1910(明治43)年代に撮られた最古の「忠臣蔵」の新フィルムが奇跡的に京都で発見、編集復元
最古の「忠臣蔵」映画18日上映 「奇跡」新フィルム 京都で発見、編集復元
「忠臣蔵」の現存最古の映画が18日、京都市内で上映される。二条城の西南にあった二条城撮影所で、1910(明治43)年代に撮られた尾上松之助主演の白黒無声映画。2015年に京都で発見されたフィルムを交えた「デジタル復元/最長版」を披露する。発見者の活動写真弁士、片岡一郎さん(41)=東京都=が15日会見し、「これほど古いフィルムが見つかるのは奇跡。京都との関わりも知ってほしい」と語った。
京都初の撮影所として1910~12年に稼働した二条城撮影所。そこを拠点に撮られた「忠臣蔵」は、二条城を赤穂城に見立ててロケをした場面もある。
牧野省三が監督・総指揮を務め、場面ごとに撮影を繰り返していたとされる。本来は無声映画だが、コピーを重ねて、戦後に音声が加えられたフィルム2本(42分と74分)の現存が従来確認されていた。
片岡さんは、「無声映画 忠臣蔵」という題名のフィルム缶を中京区の骨董(こっとう)店「ライト商会」で4年前に発見。二条城撮影所で撮られた「忠臣蔵」の古い無声フィルム(49分)と分かり、現国立映画アーカイブ(東京都)に寄贈した。
1910年代の日本映画のフィルム現存率は、わずか0・2%とされる。見つかったフィルムはオリジナルかは不明で失われた場面もあるが、画像は美しい。同アーカイブでは、3本のフィルムを編集し直して計87分の「デジタル復元/最長版」を製作。うち片岡さんの見つけたフィルムの使用が56%を占めた。
昨年末に東京で初披露。イタリアで今月開かれた無声映画の映画祭でも片岡さんの活弁付きで上映した。「日本初の映画スター、松之助の魅力は海外でも伝わるようで喝采を受けた。見つかったフィルムによって『祇園一力茶屋の場』などで従来にない映像も加わった。歌舞伎や講談を基にしながら、誰でも楽しめるように作られた作品を、ぜひ体感して」と語る。
上映は京都国際映画祭(17~20日)の一環として、京都市中京区の大江能楽堂で18日午後6時半から。三味線、太鼓、ピアノの伴奏で片岡さんが弁士として語る。詳細はチケットよしもと※電話番号はソースからご覧ください
二条城撮影所で撮られた「忠臣蔵」の討ち入り場面
https://www.kyoto-np.co.jp/mwimgs/8/f/600m/img_8f371e4a45f2e02919d9b6a59f604da3348916.jpg
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/36869
2019年10月16日 10:02 京都新聞
これ一般人は見られるのだろうか
故・津川雅彦の先祖で
沖縄アクターズスクールの
マキノ正幸、芸人の宮川大輔 の
先祖でもある。
赤穂事件って1701年やぞ
もう存在してない可能性の方が高いと思うが
片岡千恵蔵は昭和初期がスタートだぞw
1910年てことはざっと計算すると110年前か。
こんな大昔から映画なんてものがあったのね。
当時のフィルムってどうやって再生したの?
ロウソクとか行灯で写したのかな。
スクリーンに投影するタイプの映写機(兼撮影機)がシネマトグラフで、フランスのリュミエール兄弟が作ったのが1895年頃
この忠臣蔵はそれから16年後くらいに制作されたことになる
これを作った映画会社の横田商會もシネマトグラフを輸入していた
シネマトグラフだとすれば光源は白熱ランプだと思われる
初期には白熱ランプの代わりに電気を使わないライムライト(混合ガスを燃焼させて、高温の炎を石灰(ライム)に吹きつけて白色光を得る照明)を使う場合もあったらしい
もう少し後になるとカーボンアークランプやガス封入タイプの白熱ランプが出てくる
>>21
1895年というと19世紀か。
そんな時代から映写機とか発熱ランプがあったとは始めて知った。すごいね。
しかも日本も輸入してたとは。
当時、映画を見た人は驚いたろうね。人が紙に写ってるんだから。
最初はサーカ○とか見世物のノリだったとか
だんだんと映画館とか配給という概念が出来てくる
だろうね
近代史をすっ飛ばすのはナパーム
大阪の千日前には「日本映画興行発祥の地」の碑がある
江戸末期の時代の人が生き残ってた時代だな
幕末の人から見ても、赤穂浪士の人たちなんて
160年も昔の人たちだよな?
なのに服装や髪形、文章の書き方、街並みが、幕末と変わらず
なんか違和感あるなぁ
大石内蔵助はやりたいことを成し遂げて、腹を切ったが、
内蔵助の奥さん、大石りく
さんは、夫がタヒにに行くのを見送らなければならなかった。
この、大石りくさん心の内を思うと、ほんとに同情を禁じ得ない。
大石りくさんのお墓は、広島市内にあります。よく拝みに行ってます。
広島の浅野家は、赤穂の浅野家の本家で、大石内蔵助が自刃したあと、
内蔵助の嫁さんの、大石りくさんと大石主税以外の息子を広島の浅野家が引き取って、赤穂藩での内蔵助の石高と同じ石高を与えて、内蔵助の家族を保護した。
大石りくさんは60過ぎで亡くなるまで、広島で過ごされた。
芸州浅野家は、偉い。
https://i.imgur.com/tZzOS1Z.jpg
https://i.imgur.com/oESUVLk.jpg
遺失している有名映画が山のようにある
映画会社が倒産したら、それっきりだからな
https://i.imgur.com/FwhutZ2.jpg
昔はのどかな生活だったんだなあと思った、やたら間がある(´・ω・`)
だけどそれが慣れると非常に良い
噂ではバンダイが潰れそうになったときの為の最終兵器として残してあるという話だったが、
実際はハゲが映画版つくるのにオリジナルのフィルムをぶった議って編集してたからもうフィルムが存在しなかったためだったという
やっぱアイツ頭おかしい
たまたま何でかしらんが複製を持ってる人がいるのが解ってそれでDVDが出た
忠臣蔵はさすがに無理だけど新撰組の生き残り永倉新八(1915年没)の晩年の趣味は映画見物
孫を連れて映画館に足を運んでいたと
最近の現代の価値観で撮られてる時代劇はカ○みたいなもの
武士の価値観タヒ生観や武士の原理が見てみたい
劇場には活動弁士がいて無声映画で口上を述べたりした時代かぁ…
他の牧野映画も戦前物だし当日寄れたら寄る
引用元: http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1571226693/
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