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歴史上のかっこいい・悲しい最期の人物について

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1世界歴史ちゃんねる2014/03/09(日)16:52:12.64 ID: 0.net

教えてください

 

4世界歴史ちゃんねる2014/03/09(日)18:47:26.63 ID: 0.net

コンスタンティヌス11世とか?

 

5世界歴史ちゃんねる2014/03/10(月)07:44:22.68 ID: 0.net

李広
李信の子孫。飛将軍と呼ばれる(呂布の元ネタ)ほどの功績を挙げながら道に迷って戦闘に遅刻し、
主将衛青が部下を詰問したので、当時すでに高齢であった彼は征戦七十数回の戦歴を振り返り自刎。
衛青は低い地位から出世し、腰が低すぎて威厳がないくらいの人物であったから、そこまで大事に
はならなかったと思われるのだが、そういう問題ではなかったのであろう。
後日、衛青は李広の息子に殴られても黙っている。公孫賀
前漢の丞相。武帝に任命されるものの、前任の石慶より前の三人が続けざまに罪を得てタヒんでいた
ことから、泣いて辞退。
辞退を認められずに拝命するものの、やっぱり最後は獄タヒした。
なお、石慶も一時は辞任が認められず自○に追い込まれそうになっており、石慶の息子は太子が罪
を得た際(多分冤罪)に挙兵を進め、敗れて○されている。

 

25世界歴史ちゃんねる2014/04/16(水)04:49:46.86 ID: 0.net

>>5
李広については衛青との価値観の決定的な違いがああいう事件になったんだろうなぁとは思う。衛青は李広が道を迷ったことについて同情的だったし、自分が後方に配置していたという任命責任もあったので弁解させて口添えしようとしたんだろう。
衛青は名将だが奴隷の生まれもあって温厚でともすれば卑屈な性格をしており、
おそらくその卑屈さは、外戚大将軍となった自分の境遇にイマイチ自信がなく命があれば儲けものという価値観から来ていたものと思う。
ところが李広は衛青とは逆に、現場で戦ってきた軍人としての名誉意識と自負心があるから、
失敗を弁解し保身させようとした行動自体をある種の侮辱のように感じてしまった。

下手を踏んで自害を招いたことを理解した衛青は、李広の息子に対し殴られても受け入れたのだと思う。
そしてそれも逆に今度は上流階級の名誉意識というものを理解していない行動で、
結局生まれながらの貴公子であった霍去病が叔父が殴られても黙っていたことを恥じて、李広の息子を○害してしまう。

衛青が傲慢な霍去病より兵に嫌われるのもむべなるかな、悪い意味で各階級を縦断的な感じで、
彼は軍事という本分を守り、そこから一歩も踏み出さずに居たから名将で居られたけど
多分霍光のような摂政みたいな立場についてたら酷いことになってたと思う。

 

6世界歴史ちゃんねる2014/03/13(木)00:24:06.45 ID: 0.net

なんつってもモルヒネデブだろwww
「ニュルンベルク裁判時には、モルヒネ中毒を克服し、
それまでのゲーリングとは別人であるように堂々と振舞い、
タヒ刑宣告を受けても微動だにしないほど落ち着き払っていたという」モルヒネデブじゃなくて鋼鉄のデブとでも呼ぶべき

 

7世界歴史ちゃんねる2014/03/16(日)19:43:46.28 ID: 0.net

じゃあマイナーな奴を上げよう。

清末の譚嗣同は大改革の戊戌変法を進める有力者の一人だった。
だが西太后のクーデターでこれが挫折すると、変法派は大弾圧を受けた。
その中で日本へ亡命した者も多かった。

その時譚嗣同は日本公使館へ逃げることを勧められ、その時間もあった。
しかし彼はそれを断って言った。
「革命は必ず血を流さねばならない。今それを私の血から始めよう」
こうして譚嗣同は処刑された。

 

8世界歴史ちゃんねる2014/03/16(日)19:46:50.18 ID: 0.net

崇禎帝かなぁ

 

10世界歴史ちゃんねる2014/03/16(日)20:22:09.58 ID: O.net

暴君ネロもオカンが基地外過ぎて破綻したように思う
元々はおとなしい少年だったと何かで読んだ

 

11世界歴史ちゃんねる2014/03/20(木)23:19:31.09 ID: 0.net

丁汝昌
部下の助命と引き換えに自害
しかし西太后はこれを聞き入れず彼の部下を処刑しましたとさ

 

12世界歴史ちゃんねる2014/03/24(月)21:40:56.00 ID: 0.net

大プリニウス
ウェスウィウス山の噴火から友人を救いに現地へ向かいタヒ亡
でも肖像画のプリニウス痩せすぎじゃね

 

14世界歴史ちゃんねる2014/03/25(火)19:11:17.25 ID: 0.net

東ゴート最後の王、テヤなんかどうでしょう?
東ローマ軍に追い詰められ、王としての最後の責務を果たすべく、
先頭にたって突撃、全身にピルム12本を浴びてハリネズミのように
なりながらも、力尽きるまで奮戦を続けるという、
凄まじい最期を遂げている。

 

18世界歴史ちゃんねる2014/03/28(金)22:23:37.21 ID: 0.net

>>14
壮絶ですね…

 

17世界歴史ちゃんねる2014/03/26(水)21:56:15.56 ID: 0.net

前秦の苻堅
皇位に就くべきでないところから皇位に就き、名宰相王猛を得て名だたる強敵を配下に加え、
華北を統一した男がたった一度の敗戦で転げ落ち、かつて情をかけた面々は相次いで離反。
遂にはかつての臣に一族郎党もろとも縊り○されるとは……。

 

19世界歴史ちゃんねる2014/03/29(土)03:43:46.57 ID: 0.net

しかも、口囲軍に苻堅のタヒが知らされると
敵軍の中に嗚咽の声が広がったと

 

20世界歴史ちゃんねる2014/03/29(土)13:44:14.32 ID: 0.net

苻堅は敗戦後も慕われていた描写がたまに出て来るので余計に悲劇性が増しますね。
沈慶之も酷い。あれだけ長生きして地位を築きながら、暗○計画を伝えた廃帝に粛清されるとは。
廃帝も功臣相手なので粛清したとは公表出来ず、病タヒ扱いにしている。

 

21世界歴史ちゃんねる2014/03/30(日)11:53:18.89 ID: 0.net

潘岳、字は安仁は晋の文人で、才気があふれていたが慎もうとしなかった。
また権勢家におもねったことから「後塵を拝す」という言葉を生んでいる。中書令孫秀はかつて潘岳に仕えていたが、性質が悪かったために嫌われ、たま
に鞭打たれた(これ自体は当時よくあること)過去があった。
出世した孫秀に対し、潘岳が「昔のことを憶えておいででしょうか」訊ねたと
ころ、孫秀は『詩経』を引用し、「何れの日にかこれを忘れん」と答えたので、
潘岳は己の運命を悟る。
はたして、遠からずして潘岳は友人石崇らと共に謀反の罪をきせられ、一族も
ろともに処刑されることになる。

潘岳は日頃から慎まない性格を母に叱られ、「目の前の利に目を捕われて後の
ことを考えない」と言われていたが、最後まで改めることが出来なかった。
刑に望んだ日、母に対し「母君に背いてしまいました」と言ったという。

また友人の石崇と刑場で会い、「安仁、やはり君もこうなったか」と言われて、
「『白首まで帰する所を同じくせん』と言った通りさ」と答えた。
かつて石崇に対して作った詩の一節を引用したのである。

潘岳の母、兄弟、甥や姪に至るまで○されたが、兄の子は生き延び、また姪と
その母は抱き合って泣いて離れずにいたので処刑が遅れたところ、恩赦が下り
生き延びることが出来たという。

処刑直前の友人に対する態度が好きです。

 

22世界歴史ちゃんねる2014/04/16(水)00:46:51.55 ID: 0.net

エフゲニー・ボトキン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%95%E3%82%B2%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%88%E3%82%AD%E3%83%B3自分から皇帝一家と一緒に監禁されることを望み、
最後は皇帝の盾になって銃弾を浴びるとか
こういうのって中々出来るもんじゃないよな

 

23世界歴史ちゃんねる2014/04/16(水)00:48:42.18 ID: 0.net

ルイ17世
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A417%E4%B8%96これはあまりに可哀想過ぎる
生まれた時代と環境が悪過ぎたな

 

24世界歴史ちゃんねる2014/04/16(水)03:25:11.92 ID: 0.net

あぁ〜…。

 

26世界歴史ちゃんねる2014/04/16(水)23:36:21.66 ID: 0.net

ある意味空気を読まなかったというか、読むことの出来ない性分の人であったと言うべきか。

>多分霍光のような摂政みたいな立場についてたら酷いことになってたと思う。
本人も辞退したでしょうね。

しかし、李陵といいこの家系は不幸が続く。

 

32世界歴史ちゃんねる2014/04/21(月)20:55:12.39 ID: 0.net

>>27
マリアを慕い続けたマウントバッテン卿の最期は対照的に呆気ないな。

 

29世界歴史ちゃんねる2014/04/20(日)09:32:18.55 ID: 0.net

アレクサンドル3世とピョートル大帝はなかなか良いタヒに方してるがな
3世は自業自得か

 

30世界歴史ちゃんねる2014/04/20(日)13:41:35.59 ID: 0.net

アケメネス朝のダリウス3世だろ
アレクサンドロスの東征軍に敗走したあと自分の部下によって○害される
伝承ではタヒの間際にアレクサンドロスに自分の仇を討ってくれと言い残したとされるけど
まあ都合の良い創作なんだろう

 

31世界歴史ちゃんねる2014/04/20(日)16:19:03.73 ID: 0.net

李広かわいそう

 

35世界歴史ちゃんねる2014/09/08(月)23:20:43.45 ID: 0.net

ユリウス・シュトライヒャー
>>絞首場では、服を着る事を拒否してパンツ一枚の姿で
>>「ハイル・ヒトラー!」と叫びながら暴れまわって
>>周囲のひんしゅくを買った。しかし最後は
>>看守のアメリカ兵たちにより処刑台の前に引きずり出された

 

36世界歴史ちゃんねる2014/10/03(金)02:58:38.23 ID: O.net

チャン朝ベトナムの皇族で将軍、チャン・ビン・チョン(陳平仲)

1284年の第二回元寇で首都タンロンが陥落した際、皇帝ニャントン(仁宗)を無事落ち延びさせるが、
本人は元軍の捕虜になる
現地での傀儡がほしい元が、この猛将を歓待し帰順と服従を求めるが
「むしろ南鬼となるとも、北王とはならじ」と拒否し斬首される

 

37世界歴史ちゃんねる2014/11/09(日)17:28:41.86 ID: 0.net

元朝秘史のジャムカ
モンゴルでは袋に入れて馬で踏み○すのが名誉のタヒ
ってそっちの方がやだ

 

38世界歴史ちゃんねる2014/11/09(日)22:18:57.53 ID: 0.net

テムジンのライバルだっけ
学習漫画でその場面見たことある

 

44世界歴史ちゃんねる2015/07/02(木)19:46:32.88 ID: 0.net

武藏坊辨慶がなんでないんだよw

 

45世界歴史ちゃんねる2015/07/03(金)18:50:30.74 ID: 0.net

ウィーンに嫁に行ったエリザベトとかバイエルンのお花畑王とか、あのあたりって
親戚筋じゃなかったっけ。
スターを生み出す血筋じゃね?

 

47世界歴史ちゃんねる2015/07/22(水)18:18:21.52 ID: 0.net

アレクサンドリアのヒュパティア

 

48世界歴史ちゃんねる2015/08/18(火)07:54:33.19 ID: 0.net

冒頓単于とその部下たちに惨○された父の頭曼単于

 

50世界歴史ちゃんねる2015/09/19(土)19:26:44.66 ID: 0.net

イングランド最大の魔女摘発者ホプキンズ
最後は、当の本人が妖術師として処刑される。

 

51世界歴史ちゃんねる2015/10/07(水)20:59:19.91 ID: 0.net

第一次世界大戦直前に暗○されたジャン・ジョレスさん

 

53世界歴史ちゃんねる2016/05/24(火)01:19:18.00 ID: 0.net

ムガル帝国の第六代皇帝アウラングゼーブ

これほど痛切な反省の弁を残してタヒんだ君主を外に知らない

 

54世界歴史ちゃんねる2016/05/24(火)01:43:40.15 ID: 0.net

「後悔先に立たず」を壮大なスケールでやってのけた
とどのつまり因果応報で、まったく同情する気にならない

 

55世界歴史ちゃんねる2016/05/28(土)21:57:39.87 ID: 0.net

年を食うと性格が激変する場合があるからな
若いころを思い出して慙愧の念に堪えぬという

引用元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/whis/1394351532/

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