スロベニア・クロアチア両共和国の独立宣言がキッカケとなったユーゴスラビア紛争について語ろう
ユーゴスラビア紛争を語るスレ
2: 世界@名無史さん 2012/12/27(木) 00:07:09.76 0
そっちの方は山岳地帯で背を向けてしまっていて
ドナウの支流水系で考えると
把握しやすい気がする、
歴史的にもアドリア海沿岸はヴェネツィア共和国やラグーサ共和国の縄張り
ムッソリーニが取り戻そうとしたイタリア文化の影響が強い地域だしね
工業、科学、産業が発展せず
経済がおかしくなったから崩壊した
経済繁栄していたら
分裂していなかった
現代史なら国の基本情報のリンクぐらい張っとけよ。
クロアチア:http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/croatia/index.html
セルビア:http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/serbia/index.html
ボスニア・ヘルチェゴビナ:http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/bosnia_h/index.html
モンテネグロ:http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/montenegro/index.html
コソボ:http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/kosovo/index.html
マケドニア旧ユーゴスラビア:http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/macedonia/index.html
誰かさん忘れてねーかw
ユーゴ時代の自主管理経済によるインフレが
高賃金を生み、賃金の凍結に対する労働者のストライキが
生産の低迷とセルビアへの企業・資本集中を引き起こし、
結果として西からの投機を受け易いスロバキアとセルビアが
決定的に対立する事になったのは大きな原因の一つだな。
スロバキアのバックには西しかいないって考えると、
(例えスロバキア自身が紛争してないとしても)独立紛争は結局、
冷戦時の対ソ策謀の負債だよなぁ。
アメと戦った日本への印象はいいらしい。
まあ、おいらはセルビアには少し同情しているのだ
クロアチアだってセルビアの三分の一か半分くらいは虐○をしていたし、
イスラム教徒もセルビアの十分の一か二十分の一くらいは虐○を
していたのに、
カトリックだから、西側にクロアチアはえこひいきされたのだからな
よくないよ、セルビアは中国びいき
親中国家だから日本に対してそう感情よくない
そのくせ「クロアチア人=アーリア人種」、「セルビア人=非アーリア人種」なんてトンデモ説で
セルビア人を虐○しまくってるからな。ナチスの後押しがなければ起こらなかった悲劇だよ・・・
勢力的にはセルビアが最大勢力。といってもヨーロッパ全体でみれば小国の規模。
ナショナリズムが勃興しやすい土壌なのかな。
もっとも差別されてるのが中国人
国家上層部は別だがそれもアメリカに睨まれてるからって事の裏返しだし
ユーゴはストイコビッチで縁があるんだろ。
サッカーオンチなら全く認識なし。
ユーゴ空爆のときに
中国大使館がNATO軍に誤爆されてただろ。
あれが"未必の故意による拡散を含んだ戦略爆撃"の好例。
故意か過失かわからないレベルで敵兵以外を狙う。
この顛末が日本の本土空襲。最後は故意100%になったけどw
話は逸れたが、まあ中国も攻撃される側だったということで。
少し昔の本で読んだことだけど、「中国人」という馬鹿にされかたはするらしい
けど、後で「日本人」ということが解ると対応は改まるらしいよ。
理由は、バスなどを日本は援助したりしたんだけど、街を走るバスの横に「この
バスは日本が援助しました」的なことが書いてあるのを見ていれば・・・、
というような「援助している」ということは、結構伝わっているらしい。
親の世代の稼いだ金で援助して
今の日本人が誉められる。
ボンボンこれに極まれりだな。
youtubeのユーゴの関連する動画で
こういうコメントがあったな
セルビアに旅行に行った人らしいんだけど
その人が現地人と会話
(コメント投稿者)「どうしてこんな紛争が起こってしまったのか」
セルビア人「分かりません。他民族が嫌いだったのでしょう
あなた方も中国人は嫌いでしょう」
いくら日本人と言ってもチーノと帰ってくる場合も多い。
>>23
たぶん、中国人以外のアジア人については嫌われてない程度だと思う。
あと、日本は今でも小さく援助してるよ。
>>27
回答するに困る種類の質問したから、回答するに困る種類の質問で返された。
当事国で空気読めません的な質問をする旅行者が悪いな。
>>28
ボスニアやクロアチアでの中国人の呼び方は「チャンチンチョン」だったかな?
スタンボリッジ体制のままだったら、東欧革命に巻き込まれて、セルビア共産主義者同盟はそのままオワコンだわ。
セルビア元首(共和国幹部会議長)のスタンボリッジは、
戦後レジーム(チトー主義:多民族共存型社会主義)に固執し、なんの新しい構想も打ち出せなかったからね。
ミロシェビッチが87年の9月に党内クーデター起こすのも仕方ないよ。
コソボでは、セルビア人がアルバニア人によるテロ的なヤリクチで圧迫され始めていたのだし。
アルバニア人も嫌がらせをしてセルビア人を追放しコソボ自治州を乗っ取り
本国アルバニアとコソボを統合させて“大アルバニア”を建国しようと動いていた訳で、
普通ならユーゴとアルバニアの間で戦争になる話だ。戦後レジームに固執し何もしなかったスタンボリッジが悪い。
アルバニアによるコソボ乗っ取りを黙って見過ごしていたスタンボリッジの責任は重たい。
それとミロシェビッチが87年の党内クーデターで政治的に得たモノは大きかった。
戦後レジームたるチトー主義に固執する党の古株連中を追出すだけでは無かった。
当時ゴルバチョフの影響で台頭し始めていた自由化・西欧志向の若手の改革派の旗頭
で党のベオグラード市委員長を務めていたパブロヴィッチを党幹部会から解任する事
にも成功している。彼もスタンボリッジに同調しコソボ問題での穏便な解決を主張した
事で党幹部会から解任されてしまった。
これで従来のチトー主義に固執する古株と若手の改革派の双方を潰す事に成功した
ミロシェビッチは、セルビア共産主義者同盟から反対勢力を追放してセルビア党を
ミロシェビッチ党に変える事に成功した。この時点から、当時はまだ反体制派と言
うべき民族派知識人や民族主義団体の支持を獲得、彼らをセルビア共産主義者同盟
の党機構や支持基盤に引き入れる事でセルビア人からの支持を強固にする事が出来た。
民族自決がどうのこうのと言っていた第一次大戦直後ならむしろ現状のようなばらばらの国になっていてもおかしくないのに逆に統合。
バルカンの南スラブ圏は同質性と異質性が交錯する地域だからな
ww1で親分亡きあと、イタリアが怖いから、ピンではやっていけません。
スロベニア・クロアチアはイタリアの傘下に入ったほうがまだマシだった気がする。
まあ確かにイタリアからしてみれば、盗まれたダルマチア地方からクロアチア人を追放して、もう一度取り返したいという思いは強そうだよな
手腕だけでなくクロアチアにもセルビアにも顔が利いたというのが
一番大きいかも知れんが
ブルガリア併合失敗で国名が矛盾したよな
いっその事、「アドリア海沿いのスラブ人の国」とかにしてたら・・・
スロベニア、クロアチア、モンテネグロ、ボスヘル、セルビア、マケドニアだっけ?
サッカーでは分裂してから弱くなったよな
GL敗退と予選敗退ばっかで
まだ2国に分裂が収まっていたら、予選敗退は片方でも免れたんじゃね?
次のW杯予選もボスニアはグループ1位、クロアチアも2位でプレーオフに臨む可能性が高いし
ベルリンの壁が崩壊した翌々年の1991年6月に、スロベニアとクロアチアが独立を宣言することで
始まったユーゴスラビア紛争は、戦闘こそ終結したものの、今もコソボで深刻な対立を抱えており、
完全には解決していない。その他、ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国でもボスニア人・クロアチア人
陣営とセルビア人陣営の間の紛争再発を回避するためにEU軍が展開し続けている。このユーゴ
スラビア紛争は誰が何のために計画し実行したのかというのが、私の長年の疑問であった。
しかし、最近になって私は、米国の次の世界覇権国が中欧の小国オーストリアなのではないかと
考え始めている。馬鹿げた考えと笑う人もいるかもしれない。しかし、第二次世界大戦はプロイセン
を中心とするプロテスタントドイツを崩壊させる一方でオーストリアとバイエルンというカトリックドイツ
の中心地が西側に温存されるという点で、オーストリアに非常に有利なものであった。
ヒトラーがオーストリア出身でミュンヘンで政治活動を開始していることから考えると、ヒトラーは
オーストリアの意を受けてドイツに送り込まれた工作員であったとすら考えられるのだ。
そして、現在のドイツ首相はヒトラーの娘との噂のあるメルケルであり、フランスの前大統領で
次期大統領選で復職すると噂されるサルコジは、亡命ハンガリー貴族の息子である。
独仏という欧州を牛耳る二大国が、オーストリア・ハンガリー二重帝国の出身者に支配されている、
とも考えられるのだ。
しかし、小国オーストリアには、欧州統一の中核に相応しい経済力も政治力も軍事力も無い。
その小国オーストリアが、なぜ米国の次の世界覇権国に成れるのだろうか?
その答えは、オーストリア・ハンガリー二重帝国の歴史にあると思われる。
他の欧州の大国が軍事力を武器に成立したのとは異なり、二重帝国は主に王族の婚姻に
よって領土拡大を成し遂げたという特色がある。無論、ポーランド分割戦争に代表される
領土獲得戦争も行っているが、同様にポーランド分割に参加したプロイセンがカトリックの
ポーランド人を迫害したのとは異なり、二重帝国ではポーランド人の文化・宗教が尊重された。
帝国内部での民族対立は常に存在したが、それにも関わらず各民族の参加する議会政治が
実行され、平和が保たれたことが重要である。各民族の文化が尊重された結果、ユダヤ人に
対する迫害もロシアなどと比較して少なかったとされる事も特筆すべきであろう。
このように、皇帝の元で民族対立を激化させずに議会制民主主義により平和を実現するという
二重帝国の存在は、戦争を煽ることにより儲ける、英国及び国際金融資本にとっては叩き潰す
べき敵であった。19世紀後半以後、二重帝国の皇族には暗○や不慮のタヒが相次ぐ事になる。
その代表的なものが、セルビア人過激派によって実行されたサラエボでの皇太子夫妻暗○で
あろう。私は、これらの事件は全て国際金融資本によるものであると想像している。
国際金融資本によって実行されたと思われる二度の世界大戦で欧州が廃墟になった事の
損失を考えると、二重帝国が民族対立を回避し平和的繁栄を実現したという歴史は非常に
魅力的である。私は、二重帝国の復活を願い、それを滅ぼした国際金融資本に対する怨念を
持つオーストリア人やハンガリー人に加えて、多民族国家で平和を実現したという実績が
欧州諸国の人々に評価され、それによってオーストリアが欧州で国家規模に見合わない
巨大な政治力を持つに至ったと想像する。
そして、オーストリアは第二次大戦後の欧州を理念によって支配しており、米国の世界覇権
崩壊後に欧州が覇権を受け継ぐ事に伴って、世界覇権がウィーンに移動しつつあるのだ。
つまり、現在のEUとは、オーストリア・ハンガリー二重帝国の理念の復活の元に、ドイツ・
フランスの二大国が二重帝国を形成した状態なのだ。
この「世界覇権国オーストリア」を前提に考えると、ユーゴスラビア紛争は非常に解り易い。
ユーゴスラビアはセルビアが中心となった南スラブ人の国家であったが、第一次世界大戦で
オーストリアの皇太子夫妻を暗○したセルビアの民族主義は、二重帝国の平和にとって
非常に危険なものである。従って、セルビア民族主義を徹底的に叩き潰すために、オースト
リアによってユーゴスラビア紛争が計画・実行されたのだ。いわば、第一次世界大戦に対する
復讐、第一次世界大戦の戦争責任に対する処罰と言えるかもしれない。
紛争の期間中、セルビア陣営は常に悪者扱いされてきた。そしてセルビアの覇権の元に
形成されたユーゴスラビアは解体され、言語や宗教を同じくするモンテネグロまで分離独立
したことで、セルビアは小国に落ちぶれた。
セルビアの将来を見限って、言語や宗教で近い関係にあるブルガリアの大学に進学する
セルビア人高校生も国境沿いで出始めているという。「大セルビア主義」を唱える民族主義は
根絶されつつあり、バルカン半島に於けるオーストリアの優越が明瞭になりつつあるのだ。
Logic of “Nationalization” in Croatia: Political Movements in “Croatian Spring” and Disintegration Process of Yugoslavia (YAMAKAWA, Takashi, 2013)
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ir/college/bulletin/Vol.26-1/07_yamakawa.pdf
マケドニアはブルガリア系の系列みたいな名前だよな
フとかスキとか最後につく苗字は多いし女性形は語尾変化する
チトーがブルガリアも併合しようとしていたからああいう国名にしたのじゃないかって思ってしまうな
民族融合って形で雑種化を図らなければ
国家は遅かれ早かれ自滅するよ
そんなに中の悪い民族同士がたった一人のカリスマで表面的とはいえひとつの国でまとまっていたのが不思議だった。
でも身の回りを見りゃ似たようなことあるよな。すべての不満を力で封じ込めていた親父がタヒんだ途端に家族がバラバラになったり。
ワンマン上司が異動になったら、くだらない感情や人間関係で部内がゴチャゴチャになったり。
いや、なんとなくそう思っただけ
細かいことにはこだわらない
時として横暴
もしかすると性格はいい奴かもしれない
それだけ見るとアメリカ人の事かと思う
ボスニア・ヘルツェゴヴィナでセルビア系が分離独立を画策していて、
その背後にロシアがいることを非難するコラム。
After 20 years of peace, Republika Srpska threatens to tear apart the agreement
that has held Bosnia together. The West must stop it.・・・
http://foreignpolicy.com/2015/10/26/war-break-out-balkans-bosnia-republika-srpska-dayton/
いや、むしろ、それをやらなきゃ、旧ユーゴスラヴィアの解体は
完了しないんじゃないのかなあ。
でも独立してどうするのかな。セルビアに編入?
名目上はクロアチア人やボシュニャク人との共和を掲げる国だけど・・・みたいな
しかし伝統的に反セルビア感情が強いモンテネグロ人やコソボ系アルバニア住民からは抗議の声が相次いでおり、不安定な体制は約3年間世界地図に存在した。
憲法規定で、2006年5月21日にモンテネグロで行われた国民投票では独立賛成を可決するに必要とされた55%を超えた。これを受けて2006年6月3日にモンテネグロ議会が独立を宣言した。
当時の日本はモンテネグロとの関係を調べるに当たり、「ユーゴスラビア王国以前から約100年間続いていた国際法上の日露戦争停戦決議」が、国交樹立と同時に意外な話題となった。
これにより、事実上存続意義を失ったセルビア・モンテネグロ連邦政府は、6月4日に大統領のスベトザル・マロヴィッチが退任。6月5日、セルビア議会も独立を宣言、同時にセルビアをセルビア・モンテネグロ(セルビアの内陸国化)の継承国家とすることを宣言。
間もなく国連でも承認され、新たに2016年のNATOサミットでモンテネグロ軍の正式加盟が承認された。ミロシェビッチはハーグ国際戦犯法廷に出廷中、オランダで獄タヒしたが、これが最も新しい国際戦時法における「戦犯」としてのタヒ去となった。
これをもって、1918年の発足(ユーゴスラビア王国は国際的なヴェルサイユ会議及びトリアノン条約に基づく南スラブ人連邦国家の建国)から、
第二次世界大戦のクロアチア独立国及びセルビア王国内部での混乱も含め、1945年5月欧州戦線終結から1999年の旧共産ユーゴスラビア連邦(セルビア主導の偽国家)の滅亡。
さらに、人口的な「ユーゴスラビア国(体制以外の名称)」というバルカン半島版ソ連は、2003年の「セルビア・モンテネグロ連邦共和国」への改称と3年後の「モンテネグロ共和国独立達成」により、
合計で若干の国境調整がありながらも、東欧(基本的実験国家として)に約88年間に渡って続いたユーゴスラビア国家の枠組みは、名実ともに終止符を打つこととなった。セルビアの建国自体が汎スラブ主義とオーストリア・ハンガリー帝国との関係で産まれており、
WW1から約100年後に「国際社会への贖罪でユーゴスラビア消滅」を迎えた。
モンテネグロの人は、誇り高き田舎者、かな。
最近だとチョコレートにセルビア産が混じってただけで大統領が謝罪するくらいだから
クロアチアの方が民族的な傾向がある。
自分の母親や娘が民族浄化の対象にされれば、
そんな暢気なことを言ってはおられんぞ。
自分自身が民族浄化の対象にされるほうが
もっと暢気なことを言ってはおれなくなるだろ
自分の身内がそんな目にあう状況とか
想像しただけでやりきれない気持ちになる
その話どこまで本当なのやら「戦争広告代理店」読むと全部アメリカが裏で仕込んだ作り話じゃねーの?と思えてくる
ナイラ証言という前科があるし
彼らは捕虜の耳を切り取って酢漬けにしていたそうな…
モンテ ヘルツェゴヴィナ地域より緻密さはあるな。予想はってね。
代表対代表の試合は推せません。
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