴史ちゃんねる2011/01/18(火)10:50:35 ID: .net
歴史ものはやっぱ大ドラマが影響大きいですからねー カルタゴ本国って、ドンパチ始まっても非戦派が議会で強すぎて後手に回りますよね
一時でハミルカルがシチリアの主導権を取ながら海上輸送の難で孤軍になってしまった
失態を第二次でも繰り返して、しかもその時の孤軍司令官は息子ハンニバルだったってのは
なんとも皮肉
34:世界歴史ちゃんねる2011/03/04(金)13:28:55.30 ID: .net
>>32
カルタゴ本国からすれば、ハンニバルに振り回されたという感じか?
「勝手に戦争を始めおって!」
ハンニバルとの連携が取れていなかったためか、
ローマに勝ちまくりのハンニバルへの態度が煮え切らなくて
そこを小スキピオに付け込まれたという印象がある。
本国はハンニバルとその部下によって自分達の地位が失うことを怖れたのか?
カンネ戦役後にローマに進軍せず、
同盟国の離反を待ち続けたハンニバルの態度も、
指揮下の兵力数から困難だったとはいえ、結果的には失敗だった。
37:世界歴史ちゃんねる2016/01/03(日)16:01:51.92 ID: .net
農業生産力や製塩能力が高いせいであまり海外領土を求めていたようには見えない。 ハンニバルやバルカ家がイベリア半島にカルタゴ・ノヴァを作ったことも、
カルタゴ本国から見ればもう一つの潜在的な脅威と捉えられていたような気がする。
それと、戦争に際してはハンニバルの能力だけが突出していて
カルタゴ軍自体はあまり強くは無いことも一因かも。
ローマ軍は会戦の進め方にある程度きっちりしたルールを定めていた。
(第2次戦役ではかえってそれがハンニバルに良いようにあしらわれる理由にもなったが…)
このルールは逆に言えば、ハンニバルのような天才にぶつからない限りは
多少凡将でも、素人でも、型にはまればある程度の戦果は挙げられることにもなる。
実際、カルタゴのハンニバル以外が指揮する軍は高確率でローマ軍に撃退されているし。
このルールのおかげで、
トレビア、トランシメヌス、カンネなど下士官を多数失う大敗北を喫しても
継戦能力をある程度は保ち続けることができた。
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