【考古学】国内最古の「分銅」が福岡で出土される、大陸と規格共通
【独自】国内最古の「分銅」、福岡で出土…大陸と規格共通
中国の史書・魏志倭人伝が伝える奴国の王都とされる福岡県春日市の須玖遺跡群で、国内最古となる弥生時代中期前半(紀元前2世紀頃)の計量用の重り「権」が出土した。
重さの規格は韓国出土の権と共通しており、奴国が大陸の度量衡の制度をいち早く受容し、青銅器生産などに利用していたことを示す発見だ。
福岡平野南部にある同遺跡群は、国内最古級の青銅器の生産工房跡として知られる。
2014年までに同市教育委員会の調査で出土した円筒形の石製品8点を武末純一・福岡大名誉教授(考古学)が分析し、上下を平らに加工した形状などから権と判断した。
(以下略、続きはソースでご確認下さい)
Yomiuri Online 2020/12/20 05:00
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20201219-OYT1T50326/
朝鮮半島は大陸ではない。
「重さの規格は韓国出土の権と共通」ということから、なにゆえ、
「奴国が大陸の度量衡の制度をいち早く受容」という結論になるのか、
この文章は、論理的にめちゃくちゃになっている。
「古代の朝鮮半島の品物は、すべて中国のパチモン」
という大前提をきちんと書かないと、論理的に整合の取れた文章にならない。
学芸員が馬○なのか、記者が馬○なのか?
・・・(ソウルの)通貨は当時公称3200枚で1ドルに掃討する穴あき銭外に無かった。
この貨幣は数百枚単位で縄を通してあり、数えるのも運ぶのも厄介だったが、無ければまたそれも厄介なのである。
10ポンド分の穴あき銭を運ぶには6人の男か朝鮮馬一頭がいる。・・・(イザベラ・バアド女史”朝鮮紀行”)
朝鮮では貨幣経済が発達しなかったようですね。
そりゃあすごい
大阪で2400年前の分銅出てるから
読売の記事がおかしい
>>11
大阪のは本当に分銅かな?
福岡のは海外と共通の規格
とうことは交易していたということ
しかし鉄の交易の痕跡を見ると数百年たっても日本全体には広がっていない
『3世紀の中国の歴史書「魏志東夷伝弁辰条(ぎしとういでんべんしんのじょう)」には、
朝鮮半島南部の地域に鉄が多く出て、「韓、注意1(ワイ)、倭みなしたがってこれをとる。
諸市買うにみな鉄をもちい、中国の銭をもちうるがごとし」と記されています。
鉄を求めて、弥生人がさかんに朝鮮半島南部に出かけていった様子が描かれています。』
弥生時代(後期~)の鉄器出土量
やっぱり歴史は福岡だな
青銅、製鉄工房も存在していたし、独自の交易ルートを構築して大きな経済圏、生活圏が出来ていた
さらに最古の水稲作跡と最古級の硯、木簡、邑、三種の神器、金印、最古の王墓等出土etc
>>13
秦以前は大陸も度量衡統一できてないのは
わりと常識だけど?
あと記事自身が大阪の最古の分銅だと認めてること
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20201219-OYT1T50326/
国内では「弥生分銅」と称される権が、紀元前後に近畿を中心に分布したが、
その基本単位(8・67グラム)は大陸に類例がなく、近畿文化圏独自のものと考えられている。
https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG07049_X00C13A6CR8000
製作途中とみられる1点を除く10点の重さは、6種に分類できた。
最軽量は8.7グラムで、ほかは17.6グラム、34.5グラムなど、
最軽量の2、4、8、16倍となる値に近い。
>>14
原器は嘉量つー名前で、確か秬黍(クロキビ)の粒数で容量や長さと重さも決めてた筈
正直細部は覚えてないのでググってくれ
因みに唐銭である開元通宝の重量が江戸時代の銭や現代の5円玉に採用されてるとか
なんだかんだで大陸の影響は受けてるんだよなぁ(半島では無い)
福岡県エリアを出雲と考えればいろんなことがすっきりするね。
あり得ん。
元記事
>ほぼ完全な形で残る5点は、韓国慶尚南道・茶戸「里」タホ「リ」遺跡の権(約11グラム)の3倍(2点)…
吉野ヶ「里」は朝鮮部落
>>23
コリアンの語る歴史は永遠に実証できない「ロマンス歴史」
高麗の作った正史『三国史記』まで無かったことになってるしな
まあ、高麗人はコリアンの先祖じゃないと言うなら納得だがね
というかコリアンのロマンス歴史は、
コリアンの先祖は日本人ですと言いたいみたいだけどな
博多は奴国で十分だよ
奴国(那ノ国)の王が国譲りに負けて信濃に逃げて居座ったから居那の伊那市なんだよね
ヒミコは博多湾にいた人
倭国大乱で、奴国を滅ぼした邪馬臺国だったが、奴国系ヒミコを立てないと民衆が納得しなかったためである
ヒミコ亡き後、姉妹を擁立したが失敗 無惨にも幼児のまま城野遺跡に埋められる
その後、奴国系の畿内を中心とする大和が侵攻し、邪馬臺国は滅亡
邪馬臺国の残存勢力は筑後磐井である これも大和が再び鎮圧
奴国(両親と兄弟) 邪馬臺国(鬼族) 吉備出雲阿波讃岐大和等(逃げてきた兄妹と頼もしい仲間たち) ←鬼滅の刃の物語のベース
引用元: https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1608452544/
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コメント一覧
タイムマシンがあったらなあって、つくづくと思う。稲作の起源は弥生時代ではなく縄文時代だったこと。縄文土器から籾の黒く焦げたものが見つかったことが、稲作の歴史の論文に書いてあった。でもテレビなどは未だに弥生だと放送する。歴史の資料は刻々と変わっている。新しい発見があるからだ。何もかもが大陸からだと言うのもぜせいされつつある。
捏造弥生人関連は、「水田稲作」の伝来だね。その前の米云々は「陸稲」で、餅米ついて食ってたんだよ。
だから日本古来の神事はお餅。お米やご飯使うのは歴史の浅い神宮みたいな所になる。