黄巣という唐が滅びるきっかけとなった黄巣の乱を起こした男
も科挙を受験したが落第し続けた。
乾符2年(875年)、同じく私塩の密売を行っていた王仙芝の挙兵に呼応して蜂起した。流寇や遊撃戦を繰り返
しながら各地を転戦し、王仙芝が○された後は、官軍との衝突を避けて南下し、878年に広州を占領した。
その後、北上し、880年には洛陽と長安を相次いで陥落させる。唐朝の皇帝の僖宗は蜀へと逃亡した。
長安に入った黄巣は、皇帝を自称し、国号を斉とする。しかし王重栄や朱温らの配下の有力な武将が離反し、
唐朝の反撃も強まったために、長安を放棄して逃亡した。
破れた黄巣は、郷里である山東方面を目指すも、やがて追いつめられ自害した。
黄巣の乱は、既に衰退著しかった唐朝に致命的な打撃を与えた。
お◯ぱい映画はどうも朱温の方が内容的に近いっぽいな。
見ていないから確かなことは言えないけど。
見てきたけどただ目が眩むばかりですた。
いや、主に自分の語学力の問題なんだかw
14日にDVDが出るからもう一回じっくり見直すお。
黄巣の軍勢って、あちこちを移動していたから、唐軍に捕捉されなかっただけで、
戦闘力自体は大したことないんだよね。
長安に拠った途端に、集中的に攻撃を受けて、崩壊に追い込まれたし。
淮西や淮北では勝ち続けてるし、負けても復活が早かった。
長安では、官軍に対して野戦で負けたものの、主力は覇上においていたので、すぐ逆転した。
しかも、負けを帳消しにするほどの勝ちだった。
実際、黄巣が負けだすのは、李克用が参戦してから。
というか、李克用が強すぎ。
2万ほどの軍で、尚譲率いる15万を完全撃破。長安に対しても、連戦連勝した。
しかし、黄巣はすでに退路を確保しており、李克用が長安へ突入したときは、さっさと逃げ出していた。この辺の周到さはさすがというか、なんというか。しぶとい。
東へ逃げる間にも、流寇ぶりを発揮して、秦宗権を下し朱全忠の手を焼かし、再び李克用の参戦で撃滅されるに至る。
山東で挙兵した後、一旦広州まで行って、それからまた北上、
洛陽、長安を落としたんだよね。
流賊って恐ろしいな。
唐の将軍たちもあまりやる気がなかったからな。
唐朝は、既に満身創痍だし、黄巣の乱がなくてもあまり長持ちしなかっただろう。
実際は、それほどの規模の虐○でもなかったとも言われている。
唐朝に帰順して広州の節度使になって、南方に割拠する考えもあったみたい。
唐朝が断ったから実現しなかったけど。
民乱がなく、内部簒奪だけだったら、あるいは有力者(貴族・官僚)はそのままトップに居座り続けたかもしれない。
節度使といっても、通常中央に制御される存在であり、独立国というわけではないから、叛逆したとしても政治的立場・大義名分は貧弱だから、すぐに討伐される。
実際、憲宗のときはそうだった。
長安を占領した時もとにかく役人、貴族を○しまくったらしいしね。
黄巣本人は、一応の知識人だけど、手下は無教養な百姓が多いし、
虐○に走るのを黄巣本人も止めることができなかった。
黄巣自身もまともに政権を考えていたのかは怪しいものだけど。
挙兵時で30歳ぐらいかな?
日本での公開はいつ頃になるかな。
つか、邦題が何にされるかの方が気になるw
『ゴールドクロス』
故郷の山東近辺はどうなっていたんだろう?
黄巣の支配下? それとも唐朝側の支配下?
>>23
そもそもこういう流賊の政権、李自成の大順なんかもそうだけど、
占領した地方に、政権として行政をやっていたんだろうか?
ただ掠奪しながら流れるだけ?
創業時からの古参は少数派。
流賊と言うのは、戦闘に参加する兵士の他に、
後方支援に従事する人間がその数倍もいた。
つまり兵士である時点で、ちょっと身分が高い。
南方に割拠した方が、後の南漢みたいになって、
案外長命政権を作れたかもね。
天下は望めないけど。
一応唐朝はまだそれなりの形が残っているし
>>31
女官たちはおろか長安の民衆さえ見捨てて、自分たちだけでこっそり逃げ出し
僖宗は安全なところで、「あはは~、もし科挙に蹴鞠があったら、おれ最強じゃん~」
とかほざいていたわけだから、いったいこいつに女官たちの責任を問える資格があるのか?
いや、どう考えてもない。
>>30
ジリ貧はジリ貧だけど、黄巣ってやつはなかなかにしたたかな男で
鄭畋の連合軍が攻めてきたとき、負けたのは事実ながら覇上への退路は確保しており
官軍が長安で略奪に狂奔しているのを見澄まして逆撃し
負けた以上の勝利をおさめたし、また李克用が招安を受け皇軍となって長安攻略に
加わったときも、きっちり南方には退路を確保していて、三度撃って出て三度とも負けたら
さっさと、その退路から逃げ出した。
しかも集団としてまだ健在で、蔡州においては秦宗権を降し、淮西あたりで流寇ぶりを発揮していた。
長安を捨てた時点で、曹州への帰還を決めていたのか、東へ行く足は速かったものの
陳州の趙犨を降せず、足止め喰らっている間に、朱温が李克用を呼び込み
その来着によって、黄巣は連敗を喫することになる。
王満渡で撃砕されたあとは、もう集団としては機能せず、また腹心の尚譲などもついに捕縛された。
さすが飛虎子・李克用。まさに飛ぶがごとき強さ。
唐代の後半は、宦官が実権を握って、わざわざ操りやすい馬○な男を皇帝に立てていたようだしね。
長安を捨てた方が、機動力を得て、
守勢から攻勢へ転じることができて、
軍事集団としては力を増したかもね。
そうそう。
流寇のやっかいなところは、その辺だと思われ。
李自成と言い、流賊ってのは一度決まった場所に拠点を定めてしまうと、
たちまち補足撃滅されてしまう傾向があるな。
その娘たちが、唐が長安を回復した時に、そのことを理由に○されたのは可哀想だね。
まあどっちにしろ「最悪だが
唐代ではなく、北宋の理学の隆盛まで自由だった。
無論漢の班昭の本が社会に一定の影響を与えたが、
再婚自体は不道徳とは見なされていなかった。
朱温の離反の理由になったという説を見た覚えがある。
作品名: 王妃の紋章
CURSE OF THE GOLDEN FLOWER
監督: チャン・イーモウ
キャスト: チョウ・ユンファ、コン・リー、ジェイ・チョウ
ストーリー: 『HERO』『LOVERS』に続くチャン・イーモウ時代劇3部作の完結篇にして中国映画の興収歴代トップ記録を
りかえた大ヒット作。唐の王室を舞台に王と王妃、王子たちをめぐる愛憎劇を壮大なスケールで描く。
2008年4月12日(土)、東劇他 全国ロードショー
http://www2.warnerbros.jp/comingsoon/
王妃の紋章
予告編の説明を聞くに、やっぱ五代なのか
皇族の家庭内でぐちゃぐちゃしているあたり、
モデルは梁あたりかな?
民乱は象徴的だけど、それが建設的な方向へ進むことは少ない。
中国の歴史は、民乱に誘発された兵乱によって、新体制へと移行することが多い。
朱温はその両方に加担するかたちで、旧来の悪弊を掃除したという点で
支配層の移動を引き起こした、そのきっかけの大きな部分を占めている。
基点は、唐の節度使体制が、その土壌としてあるのだけど。
どうであれかなり非凡な手腕があったということではないかと思われる
引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1169436388/
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません